北海道夕張市に行ってみた。心休まる風景の数々

~北海道は久々の28度。気分は自然と外へ。財政再建の市「夕張」へ。

 夕張市。日本で初めて「財政再建団体」になった市。日本の経済の急降下の中、ある意味「見せしめ」的に行われた施策。天文学的な借金の返済のなか、住民サービスは日本一削られ、疲弊していった街。十数年前、何かできることはないかと、「宿泊学習」で生徒200人を連れ、現地に赴き(なんでそんなところに、と猛反対されたが)、市民会館の清掃や街のごみ拾い(人がいないので、ごみは全くなかった)、シャッター街の商店街に赴き、生徒たちが住民との会話を楽しむ(学ぶ)、そんな企画をして以来、疲れると、たまあに夕張に行く。今回は、そんな夕張の「穴場」を紹介したい。

 久々に夏日よりで、疲れも抜けず、なんだか滝を見たくなった。「滝の上公園」というところをネットで見つけたので行ってみた。

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国道のすぐ横にあるのだが、意外と閑静で手入れも行き届き、気持ちがいい。のんびり進むと、

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つり橋が見えてくる。つり橋はワイヤーで補強され安全だが、両端に大きな「すきまがある」ので、幼児連れは、目が離せないというか、おすすめできない。

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だが、そこから見える滝はなかなかで、心が安らぎ、しばし見とれた。

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 そのあと、すぐ横にある、農協の建物があったので面白そうで寄ってみた。 

 

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 中身は、残念ながら大したことなかった。そのあと、夕張ダムを見に行ったが、落石の恐れありとかで、通行止め。仕方なく、Uターンし、南清水沢に行ってみる。昔と違い、小さなホーマックAコープなどもでき、そこそこにぎわっている。新聞によると、人口もここだけは359人から398人へと増加している。「いじめられっ子」夕張に一筋の光が差しているよう。明るい街並みも印象的だった。そこで、見た「夕張ながらのアイス」を見つけ、食べてみた。メロン一切れ500円が相場の中、メロン半分を使い、アイス大盛りで1000円。奮発して食べてみた。一言「美味!!!!」。

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実物はこんな感じ。周囲にいた5~6グループ、みんなこれを食べていた。

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 使っているのも「夕張メロン」。これだけで、今の夕張メロン3000円くらいするのだから「お得」。また、夕張唯一の豪華ホテル、マウントレースイでは、ホテルが「生メロンパン」を作って販売している。普通のメロンパンに、夕張メロンのカスタードや生クリームの入っているもの、色々ある。本当においしかった。ぜひ一度、北海道に来たら訪れてほしいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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オシムよ、ありがとう!想いは人種を越える!

~下手な日本人より日本人に愛情を注ぐオシム。あなたに会えたことを幸せに思う。

         「日本の強さはポーランドより上」

 

 日本よ、見事だ。本当に見事だ。このようなエネルギー溢れるサッカーを見たとき、チームスピリットに触れたとき、私は大きな幸福を感じる。試合前は日本がセネガルに対抗できるのか、私は懐疑的だった。セネガルの選手の身体能力は非常に高く、すこぶる強靭だ。野生動物のような鋭さを持っている。そんな彼らと互角の戦いをするのは、決して簡単なことではなかったろう。

 それなのにデータを見ると、”デュエル”での勝利は日本がセネガルを上回っている。日本の選手が知能と工夫を駆使して競り勝つたびに、私は誇りのような喜びを感じ、思わず手を叩いていた。

 1点のビハインドから同点にすることは、ただ単にゴールすることより難しい。この2-2という結果は、最後の1秒まであきらめず、集中力を切らさない日本の、まさに面目躍如といったところだろう。いや、それどころか日本は勝つことさえできたかもしれない。柴崎岳のクロスに大迫勇也の足が触れていれば、それも可能だったはずだ。

 今、私はクロアチアに滞在し、クロアチア・テレビの放送でワールドカップを見ている。おりしも日本対セネガル戦の解説者はロベルト・プロシネツキだった。かつてレッドスターバルセロナレアル・マドリードでプレーし、現在は我がボスニア・ヘルツェゴビナの代表監督でもある。

 プロシネツキは日本のプレー、精神力、その統率の取れた動きに驚嘆し、絶賛していた。私はなにか、自分の息子が褒められたかのようにうれしかった。

 次のポーランド戦で、計算上、勝ち点1さえ挙げれば、日本は決勝トーナメントに進出することができる。しかし、頭のどこかで”引き分けでもいい”などと思ってしまうのは非常に危険だ。それでは前へは進めない。守るばかりでは後ろ向きの結果しか出ない。

 次の試合でもこれまで通りのプレーを、勇猛果敢に走り、何が何でも勝つというサムライスピリッツを見せてほしい。今の日本とポーランドなら、強さは日本のほうが上のはずだ。頭を働かせて、正しいメンタリティをもって試合に臨めば、いい結果は出せる。ポーランドのディフェンスは、動きが緩慢だ。日本がそこをつけば、必ずや突破口を見出せるはずだ。

 サッカーの世界に絶対はありえないが、日本のベスト16入りを信じている。それは日本サッカーにとって大きな前進となるだろう。
 
 コロンビア戦後の取材で「体調が悪い」と言ったら、多くの日本人が私の健康を心配してくれていると聞いた。本当にありがたいことだ。持病の心臓に加え、今は右膝を痛めてうまく歩くことができない。本当は手術をすべきなのだが、心臓にはペースメーカーが入っているし、血が固まらない薬も飲んでいるので、それは危険なことなのだ。

 おかげでソファーから動くこともままならないのだが、幸いにも頭だけは健在だ。そして、今回の日本のようなすばらしいサッカーが、私に活力を与えてくれる。

最終更新:6/26(火) 15:52webスポルティーバ

 言葉はいらない。この記事を読んでくれさえすればいい。そんな気分になる。本当に日本への深い愛情を感じる。下手な日本人より日本への愛情を感じる。こんな人に短い時間であったが、日本代表の監督を引き受けてもらえて幸せだと思う。いつまでも元気にいてほしい。サッカー観戦も少し控えて、身体を大事に。日本人も、いつまでも、こんなオシム監督を愛し続けよう。ありがとう。オシム

教育実習生の評価会議。もうぐちゃぐちゃ。

~自分の世界の色と周囲の世界の色がどんどん乖離していく。

            これを「絶望」というか。

 

 今日、教育実習生の評価会議。こんな一コマがあった。

「●●さんは参勤交代もわからない。時間はあげたのに」

「学級では、生徒によく声をかけ、頑張っていた。・・・でも現場に出たら困るかな」

「実習生なんだから、朝、学級に言わなくても行かないと・・・減点かな」

・・・「?」。おや?「学生なんだから、出来なくて当然ではないのか。あんた方は、そんなに優秀だったか?教えたのか?求めるものを?」

 自分の番である。「林さん。指導案、意欲、授業、S(最高評価)です。」

周囲のどよめき。「最初の2,3日、もう少し積極的に、と思いましたが、その後、しっかり受け止め、改善されていきました。国語も、私の授業を見て、アレンジ出来ていました。十分でしょう」

「バランスは?他の学生とのバランスは必要でしょう」

「は?低いレベルの学生がいたとして、それに理由もなくあわせる?それは許されることなのか?何を求めて、彼女が、どう頑張ったかでしょう?」

「頑張れば、いいんですか?」

「当たり前でしょう。学生ですよ。気持ちが、すべての下敷きです。」

「人によって求めるものが、違う。僕は・・・です。それでいいんですか?」

「は?それは・・・(あんたが悪い。適当に時間を流したから。あんたの資質が問題だ。)当たり前でしょう。」

 この不毛なやりとりに、自分が生きてきた時間の色と周囲の世界との色が大きく乖離している現実を、改めて思い知らされた。・・・みな、そうなのか。年をとるということは。それは、教育現場の劣化そのものとさえ、思うのだが。

 幸い、学担も、事前の自分からの打ち合わせもあり「S」評価。まあ、最後は教科以外はA評価、総合Sに落ち着いたが。

 なんだかなあ。大人の質が、責任感が、未来への想いが、劣化していないか。この評価だって、一人悶々と、2週間も悩んだんだぞ!俺は。あんた方は、どうなんだ?

 生きていくのが辛くなるなあ。

人種差別的な電話相次ぐ バスケ審判殴った留学生帰国へ

~留学生制度が機能しているか、が一番の問題のはずなのに?

 

 「スイマセン、スイマセン」。

 コンゴ民主共和国から来日した少年(15)は試合後、監督に抱き付き、校長にひざまずいて号泣しながら何度も謝ったという。全九州高校体育大会のバスケットボール男子準決勝で延岡学園の留学生が審判を殴った問題で、同校は23日、少年の帰国を発表した。問題発生直後から学校に人種差別的な電話などが殺到したことも、早期帰国を決めた一因だという。

 学校が発表した処分は次の内容。(1)寮で謹慎している留学生の留学を取りやめて6月中に帰国させる(2)男子バスケ部は8月の全国高校総体(インターハイ)出場を辞退し、6月23日から3カ月間は対外試合を自粛する(3)指導責任者として川添裕司監督(50)を25日付で解任し、教諭としても無期限の停職処分とする(4)管理責任者として佐々木雅彦理事長(71)と佐藤則夫校長(65)、佐々木博之教頭(50)の給与を7月分から3カ月間、減給する。

 学校は問題の原因について、留学生本人とのコミュニケーションが不足▽本人に対する日本文化や道徳の教育・指導が不十分▽試合中の本人の異変をチームとして速やかに察知できなかった――と説明。この三つが今回の問題につながったととらえ、それぞれの責任を問うて処分を決めたという。

 一方で、監督解任を聞いた本人が2年の先輩留学生と一緒に泣いてわびるなど、人間関係は良好だったと説明。佐々木教頭は「細かい意思疎通を図るための言葉を理解させる時間が足りなかった」と話した。

 留学生の多くに共通する仏語を話せる非常勤教職員を雇うほか、日本語を学ぶ週3時限の授業とは別に週3時限、メンタルケアやコミュニケーションの時間を設け、留学生の様子や要望を理解し意思疎通不足を解消するよう検討中という。

 男子バスケ部は女子部監督らの下で24日に練習再開し、週1回のミーティングを義務付ける方針。留学生受け入れ継続について佐藤校長は「まだ白紙の状態だが、受け入れ態勢の確立にめどが立てば続けられる」と話している。

 学校によると、17日の試合で審判を殴ったニュースがインターネットやテレビ、新聞で流れると、翌18日から連日、人種差別表現を含む留学生への誹謗(ひぼう)中傷や暴力行使を示唆する電話やメールが深夜まで相次いだという。佐藤校長は「不測の事態もあり得るので本人を出来るだけ早く帰国させたい」と懸念している。

朝日新聞 

 「スイマセン、スイマセン」。

 コンゴ民主共和国から来日した少年(15)は試合後、監督に抱き付き、校長にひざまずいて号泣しながら何度も謝ったという。全九州高校体育大会のバスケットボール男子準決勝で延岡学園の留学生が審判を殴った問題で、同校は23日、少年の帰国を発表した。問題発生直後から学校に人種差別的な電話などが殺到したことも、早期帰国を決めた一因だという。

 学校が発表した処分は次の内容。(1)寮で謹慎している留学生の留学を取りやめて6月中に帰国させる(2)男子バスケ部は8月の全国高校総体(インターハイ)出場を辞退し、6月23日から3カ月間は対外試合を自粛する(3)指導責任者として川添裕司監督(50)を25日付で解任し、教諭としても無期限の停職処分とする(4)管理責任者として佐々木雅彦理事長(71)と佐藤則夫校長(65)、佐々木博之教頭(50)の給与を7月分から3カ月間、減給する。

 学校は問題の原因について、留学生本人とのコミュニケーションが不足▽本人に対する日本文化や道徳の教育・指導が不十分▽試合中の本人の異変をチームとして速やかに察知できなかった――と説明。この三つが今回の問題につながったととらえ、それぞれの責任を問うて処分を決めたという。

 一方で、監督解任を聞いた本人が2年の先輩留学生と一緒に泣いてわびるなど、人間関係は良好だったと説明。佐々木教頭は「細かい意思疎通を図るための言葉を理解させる時間が足りなかった」と話した。

 留学生の多くに共通する仏語を話せる非常勤教職員を雇うほか、日本語を学ぶ週3時限の授業とは別に週3時限、メンタルケアやコミュニケーションの時間を設け、留学生の様子や要望を理解し意思疎通不足を解消するよう検討中という。

 男子バスケ部は女子部監督らの下で24日に練習再開し、週1回のミーティングを義務付ける方針。留学生受け入れ継続について佐藤校長は「まだ白紙の状態だが、受け入れ態勢の確立にめどが立てば続けられる」と話している。

 学校によると、17日の試合で審判を殴ったニュースがインターネットやテレビ、新聞で流れると、翌18日から連日、人種差別表現を含む留学生への誹謗(ひぼう)中傷や暴力行使を示唆する電話やメールが深夜まで相次いだという。佐藤校長は「不測の事態もあり得るので本人を出来るだけ早く帰国させたい」と懸念している

 「スイマセン、スイマセン」。

 コンゴ民主共和国から来日した少年(15)は試合後、監督に抱き付き、校長にひざまずいて号泣しながら何度も謝ったという。全九州高校体育大会のバスケットボール男子準決勝で延岡学園の留学生が審判を殴った問題で、同校は23日、少年の帰国を発表した。問題発生直後から学校に人種差別的な電話などが殺到したことも、早期帰国を決めた一因だという。

 学校が発表した処分は次の内容。(1)寮で謹慎している留学生の留学を取りやめて6月中に帰国させる(2)男子バスケ部は8月の全国高校総体(インターハイ)出場を辞退し、6月23日から3カ月間は対外試合を自粛する(3)指導責任者として川添裕司監督(50)を25日付で解任し、教諭としても無期限の停職処分とする(4)管理責任者として佐々木雅彦理事長(71)と佐藤則夫校長(65)、佐々木博之教頭(50)の給与を7月分から3カ月間、減給する。

 学校は問題の原因について、留学生本人とのコミュニケーションが不足▽本人に対する日本文化や道徳の教育・指導が不十分▽試合中の本人の異変をチームとして速やかに察知できなかった――と説明。この三つが今回の問題につながったととらえ、それぞれの責任を問うて処分を決めたという。

 一方で、監督解任を聞いた本人が2年の先輩留学生と一緒に泣いてわびるなど、人間関係は良好だったと説明。佐々木教頭は「細かい意思疎通を図るための言葉を理解させる時間が足りなかった」と話した。

 留学生の多くに共通する仏語を話せる非常勤教職員を雇うほか、日本語を学ぶ週3時限の授業とは別に週3時限、メンタルケアやコミュニケーションの時間を設け、留学生の様子や要望を理解し意思疎通不足を解消するよう検討中という。

 男子バスケ部は女子部監督らの下で24日に練習再開し、週1回のミーティングを義務付ける方針。留学生受け入れ継続について佐藤校長は「まだ白紙の状態だが、受け入れ態勢の確立にめどが立てば続けられる」と話している。

 学校によると、17日の試合で審判を殴ったニュースがインターネットやテレビ、新聞で流れると、翌18日から連日、人種差別表現を含む留学生への誹謗(ひぼう)中傷や暴力行使を示唆する電話やメールが深夜まで相次いだという。佐藤校長は「不測の事態もあり得るので本人を出来るだけ早く帰国させたい」と懸念している

(2018年6月23日 20時27分朝日新聞デジタル

 

 まあ、あれだけ「がっつり」審判を殴って、傷害罪や暴行罪にも問われずに無罪放免というのもどうだ?とも思うが。だいたいコミニュケーションうんぬんの前に、留学生に日本語を教えるシステムや教員、時数が確保されていないまま、受け入れている現状が問題なはず。これは、今に始まったことではない。今から30数年前の自分が高校時代にも同様な状況があった。受け入れられたものの、日本語を学ぶ機会もなく、理解できぬまま、月日が流れ帰国していく。そんな現実。

 高校は、どのような意図で留学生を受け入れているか。簡単である。部活動で彼らの身体能力を生かし、名をあげ、強豪校になり、生徒を増やし、経営を安定させたい。そんな意図が、昔もそうだが、ますます強くなっているようだ。今回も、この事件がなければ明るみにでなかったはずである。留学生は、経営安定のための「駒」なのである。人格はいらない、そう、考えているのだろう。今回の延岡学園の事件は氷山の一角である。だからこそ、留学生を、早々に帰国させるのだろう。差別うんぬんは、これ幸い、という感じで利用されているだけではないだろうか。

 

東京芸大がミスコンを中止 「企画してしまったことを浅はかであったと痛感」。人間の根源の感情の発露を否定するな。

~杓子定規から生まれる閉塞感。「別にいいじゃん」。自然の感情の発露ではないか。

上旬に開かれる東京芸術大学の学園祭「藝祭」で開催予定だった「裏ミス藝大」が中止されることが明らかになった。藝祭実行委員会が6月21日、学生課を通して学生全員宛にメールを送り、中止を決めた経緯を説明した。

藝祭には、「ミス」と「裏ミス」のコンテストがある

藝祭では、「ミス藝大」と「裏ミス藝大」の両方が開催される予定だった。「ミス藝大」は毎年開かれている名物企画で、通常の「ミスコン」のような女性の見た目などを評価するコンテストとは違い、男女問わず参加でき、モデル、美術、音楽でチームを組み「ミス藝大」という作品をつくることで「美」を追求するというのが狙い。作品は人ですらない場合もある。
藝祭実行委員会のTwitterでは「藝祭のミスコンは一般的な大学のように容姿だけでは判断しません。毎年テーマを設定し(設定しない年もあり)、出場者およびチームがそのテーマをそれぞれの解釈で表現します。その中で魅力的なものを皆さんに投票で選んで頂き、グランプリ等が決定します」と説明されている。
対して、今回中止が決まった「裏ミス藝大」は、通常の女性の容姿やふるまいなどを評価する、いわゆる従来型の「ミスコン」を見たいという学生の要望に応え、今年企画されたものだったようだ。

「企画してしまったことを浅はかであったと痛感」

以下、「裏ミス藝大」の中止を知らせるメールだ。

  本企画の開催が中止となった経緯をご説明いたします。
本企画についてのメールを送らせていただいた後、様々な意見をいただきました。
賛成や出場を希望される意見も多数ございましたが、本企画に対し、懸念を示された方もいらっしゃいました。 本企画の参加資格が女子学生のみであること、また、外見から人の内面や人自身を判断するということが、「女性は美しくあるべき」というような、強迫的な観念をもたらしてしまうこと、そして、様々な価値観を持つ学生が集まり、芸術を学ぶ藝大という場において、このような企画が催されることに対して、強い危機感を持っていらっしゃいました。このような経緯を経て、意見をくださった方々とイベント課、企画課を交え、内的な意見交換会を行いました。そして、交換会において、本企画の発案のきっかけとなった、「ミス藝大」企画に関する意見ポスターについての言及もありました。 意見ポスターには、今まで通り「ミス藝大」を続けてほしいとの意見もございましたが、反対に、「普通の」ミスコンが見たいという旨を、女性に対するハラスメント的な言葉遣いで書かれているものもございました。
上記のような意見が学生の声として正式に受け入れられるとは思わなかった、という声をいただき、意見を取り入れ、企画してしまったことを浅はかであったと痛感いたしました。(井土亜梨沙/ハフポスト日本版)

 

 差別・区別・セクハラ・・・。そういう価値観は、総じて正しい。しかし、正しさと面白さとか夢とか開放感とか、そういう無形の心の内は、相反する事が多い。

 例えば、日本を代表する文学者の川端・漱石・芥川・太宰他、日本の文化の一端を今なお担っている人達は、私生活では、幾多の失敗を重ね、それが結果、人々の心の潤いを作ってきた。人間の一生は、総じて無駄の中に、一筋の結晶・光が生まれ、尊んできた、その積み重ねである。・・・なんて、かっこつけたが、要は、「別にいいじゃん」という思うだけなのである。別に「容姿をたたえる会」があってもいいし、(実際、対象が女性だから問題になるが、男性でそれをしても、あまり問題にならないだろう。)、そこが問題になるのは、別の問題が、その人達の心理の中にあるからなのではないか、とも思うのである。主催者が、それに対して、闘うだけのモチベーションも論理もないから(まあ、もともと「遊び」なのだから)、謝って、そして無くなって終わりなのだが。世の中に、いわゆる「美男子」「美女」と称する人は、間違いなくいるし、まあ、自分には縁がないなあ、と思うので、別にいいし。

 だって、いわゆる芸能界だって、歌とか芸という基準ではなく、容姿が半分以上で選ぶようになってどれくらいたつのだろう。それが飽きたので、今は、普通っぽい人がうけているようだが。

 今回の「裏ミス」だって、本当に、みんなが「嫌」なら、参加する女性だってないはずだし。

 そういうのも「いいなあ」というのも一つの価値観。そういうのは嫌だというのも一つの価値観。どちらが良いとか悪いとか、ではないだろう。「価値観」の問題なんだから。まあ、セクハラとは根が違うだろう。(それだって、醜悪なものは論外だが、○○はかわいいなあ、もセクハラと叫ばれる昨今、世の中に潤いがなくっていると感じてしまうのは、やはり、年をとったか。)

 世の中には、男と女しかいないのだから、もう少し上手につきあって行ければいいのに、とも思うのだ。「外見から人の内面や人自身を判断するということが、「女性は美しくあるべき」というような、強迫的な観念をもたらしてしまうこと」、そんな難しい話で、日々生きていないし。「かっこいいなあ」「いい男」「かわいいなあ」「きれいだなあ」。それは、人類の根源とも言うべき素直な感情の発露ではないか。それを否定して、何が楽しいか。まあ・・・自分は、それに当てはまるとは一度も思ったことはないが。その根源が・・・・嫉妬、と書いたら、怒られるだろうか。無意識の嫉妬。それも、人類の根源の感情の発露であるのは間違いない。

 

 

高等教育無償化 中所得層は置き去りか

~税は公平にが原則。どこまで情を入れて良いか。見えない「不公平」。

 ない学生も多い。逆差別を招かない制度の設計を求めたい。

 家庭が貧しく、高等教育の機会に恵まれなかった子どもも、また貧しくなる。負の連鎖を断ち切るために、国は低所得層に対し、大学や短大、専門学校などに要する費用の負担を軽くする制度の枠組みを決めた。

 住民税非課税世帯とそれに準じる年収三百八十万円未満までの世帯を対象に、授業料や入学金の学費と生活費を支える。すべて返済不要だ。消費税の増税分を使い、二〇二〇年度から実施するという。

 近年、大学・大学院卒と高校卒の学歴の違いは、およそ七千五百万円の生涯賃金の格差となって跳ね返るという。教育水準の底上げは、学び手本人はもちろん、社会全体の利益の向上に結びつく。

 大学に進学する場合、国公立か私立か、自宅から通うか下宿するかなどの条件で費用は変わる。

 非課税世帯については、子ども一人あたり年間百万円から二百万円ぐらいの支給を視野に入れての議論になるのではないか。その上で、段階的に金額を引き下げながら、年収三百八十万円未満までの世帯を支援する設計となる。

 限りある財源を、低所得層に優先的にふり向ける考え方はうなずける。けれども、高等教育費の負担は中所得層にとっても重く、少子化の圧力にもなっている。

 国の奨学金事業を担う日本学生支援機構の一六年度調査では、大学生のほぼ二人に一人は奨学金を利用し、そのうち七割余は年収四百万円以上の家庭の出身だ。在学中はアルバイトに時間を割き、借金を抱えて社会に出る人も多い。

 たとえば、子どもの人数や要介護者の有無、資産の多寡といった個々の家庭の事情を度外視した仕組みが公平といえるか。少しの収入差で対象から外れる世帯や高校を出て働く人が納得できるか。

 親が学費を賄うべきだとする旧来の発想に立つ限りは、こうした疑問は拭えないだろう。

 自民党教育再生実行本部は、国が学費を立て替え、学生が卒業後の支払い能力に応じて返す出世払い制度の導入を唱える。オーストラリアが採用している。学び手本人が学費を賄う仕組みは一案だ。 もっとも、高等教育の恩恵に浴する国がもっと公費を投じ、私費負担を抑える知恵がほしい。慎重かつ丁寧な議論を重ねたい。

中日新聞 2018年6月22日)

 子育て世代ということで言わせてもらえば、低所得者への「進学費用の負担」は、税の「公平性」という意味で、「違憲」でさえあるかもしれない。親の所得=学歴差という社会現象は、「新自由主義」を標榜した「安倍自民党」が進めてきた施策の結果である。話はそれるが、生活科や総合という科目は、習熟度学習=出来る子をさらに伸ばす、という陰の目標があり、その逆バネの受け皿として、「そうでない子は、生活力や社会性、遊び」の中で、違う生きる力を、と考えらてきたものだ。その結果として、社会の格差、経済力の格差の負の連鎖が問題になったのに、「今更」感がありありだ。

 それはさておき、どの家庭も子供の進学費では頭を悩ます。子供の進学費=老後に残る自分達の生活費だからである。子供の夢を叶えさせてあげたい。でも、出せる金には限りがある。学費を出したあと、自分たちに、どれだけのお金が残り、どんな生活が待っているか。・・・不安で仕方がないのである。そんな気持ちでいるなか、「低所得者への学費全額負担」とか、気持ちが逆なでさせられる人もいないわけはない。税金をきちんとおさめ、そして、貯金を取り崩し、やっと子育てしているのに、生活保護を受け、それに、学費もか、と考えるのは、心が卑しいか・・・と考えて、声を出せないだけである。身近には、生活保護費をもらうため、偽装離婚し、市営住宅の新築に住み、高級外車を乗る輩、子供の部活動のシューズを、周囲の「普通に過ごす」子供達の何倍も高い値段のものを買い与え、その子供が嬉々と見せびらかす姿。給食費を3年間一銭も払わずパチンコに明け暮れる母親。その人達にも、である、支援するのでは、逆不公平であろう。国は、それをきちんと調べられるのか、その方策を考えているのか。まずは、そこを解決してもらいたい。大学や短大、専門学校などに要する費用に四苦八苦しているのは、一部の国民・市民だけではない。税金は、公平に使われるべきだし、払った対価を国民に与えるべきだ。そうでなければ、暴動が起きても、国は文句は言えない。本当は。娘が「医者になりたい」と勉強している。自分たちの預貯金を計算し、奨学金の返済金・返済年度・その時の親子の年齢を考え、暗い気持ちになる。経済×学歴×夢なら、国民みんなに平等に与えた欲しい。チャンスを。親の経済=少子化の解決策というなら、それが本筋だろう。

 

「やめればいいんじゃない?そんな人」をもう少し話したい。

「教育現場はもはや聖職、特別(職)ではない。サービス業。ただ「心」はなければ。」

 最近つぶやいた「twitter」が意外な程の反響があった事に正直驚いている。それは、いわば身内にも外野にも同様に。身内(同業)には、「・・・」。まあ、いろいろは人がいる。きっかけは、こういう教育実習生(真偽はわからないが)のつぶやきである。

「①朝が超早くて夜も遅い。働いても働いても仕事が終わらない。②紙の無駄遣いが酷い。③おしゃべりな人が多い。④職員室が五月蠅すぎて、あれじゃ仕事にならない。⑤暗くなるまで部活やりすぎ。⑥先生自身が意味のない仕事を増やしている。

 〈結論〉教員になるのやめまーす」

 それに対して「やめればいいんじゃない?そんな人。働き方の問題はいろいろあるけれど。そんなことしか見えない人は教師にならない方がいい。」とつぶやいたのである。「そんな」の使い方には反省はしているが・・・。

 もう少し、補足してみたくなった。それこそ「意味のない」事だが。

 まず、①と⑤は、その通り。それが現実。だが、この人が仕事が終わらないと嘆く、その後、この人の「駄目だし」された教師は、やっと自分の仕事をするのである。だから、採用試験を受けないと分かっている実習生は、本心では「迷惑」かもしれない。だから、今回の私の担当の「実習生」には聞いたのである。「試験、受けるの?」と。そして、「本音で教えるけど、僕がどれほど真剣に貴方の指導をしても、僕の給料も増えないし、地位も評価もあがらない。だから、中途半端にやるのなら、最初から言って欲しい。それなりに(困らないように)「終わらしてあげる」から。「貴方が全力で学びたいのなら、僕も全力で教える。まあ、きつくなるけどお互いに。」と。その時の感じと大きな差がありすぎて、おもわずつぶやいた。②は、教師に、節約の意識が総じて低いのもあるし、使える時間の制約がありすぎて(時間がとにかくないし、あっても生徒指導や急な書類作成でなくなる場合も多い)、とにかく急ぐ。余裕もない。それに慣れてしまっている。そんな背景もあるのだ。

⑤もその通り。現場には、部活をやりたくてしかたがない教師も多数いて、そうじゃない人もいるが、管理職も、やりたがり教師が占める中、組織はそちらに傾く。教育委員会のお達しなど、管理職が無視するし、しないと親の対応等自分の仕事を増やすので、旧態依然。④も、まあ、どこのそんな快適な職場環境など、一流企業しか保証されないのじゃないか。教育現場は、間違っても一流企業ではない。

⑥について。生徒指導、保護者対応、生徒との触れあい、極めて無駄が多く、しかし、その無駄の中から、「何か」を生み出そうとするのが、教師の仕事なのである。特に生徒の指導・支援・ふれあいは、踏み込みすぎても駄目だし、遠すぎても駄目。無駄の中に、心をつかむ鍵があることがある。まあ、その為に失敗する教師も多いが。だから、それを「無駄」と断じてしまう、この人は、教師に向いていないのである。この人の善し悪しを「つぶやいた」のではないのである。選べるのだから、向いていない職業に無理して就くことはないと思っただけである。でも、向いていない職業の中、必死で毎日頑張っている、多くの人は。

 教師という職業は、今や「サービス業」そのものなのだ。世の中のサービス業を考えてみれば、今の「教育現場」の不条理もわかるだろう。夜の19:00に「居酒屋」が閉まれば、たまあにの「息抜き」の外酒が飲めなくなる。そんな感じだ。

 そういう仕事を、求めている。国や県や市や町という行政は。だから、文句を言うなら、一教員や教育現場にではなく、そういう行政や法律を司る人達へ訴求しないと、変わらない。ただ、サービス業であっても、そこに「無駄」を承知で楽しめないと、希望や夢を語れないと、他人様の「児童・生徒」をあずかれないだろう。担任を必死でして、保護者対応、生徒指導、いじめ対応、部活のもめ事を抱えることになっても、それを仮にうまく解決でき、そんな力を持っても、「給料」は、そうでない人と変わらないのである。仕事の「無駄」である。(最近、担任をしたがらない教師が増えてるのも、そんな事情からなのだ。)

 教育実習は、所詮、実習で、体験入部みたいなもの。その中身は、大概、周囲の担当教諭が地ならしして、受け持たせる。だから、「感動する」。まあ、偽物なのだ。ただ、偽物の感動も、時として、その後の彼・彼女の「拠り所」となる。「夢」くらいあってもいいじゃないか。そう思い、周囲は手助けする。自分が疲弊しても。逆に、この人の場合(本当に教育実習生だとしたらだが)、そんな思いをさせた周囲のレベルが「?」で、可哀想だったのかも知れない。でも、そんな人もたくさんいるのだ。この世界。でも、それは教師に限った事ではないのじゃないか。いろんな人がいるのである。世の中には。だから、疲弊するし、やりきれない。生きるのは・・・大変なのだ。