<政府>公務員定年65歳に延長 段階的に 来秋にも法案

~「死ぬまで働け」法案。食べて行かれないのだからしかたないけど。

政府は、国家公務員と地方公務員の定年を現行の60歳から段階的に65歳まで引き上げる検討に入った。少子高齢化で生産年齢人口の減少が見込まれる中、労働力確保を図る。早ければ来年秋の臨時国会に関連法案を提出する方針だ。

 政府は6月、内閣人事局や総務、財務両省などの局長級による関係省庁連絡会議を設置し、定年の引き上げ幅などを議論している。菅義偉官房長官は1日の記者会見で「労働人口を確保しつつ、社会全体の活力を維持するために幅広い検討を進める」と述べた。

 最終的に65歳までの定年延長を視野に入れるのは、公務員の年金受給開始が2025年度までに65歳に引き上げられるためだ。定年と受給開始年齢を合わせることで、収入の「空白期間」が生じるのを防ぐ。

 ただ、定年延長は総人件費の拡大につながる可能性がある。政府は60歳以降に役職定年制を導入するなど、給与水準を抑制する方策をあわせて探る。

 一方、政府は民間企業の定年延長を支援するため、20年度までを「集中取り組み期間」に設定し、助成措置を強化する計画だ。公務員の定年延長検討には、民間の対応を促す狙いもある。(毎日新聞 9/1(金) 21:00配信)

 

「超高齢社会」「超少子化」に何ら真剣に手を打てないまま来てしまったつけだろうけど、要は「人手が足りない」し「年金システムも崩壊」するから、死ぬまで働けということか。まあ、年金もらえず、給料もらえずは、=死ね、ということだから、それよりはいいか。でもね。35超えて体力気力もがたんを落ち始め、50超えて、いろんな矛盾と不条理と体力の減退とで、「あと10年」と思ってたら、「あと15年」。苦しいなあ。まあ、子育てにお金もかかるから、頑張るしかないか。でも、それまで健康でいられるかなあ。年金もらう前に死んでしまうかもしれないし。じゃあ、年金準備金を国民から摂取するのをやめたらどうなのだろう。自分で積み立て、自分で使う。今でも払った額の5割くらいしか戻らないといわれるのに、これでは、1割も戻らない人もいるだろうし。男性なら平均寿命まであとわずかだし、支給年齢まで。

 定年延長が若手の就労機会を奪うのでは、という論点もあるが、10年後くらいには、就業人口の急激な減少により、企業が立ちゆかなくなるとも言う。政府は、小手先の策ではなく、根本的な施策を、お金をかけてでも研究すべきだ。軍備を増やして、国がないと言うことにならないためにも。・・・それを考える頭がないか、それとも、もうすでに手の打ちようもないぐらい、実は深刻化しているのか。 

 

使い捨ての医療機器、洗って再使用 兵庫医大病院

~病院を標榜する資格がない。永久に業務停止だ!何が大学病院だ!

兵庫医科大学病院(兵庫県西宮市武庫川町)は29日、厚生労働省の通知で手術後に廃棄するよう定められている医療機器を、洗浄して患者130人に再使用していたと発表した。同病院によると、感染症など患者の健康被害は確認されていないが、手術後1年間は経過観察を行うという。

 この機器は、骨に穴を空けるドリルの先端に取り付ける金属製器具4種類。昨年12月から今年7月末にかけ、医療機器の洗浄を担当する複数の看護師が事前協議をせずに、手術で1度使った器具を洗浄、滅菌し、整形外科と脳神経外科で135回の手術に再使用していた。

 7月中旬に厚労省から西宮市保健所に情報提供があり、8月1日、同保健所と近畿厚生局が立ち入り検査。その後、同病院を文書で是正指導した。

 病院によると、看護師らは「厚労省の通知は知っていたが、滅菌して安全性が担保されていれば再使用しても問題ないと思っていた」と説明。同病院は看護師らの処分を検討する。(神戸新聞 8/29(火) 18:43配信)

 

 言語道断としか言いようがない。「厚労省の通知は知っていたが、滅菌して安全性が担保されていれば再使用しても問題ないと思っていた」。何という言いぐさ。医療村の頂点にある大学病院の資格が、もはやないのではないか。医療行為を止めて、研究にいそしめばいい、思う存分、願い通りに。

 昔、胃カメラの洗浄ミスでピロリ菌に感染した疑いが強い、と他の病院で言われ(あまり言いたくはないが、との事だったが)、状況と日にちなどを鑑みた結果だった。激烈な激痛・嘔吐(と言っても何も出ないくらいはき続けたが)で救急車で運ばれた夜の翌日の事だ。退院前日、その病院長に「どうする?」旨言われ、多分、認めないよね、とも言われたが、退院後、その検査センターに電話し、説明するも、当然、けんもほろろ。証拠を出せ、とか、なんとかばかり。証拠なんて出せるわけがない。ただ、同様に「検査センター」ではなく、専門も病院の専門医が、「胃カメラの洗浄不足で感染が多発して、その症例に類似している」というだけなのだ。ただ、他に思い当たるフシもなく・・・。

 医療は、その手技、知識、危険へのアンテナ、すべてに置いて「信頼」が前提となるのではないか。それを軽視するこの「大学病院」は、すでに、その資格がない。業務停止を含め、厳しい措置が当然だろう。

 

90歳女性首切られ死亡 同居の孫を逮捕。34歳孫殺人容疑で逮捕!悲痛な叫び。

~「頑張って介護してきたのに。何でそんな目で見るんだ!」

 28日午前9時半前、横浜市南区大岡のマンションの一室で、この部屋に住む90歳の女性が首から血を流して倒れているのを家を訪れた娘が見つけて通報しました。女性は意識不明で病院に搬送されましたが、死亡が確認されました。捜査関係者によりますと、女性の首には切られたような傷があり、近くには刃物が落ちていました。警察は、連絡が取れなくなっている親族の男性が事情を知っているとみて捜査しています。(テレ朝ニュース)

 

 同容疑者は午前10時半頃、自ら山手署に出頭してきたという。調べに対し、「祖母が何度も同じ事を繰り返し聞いてきて、にらみつけてきた。頑張って介護してきて、何でそんな目で見るんだ、と思って・・・」と容疑を認めているそうだ。

 男は女性の次女の息子で、4,5年前から2人で暮らしていたという。

 何とも痛ましい。それしか言葉がない。介護の末の絶望。寛大な量刑を望む。90歳の女性は、もう「何もわからなかった」のだろう。それがわかっていても、なお、その気持ちは、側にいた者でなければわからないものに違いない。だからこその「寛大な処置」だ。社会が救ってあげられない、政治が、見捨てようとしている事象だからこそ。

 次女の息子。つまり孫だ。どこまで「密な」じじばば関係を築いていたかはわからないが、この男の母親はどうしたのだろう?だぶん介護に嫌気がさし、自分の「親」である母親を置いて、あまつさえ自分の子供も捨てて逃げたに違いない。その「穴」を、ある意味、血の繋がらない「孫」がしていたわけだ。孫も女性も、もう「わけがわからなくなる」状態。

 超高齢化社会。親は子の負担にならないよう、惚けないよう、そればかり心配して生きる。その時、現実的に、子供にもゆとりはない事が多い。長生きは「罪」か。今、そんな悲痛な声が木霊する。みんないつかは年を取るのに。

北の弾道ミサイル日本上空を通過。北海道周辺に発射「北朝鮮、少しひるんだか」 河野外相?「はあ?」

~こんなんで起こすな!いつから遠吠えしか出来ない政治家が増えたのか?

 菅義偉官房長官は29日午前、緊急記者会見し、北朝鮮が同日午前5時58分ごろ、北朝鮮西岸から弾道ミサイル1発を北東方向に向けて発射し、北海道・襟裳岬上空を通過した後、6時12分ごろ、襟裳岬東方約1180キロメートルの太平洋上に落下したと推定されると発表した。(産経オンライン2 017.8.29 11:19更新

 

 「ビービービ」。こんな音が2度も3度も鳴るなんて。なんて日だ!一言、この時の気持ちを言えば「こんなんで起こすな」「こんなんで鳴らすな」だ!

 1回目の「ビービービ」。ヤフーの災害情報アプリが鳴り響く。時間は夜中の2時頃。「何々?・・・激しい雨が予想されます?」・・・設定を、雨バージョンは変えていなかった!まあ、激しい雨を子守歌に寝ますか。と思いきやいつまでたっても「激しい雨」とやらは降らず、やや不眠状態に。今夜は隣に寝ている「娘の寝顔」を見て眠りについた・・・はずが、朝方の6時頃だ。2回目の「ビービービ」。噂の弾道ミサイル。「北海道上空を通過する見込み」とか。だから、何なの?何が出来るの?地下はないし、仮にあっても、家を直撃あるいは近隣に落ちれば、民家はひとたまりもない。訓練から言われていたことだ。「逃げる場所なんて、ない」と。だったら起こすな!だ。

 巷で言い合う。もし落ちたら、もう「運命だな」って。打ち落とす?出来もしないことをぎゃーぎゃーいってても始まらないんじゃねえ?(と、言葉まで少々荒くなる)

 しまいには、河野外務大臣までが、安部総理の虚言・強がりの癖がうつったか、それとも、それほどまでに語学力がなかったのか、「北朝鮮、少しひるんだか」だ。

 え?ひるむ?だれに?日本に?なぜ?わからない!だって「ひるむ」というのは、相手の攻撃力などに怯えるとか、心配して、とかだろう。北朝鮮が怯むのは、日本ではなくアメリカであり、日本は傍観者以上でも以下でもない。まさしく「虎の威を借る狐」!かっこわるいことこの上なし!政治家の「センス」「資質」がないな、この人、と思ったものだ。そうして、もう一度、こんな事で「起こすな!!」

 

「男尊女子」って?「バカなフリ」も生きる手段?

~「つんつん」より「かわいい」ほうが面倒くさくない? 

「バカなフリ」も生きる手段?

 「男尊女子」とは「男尊女卑」ならぬ、自分を低く見せ、男を立てる女性を指す。酒井さんが、その振る舞いに気づいたのは、東京の私立女子高に通っていた頃だ。<モテる友人が、男子の前に出ると急にものを知らないドジっ子になるのを見た時でした。「等々力と書いて、トドロキって読むの知ってたぁ? トウトウリョクかと思ってたぁ」と言う彼女に対して、「ばっかだなぁ、そんなことも知らないのかよ」と言う男子の目には、やけに優しい光が宿っていたのです>。「バカじゃないもん!」と口をとがらせ、「オマエ、何も知らないのな!」と髪をくしゃくしゃにされる友人に酒井さんはかなりイラついたそうだ。「バカのふりをしている方がモテるんだ。モテるモテないの違いはそこに出るんだ、っていうのが衝撃的でした」

 友人に嫉妬し、だまされる男子をバカにした酒井さんだが、自身、試した時期もある。「カマトト芸をして男子にウケたときは『生理に響く快感』というのか、独特のものがありました。試験で勝ち得た快感とは全く別のものでした」。友人の「髪くしゃ」がかなり効いたようで、本では、自分が男子に髪をくしゃくしゃにされたときの喜びが繰り返し現れる。「でも根っからはできなくて、周りに同級生なんかがいたらどうしようというのが一番怖かったですね」

毎日新聞

 

 まあね。分かる気がする。むやみやたらに「生意気な」感じの女子より、「ぶりっこ」女子の方が楽しいし、なにより「可愛い」方がいい、というのは世の男全般の感覚だろう。昔、言われた「生意気な」感じの女子を「征服」する喜び。今の時代、そこまでの「パワー(男気)」を持つ男子は皆無に近い、というより化石?だろう。

 人間関係、「馬鹿になる」事が大事だ、と昔上司に言われたが、「馬鹿になる」事は意外と難しいんだ、これが。それを「簡単にやつちゃう」女子。あるいみスゲー。○○できる、なんて下世話な想像もできちゃう?

 まあ、そんな「ぶりっこ」女子も、結婚相手となると、意外と世の男子も「ひく」のではないだろうか。結婚相手としては「?」や「×」だけれど、「遊び相手ならGOOD」くらいな感覚で。まあ、お互い様、てな感じかな。

17歳少年に不定期刑=河川敷16歳暴行死-さいたま地裁

~「少年法」の必要性を考える。理想で刑罰をとらえていいのか。

埼玉県東松山市の河川敷で昨年8月、同県吉見町の井上翼さん=当時(16)=が集団暴行を受け死亡した事件で、傷害致死罪に問われた無職少年(17)の裁判員裁判の判決が28日、さいたま地裁であった。佐々木直人裁判長は懲役5年6月~9年の不定期刑(求刑懲役6~10年)を言い渡した。
 佐々木裁判長は「一連の暴行で意識混濁した井上さんを川の中に沈めるなど、死亡に直結する行為に及んでおり、悪質で役割は重大」と指摘した。弁護人は少年院送致の保護処分を求めていたが、判決は「社会的に許容されるとは言えない」と退けた。

(2017年08月28日 16時37分 時事通信

 

 いつも思うのである。「少年法」は必要か、と。昔は、「仇討ち」制度があった。時代が変わり、個人としての仇討ち=殺人はいかん、ということで「死刑制度」が憲法に記された。その流れと逆行するように「少年・少女」は保護されるべき対象として、その刑法から除外される。今の19歳を「少年」と定義し、触法行為の処罰を甘くすることの意味、必要性を考える。

「少年の健全な育成を期し,非行のある少年に対して性格の矯正および環境の調整に関する保護処分を行う」とあるが、本当に、人は人の「心」を矯正できるものなのか。理想と現実は違うのが当たり前なのだが。

 16歳の前途ある「少年」を「集団暴行」で殺害された両親は、どこに「怒り」を向ければいいのだろう。「仇討ち」も出来ず。彼らは、「矯正された」ふりをし、最高9年、27歳前後で社会に復帰し、「生きていける」。殺害された「翼さん」は、2度と「復帰」し、生きて行くことが出来ない。これを加害者保護と言わずしてなんと言おう。自分がやらかした行為には、相応の罰を与えるのが、刑法の基本だろう。他人を意味無く殺して、自分は10数年で「生き直し」ができる。これを世の中の不条理と言う言葉で片づけていいものなのだろうか。

 

 

学校つらいなら無理しないで 夏休み明け自殺防ぎたい

~全くその通りなんだが・・・。すべては一義的には保護者に責任がある。

 夏休み明けに子どもの自殺が急増する問題を巡り、対策に取り組む動きが各地に広がっている。いじめや友人関係などに悩む子どもにとって、新学期の登校は「新たな苦しみの始まり」になりかねない。悲劇を防ごうと、各地の民間団体などは電話やネットでの相談態勢を強化したり、居場所を提供したりする活動に力を入れる。

◆民間団体などが相談窓口や居場所提供

 内閣府が二〇一五年六月に公表した自殺対策白書によると、十八歳以下の自殺者数について過去四十年ほどにわたり日別に調べた結果、九月一日が百三十一人と突出して多かった。その前後も、同二日が九十四人、八月三十一日が九十二人など、夏休み明け前後に増える傾向が分かった。

 調査結果を受け、愛知県教委は市町村教委に対する通知で、夏休み中の登校日や部活などで子どもに接した際、顔つきや言葉に異変を感じたらすぐに本人に尋ねるよう強調した。名古屋市は、インターネットで「死にたい」などの言葉で検索すると相談窓口の紹介サイトに誘導するウェブ広告を出している。

 全国百団体でつくる「フリースクール全国ネットワーク」は、昨年始めた「学校がつらくてもココがあるよ!プロジェクト」を今年も続ける。学校に行きたくない、行きにくいと感じている子どもの相談に応じたり、駆け込める場所を設けたりする活動だ。

 活動に参加する愛知県岡崎市フリースクール「アサンテ」は九月一~三日に電話とメールで相談に応じる。同県碧南市フリースクール「へきなん」は同一日午前に、へきなん福祉センターで無料相談会を催す。津市のフリースクール「三重シューレ」も八月末から九月初めにかけてメール相談を実施。石山佳秀代表(57)は「学校から避難しても生きていけると伝えたい」と話す。

 こうした活動とは別に、岐阜県内では子ども支援の十五団体が連携。電話相談に加え、各団体が普段活動している岐阜市大垣市などの民家や寺など計十四カ所を「居場所」として子どもに開放し、受け入れる活動を二十六日から始めた。夏休み明けの九月九日まで続ける。各団体を取りまとめた「ぎふ学習支援ネットワーク」の中川健史(たけし)代表(62)は「不登校になっても子どもが安心できる環境をつくってあげることが大事」と訴えている。

中日新聞 2017年8月27日 朝刊)

 

 全くその通り。命を捨ててまで学校なんかに行く必要はない。ないけれど、この言葉に、胸のどこかでとてもひっかかるものがある。不登校フリースクールで、半分遊びの空間を作り「楽な気持ちに」させてあげる。SC(スクールカウンセラー)=すべての受容姿勢で安心な気持ちを。ボランティア電話相談=話し相手になり明日への「勇気」を。・・・頭が下がる思いである。

 だが、・・・である。この子たちも、いつかは大人になる。社会に出る。その社会とは、彼らにとって「安心・安全」な場ばかりではないのである。不条理・矛盾・差別、いろんな矛盾が横たわり、大人になったばかりの「もと子供」は、初めて?それに遭遇する。・・・だから親は、いつも、子供の未来が心配なのである。「生きていけるのか、どうか。」

 小学生なら中学校、中学生なら高校・・・と「適応できるかどうか」のレベルが変わり、親の心配も尽きないのだが。だからといって「べったり」守り続けても、いつか社会にでる。だから、せめて「いい学校」にいれたい、戦う準備の時間があるところへ願う。環境も作る。心構えも説く。まあ、そこには違ったレベルの「戦い」があるのだが。

 親は、戦う姿、戦い方をも教えなければならないのだ、本当は。伝えているか、戦い方を。親は、自戒しなければならない。そして、戦いに疲れた時、親が温めてやれる関係性の構築を作り上げなければならない。親だから。

 「子供の自死」。親にとりこれ以上つらいものはないだろう。命・生き甲斐・生きる意味すべてを奪われるようなもの。だから、相手や学校や教師や他人に責任を被せ責めるしかないのも、わかる。が、それでいいのか、とも思う。親の、貴方の責任は?と。何をしてきたかの、責任は?と。親だから、子育ての結果責任は常に、あるのだ。やはり、冷たいようだが、親に第一義的な責任はある、と私は思う。

 まあ、お盆休みの最終日。大人でも「仕事」に行くのが嫌になるのである。子供はなおさら、だ。そして、それは、昔からだ。いわば、宿命。大人になるまでの「練習」なのだ。

 ふと思うのだ。守られた「不登校児」「引きこもる児童・生徒」は、これからどうなるのだろう。無責任なSCは、よく言う。「学校だけがすべてじゃない」。まさに正論。正論だが、じゃあ、大人になったとき、「逃げ方」しか覚えていない彼らは、社会で、どう戦い、日々を営むのだろう。多分、適応できない、と思う。苦しさに耐える耐性が滋養されていないから。

 自分も子供たちが小中学校時代、とても心配だった。だから、いつでも転校できるように、「家」を持たなかった。(今になり、さあ、住処をどうするか、呻吟しているが。)それを聞いた友人諸氏たちは周囲は、今、「そんな事まで気にしていたのか」と驚く。人それぞれだが、親の子の守り方は、そんな方法しか思いつかなかった。そして、父の、「憤懣・刹那」を、子供の前で、「普通」に、妻に話していた。話すことで、彼らの「戦う」予行演習。思い通りにならない事が多い世の中に出るまえの、「子供なりの覚悟」を持たせることにならないか、と考えてもいた。まあ、いい訳半分だが。

 「優しさ」だけではなく、「強さ」にも視点を当てて子供を育てる方策が、求められている時代なのではないか、そう思える。