新型肺炎騒動。笑うしかない絶望!〈北海道〉

~致死率はインフルエンザの10倍!マスクなし、薬なし。予防策なし?

 新型肺炎感染拡大の煽りを受け、先週は、全国に先駆けて小中高校の臨時休校、土曜日曜の外出を控える要請を含む緊急事態宣言。

 高校では卒業式を中止した所もあり、大学では旭川医大が後期入試中止など余波が続く。職場の中学校では、知事の要請を受け、分散登校を実施しようとした。分散登校とは、男女・学級ごとに、別々に登校、各々2メートル以上離し、60分程度在校させ、生徒指導・健康状況・学習アドバイスなどするというもの。ただし、それぞれ、60分会話や作業をさせてはならないという荒唐無稽な指示。「さすがお役所」。と思っていたら、「私の気持ちをお伝えした」と一気にトーンダウン。そして今日は、急に全道臨時教育長会議。テーマは「分散登校について」だそうだ。何を今更・・・。それなのに「卒業式」は時間短縮・合唱なしで授与式のみ。だそうだが、そこに「会話」は必ず生まれる。一同にいろいろな体調の生徒が介する。指示に一貫性・計画性がない。

 今週の週末も外出禁止要請が出そうだが、さすがに、無理~!と外出する子供たちも出てくる。親は放任か家庭にいない。・・・教師が巡視・指導になるのは必至。ちなみに、生徒が登校する前に、教師が強酸性の塩素で廊下・机。教室を消毒するそうだ。素人が扱っていいものかどうか、は考えないそうだ。

・ここで新型肺炎についてまとめておく。

 1、37度5分の発熱 咳・強烈なだるさ→喉の痛みや鼻水症状はあまりなし

(私は、ストレスに弱いのか、体質なのか、年中だるいが・・・。)

 2、感染の強さは、インフルエンザより小さい

 3、致死率は高く(ここへきて訂正されてきた)インフルエンザの10倍

 4、症状は最初は風邪症状とよく似ていて、判別しがたい。

 数年前の強毒性インフルエンザの蔓延が危惧された折、絶望的なシュミレーションとして、

①特効薬・ワクチンが間に合わない

②医療従事者に感染し、病院が運営できなくなる。

③患者は自宅で観察し、自己治癒を目指す→家庭内感染が拡大する。

 などが出された。今まさに、現状がこれにあたる。まさにパンデミックである。

そして、薬が無く、かかっても経過観察しかできず、周囲に感染を拡大させる。それは、人々に疑心暗疑の心を生み、差別等も生まれる。自己予防するにもマスク等もなくどうしようもない。また、風邪症状と似ているため、

④会社員は感染していても無自覚のまま、通勤し感染を拡大させる。

 わかっていても個人ではどうしようもない。そして、国や自治体のトップにこの「不安・じりじりとした恐怖」の気持ちを体感できず、したがって、その手段も生まれない。あるいはスピード感が生まれない。

 もう、笑うしかない。そう笑うしかない絶望。その言葉がぴったりだ。いつまで続くこの閉塞感!!!!!!!!!!!!!!!

 

緊急事態宣言!不安の原因が伝わらない。終わりの見えない未知の恐怖。

~安部総理、北海道知事。似ている人々。それは・・・。

 日本初の「緊急事態宣言」を受けて2日目。道民の生活はどう変化したか。

 食料品。医療品以外の店や建物は閉店。閑散とした景色。散歩する人さえまばら。

 その日常に何が浮かぶか。それは、「恐怖」である。感染への恐怖はもちろん、自分の力では何も変えられない終わりなき非日常が続くことへの恐怖。その「恐怖」は子供とか大人とかの次元ではない。それが、日本と北海道のトップと共有できない「恐怖」。

・感染した場合の治療法がない。

・薬がない

・年齢により感染可能性が変わるが、絶対ではない。

・自己予防のための手段(マスク・アルコール液)が手元にない。

・感染源がわからない。情報が遮断されている。

 そんな、「今」を二人はわからない。鈴木知事・安部総理。鈴木知事は、マスクがないと右往左往する道民を横目に「マスク装備」会見。

 安部総理にいたっては、拓銀破綻に続く「北海道を実験場に」(鈴木知事の会見)しての「全国臨時休校宣言」。子供を守るといいながら、国民全体の危機感がない。

 そんな中、職場では「老人はいつか死ぬから。この件がなくても」と軽口を叩く30代がでる。それも、この安部総理の欺瞞がなせるものか。

 国民みんなで乗り切ろう、と言うなら、国民を信じて情報をしっかり開示すべきだ。国民である我々も、それに値する行動・言動をするべきだ。どちらも、その値がないのが、今の日本の悲しさ。自分で考えることをしない。ただ恐れるだけ。

 もともと感染症が広がることは想定内だったはず。強毒性のインフルエンザを危惧したシュミレーションもしてきた。

・経済活動がストップする。

・特効薬は国民全部にいきわたらない。

・医療従事者や教育従事者等に感染が広がり、子供達や病気を持つ人への対策がとれ なくなる。

・軽度の感染者を見極められず、感染が広がる。

・感染者収容所の不足。

どれもこれも今問題になってることだ。人間は、いざ自分の身に降りかからないと本気になれない動物だ。まさに、今、その課題にぶつかっている。そういう意味では、安部総理も鈴木知事も責められない。人間の業だから。では、どうする?答えは・・・。「諦める」。諦めて普通に過ごす。普通に感染を恐れる。それしか、ない。今なお日本中にマスクがない。でも、中国に援助として、どこからか26億枚のマスクが送られる。そういう「絶望」には、諦観しかない。そう思う。

 そんな自分は先週37度の熱。ぜんそくの薬をもらいに病院に行き、職場にインフルAの人がいたので、相談すると、すぐ検査。結果インフルA。ほっとした自分がいたのを覚えている。受験生がいるため、慌てたが、安ホテルに直行し、部屋から4日間缶詰。無事被爆せず。

 それにしても、今、職場では、「熱=新型肺炎」が怖いので、無理に病院へ行くな、という命令が出ている。インフルだろうが、新型だろうが、「有給」で対応だから、無理して出社する人もいる。公休でもなければ職場感染は防げまい。

 みんなが公休では、経済活動がストップし、生活も破綻する。消費税増税なんぞしている暇はなかった。考えることは、山ほどあった。そんな、どうにもできない「不安・不満」とともに、多くの道民は、不要不急の外出を控えている。

 安部総理・鈴木知事に言いたい。まずは、情緒的でもいい。走りながらでいい。道民・国民・病に罹患した人達とともに走りながら、なすべきことを「一つ一つ」でいい。考え・実行して欲しい。足下の市民・国民の不安を少しずつでも解消し、普通の生活に戻すために。彼らへの「評価」はそれからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新潟女児殺害事件 小林遼被告に無期懲役

「法律は市民を守るための物ではない」を地でいく判決。

去年5月、新潟市で小学2年生の女の子を殺害し、遺体を線路に遺棄した罪などに問われていた小林遼被告(25)の裁判で、新潟地裁は、無期懲役の判決を言い渡した。裁判での争点の一つは、被告に殺意があったかどうかだった。検察は、「被告は捜査段階で5分以上、首を絞めたことを認めている」として、死刑を求刑。一方、弁護側は、「首を絞めたのは気絶させるためだった」と反論し、殺人罪ではなく、傷害致死罪にあたるとして、重くても懲役10年が妥当と主張した。新潟地裁は4日、「気絶させる目的だったとしても、死亡する危険性が高い行為との認識は当然、あったものと言える」とし、被告に殺意があったと認めた。ただ、そのうえで、「同様の事件と比べて際立って残虐とは言えない」「弱者を狙った無差別的な事件だが、死刑の選択が、やむを得ないとは言えない」として、無期懲役を言い渡した。

 

 前例主義とか被害者を見ず判例だけを見た「心のない」判決と糾弾すべきものだ。小学2年生、7才。まさに目の中に入れても痛くない程かわいい年頃。その子が、なんの理由もなく、存在を消されたのだ。それを「残虐とは言えない」と被害者の在席する前で述べる神経が、もはや、その「資質」を疑わざる得ない。5分以上首を絞める行為が「死」を想定していないなど、人間世界であり得ない「想像力」だ。こんな人が「裁判官」として、人の世の罪を裁く事が許されるのか?

 ただ、日本の裁判官弾劾制度は数年に1回、選挙の際の「おまけ」である。あり得ない資質の裁判官の名前を、それまで覚えておかなければならないというのも、また至難の業。それを国は、法律はわかっていて施行している。きっとこの裁判官も、なんの心の枷もなく、この職業を続けていくのだろう。浮かばれないのは、被害者である、この女の子だ。合掌。

 

 

香港学生、籠城続ける→結果はもう出ている。宿命であるなら。

歴史は繰り返す。・・・天安門事件より悲惨な結末が待つのか? 

 【香港時事】反政府抗議活動が続く香港では、15日も各地の大学で学生が籠城を継続し、警官隊との間の緊張はやんでいない。香港各地で車道にブロックを積んだり、鉄道線路に火炎瓶を投げ込んだりするなど交通妨害も引き続き行われ、域内企業は在宅勤務に切り替えるなどの対応を余儀なくされている。

 抗議活動の拠点となっている香港中文大では、立てこもりを続ける学生が香港政府に対し、デモ隊の掲げている「五大要求」のうち、「全逮捕者の釈放」と警察の実力行使の是非を調査する「独立調査委員会の設置」について、24時間以内に回答するよう要求。同時に24日の区議会(地方議会)選を予定通り実施することも求めた。 

                              【時事通信社

 いつ、決断するか。そう、中国共産党の、香港デモ隊(市民・大学生)への武力鎮圧・厳粛である。日本の学生運動とその様相が瓜二つに思えるからだ。日本の学生運動は、時は昭和前半、ベトナム戦争や1970 年に迫っていた日米安保条約改定にたいする反対運動で、大学校内を占拠・籠城して、時の政権に抵抗したものだったと言われる。だが、運動の当初は、そんな大それた要求ではなく、学生の権利拡大や学費値上げ反対、大学施設の管理権といった大学内の問題だった。しかし、いつのまにか、産学協同や国家による大学の管理強化といった高等教育政策、さらにはベトナム戦争における日本の対米協力まで批判しながら、学生たちは大学執行部と対峙するようになったのである。香港のデモも、そのきっかけは、犯罪容疑者の中国本土への引き渡しを認める「逃亡犯条例」の改正案に反対するものだ。背景にある、中国共産党の思想教育・自由剥奪への恐怖というもので、昭和の日本の学生運動の自分たちの自由を守る、という、ある意味純粋な青年の「青き思い」によるものだった。それが、いつのまにか、日本の学生運動では、ベトナム戦争における日本の対米協力への批判へと変質し、香港のデモでは

「全逮捕者の釈放」と警察の実力行使の是非を調査する「独立調査委員会の設置」へと変質するなど、その変容が酷似している。「身の丈の思い」が胡散してしまうのだ。いつの間にか。それは、なぜか。

 集団の心理・人間の心理の宿命なのである。時間がたつ中、なぜ抵抗しているのだったか、何が目的だったか、とうの市民達が分からなくなり、運動を続けること、抵抗することを目的に活動し始めているからだ。「義」。自分たちを支えてきたはずの「義」が見えなくなる。それが、人間組織の宿命なのである。組織はいつか瓦解する。内部で分解するのである。

 昭和の日本では、今では考えられないが、結局、軍隊(自衛隊)と警察が、立てこもる学生達を、大勢で学生達を囲み警棒で殴り蹴り、時には発砲し、武力で鎮圧したのである。そして、香港でも、最終的には、中国共産党の軍事力・警察力を背景にした鎮圧・厳粛で終わるだろう。

 そうなる前に、実は、活動している組織自体の中で温度差が表れて、中から瓦解が始まっているものなのだ。日本の浅間山荘事件のように。香港で起こった大規模民主化デモ「雨傘運動」。このデモのリーダーは“民主の女神"と呼ばれる、当時10代の女子大生だったが、TVで見た、その姿に、デモ活動で必死に抵抗している市民達と、瞳の熱さに違いを感じたのは私だけだろうか。もう、瓦解が始まっているのかもしれない。その頂点の時に、国家は武力での鎮圧を決断するのが、歴史なのである。

 ただ、その中には、もうすでに命を賭して闘う、(もうすでに何の為に戦っているのかわからなくなっているのかもしれないが)そんな青年・学生達がいるであろうことが痛ましくてならない。識者は、「香港政府への怒りや、共産党政権への不安は理解できる。しかし、それが、よりよい社会を作るための政策に結びついていない」としたり顔で言うが、そんな大儀を学生達だけに委ねなければならなくなっている香港社会の闇が問題なのだろう。・・・それは、我々の日本社会や市民に問われている大儀と同じ命題なのだろう。歴史は繰り返す、という。香港のデモ隊や学生達を救う術は、とするとあるのか、という問いに突き当たる。天安門事件よりも大きな活動なだけに、より悲惨な結末を想像してしまうだけに、この問題は、胸が重くなる。

「平塚八兵衛 」の生き方の是非を問う。

渡辺謙の「平塚八兵衛」。人間を演じたら「さすが」。考える人間の生き方。

平塚 八兵衛(ひらつか はちべえ、1913年大正2年)9月22日 - 1979年昭和54年)10月30日)は、警視庁に在籍した刑事警察官茨城県新治郡土浦町(現:土浦市)出身。警察功労章警察功績章受章。退職時の階級警視20世紀を代表する多くの事件に携わり、「昭和の名刑事」の異名を持つ。

人物 

旧制常総学院中学校卒。卒業後は土浦で農業に従事していたが、ある事件で誤認逮捕され、土浦警察署での取調中に殴る蹴るの暴行を加えられた。平塚はこの暴行の経験に発憤し、警察官になろうと決意して上京、警視庁に入庁する。

 平塚は貧しい家庭ながらも家族を大切にする子供で、農作業も進んで行っていた。特に母や姉妹を大事にする子だったらしく、姉が嫁に行く時には「いやだいやだ 僕も一緒に行く」と大泣きしたり、体が弱い妹をいつも気遣って、あちこちを回り農作業を手伝ったお礼のお菓子や食べ物を全て食べずに必ず床に伏せっている妹のために持ち帰った。妹が風邪をこじらせ亡くなった時には、肩を落として火葬されるまでずっと冷たくなった妹と添い寝し、「妹が心配して成仏出来ないだろう」と火葬まで泣かなかったが、焼かれた妹を見ると骨を拾う事すら出来ないほど大泣きしていたという。

1939年昭和14年)、平塚は鳥居坂警察署(現・麻布警察署)に配置される。当初は外勤(交番勤務)であったが、検挙率が同庁でトップになり、間もなく「花の捜査一課」へ異動する。以後、1943年昭和18年)から1975年(同50年)3月の退職まで刑事部捜査一課一筋であった。

平塚は「落としの八兵衛」「喧嘩八兵衛」「鬼の八兵衛」「捜査の神様」など数々の異名で知られる敏腕の刑事であった。なお、平塚が在任中に手がけた事件は殺人だけでも124件に上り、後述するような戦後の大事件の捜査でも第一線に立ち続けた。その中でも特に平塚の名を高めたものとしては、犯人に身代金を奪取された後に犯人の声をメディアに大々的に報道されて国民的関心事となる中で迷宮入り寸前になり戦後最大の誘拐事件と言われた吉展ちゃん誘拐殺人事件において、犯人の小原保のアリバイを崩して自供に至らせた粘り強い取り調べがある。またこの小原が死刑を執行される直前に、「私は今度生まれるときは真人間になって生まれてきます。どうか、平塚さんに伝えてください」と言い残した事も有名である。

平塚は三億円事件捜査主任を最後に退職した。三億円事件公訴時効が成立する9か月前の退職であった。

巡査から巡査部長警部補警部警視とすべて無試験で昇任している。平塚はまた、退職までに警視総監賞を94回受賞したのをはじめとして、帝銀事件警察功労章を、吉展ちゃん誘拐殺人事件で警察功績章をそれぞれ受章している。なお、警察在職中に両章を受章しているのは平塚だけであるという言説が度々なされるが、これは誤りで、それ以前にも両章の受章者[誰?]は存在している。[要出典]数々の難事件を解決するという顕著な功績を残した優秀な刑事であったと評される一方で、帝銀事件のように容疑者に拷問を加え自供をさせていたという指摘もなされている。[要出典][1]当時、警察全体の鑑識の重要性が低かったこともあるが、平塚自身も自分達「捜査一課」こそが事件を解決するという意識の強さが逆に捜査を阻害する形になり、手掛かりを求めて現場を荒らしたことに抗議する鑑識課員に罵声を浴びせたりした。

 平塚八兵衛のドラマから人生の「生き方」を考える〉

 渡辺謙に人間ドラマをやらせたら右に出る物はいないだろう。それを承知の上で、仕事・生き方を考えてみる。「ある事件で誤認逮捕され、土浦警察署での取調中に殴る蹴るの暴行を加えられた。平塚はこの暴行の経験に発憤し、警察官になろうと決意して上京、警視庁に入庁する」。この、警察官になろうとする動機も、「なにくそ」感。無試験で警視まで出世するという、いわばジャパンドリームの物語的な結果も昭和という時代がもつエネルギーだったかもしれない。敗戦・高度成長期(国民の貧しい時期でもある)など、庶民の「ないくそ感」で国や時代が動かされていた。

 平塚の残した名言

  • 「刑事という仕事はゼニカネじゃねえ」
  • 「刑事がホシ(犯人)ではなく、肩のホシ(階級章)を追うようになったらおしまいだ」
  • 「俺たちにはよ、100点か0点かしかねえんだよ。80点とか90点とか、そういう中途半端な点数は、俺たち刑事にはねえんだよ」

などにも、仕事=人生という、現在とは違う価値観が読み取れるだろう。仕事への誇り・情熱=人生への情熱といおうか。

 小原が死刑を執行される直前に、「私は今度生まれるときは真人間になって生まれてきます。どうか、平塚さんに伝えてください」と言い残した有名な言葉や、退職後、平塚が吉展ちゃん誘拐殺人事件の犯人である小原保の墓参りに行った際、小原が先祖代々の墓に入れてもらえず、横に小さな盛り土がされただけの所に葬られていた事に愕然とし、盛り土に触れた後に泣き崩れたという。この時、平塚は自分が真実を暴かなければ、大好きな母親と同じ墓に入れただろうに・・・と思ったのだろうか。

 仕事=情で生きた彼の人間性がうかがえる。ドラマで彼を敬愛する後輩が3億円事件の帳場で言う。「先輩。時代も人間も変わったのです」。何とも含蓄のある言葉だ。が果たしてそうか。確かに、平塚の様に今の社会を生きようとすれば、まず壊れる。現実と理想の問題というべきか。だが、その当時でも、多くは平塚の生き方と対極にいる人達が大多数であったはず。・・・人間はそう変わらない。いや、変わっているのか。

 熱で仕事をすれば(行動を起こせば)、大きな成果(結果・充足感)もあげられるかもしれないが、大きな失敗を起こす確率があがる、そういう人も多い。それはある意味真実だろう。だが、今の社会に足りないのは、多分に「平塚八兵衛」の熱さではないのか、とも思う。現在の警察のありかた、政治のありかた、教育を担う教師のあり方など多くの人の感じ方に。中庸は大事だ。過ぎると角が立つ。でも、中庸は、自分の生き方に熱を自分が感じられない。なぜ生きてきたのか、その答えに、満足に答えることが難しい。数々の功績がありながら3億円事件や帝銀事件などの未解決事件を持って、彼の生き方を否定することはできまい。「組織・時代・人間」それらが、個の才能・情熱を抑え込んだり、無意識のうちに違う道に誘(いざな)い、それが焦りを生み、間違いを引き起こすこともあるだろう。それでも、彼は自分の生を全うしたと思う。心のすべてをも、与えられた生を全うしただろう。羨ましい気持ちになる。

 一人の親として、自分の子供には、平塚の熱を持って生きて欲しいと思うし、それでも、難しい人間関係の中で壊れることなく「中庸」を生きて欲しいとも思う。矛盾しているなあ。それが人間なのかもしれないが。

 香港のデモに参加する若者の熱。自分の生活は自分で守る、という熱。素晴らしいと思う。何でも「身動き取れなくなってから」では遅いのだから。この「熱」は、今の日本人に足りないものだとも思う。けれど、その騒乱は何かを生むのだろうか、という疑念もある。その時点で、自分は平塚という「時代の人」と対極にいるんだなあ。人の生き方はそれぞれだ。生き方は死に方だともいう。自分の生き方を振り返るとき、精一杯失敗や無様だったと思う事があっても、生ききったと思う人生を送りたい。

 

「あおり運転殴打」容疑者はマンション事業を手掛ける43歳会社経営者

~結局は、お金持ちのぼんぼんという結末か?困った先は親のすねだろうか。

8月10日の午前6時過ぎ、茨城県守谷市常磐自動車道で発生した、あおり運転暴行事件。茨城県警が傷害容疑で逮捕状を取り全国に指名手配し捜査中だが、「週刊文春デジタル」の取材により、容疑者は大阪府などで不動産事業を手掛ける会社経営者・宮崎文夫(43)であることがわかった。

「宮崎は親族が所有するマンションを受け継いで、不動産の管理や賃貸業を始めたようだ。不動産コンサルティングも手掛けているという。ビジネスマン向けのWEBマガジンでは背広を着て、顔出しでインタビューに応じたりもしている。

 羽振りはよかったようで、インスタグラムにアップされているのは、フェラーリの写真から、寿司、天ぷら、ステーキなどの食べ物の写真まで。贅沢な暮らしぶりが窺える」(捜査関係者)

 被害男性は24歳。見知らぬ白い高級外国車から”あおり運転”を受けて走行を阻まれ、やむなく停車したところ、車から降りてきた宮崎容疑者に「殺すぞ」などと脅され、車の窓越しに顔を数発殴打された。被害男性は鼻から流血するほどの怪我を負ったが、事件の一部始終はドライブレコーダーの映像に収められていた。

 宮崎容疑者が乗っていた白いSUVは、横浜市内のディーラーから代車として貸し出されていた車であることがわかっている。SUVは別の人物により事件翌日に返却済みだが、容疑者の行方は不明だ。捜査の進展が待たれる。

週刊文春」編集部/週刊文春

 

 やくざかちんぴらか?怖いなあ~と思っていた。特にあの謎の女性。ガラケーで暴行の一部始終を一心不乱に撮影。何のため?あとで恐喝でも・・・と考えたり。

 結局、親から受け継いだ不動産を扱う、ぼんぼんという事が判明。お金持ち故、きっと子供の頃からわがままで、何でもできると勘違いしていた子供時代を過ごしたのだろう、と書いたら言い過ぎか。

 お金持ち。。。の息子のようだが・・・別の調査によると、やはりというか。

会社勤めを1年ほどで辞めたあと、税理士事務所の事務を勤め、それも1年ほどでやめ、塾の英語講師などを経て、3年半ほど無職?その後、中古車売買などを行う株式会社を立ち上げている。それも1年ほどでたたみ?不動産や塾経営など手を広げ、それも1年ほどで辞め、4年ほど無職。そして今の不動産経営にいたっている。

 という経歴からもわかるが、我慢強くなく、あきっぽく、仕事も長続きしない、世の中を直視しないで生きてこれた人なんだ、とわかる。お金持ちのぼんぼんにありがちな、お金持ちの不良息子。

 きっと、今の会社も、うまくいかなくなってきたのだろう。その腹いせが、今回の事件なのかもしれない。指名手配になったので、3度目の収監も近いだろう。懲りない人種。ちなみに、側にいた謎の女性にも逮捕状が出た?という情報もあるが、どうなんだろう?ぼんぼんが、事態が大きくなって困って行く先は、親の側と相場は決まっているが・・・。

 それにしても、警察の劣化は目を覆うばかり。今回の事件も、マスコミの報道に火がついたから行動しただけなのは明らか。小さなスピード違反で小遣いかせぎをするよりも、他にやることがあるだろう、と思ってしまう。

 今回も、結局、暴行行為の逮捕であって、危険運転でのものではない。昔からある煽り運転危険運転がなぜ、ここまで多くなっていると感じるのか。報道が多いせいか。それとも本当に増えているのか。本当に増えているとしたらなぜか。報道で多くめにするが、「自己責任」で防ごうと、ドライブレコーダを買わせようと空気を作ったりしている「警察」側の「やる気」のなさに、「なんてことないんだ」、と感じて行動する輩を増やしているからかもしれない。そこをなんとかしてほしいと思う。癒着のための行動ではなく、安心できる社会生活のために、その権力を生かして欲しいものだ。

 

 

夏の甲子園。北照予想取り惨敗!地域に応援されるような野球をいつか。

~北海道の暗黒時代再びか。「戦えない・勝負できない」。

 

 一応は応援した。桃枝君のタイムリーには、「よし!」と声が出た。結果、3対4。惜しかったのか、そうでなかったのか。ただ、今回の北照の野球を見て、北海道の野球のレベルの低下と暗黒時代再び、という思いを持った。もちろん、精一杯戦ったナインにけちをつけるつもりはない。が、という所である。

 南北海道大会決勝を見に行った。円山は超満員で、私達はたまたま空きのあった北照側応援席で観戦することになった。相手の札幌国際情報高校と比べるつもりはなかったが、あまりの「熱」の違いに驚いた。翌日の新聞にも「球場全体が国際情報びいきのような雰囲気の中」というコメントがあったほど。

 何が違ったか?それは一体感だ。応援席で声をだし、拍手をし、応援する人はまばら。札幌・小樽間,約1時間強の距離で、当然、全校応援なのに、ブラスバンドの演奏から伝わる「覇気のなさ」(に感じる差)。見ている分に感じられる 国際情報のナインとの一体感・切迫感の差。そう「なにくそ」感のなさ。

 「桃枝のスピードは、ねえ」とか、「甲子園で勝てるのかねえ」。これは、応援席の声である。もちろん「父母」は真剣である。

 果たして、彼らは、本当に「一体」となって、あの場に臨んでいたのだろうか。甲子園を決めたあの時の桃枝君の「コメント」。

「また、俺が投げて打ってみんなを引っ張るから・・・」てへ感まるだし。聞いてるベンチもてへ感全開で。監督も、このチームは「桃枝のチーム」と公言する。これを聞いて、「駄目だなこれは。」と思った。

 そんなさなか、古本の店で、「田中将大ヒーローのすべて」という本を購入し、読んでいた。あれだけ年数が経ったのに、まだ、ありありとあの時の興奮・感動・感涙を思い出し、目が離せなくなった。あの時の「駒苫」との違いはなんだろう?「ナイン・監督」との一体感ではないか。逃げながら、かわしながら作られる「見せかけ」の一体感ではなく。

 また、試合に臨む「闘う姿勢」。今回の桃枝君はじめ最近の北海道のチームは、インコースをほとんど投げない。かわす投球ばかり。同じ変化球でも、攻めてかわすのではなく恐れてかわす。いつかは捕まるわけだ。

 守備を見ていても、「守っている」守備なのだ。あのときの「駒苫」の「さあ、こい」という「守備を楽しむ」守備ではなく。

 野手も、打撃が課題といながら、予選も・決勝も甲子園でも、ただ、打ち上げる。「つなぐ意識」が感じられる場がほとんどなかった。そういう練習をしていないんだなあ、と感じた。

 40代監督の「遠慮」しながらまとめた「限界」も見たような気がした。そんな北照に勝てない他校。「北海」「東海大付属札幌」「駒苫」。同じ課題を抱えた、同じレベルなのだ。いつのまにか、である。

 「桃枝」のチーム。ワンマンチームは勝てない。レベルも上がらない。「桃枝のチーム」と聞くごとに、他のナインは何を思うのか。まあ、思い入れのある生徒への「思い」を伝えたくなる「大人」の気持ちは分からないではない。しかし、それは、情となり、勝負では、大概、負けに直結する。

 「桃枝」はよく投げた。ただ、攻められなかった。チームで一体となって「戦え」ていなかった。北海道の野球のレベルは、いつのまにか、あの「暗黒時代」、他の都府県のチームに「当たりたい」と思わせるレベルに戻っているようである。あの振り逃げを成功させてしまったプレー。傷口を広げたショート後方のヒット。

 甲子園で見た北照ブラスバンドや生徒の応援。あの時の円山と違い、なかなかのものだった。円山の時はえへらえへらしながら、遊びながら応援していた1年生が、だ。なぜ、北海道でできないことを、今、できたのか。「やらなかった」のである。甲子園では、「自分のために」応援したからできたのである。この辺なのだ。それは、今の北照の学校の雰囲気なのかも知れない。この学校の変わらぬ課題である。監督なのか、選手なのか。香田監督のような人材が出てきた欲しいし、今度こそ、その人達の熱い思いを「守って」あげたい。自分たちが感動し・元気をもらえるように。

 地域に・ベンチ外のメンバーに、心から応援されるチーム。そんなチームの出現を待ちたいと思う。