厚真東部地震 震度7 の前夜の体験。

       厚真東部地震 震度7 の前夜

 

 50年生きてきて初めて見舞う災害。東日本大災害の時でも、多分、どこか遠い世界の人ごとだったのだ、とこの時わかった。自宅から車で30分程度で行ける厚真・安平地区。たまあに妻とパークゴルフとか、おいしいアイスを食べに立ち寄れる穴場だった。そんな近くで起きた災害。短すぎる場所での大災害に、右往左往した2日間。いやいや実は、2日どころではない、4日間の出来事を書いてみよう。

 4日前、台風21号が北海道に上陸するとかしないとか。まあ、いつものようにそれていくのだろうなあ、とか、最近疲れているので、上陸して臨時休校にならないかなあ。(その場合、もちろん年休をとり休むつもりだった)と思いながら、職場では、特に動きもなく。・・・夜になり、夜中にどうやら上陸する模様との天気予報。まあ温帯低気圧だろうなあ、と、早めの就寝。なにしろ、疲れている。夜中に、今まであまり経験のない外の風の音が気になりながら、「意地で眠り続ける。」。どこかで、「がしゃんがしゃん」と嫌な音がする。でも、眠り続ける。(実は寝ていたのは私だけで家族はみんな起き出していた。それほどすごい音だったそう。)翌朝5時、電話が鳴る。妻の職場が休みになる電話がくる。「うらやましいなあ」と外を見てみると、なんと自分の家の屋根があっちこっちで飛ばされている。妻と急いで回収に走る。妻によると、夜中に物音がして外に出て、自分の家の屋根が飛ばされているのを知ったそうだが、あまりの風の強さに、身の危険を感じ、1枚のみ拾いあきらめたそうだ。その時、はじめて、道路の信号がすべて消えているのを知ったのである。驚きながら、家に帰ると、職場から臨時休校のお知らせ。先生方も信号が回復するまで自宅待機とのこと。その信号は翌日も復旧することなく、職場に翌日も来なくていいという知らせが、また朝の5時。今度は自分の職場だったが。さすがにすることもなくなり、様子を見に行きがてら慎重に車を運転し、周囲の状況を観察したりしていた。そんな、台風の猛威が我が家に波及した3日後、つまり臨休の3日目の朝方、AM3:00頃の事である。あまり記憶にないぐらい、突き上げる揺れから即座にじわりじわりという横揺れ、それが長く徐々に大きくなる。「おお~」「子供~起きろ!服着ろ~!早く」そうして逃げる準備をした時、地震が収まった。TVをつける。厚真震度6強(その後震度7へ訂正)、千歳6弱、恵庭5強、札幌5強。ふえ~。と思ったら停電。すぐ復旧。また停電。これがいわゆるブラックアウトとよばれる未経験の災害であることはこの時、わからない。じりじり待つが復旧する気配なく、水を調べると、出る!妻は鍋に水を入れ、私は、急いで「風呂を洗い」水をためた。今に思うと、洗う必要はなかったのである。単純に、昨日の風呂水に水を足せば良かったのだ。まあ、慌てていたんだなあ。その後、また4時半頃携帯に職場が休みの連絡がきた。今思うと、この時が、最後のまともな電話連絡が可能な時刻であった。その後、開店の1時間前に、自転車で食料や水を買いに近くのセイコーマートへ。もうすでに、たくさんの行列で、食材はほとんどなく、ペットボトル3本とカップ麺を10個ほど買った。レジのバーコードも地震対応で、計算は電卓だ。その後は、地震に怯えながら、情報もなく、夜まで、これからの「避難対応」をしながら時間を費やす。幸い、水も断水することなくガスも出ていて、食材も台風上陸の前日に買いだめしていたため、とりあえず1週間は大丈夫、と妻が言うので一安心。夜は車のカーナビTVで情報を仕入れると共に、スマホを少しだけ充電。この時、地震で電話が通じなくなるということを初めて知った。電話は、これから5日間ほどほとんど不通状態。メールもラインもほとんど駄目。情報から隔離されることが、意外と精神的に堪えた。

 翌日の朝早く、ガソリンの補充に出かける。何しろ地震当日は、すべてのスタンドが営業していなかったのだ。開店1時間前にいつもの店に行くと、もうそこは大行列。途中から入る隙間がないし、入れてもくれない。そこで、少し離れスタンドに向かうと4着ろ先まで、やはり大行列だが、なんとか最後尾につけることができた。一安心。まあ、ガソリンもちそうだ。カーナビのTVで被害状況を確認しながら待つこと2時間半。3,11の震災のとき聞いたガソリン難民に近い体験をすることになるとは、思いもしなかった。途中で車が故障したのか、どこからかガソリン携行キットを持ち、おじいさんが車と車の間に立ち、歩きながらその行列に並んでいたのは、可哀想だった。

 それから2日後、電気が復旧。4泊5日。不謹慎だが、予想もしない休日は、当然、心も体も休まることなく、与えられた休日も終わりを告げたのである。

 こちらは、そんな状況だったが、震度7を記録した厚真・安平地区は甚大な被害である。千歳の6強。(千歳の被害はそうでもなく、前日の台風で木々が倒れ電線が切れ交通障害の方が甚大だった。)少しでも早く復旧できることを祈るばかりである。

 と書きながら、2月前、このブログの記事で、「安平地区震度5弱」の記事を書いていたのを偶然発見した。すっかり忘れていたが、今から思えば、あれが前震だったのかも、と思ったりした。まだ、どの情報機関も記事にしていないが

 

 

 

19年前に“女子生徒と性的関係” 都立高教諭を懲戒免職のなぞ。

      なぜ、20年前の「出来事」を今?

 東京都教育委員会は、20年ほど前に勤務していた高校の女子生徒と性的な関係を持ったとして、59歳の男性教諭を懲戒免職処分にしました。

都教委によりますと、多摩地域の都立高校に勤務する59歳の男性教諭は、1999年11月から2001年3月まで、当時勤務していた高校で担任をしていた女子生徒と合意の上、複数回にわたって性行為を行いました。

今年2月になって、女子生徒側から男性教諭に当時を振り返る電話があったことを受けて、教諭が現在勤めている高校の校長に打ち明け、問題が発覚したということです。

都教委は9月12日付でこの男性教諭を懲戒免職処分にしました。男性教諭は「教師として取り返しのつかないことをしてしまった。反省し、後悔している」と話しているということです。

引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180912-00010003-tokyomxv-soci

 

 19年前の「出来事」の是非はともかく、なぜ、今更「むしかえしたんだろう」と違和感の大きいニュースである。19年前、その生徒は、「小学生」でもなく「中学生でもなく」、もう成人間近の17歳。思慮分別もある17歳。一時の勢いもあり、そういう事に至ったのだろうが、やはり合意があったのだろう。そして、その時は、さほど後悔もなかったんだろう。あれば、行為のあとから、時を隔てず、なんらかの抗議の形を示したはずだ。それが何もなかったといことは、親にもばれず、ドラマのようなアバンチュールで終わったはずだ。(まあ、普通の高校生は、今時、教師とそういう関係にならないだろうが。)それが、19年もたってから、そのことを振り返る電話があったというから驚きだ。(ええ~?当時を振り返る?何を?行為のこと?ええ~。)。それは驚くわ。59歳。退職間近の、いや、だからこそか。おちおち現職時代、生徒に年賀状も出せないなあ、と全然違う事を考えたりした。でも、今更なぜ?「復讐」?なら、もっと早くやらなかったのは、なぜ?「郷愁」?寂しかったのか?もしかして、その女性、未だ独身?だとしたら、まあ、「いい迷惑」だったろうなあ。まったく理解出来ない。その女性は、今回の件、なんと言っているのかだろうか。とても興味がある。

 また、59歳の教師。身から出たさびとはいえ、可哀想だなあ。退職金、高校教師だから2300万くらい?ぱあ。今まで、いろんな矛盾や人付き合いの疲弊に負けず頑張ってきた「時間」が無意味に。・・・(生きる気力なくなるなあ。)

 また、そうとう焦ったんだろう。ただの「振り返り」で終わる余地があったかもしれないなか、なぜ、現場の「校長」に相談したのだろう?絶対、守るわけないじゃん。あり得ないでしょ、普通。頼るなら、探偵か、暴力団はだめだとして、最後は、恐喝で警察?う~ん、難しいなあ。話し合いの余地はなかったのだろうか、本当に。それとも、まさかまさかで、その女性、本当に「昔話を、ちょっとしたかっただけだった」ということはないのか。それを「老齢の教師」が早とちりしてしまったのだとしたら、浮かばれないなあ。・・・近づかないことですなあ、やっぱり。そういう誘惑には。

振り返る。中学生の時の「夢」。

~「夢」なんて、なかった、と思っていた。中学生の時の夢。

 先日、職場で中学生の時の夢を紹介する企画があった。係から3日前くらい前に提示されていたものだった。その時、実は、相当困っていた。何か言うと嘘になりそうで、それでも良いか、と思ったり。そう、長い間、子供の頃、自分には「夢」がなかったと思っていたのだ。(高校生くらいになると「作家」になりたいと切望していた時期があったが。)さあ、何かあったのか、夢というものが。少し呻吟したのだ。そして、たまたま思い出した。ある時期、真剣に信じ、決意し、生きる世術にしていたもの。幼稚な、独りよがりな、少しだけ危ういものがあった。・・・ただ、それを果たして周囲に披露していいものか。それは。

 「1999年にアンゴルモアの大魔王が人類の前に現れ、人類は滅亡する」という、ノストラダムスの大予言。どうしてなのか、時代の空気か、貪るようにその書物を読み、考えたものだ。その時期、自分は30歳。もしかしたら就職して数年後?結婚とかもしていない?その後の自分の生き方に、無意識下に大きく影響を与えた一つ一つの言葉。その後の自分の生き方は、ある意味刹那的。ある意味純粋に。ある意味、その時のための「覚悟」を醸成していた。そして、周囲に、そんな人間が「それなりに」いた。その書物が、ベストセラーになり、一大ブームになったのだから。

 その書物の「最終版」の最後の一言が、多分、今の自分の生き方に影響を与えたのだろう。「未来は変えられる。この本を読んだ読者の、一人でも多くが、この予言が変えられる事を信じ、行動して欲しいと思う。その結果、この予言がはずれた時、それは、はずれたのではなく、君達が「変えた」のかもしれない。それを信じない人には、日常の続きの一日が、実は、君達が変えた「新しい」日常なのかもしれない。1ミリでも、そのために必要な行動をして欲しい。そう行動する人達が一人でも多くなることを信じる。」、そんな言葉だったと思う。

 あの時の自分の「夢」は、その一人になること、だった。そう、「ノストラダムス」の大予言を変えられる人間の一人になること、だった。そんな思いで、今の職業に就き、言葉を紡いでいたのだった、と若かりし時分をも思い出した。

 隣の女性に「ねえ、何を書いた?」と聞かれたので、「いや~意外と真面目にかいたんだけどね」と困り顔で、「ノストラダムス」の大予言を変えられる人間の一人になること」と書いた紙を見せると、「ええ~そっち系?」。

 ノストラダムスの大予言も知らない世代にそっち系と言われてもねえ。その人達の夢は「お嫁さん」「看護婦」。中には、職場に内緒で、生徒を教える外部コーチと同棲している臨時採用の女性や、強面で、あんまり似合わない「看護婦さん」と答える女性。

 夢すら、みんなと同じでないと落ち着かないのだろうかねえ。小さい頃、何を夢見ていてもいいだろうに、ねえ。

 今、わかった。夢は忘れるためにあるんだ、きっと。生きるためには、夢は忘れなければならない、そんな人が多いのだ、きっと。だから、夢という言葉は、いつまでも輝き続けるのかもしれない。

 

北海道夕張市に行ってみた。心休まる風景の数々

~北海道は久々の28度。気分は自然と外へ。財政再建の市「夕張」へ。

 夕張市。日本で初めて「財政再建団体」になった市。日本の経済の急降下の中、ある意味「見せしめ」的に行われた施策。天文学的な借金の返済のなか、住民サービスは日本一削られ、疲弊していった街。十数年前、何かできることはないかと、「宿泊学習」で生徒200人を連れ、現地に赴き(なんでそんなところに、と猛反対されたが)、市民会館の清掃や街のごみ拾い(人がいないので、ごみは全くなかった)、シャッター街の商店街に赴き、生徒たちが住民との会話を楽しむ(学ぶ)、そんな企画をして以来、疲れると、たまあに夕張に行く。今回は、そんな夕張の「穴場」を紹介したい。

 久々に夏日よりで、疲れも抜けず、なんだか滝を見たくなった。「滝の上公園」というところをネットで見つけたので行ってみた。

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国道のすぐ横にあるのだが、意外と閑静で手入れも行き届き、気持ちがいい。のんびり進むと、

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つり橋が見えてくる。つり橋はワイヤーで補強され安全だが、両端に大きな「すきまがある」ので、幼児連れは、目が離せないというか、おすすめできない。

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だが、そこから見える滝はなかなかで、心が安らぎ、しばし見とれた。

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 そのあと、すぐ横にある、農協の建物があったので面白そうで寄ってみた。 

 

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 中身は、残念ながら大したことなかった。そのあと、夕張ダムを見に行ったが、落石の恐れありとかで、通行止め。仕方なく、Uターンし、南清水沢に行ってみる。昔と違い、小さなホーマックAコープなどもでき、そこそこにぎわっている。新聞によると、人口もここだけは359人から398人へと増加している。「いじめられっ子」夕張に一筋の光が差しているよう。明るい街並みも印象的だった。そこで、見た「夕張ながらのアイス」を見つけ、食べてみた。メロン一切れ500円が相場の中、メロン半分を使い、アイス大盛りで1000円。奮発して食べてみた。一言「美味!!!!」。

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実物はこんな感じ。周囲にいた5~6グループ、みんなこれを食べていた。

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 使っているのも「夕張メロン」。これだけで、今の夕張メロン3000円くらいするのだから「お得」。また、夕張唯一の豪華ホテル、マウントレースイでは、ホテルが「生メロンパン」を作って販売している。普通のメロンパンに、夕張メロンのカスタードや生クリームの入っているもの、色々ある。本当においしかった。ぜひ一度、北海道に来たら訪れてほしいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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オシムよ、ありがとう!想いは人種を越える!

~下手な日本人より日本人に愛情を注ぐオシム。あなたに会えたことを幸せに思う。

         「日本の強さはポーランドより上」

 

 日本よ、見事だ。本当に見事だ。このようなエネルギー溢れるサッカーを見たとき、チームスピリットに触れたとき、私は大きな幸福を感じる。試合前は日本がセネガルに対抗できるのか、私は懐疑的だった。セネガルの選手の身体能力は非常に高く、すこぶる強靭だ。野生動物のような鋭さを持っている。そんな彼らと互角の戦いをするのは、決して簡単なことではなかったろう。

 それなのにデータを見ると、”デュエル”での勝利は日本がセネガルを上回っている。日本の選手が知能と工夫を駆使して競り勝つたびに、私は誇りのような喜びを感じ、思わず手を叩いていた。

 1点のビハインドから同点にすることは、ただ単にゴールすることより難しい。この2-2という結果は、最後の1秒まであきらめず、集中力を切らさない日本の、まさに面目躍如といったところだろう。いや、それどころか日本は勝つことさえできたかもしれない。柴崎岳のクロスに大迫勇也の足が触れていれば、それも可能だったはずだ。

 今、私はクロアチアに滞在し、クロアチア・テレビの放送でワールドカップを見ている。おりしも日本対セネガル戦の解説者はロベルト・プロシネツキだった。かつてレッドスターバルセロナレアル・マドリードでプレーし、現在は我がボスニア・ヘルツェゴビナの代表監督でもある。

 プロシネツキは日本のプレー、精神力、その統率の取れた動きに驚嘆し、絶賛していた。私はなにか、自分の息子が褒められたかのようにうれしかった。

 次のポーランド戦で、計算上、勝ち点1さえ挙げれば、日本は決勝トーナメントに進出することができる。しかし、頭のどこかで”引き分けでもいい”などと思ってしまうのは非常に危険だ。それでは前へは進めない。守るばかりでは後ろ向きの結果しか出ない。

 次の試合でもこれまで通りのプレーを、勇猛果敢に走り、何が何でも勝つというサムライスピリッツを見せてほしい。今の日本とポーランドなら、強さは日本のほうが上のはずだ。頭を働かせて、正しいメンタリティをもって試合に臨めば、いい結果は出せる。ポーランドのディフェンスは、動きが緩慢だ。日本がそこをつけば、必ずや突破口を見出せるはずだ。

 サッカーの世界に絶対はありえないが、日本のベスト16入りを信じている。それは日本サッカーにとって大きな前進となるだろう。
 
 コロンビア戦後の取材で「体調が悪い」と言ったら、多くの日本人が私の健康を心配してくれていると聞いた。本当にありがたいことだ。持病の心臓に加え、今は右膝を痛めてうまく歩くことができない。本当は手術をすべきなのだが、心臓にはペースメーカーが入っているし、血が固まらない薬も飲んでいるので、それは危険なことなのだ。

 おかげでソファーから動くこともままならないのだが、幸いにも頭だけは健在だ。そして、今回の日本のようなすばらしいサッカーが、私に活力を与えてくれる。

最終更新:6/26(火) 15:52webスポルティーバ

 言葉はいらない。この記事を読んでくれさえすればいい。そんな気分になる。本当に日本への深い愛情を感じる。下手な日本人より日本への愛情を感じる。こんな人に短い時間であったが、日本代表の監督を引き受けてもらえて幸せだと思う。いつまでも元気にいてほしい。サッカー観戦も少し控えて、身体を大事に。日本人も、いつまでも、こんなオシム監督を愛し続けよう。ありがとう。オシム

教育実習生の評価会議。もうぐちゃぐちゃ。

~自分の世界の色と周囲の世界の色がどんどん乖離していく。

            これを「絶望」というか。

 

 今日、教育実習生の評価会議。こんな一コマがあった。

「●●さんは参勤交代もわからない。時間はあげたのに」

「学級では、生徒によく声をかけ、頑張っていた。・・・でも現場に出たら困るかな」

「実習生なんだから、朝、学級に言わなくても行かないと・・・減点かな」

・・・「?」。おや?「学生なんだから、出来なくて当然ではないのか。あんた方は、そんなに優秀だったか?教えたのか?求めるものを?」

 自分の番である。「林さん。指導案、意欲、授業、S(最高評価)です。」

周囲のどよめき。「最初の2,3日、もう少し積極的に、と思いましたが、その後、しっかり受け止め、改善されていきました。国語も、私の授業を見て、アレンジ出来ていました。十分でしょう」

「バランスは?他の学生とのバランスは必要でしょう」

「は?低いレベルの学生がいたとして、それに理由もなくあわせる?それは許されることなのか?何を求めて、彼女が、どう頑張ったかでしょう?」

「頑張れば、いいんですか?」

「当たり前でしょう。学生ですよ。気持ちが、すべての下敷きです。」

「人によって求めるものが、違う。僕は・・・です。それでいいんですか?」

「は?それは・・・(あんたが悪い。適当に時間を流したから。あんたの資質が問題だ。)当たり前でしょう。」

 この不毛なやりとりに、自分が生きてきた時間の色と周囲の世界との色が大きく乖離している現実を、改めて思い知らされた。・・・みな、そうなのか。年をとるということは。それは、教育現場の劣化そのものとさえ、思うのだが。

 幸い、学担も、事前の自分からの打ち合わせもあり「S」評価。まあ、最後は教科以外はA評価、総合Sに落ち着いたが。

 なんだかなあ。大人の質が、責任感が、未来への想いが、劣化していないか。この評価だって、一人悶々と、2週間も悩んだんだぞ!俺は。あんた方は、どうなんだ?

 生きていくのが辛くなるなあ。

人種差別的な電話相次ぐ バスケ審判殴った留学生帰国へ

~留学生制度が機能しているか、が一番の問題のはずなのに?

 

 「スイマセン、スイマセン」。

 コンゴ民主共和国から来日した少年(15)は試合後、監督に抱き付き、校長にひざまずいて号泣しながら何度も謝ったという。全九州高校体育大会のバスケットボール男子準決勝で延岡学園の留学生が審判を殴った問題で、同校は23日、少年の帰国を発表した。問題発生直後から学校に人種差別的な電話などが殺到したことも、早期帰国を決めた一因だという。

 学校が発表した処分は次の内容。(1)寮で謹慎している留学生の留学を取りやめて6月中に帰国させる(2)男子バスケ部は8月の全国高校総体(インターハイ)出場を辞退し、6月23日から3カ月間は対外試合を自粛する(3)指導責任者として川添裕司監督(50)を25日付で解任し、教諭としても無期限の停職処分とする(4)管理責任者として佐々木雅彦理事長(71)と佐藤則夫校長(65)、佐々木博之教頭(50)の給与を7月分から3カ月間、減給する。

 学校は問題の原因について、留学生本人とのコミュニケーションが不足▽本人に対する日本文化や道徳の教育・指導が不十分▽試合中の本人の異変をチームとして速やかに察知できなかった――と説明。この三つが今回の問題につながったととらえ、それぞれの責任を問うて処分を決めたという。

 一方で、監督解任を聞いた本人が2年の先輩留学生と一緒に泣いてわびるなど、人間関係は良好だったと説明。佐々木教頭は「細かい意思疎通を図るための言葉を理解させる時間が足りなかった」と話した。

 留学生の多くに共通する仏語を話せる非常勤教職員を雇うほか、日本語を学ぶ週3時限の授業とは別に週3時限、メンタルケアやコミュニケーションの時間を設け、留学生の様子や要望を理解し意思疎通不足を解消するよう検討中という。

 男子バスケ部は女子部監督らの下で24日に練習再開し、週1回のミーティングを義務付ける方針。留学生受け入れ継続について佐藤校長は「まだ白紙の状態だが、受け入れ態勢の確立にめどが立てば続けられる」と話している。

 学校によると、17日の試合で審判を殴ったニュースがインターネットやテレビ、新聞で流れると、翌18日から連日、人種差別表現を含む留学生への誹謗(ひぼう)中傷や暴力行使を示唆する電話やメールが深夜まで相次いだという。佐藤校長は「不測の事態もあり得るので本人を出来るだけ早く帰国させたい」と懸念している。

朝日新聞 

 「スイマセン、スイマセン」。

 コンゴ民主共和国から来日した少年(15)は試合後、監督に抱き付き、校長にひざまずいて号泣しながら何度も謝ったという。全九州高校体育大会のバスケットボール男子準決勝で延岡学園の留学生が審判を殴った問題で、同校は23日、少年の帰国を発表した。問題発生直後から学校に人種差別的な電話などが殺到したことも、早期帰国を決めた一因だという。

 学校が発表した処分は次の内容。(1)寮で謹慎している留学生の留学を取りやめて6月中に帰国させる(2)男子バスケ部は8月の全国高校総体(インターハイ)出場を辞退し、6月23日から3カ月間は対外試合を自粛する(3)指導責任者として川添裕司監督(50)を25日付で解任し、教諭としても無期限の停職処分とする(4)管理責任者として佐々木雅彦理事長(71)と佐藤則夫校長(65)、佐々木博之教頭(50)の給与を7月分から3カ月間、減給する。

 学校は問題の原因について、留学生本人とのコミュニケーションが不足▽本人に対する日本文化や道徳の教育・指導が不十分▽試合中の本人の異変をチームとして速やかに察知できなかった――と説明。この三つが今回の問題につながったととらえ、それぞれの責任を問うて処分を決めたという。

 一方で、監督解任を聞いた本人が2年の先輩留学生と一緒に泣いてわびるなど、人間関係は良好だったと説明。佐々木教頭は「細かい意思疎通を図るための言葉を理解させる時間が足りなかった」と話した。

 留学生の多くに共通する仏語を話せる非常勤教職員を雇うほか、日本語を学ぶ週3時限の授業とは別に週3時限、メンタルケアやコミュニケーションの時間を設け、留学生の様子や要望を理解し意思疎通不足を解消するよう検討中という。

 男子バスケ部は女子部監督らの下で24日に練習再開し、週1回のミーティングを義務付ける方針。留学生受け入れ継続について佐藤校長は「まだ白紙の状態だが、受け入れ態勢の確立にめどが立てば続けられる」と話している。

 学校によると、17日の試合で審判を殴ったニュースがインターネットやテレビ、新聞で流れると、翌18日から連日、人種差別表現を含む留学生への誹謗(ひぼう)中傷や暴力行使を示唆する電話やメールが深夜まで相次いだという。佐藤校長は「不測の事態もあり得るので本人を出来るだけ早く帰国させたい」と懸念している

 「スイマセン、スイマセン」。

 コンゴ民主共和国から来日した少年(15)は試合後、監督に抱き付き、校長にひざまずいて号泣しながら何度も謝ったという。全九州高校体育大会のバスケットボール男子準決勝で延岡学園の留学生が審判を殴った問題で、同校は23日、少年の帰国を発表した。問題発生直後から学校に人種差別的な電話などが殺到したことも、早期帰国を決めた一因だという。

 学校が発表した処分は次の内容。(1)寮で謹慎している留学生の留学を取りやめて6月中に帰国させる(2)男子バスケ部は8月の全国高校総体(インターハイ)出場を辞退し、6月23日から3カ月間は対外試合を自粛する(3)指導責任者として川添裕司監督(50)を25日付で解任し、教諭としても無期限の停職処分とする(4)管理責任者として佐々木雅彦理事長(71)と佐藤則夫校長(65)、佐々木博之教頭(50)の給与を7月分から3カ月間、減給する。

 学校は問題の原因について、留学生本人とのコミュニケーションが不足▽本人に対する日本文化や道徳の教育・指導が不十分▽試合中の本人の異変をチームとして速やかに察知できなかった――と説明。この三つが今回の問題につながったととらえ、それぞれの責任を問うて処分を決めたという。

 一方で、監督解任を聞いた本人が2年の先輩留学生と一緒に泣いてわびるなど、人間関係は良好だったと説明。佐々木教頭は「細かい意思疎通を図るための言葉を理解させる時間が足りなかった」と話した。

 留学生の多くに共通する仏語を話せる非常勤教職員を雇うほか、日本語を学ぶ週3時限の授業とは別に週3時限、メンタルケアやコミュニケーションの時間を設け、留学生の様子や要望を理解し意思疎通不足を解消するよう検討中という。

 男子バスケ部は女子部監督らの下で24日に練習再開し、週1回のミーティングを義務付ける方針。留学生受け入れ継続について佐藤校長は「まだ白紙の状態だが、受け入れ態勢の確立にめどが立てば続けられる」と話している。

 学校によると、17日の試合で審判を殴ったニュースがインターネットやテレビ、新聞で流れると、翌18日から連日、人種差別表現を含む留学生への誹謗(ひぼう)中傷や暴力行使を示唆する電話やメールが深夜まで相次いだという。佐藤校長は「不測の事態もあり得るので本人を出来るだけ早く帰国させたい」と懸念している

(2018年6月23日 20時27分朝日新聞デジタル

 

 まあ、あれだけ「がっつり」審判を殴って、傷害罪や暴行罪にも問われずに無罪放免というのもどうだ?とも思うが。だいたいコミニュケーションうんぬんの前に、留学生に日本語を教えるシステムや教員、時数が確保されていないまま、受け入れている現状が問題なはず。これは、今に始まったことではない。今から30数年前の自分が高校時代にも同様な状況があった。受け入れられたものの、日本語を学ぶ機会もなく、理解できぬまま、月日が流れ帰国していく。そんな現実。

 高校は、どのような意図で留学生を受け入れているか。簡単である。部活動で彼らの身体能力を生かし、名をあげ、強豪校になり、生徒を増やし、経営を安定させたい。そんな意図が、昔もそうだが、ますます強くなっているようだ。今回も、この事件がなければ明るみにでなかったはずである。留学生は、経営安定のための「駒」なのである。人格はいらない、そう、考えているのだろう。今回の延岡学園の事件は氷山の一角である。だからこそ、留学生を、早々に帰国させるのだろう。差別うんぬんは、これ幸い、という感じで利用されているだけではないだろうか。