ダブル辞任に見える「女の戦い」と民進党蓮舫代表の惨めさ。

度量でも安部総理に負けた民進党。解体したら?

 このほどお騒がせの二人の女性政治家が共に辞任した。女性が政治家として活躍するって「大変」(まあ、男もだが)と思って、ふと思った。稲田氏と蓮舫氏、これが2人の「女性」の戦いだとしたら、間違いなく、「稲田氏」の勝ちだな、と。 

 稲田氏は第2次安倍内閣では行政改革担当相として初入閣。14年に当選3回で党政調会長に抜てきされた。首相は「彼女はホープだから」と周辺に語っていた。昨年、内閣改造の「サプライズ人事」で防衛相に起用された。

 稲田氏起用について自民党関係者は「本気で首相候補に育てようとして、経験を積ませるためだった」と指摘する。ベテラン議員の一人は「首相は稲田氏と丸川珠代五輪担当相をかわいがり、2人を競わせている」と語る。

 防衛相として数々の批判を乗り越えてきた稲田氏。東日本大震災を巡る失言で即日更迭された今村雅弘前復興相とは対照的だ。自民党幹部は「スパッと首を切られた今村氏との差は何なのか。『かわいいから』しかない」と言う。

毎日新聞

 どうして、ここまで寵愛するのか、と世の誰もが一度は思うほどの寵愛。安部総理の「好み」だったとしても、ここまで「愛され」て、さぞ「鼻高々」だったろう。

 それに比して、民進党蓮舫氏。数は大幅に減ったとはいえ、歴戦の「おじさん」連中を蹴散らし、野党第一党の党首に選出されたのは、まだ記憶に生々しい1年前。

 「そこのけそこのけ蓮舫が通る」と言われるぐらい「きかない」「かわいげがない」と言われ、自分の夫も「犬以下」と笑っていた1年前が絶頂期。その姿勢故に、百戦錬磨の「おじさん」達に利用されるだけされ、最後は、続投にやるき満々の記者会見後、まさかの岡田前代表、枝野元官房長官、前原元外相、安住代表代行、玄葉元外相の主力級全員に(これしかこの党にはいないのだが)に袖にされ、なくなく辞任。何となくいい気味に見えたのも、民進党支持者にもいたとかいないとか。

 ここにきて、「結果」は同じであるが、「最後まで守ろうとしてくれた男性」がいた稲田氏と「やはり男性のだれも守ろうとしなかった」蓮舫氏の「戦い」と見れば、明らかに「稲田」氏の圧倒である。

 こんなくだらない話とは別に、実力(武力)集団の自衛隊の隠蔽・独走体質が今なお残る怖さと、民進党の解党まったなしの現状、2大政党制の是非など、考えるべき課題がたくさん詰まった話題ではある。

 

「お連れ様はどちらですか?」妻に先立たれた男性、客室乗務員の対応に…

~「やさしくありたい」。それが、一番難しい。

 半世紀以上も連れ添った妻に先立たれた、横浜市の知人男性からこんな話を聞いた。男性は葬儀を終えた後、故郷である佐賀県唐津市の寺に納骨するため、羽田空港から空路、九州へと向かった。

 遺骨を機内に持ち込めることは知っていた。でも入れたバッグがかなり大きく、念のため搭乗手続きの際に中身を伝えた。機内に乗り込み、上の棚にバッグを入れて席に着くと、客室乗務員がやって来てこう言った。「隣の席を空けております。お連れ様はどちらですか?」

 搭乗手続きで言ったことが機内に伝わっていたのだ。男性が「ああ、上の棚です」と説明すると、乗務員はバッグごと下ろしてシートベルトを締めてくれた。飛行中には「お連れ様の分です」と飲み物も出してくれたという。

 「最後に2人でいい“旅行”ができた」と男性。その表情を見ていたら、こちらも温かい気持ちになった。 (鎌田浩二)

=2017/07/13付 西日本新聞朝刊=

 

 海外では、VIPを急遽乗せるために、一般客にくじを引かせ、突然、降りるように命じ、従わない客を殴る蹴るの暴行を繰り返していた格安航空機会社があったり、日本でも、温泉などで身体障害者の利用を実質拒否したり、あるいは一般の利用者が、そういう目で見たり、非難したり。人に優しくすると言うのは、口で言うのは易しだが行動は意外と難しい。日々、自分を振り返りそんなことを感じたり、自省したり。

 そんな中、久々に温かな記事に出会い、思わず「ほ~」。昔からある「小説の題材」。それは、人々の心の内奥に「息づく」自分の理想の行動(心)の姿だからだろうか。

 それを地でいった航空会社・乗務員の温かな「心配り」に拍手。はて、この航空会社はどこなのだろう?こういう素晴らしい行為こそ「拡散」してもいいのではないかな。

 このような行為を選択できた乗務員・航空会社に、幸多からんことを。

検証のない「実験」が招く多忙化。適当化・

 

~教育現場は、検証のない実験場。予算の無駄遣い、「心」の摩耗。

 教育現場の「多忙化」が叫ばれて久しい。文科省の「お上目線」も問題だが、教育現場に勤める「教師」自身の意識もそれに拍車をかけている。たとえば

 「35人学級の実現」。→これは、「学力向上」や「いじめ防止」策として度々取り上げられる。地方自治体独自で、限られた予算のなか、中一のみで試みられている自治体もある。まあ、40人や45人の多人数で看取れる数は限られるというのは事実であろう。特に問題児を抱える担任の場合、6割は自然とその「問題児」の一挙手一動、その視線の剛柔に自然と目が向けられ、残り4割を、45人学級では、残りの44人に、ベテランでは「均等に」振り向けられる。人数が少ないに越したことはない。が、それが「いじめ防止」につながっているか、どうか、科学的(統計的)に検証され例はない。もちろん「学力向上」においてでもある。高き天井が全体を向上させるのか、低き底辺の向上が学力の向上につながるのか、その論は今なお双璧であるが、検証された例は皆無である。

 次ぎに「学校のカウンセリング機能」についてである。日常的に、学校現場で「カウンセリング機能」を求められるのは保健の先生、養護教諭である。日々、生徒の精神的・身体的状況を鑑み、時に叱咤、時に励まし、時に愚痴につきあい、明日への一歩の種を探すのである。児童・生徒の自殺が叫ばれたとき、文科省は、教師に近い(同僚なのだから当たり前である)養護教諭ではなく、客観的な目を持てる専門職のSC(スクールカウンセラー)の養成・設置に舵を切る。莫大な予算をかけてである。(時給換算なら一般教諭の倍以上である)そのSCは、どう専門的知識をえるのか。多くは、1回7~8万円の座学講習を4~5回受講し得るのである。臨床経験を積んでいるSCは皆無に近い。そんな40代ぐらいの女性が、一般教諭が秒コンマ(少し大げさか)で仕事をしているとき、公務補さんや臨時職員と「体重」「家庭」「夜のお話」を大声でし、笑い声をたてている。児童・生徒が相談があると、(何の権限かわからないが)授業中でもお構いなしに、「相談タイム」を設定し、児童・生徒の愚痴や他生徒の悪口に相づちを打ち、しまいには、「あんな先生がいるから」、とつぶやくのである。保護者に相談すると、「私はU家と昵懇だから」といい、あまり実績・評判の良くない小児精神科医?を紹介するのである。まあ、それで生徒・児童が立ち直ればいいのだが、そんな結果は聞いたことがないし(逆はあるが)検証もされない。世間話好きな「おばさん」のアルバイト先を、少ない財源の中作ってどうするのか、そうも思う。

 その他に、部活動は、生徒指導である。部活動をなくせば学校は荒れる、という昔からの「体育的伝説」がある。部活動を強くして、荒れた学校が立ち直ったか。体育教師だけ増やせば、学校は「幸せになる」のか。いまだ、検証されない。

 検証をする=軋轢を生む。それが「めんどくさい」から、行わない。そして、お上(文科省の役人)や現場管理職や教育委員会が、「思いつき」で効果があるかも?と思いついた施策が試される。予算が付く。→やるのは現場の教員。こうして仕事は増えに増え、その「効果」は検証されることなく、また新しい施策(思いつき)が受注される。

 いつになったら生徒・児童にとって、保護者にとって、働く教師にとって「良い学校とはどんな学校か」「どうすれば作り上げ・維持することが可能か」が検討されるのだろうか。

 大いなる無駄と浪費の場となっている「学校」。果たして変わることができるのだろうか。

 

 

「残業代ゼロ」連合容認。「連合の変質」は組織の宿命か。

~権力の味を知ってしまう組織は、権力の側にすり寄る。企業「連合」へ。

 

 別に驚かないが、組織の変節の宿命か。「労働者の為」の組織と謳う「連合」の現実。

 「専門職で年収の高い人を労働時間規制から外す「高度プロフェッショナル制度(高プロ)」を「残業代ゼロ法案」と強く批判してきた連合が、条件付きで導入の容認に転じたことが組織内に波紋を広げている。(朝日新聞 2017年7月15日18時06分)」の記事である。

 脱原発の機運が高まったある時期も、連合は「電力会社」を傘下に抱え(といっても、電力会社社員が全員原発に賛成しているわけでもあるまいが)猛反対し、機運をしぼませたり、結局、労働者に顔を向けず、企業に「いい顔」をし、蜜を一部の役員で分け合うなれ合いの現実。

 「安部1強の政治状況の中、せめて年間104日以上の休日は義務づけるべきだ」との言い分は言い分になっていない。民進党を見限るのは、仕方がないとしても、年間104日以上の休日とは、つまり週休2日の事で、これが保証されれば、残業無制限は認めるというのは、労働者側の提案とは思えない。今なお、「休日出勤」が、暗黙のあきらめの中横行されている中でである。神津里季生(こうづりきお)会長、逢見(おうみ)直人事務局長(次期会長)や村上陽子・総合労働局長ら執行部の政治的センス云々というより、彼らの上昇志向、日の目に当たらない「政権との癒着」のなせるわざであろう。

 そんな連合は組織率は17パーセントを切る現実をどう思っているのか。もちろん、

どうも思っていない」のである。自分が「蜜」を味わえればいいのである。傘下の組織を脱退して思う、組織の劣化。組織の変節は宿命でもある。民進党とともに一度解体した方が世のため?難しいか?

 

エスカレーターで車いすが転落、巻き添えの女性が死亡

~なさそうであるかも。そんな時、どうするのだろう?注意・指摘できない世の中。

 

 高松市のショッピングセンターのエスカレーターで、10日、女性の車いすが転落し、76歳の女性が巻き添えになって死亡しました。車いすの79歳の女性と付き添いの81歳の夫も重軽傷を負いました。

 事故が起きたのは、高松市のショッピングセンターにある家具インテリア店のエスカレーターです。10日午前10時半ごろ、高松市の81歳の男性が車いすの79歳の妻を2階から3階に向かうエスカレーターに乗せていて、3階に着いたところで車いすが後ろに向け、転落しました。2人の後ろには、高松市に住む渡邉清美さん(76)が立っていましたが、巻き添えになり、病院で死亡しました。

 また、車いすの妻は骨折などの大けがをしたほか、付き添いの夫も軽いけがをしました。(TBS 11日17:11)

 

 まず、考える前提として、「車椅子でエスカレータを乗る」事が出来るのか。許されるのか、という事に驚く。この老夫婦は、それまでも、同様なことを繰り返してきたのだろうか。エレベータの場所が分からなかったのだろうか。

 そして、周囲は、その違和感に気づかなかったのだろうか。そう考えたとき、自分の目の前に車椅子の人がエスカレータに乗ろうとしたとき、自分ならどうするか。

 危険を感じながらも、その行為を内心批判しながらも、そのまま、後ろに続いてエスカレータに乗るのではないか、と思った。しかも、「老夫婦」だ。

 それでなくても、なかなか他人に注意しにくい世相の昨今だ。悪者になる覚悟で注意する、なかなか難しい事だ、と気づいた。

 今回は、車いすの79歳の女性と付き添いの81歳の夫も重軽傷を負ったが、命に別状はなく、その後ろにいた、年齢のあまり変わらない76歳の老人が死亡したのは、皮肉としか言いようがない。ルールを守ること、守らせることの重要さも再認識させられたニュースである。

突然来た娘からのライン。その心は?

~「お父さん。ピカチュウの人形欲しいっていってたよね?」

 ある日曜日。北海道とは思えないうだる暑さの昼上がり。まったく面白くない野球を見ていたとき。わがスマホが鳴った。「なんだなんだ?」(普段、あまり作動しないので、いざというとき慌てるのである)。「○○(娘の名前)からだ。なんだなんだ?」。横で笑っている妻を横目にスマホを見る。

「今、ポケモンセンターにいるんだけど、お父さん、まえ、ピカチュウ人形欲しいって言ってたよね?(うちには、もうすでに4体いるのである、ピカチュウが。)

「うん

「あれ?違った?・・・」ここで、ふとわかったのである。娘自身が欲しいのであるのではないか、と。友達でも近くにいて、高校生にもなって赤ちゃんぽい、と思われるので、「父親のせい」にしたのではないか、と。そこで、

「ああ、そうだったね。どんな奴?大きさは?価格は?」と矢継ぎ早に送信。

「(写真が送信)。1200+税」

「おお、そうか。じゃ頼む。お金は帰ったらね」

「OK!(喜びの絵文字)」

 その後、娘が帰ったので、聞いてみると、まさにその通り。あまりにもかわいいので、お金は払ってあげた。

 娘の心を当てた父の心に乾杯。楽しいひと時であった。いつまでこんな仲良しでいてくれるのやら。

 

ある酒場での嫌~な出来事。地域の中の「負の連鎖」

 

~感謝を知らない子供が親になるという不幸せ。

 ある酒場で、30歳ぐらいの女性二人との出会い。それまでは、全く楽しい「出会い(会話)」(一人飲みだったので・・・。)だったのだが。少しく酒が入ったころ、後から入店してきた女性2人組と店長との会話で、自分の職業が知れることに。

 「○○なんだって~(悪意)」。無視していると、その一人は、1歳の子供を親に預けて、飲みに歩いている様子。それ自体は、別にどうでも、というより、「たま」には、とも思い聞いていたが。その後、預かってもらっている旦那の親の悪口を言いたい放題。・・・その後、その女性は、旦那と子供のこお住んでいた近くでセブンイレブンを経営しているのがわかった。(そうか・・・今、旦那はそのセブンイレブンで働いているんだ。)。その女性達が中学生のころ、自分もその「職場」に努めていたことがわかり・・・。その頃は、その「職場」は荒れまくり、警察を呼ぶような時代の1年前くらい。突然、その女性の一人が、

「誰か、知っている?」「うーん、AとかUとか」。この二人は、後日、校長室に殴り込みに行き、警察の御厄介になるなど、今でも許しがたい2人である。

「ああ、知っているよ。かわいい後輩。」(この時点で帰れば良かった。)

 急に、「今でも内申点とかあるんですか~」(非難の調子)。「あるけど」

「私、近隣のEK高落ちたのさ。友達の「あいつ」の方が、ランクも低いのに受かりやがって」。

「へえ~(だいぶ飲みすぎの自分)。倍率は?」

「1.2倍くらい」(その高校は、近年、定員割れが続いている)。

「それは、ランクとか点数よりは、面接かもしれないね。(少し意地悪したくなった)。厳しいよ、面接は。」

その後、すぐ、彼女らは違う場所に飲みに行った。まあ、喧嘩ごしで他人の職業を悪しざまなまなざしで話されても、ね。

 でも、思うわけである。そのまなざしは、もしかしたら「子供」の時と変わらないのかもしれない、と。人間、そうそう変われない。そして、その「心」のまま大人になり、結婚して、子供を産み、嫁ぎ先の親を悪しざまに思い、言い、そして、その子供も、不満をしか感じれないまま成長し、学校で悪さをし・・・。地域の負の連鎖である。一教師に、それを止めるすべはない。あるのは、たまたま、同じ地域でも、少しまっとうな子供達との、保護者との出会いがあることがある、という至極受け身的な出会いだけである。その出会いを「守る」ことだけである。・・・早く帰れば良かった。