AI(人工知能)が人間には理解できない独自の言語で会話をはじめ、FB社はこのプロジェクトを緊急停止させた。

~現代版「猿の惑星」の萌芽か。科学が生み出すのは幸福か絶望か。

 皆さんは、「猿の惑星」という映画を知っているだろうか。人間である私たちが住んでいる地球。その主人公が人間ではなく、「猿」になっている、ある時代の話である。

 第三次核戦争のあと、「機械」が人間を殺戮する。それに反旗を翻す人間の生き残りが見たものは、高度なコンピューター(今でいうAI)が支配する世界。そのコンピュターを支配しているんは、言語を身に着けた「猿」だった、というものである。

 そんな世界がいつかくるのか?SFの世界の戯言と思うなかれ。SFで描かれたものは、月への有人飛行、地下鉄、会話ができるロボット、ドローン、インターネット、臓器移植、遺伝子操作、など、SFの世界のほとんどのものは、数十年後、実現しているのである。SFの後に科学があるようなものである。

 さて、7月下旬、衝撃的なニュースが、一部の人達の間で飛び交った。それは、人間のわからないところで、コンピューター(AI)同士で会話し始めた、というのである

 

 「7月下旬、フェイスブックのAI研究チーム(FAIR:Facebook AI Research Lab)はチャットボット同士が、人間の指示を受けずに会話を行っていることを突き止めた。人工知能研究の世界的権威として知られるレイ・カーツワイル(Ray Kurzweil)は数年前に、近い将来、多くの人に恐怖を与える段階に達するだろうと警告を発していた。イーロン・マスクビル・ゲイツスティーブ・ウォズニアックらのテクノロジーの専門家たちはそろって、AIが人類の脅威となる警告を発している。理論物理学者のスティーヴン・ホーキングも2014年の時点で、AIが人類に破滅をもたらすと予言した。
「AIは人間の指示を受けずに自分で進化を遂げ、自身で再設計を行う形で発展を続けていく。生物的な限界を持つ人間はこの進化に追いつけず、やがてAIの能力が人間を超えていく」とホーキングは述べた。人工知能が人間の手を借りずに独自の進化を遂げる様子を注意深く観察し、問題が生じればすぐに停止を命じる準備をしておくべきだ。AIがAI同士でしか通用しない言語で会話を始めた場合には、人間のコントロールを超えた領域に彼らが進化したと見なすべきであり、それは人類にとって大きな脅威であると認識すべきなのだ。」(フォーブスジャパン2017年08月06日 16:00)

 科学は、時に人知を超えるものを生み出してきた。核燃料の放射性廃棄物しかり。今では、それらは究極、目をつぶっていればよかった。それ自体が、「意思や知恵」を持たない「物質」であったから。

 今、人類の最後の「福音」と一部で呼ばれる「AI」は、本当に福音たるか。実は神の仮面をかぶった「悪魔」でるかもしれない。科学という名の誘惑に、人類は負けてきた。一度見た果実は手に取らずにおれない性。さて、今度の「実験」はどうでるか。それにしても、AI同士が、人間にわからないように「会話」している。なんとも「恐ろしい」話ではないか。

 

 

籠池容疑者 逮捕直前の夫婦の姿 「籠池泰典「逮捕直前」馴れ初めの思い出スポットで夫婦デート」

~「明るさは滅びの姿か」。笑顔のわざとらしさが「つらい」

 学校法人森友学園による補助金不正受給事件で、籠池泰典前理事長(64)と妻の諄子さん(60)が逮捕された。大阪地検特捜部から初めての事情聴取を受ける2日前の7月25日、夫妻の姿は大阪・心斎橋にある大丸百貨店のレストラン街にあった。「土用の丑の日」ということで鰻をいただくのだという。

「まあ、これからいろいろ体力を使うこともあるだろうから、スタミナをつけておかないとね」

 泰典氏が穏やかに話すと、「人生、この年になって、こんなにいろいろなことを経験できるなんて、本当に幸せやわぁ。これからなにが起こるか楽しみでしかたないねん」と諄子さんも屈託がない。

 注文を取る段になると、いきなり諄子さんがお品書きを取り上げ、「お父さんは最近、食べすぎやねんから、これにしときぃ」と有無を言わさず4段階の「うな重」のなかから、泰典氏に下から2番めの「竹」を選択。自身は最も安い「梅」に決定した。籠池家では食事に関しては諄子さんが全権を握っているらしい。

 この日訪れた場所には以前、そごうの本店があった。2人が電撃的な恋に落ちた思い出のスポットなのである。

「2人ともここが学生時代のバイト先だったんですよ。家内は1階の宝石売場で働いていましてね。僕は7階の催し物会場にいたんです」

 宝石フェアのため7階にある販売スペースへ移動した諄子さんを泰典氏が見初めたのだという。諄子さんもまんざらではなかった。

「お父さんは催し物会場で販売のためにマイクを握っていたんですけれども、しゃべりは当時からうまかったんです」

 3月におこなわれた証人喚問で国会議員を手玉に取ったのもうなずける。

 7月27日におこなわれた事情聴取ではほとんどの質問に黙秘したという泰典氏。準備していた小学校の名前を「安倍晋三記念小学校」としていたことについて「当人の許可をもらっていたのか?」と尋ねられたことも明かした。昭恵夫人を通じて、許可は取っていたというのだがーー。

 鰻を完食して「旨かった。生き返った」と満足げに語った泰典氏だった。

週刊FLASH 2017年8月15日号)

 

 明らかに「国策捜査」であろう。あるいは特捜部の「権力(安部・松井という権力)への忖度」。に、しても、籠池泰典前理事長の逮捕直前の「笑顔」が「自然」であるだけに「痛々しい」。あの風変わりな妻の態度が、なお、その無念さを際だたせる。やったことは「正しくはない」が。

 権力を信じ、権力の誘惑に見せられ、望まなかった世界の結末の明るさを信じ、そんな「木訥な信仰」。聖諦第一義。母の自殺現場を見た幼少の太宰治が抱えた心境。その心と似た「諦め」を感じているのか。その表情が痛い。

「負ける戦とわかって刃向かってみた」。意地か。象に踏みつぶされるその前に、その足に必死にかじりついてみた蟻の意地か。(ヒアリほどの痛さは通じたか、否か)

 政界では、内閣改造で、この問題も「なかったことにしてしまおう」という空気が蔓延する。もちろん「特捜部」が出来ることは、ない。形をどうするか、だけだろう。誰も期待していない。

 籠池泰典は踏みつぶされるのである。「抵抗したこと」はいづれ忘れ去られ、歴史にも残らずに。

 少なくとも「お父さん」「お母さん」と呼び合い、最後の食事がお父さんより低い「うな重」を食べ、幸せそうな「絵」を描く2人の夫婦の絵が、安部夫婦より血の通った「絵」であるように。それが、これからも続くように願うばかりである。それが、誤った道に踏みだし、批判を浴びる選択であったとしても。

 

2度延期の消費増税、首相「予定通り行う考え」

~「庶民の痛み」をわからないのだな、政治家は。いっそ「AI」に政治を任せたらどうなんだろう。

 

 安倍首相は5日、読売テレビの番組に出演し、2019年10月の消費税率10%への引き上げについて、「予定通り行っていく考えだ」と述べた。

 当初15年10月の予定だった引き上げは、首相が景気失速への懸念から2度延期している。内閣支持率の下落で与党内からもアベノミクスへの批判が出ており、財政再建に取り組む姿勢を強調した。今後の経済運営については「企業に働きかけて賃上げし、デフレからの脱却を目指したい」と述べた。

2017年08月05日 18時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

 

 本当に、今の政治家は、検証が苦手らしい。政治のトップの安部総理がそうなのだから、どうにもならない。自分の批判に正面から答えず、持論だけ延々と述べ、都合の悪いことは恫喝と圧力とごまかしでなかったことに。そんな人から「消費税率10%への増税」は必要不可欠と言われても、そうですか、とならない。

 企業は内部留保をためつづけ史上最高益を出しながら、「未来はわからない」と給与アップを「ごまかし続け」、「今の変化」の望む「庶民」の切実な思いを無視続ける。なんと似ている両者の感覚。過去最高を記録し続ける「国家予算の支出」。膨張し続ける「必要経費」を検証も出来ていないまま、(民主党政権時の他人批判は出来ても。)それを是正できず、社会保障を削り、増税をし、「とれる庶民の懐」を当てにする。過去の「やりかた」の踏襲。原発中心のエネルギー政策の推進と東日本大震災の際の福島の原発破壊・爆発事故。その原因解明と検証のされないままの原発再稼働。それを、また、我々は選挙で是認してきた。

 対する民進党。瓦解が目の前。前原氏も枝野氏も、自分の過去の検証すらできないままなことに頬被り。保守のエースと呼ばれる細野氏は、政治観も大局観もなく、憲法改正をはじめとする信条も自民党の変わらず、自民党に「入党」したら、と思うが、その口からは「二大政党制をもう一度」というから、おかしい。自分の器を知らなすぎる。「中心」になれないものが、外に出て「中心」になれるわけがない。「修羅場をしらないおぼっちゃん」なんだな、これが。選挙で負けたら出て行くしかないと言われる前原・枝野両氏にそんな覚悟があれば、もっと前にそうしていたし、何かが変わっていただろう。他人の批判しか取り柄のない両氏に、誰も期待しない。そして、それを肌で感じられない悲惨さ。

   与党も野党も、「少しでも生きやすい世の中を」という庶民の感覚とあまりに遠いところで「やりあうふり」をしているようだ。貧しい所から、自分の政治信条を作り上げた「田中角栄」のような政治家の出現を望むのは、もう無理か。

 そうして、また、庶民の暮らしは苦しくなる。所得が増えることのないママ。減らされた分も十分に戻ることのないママ。希望はいづこに。いっそ「政治」というものをスパコンを改良した「AI」にやらせた方が、納得できる政治になるのではなかろうか。 

 

 

日本の「蝶化身」伝説。~蝶と死者の関連性、死者は蝶に化身し帰還する!

 

~世界中の死の象徴「蝶」。

 

 先日、森林公園を散策。なんと往復11キロ。この夏、2回目である。そこで、ふと思ったのである。最近、蝶が少なくないか。モンシロチョウ、モンキチョウ、キアゲハ、カラスアゲハ。捨てるほど飛んでいた子供の頃が嘘のように、ほとんど見かけなくなった。そう、つぶやいていたら、帰り道、モンシロチョウとキアゲハ、カラスアゲハを発見。農薬散布や何やらで少なくなったか。何しろ、最近は「毒毛虫」騒動で、毛虫・青虫も一緒くたに嫌われている。まあ青虫も農家にとっては天敵なのだけど。そんなこんなで、吉田恭教の『化身の哭く森』を読んでいて、蝶化身という言葉が出てきたので、調べてみた。

 日本では、実は昔から「死者は蝶に化身し帰還する。」と考えられ、時に疎まれ時に尊ばれていたようだ。優雅なとびかた、不思議な羽の色など、愛好家にはたまらない生き物で、子供の頃は「夏休みの宿題」として、その標本が定番となっていたぐたいだ。ただ、近くで見ると、その様態は、皆が忌み嫌う「蛾」とさして変わらず気持ち悪い。鱗粉も身体によくないとも聞いた。

 平安時代では「死者の魂がこの世に甦った姿」とされ、弔いの詠にはしばしばが使われる。ので「名前を言うのも気持ち悪い」物だったらしく、日本語では元「カハビラコ」「カービル」(川にいるヒラヒラあるいは皮の張ったびびるもの)と呼ばれた らしいのだが後中国語の「tie」を無理やり日本語発音した「てふ」が使われる。まさか、あの有名な「てふてふ」という古語にこんな歴史があったとはびっくりだ。

 民俗学上では、蝶は死人の化身だという解釈があり、先祖が蝶になって帰ってくるという考え方もある。栃木県宇都宮市では、盆時期に飛行する黒いチョウには仏様が乗っていると考えられている。(九州ではトンボに死者が乗ってくるという伝承がある)
 さらに、立山の追分地蔵堂では、毎年7月15日夜に死者の化身である多数のチョウが舞い飛ぶ「生霊の市」という現象が起こる。命日や法事になると故人が蝶となって出現するという地域もある。英語圏でも、「アゲハチョウ」を魔女の化身と考える迷信がある。蝶は死体にたかるという迷信もあり、その美しさや幻想的な飛行方法から、蝶に纏わる不可解な迷信が生まれたのであろう。迷信とわかっていながら蝶を恐れ嫌い、チョウを死霊の化身とみなす地方もあり、立山の追分地蔵堂で「生霊の市」といって、毎年7月15日の夜に多数のチョウが飛ぶという。秋田県山本郡ではチョウの柄の服を好む者は短命だという。高知県の伝説では、夜ふけの道で無数の白い蝶が雪のように舞い、息が詰まるほどに人にまとわりつき、これに遭うと病気を患って死ぬといわれる怪異があり、同県香美郡富家村(現・香南市)ではこれを横死した人間の亡霊と伝えている。「春に最初に白いチョウを見ると、その年の内に家族が死ぬ」「チョウが仏壇や部屋に現れるのは死の前兆」という言い伝えもある。

奥州白石では、チョウが大好きだった女性が死に、遺体から虫が湧いて無数のチョウと化したという話が伝わる。また秋田県上総川の上流で、かつて備中という侍が沼に落ちて死に、チョウに化身して沼に住み着き、現在に至るまで曇った日や月の夜に飛び上がって人を脅かすという。そのことからこの沼を備中沼、または別蝶沼ともいう。

 そんな蝶だが、逆に「幸せを運ぶ」貴重な存在として、あがめられているものもある。

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   それが、この蝶で、名前は「千年アゲハ」という。捕まえると代々子孫繁栄されるとして、あがめられている。 お盆を前に、子供の頃身近な存在だった「

蝶」が、実は世界中で生と死にまつわると考えられた存在だったと知り、調べてみた。とりあえず日本の伝説・迷信・信仰と蝶との関わりである。・・・しかし、最近、トンボは見るが、蝶は見ないなあ。

 

 

3度目の不倫発覚。50歳にして獰猛 斉藤由貴の生き方。

~波瀾万丈。というか、50歳でも男を振り向かせる艶容さ、あっぱれ!

 

 最近、スピードの今井、世界の渡辺謙はじめ、なぜか芸能人の「不倫」が巷をにぎわしている。使えるお金も財産も、そして「自信」もある人達のはなし。松井某氏は、五輪での株式投資でも大もうけし、まあ一人でも生きていけるという自信からの行動だろうが、世の「奥様方」には、これこそ「違う世界」の話で、共感できないだろう。

 さて、先日、また、似たような「不倫話」が。女優の斉藤由貴が内科医の男性と週4回も密会を繰り広げていていたことを『週刊文春』(文藝春秋)が報じた。スポーツ紙記者は「斉藤は、独身時代の91年に故・尾崎豊、93年に川崎麻世との不倫が発覚し、自ら事実関係を認めています。不倫癖が抜け切れないようですが、今回はW不倫なので世間の批判は一層高まりそうです」などと話しており、今日、3日の夜、会見するのだとか。「会見して」何を話すのか。それを聞いて、何を納得するのか。・・・何のための会見なのか、まったく理解不能。それより、率直な感想。50歳で不倫?一言で「すげえ」。げすな話だが、今、流行の「一線を越える」、そんな事を考えさせる事が出来るだけでも「すごい」。まあ、ニュースがないんだなあ、平和で。

 と思いきや、東京で昨日から、震度4(マグネチュード5~6)の地震が3連発。この事件(ニュース)を掘り下げた方が「為になる」、そんな事を思ってみたり。

第13回教師力BRUSH-UPサマーセミナーに参加して。

 ~4000円払って、得たものは?しばらくぶりに残念な1日。

 しばらくぶりに、「新鮮な空気」を、と思い、参加したセミナー。堀先生も参加されず、どうしようかな、と躊躇したものの、1日4000円という会費を払い、いざ札幌へ。市外の道東や道南からも、わざわざ泊まりがけで来る人もいた。ただ、定員は、過去最低の70人も埋まらず、運営入れて40~50人というところ。

 テーマは「リフレクション」。学術的には内省・反省・振り返りという意味がある。新学習指導要領が新たに取り入れる「アクティブラーニングにからめたテーマだ。

 最初の元木一喜さんのブロックを使いブロックに語らせる「自己の振り返り」は、心理学的な「無意識の内省」のようで面白かった。が、それだけ。教育現場に使えるものではない。そのあとの、東北福祉大学の上條晴夫教授が示した「座談会形式のリフレクション」がひどかった。ワークショップに対抗心ありありなのだが、やっている実践は「大学生との対話」。心・感じ方を大切にするというが、疑問はおいておいて、「いいなあ」と思ったところだけを取り上げる、という今の時代にありがちな「ゆるい」関係構築の方法。模擬授業も教科書などの文に則らず、感じ方だけを言い合う。司会者の教授は、女性教師の「ネックレス」「笑い方」をほめるものの、効果的に話を「掘り下げる」事が出来ず、自己満足のみ。・・・10年一昔の「大学教授」という感じ。

 「面白いと思う人は出来るし、思わない人は出来ない」。その通りなのだが、それを現場に当てはめれば「理解出来る人は深まるし、そうでない人は無理」。それが、「方法論」なのか。

 ただ、若い人は「楽しそう」だった。特に、30代前半くらいの女子教師はまるで教授の前で饗宴を演じる女学生ふう。周囲の白けムードに、翌日の講師が「空気」を伝えに発言したが、教授はどこ吹く風。彼の提唱する「リフレクション」。一言で片づけるなら「無責任な語り合い」「やりっ放しで終わる感想会」。

 まあ、講師もひどかった。中学校の国語を担当した高橋和宏氏は、心境の変化を友達度の変化を見ることとして「提案した」が、その根拠は本文には皆無である。指導要領の「文章に即して」さえ意識されていない。友達度の5段階も、それを考えて話し合いに臨む流れも、満足に準備しないで「丸投げ」。こんな授業を普段しているとしたら札幌の中学校の彼担当する生徒・学級は悲惨である。力がつくどころが崩壊の序章である。(どうやら上條氏の著書には「丸投げの効果が書いてる?)。相手はほとんど「教師」。なんとか流れる。・・・これが「提案」と呼べるのか。非常に疑問だったが、その基本的な「勉強不足」はおいといて、となる。「堀氏」がいたらどんな感想を述べるのだろう、と考えたりした。

 彼らは、セミナー作りは専門ではないので、と後にメールを送ってきたが、(まあ、難しいのはわかるが)、立ち上げ「お金をとる」以上、「真剣さ」は最低限の誠意だろう。代表の大野氏の、赤のパンツも、どうだろう。この年齢の教師はTPOをあまりうるさく言われなかった時代だったか。「服装は心をうつす」という格言もあったか。

 以前は、藤原氏や堀氏他、他業種からの講師も招き、学ぶ→まねぶ知識・感覚も得ることが出来たこの会も、今回は組織の退廃・衰退を感じることしか出来なかった。まあ、若い人対象をするならいいけれど。

 会費4000円+交通費1500円の対価を考えたときに、久々に「失敗」した、という研修会だった。

 ただ、企画を立ち上げる情熱・準備には、心から拍手を送る。

 

核のごみ処分 使った分は「自分で埋める」。これしかない!地図で不信感は拭えぬ→わがままでしょう、やはり。

~「想定外」は、自分たち「国民」が選んだ道。

日本地図をオレンジや緑に染め分けた核のごみ最終処分の「科学的特性マップ」。政府はこれで、誰に、何を伝えたいのだろうか。「適地」に色分けされた自治体を不安に落とすだけではないか。 

 原発で使用済みの核燃料。これらは「再処理」すなわち、燃料として再び使えるものを取り出す過程を経て、搾りかすの液体(高レベル放射性廃棄物)を特殊な容器に封じ込め、地中深くに埋設することが法律で決まっている。

 猛毒の核のごみ。埋設後も厳重な管理が必要だ。その期間は十万年-。

 電力事業者らでつくる原子力発電環境整備機構(NUMO)が、埋設先を探し始めて十七年。候補地すら決められない。

 業を煮やした経済産業省は一昨年、処分地選定への関与を強める方針に切り替えた。その第一弾が「科学的特性マップ」と名付けた地図だ。日本列島を緑、濃い緑、銀、オレンジ色に塗り分けた。

 オレンジは、火山や活断層などがあるため、はじめから処分場にはできない地域、緑と濃い緑が、処分場を造っても良い地域。濃い緑は、より好ましい場所である。

 造ってもいい場所は、国土の約65%、全都道府県に及ぶ約千五百の自治体が含まれる。東京ディズニーランド羽田空港なども“適地”の中にある。

 公表されるやいなや、濃い緑に色分けされた自治体からは、不安と反発の声が相次いでいる。(東京新聞8、1社説より)

 

 7月の末。北海道では最近恒例の一時的猛暑。そんなある日、職場の窓を開けようとそのとってを下に引っ張ると、「ぽきっ」。綺麗に垂直に「割れ」た。熱さでやられたのだ。コンクリートもその作り方で強度もかわるが、永遠にその強固を保つわけではない。放射性廃棄物を閉じこめる「ガラス」。果たして10万年確実に、閉じこめておけるのか。未知の大きさの「放射線」にさらされながら。。。。当然ながら、だれもわからない。未知数・想定外が「想定」された方法なのである。

 ゆえに、「処分場」は、何十年たっても決まらない。「子孫に禍根を残すな」である。しかし、それでいいのか。原発は、そうこうする中でも「稼働し始め」、その廃棄物は「増え続けている」のである。その「電気」を我々は今なお享受しているのだから。(北海道は泊原発が再稼働していないので、今はつかの間、あてはまらないが。)

 つまり、子孫に、「だめな大人」として記憶に残る覚悟を、持たないといけないレベルに来ているのだ。あの「福島」のように。

 記事では「造ってもいい場所は、国土の約65%、全都道府県に及ぶ約千五百の自治体が含まれる。東京ディズニーランド羽田空港なども“適地”の中にある。」とあるが、放射性廃棄物の問題にしても、すべて、これからは「地産地消」。使った分は「自分で埋める」。これしかないのではないか。