学校つらいなら無理しないで 夏休み明け自殺防ぎたい

~全くその通りなんだが・・・。すべては一義的には保護者に責任がある。

 夏休み明けに子どもの自殺が急増する問題を巡り、対策に取り組む動きが各地に広がっている。いじめや友人関係などに悩む子どもにとって、新学期の登校は「新たな苦しみの始まり」になりかねない。悲劇を防ごうと、各地の民間団体などは電話やネットでの相談態勢を強化したり、居場所を提供したりする活動に力を入れる。

◆民間団体などが相談窓口や居場所提供

 内閣府が二〇一五年六月に公表した自殺対策白書によると、十八歳以下の自殺者数について過去四十年ほどにわたり日別に調べた結果、九月一日が百三十一人と突出して多かった。その前後も、同二日が九十四人、八月三十一日が九十二人など、夏休み明け前後に増える傾向が分かった。

 調査結果を受け、愛知県教委は市町村教委に対する通知で、夏休み中の登校日や部活などで子どもに接した際、顔つきや言葉に異変を感じたらすぐに本人に尋ねるよう強調した。名古屋市は、インターネットで「死にたい」などの言葉で検索すると相談窓口の紹介サイトに誘導するウェブ広告を出している。

 全国百団体でつくる「フリースクール全国ネットワーク」は、昨年始めた「学校がつらくてもココがあるよ!プロジェクト」を今年も続ける。学校に行きたくない、行きにくいと感じている子どもの相談に応じたり、駆け込める場所を設けたりする活動だ。

 活動に参加する愛知県岡崎市フリースクール「アサンテ」は九月一~三日に電話とメールで相談に応じる。同県碧南市フリースクール「へきなん」は同一日午前に、へきなん福祉センターで無料相談会を催す。津市のフリースクール「三重シューレ」も八月末から九月初めにかけてメール相談を実施。石山佳秀代表(57)は「学校から避難しても生きていけると伝えたい」と話す。

 こうした活動とは別に、岐阜県内では子ども支援の十五団体が連携。電話相談に加え、各団体が普段活動している岐阜市大垣市などの民家や寺など計十四カ所を「居場所」として子どもに開放し、受け入れる活動を二十六日から始めた。夏休み明けの九月九日まで続ける。各団体を取りまとめた「ぎふ学習支援ネットワーク」の中川健史(たけし)代表(62)は「不登校になっても子どもが安心できる環境をつくってあげることが大事」と訴えている。

中日新聞 2017年8月27日 朝刊)

 

 全くその通り。命を捨ててまで学校なんかに行く必要はない。ないけれど、この言葉に、胸のどこかでとてもひっかかるものがある。不登校フリースクールで、半分遊びの空間を作り「楽な気持ちに」させてあげる。SC(スクールカウンセラー)=すべての受容姿勢で安心な気持ちを。ボランティア電話相談=話し相手になり明日への「勇気」を。・・・頭が下がる思いである。

 だが、・・・である。この子たちも、いつかは大人になる。社会に出る。その社会とは、彼らにとって「安心・安全」な場ばかりではないのである。不条理・矛盾・差別、いろんな矛盾が横たわり、大人になったばかりの「もと子供」は、初めて?それに遭遇する。・・・だから親は、いつも、子供の未来が心配なのである。「生きていけるのか、どうか。」

 小学生なら中学校、中学生なら高校・・・と「適応できるかどうか」のレベルが変わり、親の心配も尽きないのだが。だからといって「べったり」守り続けても、いつか社会にでる。だから、せめて「いい学校」にいれたい、戦う準備の時間があるところへ願う。環境も作る。心構えも説く。まあ、そこには違ったレベルの「戦い」があるのだが。

 親は、戦う姿、戦い方をも教えなければならないのだ、本当は。伝えているか、戦い方を。親は、自戒しなければならない。そして、戦いに疲れた時、親が温めてやれる関係性の構築を作り上げなければならない。親だから。

 「子供の自死」。親にとりこれ以上つらいものはないだろう。命・生き甲斐・生きる意味すべてを奪われるようなもの。だから、相手や学校や教師や他人に責任を被せ責めるしかないのも、わかる。が、それでいいのか、とも思う。親の、貴方の責任は?と。何をしてきたかの、責任は?と。親だから、子育ての結果責任は常に、あるのだ。やはり、冷たいようだが、親に第一義的な責任はある、と私は思う。

 まあ、お盆休みの最終日。大人でも「仕事」に行くのが嫌になるのである。子供はなおさら、だ。そして、それは、昔からだ。いわば、宿命。大人になるまでの「練習」なのだ。

 ふと思うのだ。守られた「不登校児」「引きこもる児童・生徒」は、これからどうなるのだろう。無責任なSCは、よく言う。「学校だけがすべてじゃない」。まさに正論。正論だが、じゃあ、大人になったとき、「逃げ方」しか覚えていない彼らは、社会で、どう戦い、日々を営むのだろう。多分、適応できない、と思う。苦しさに耐える耐性が滋養されていないから。

 自分も子供たちが小中学校時代、とても心配だった。だから、いつでも転校できるように、「家」を持たなかった。(今になり、さあ、住処をどうするか、呻吟しているが。)それを聞いた友人諸氏たちは周囲は、今、「そんな事まで気にしていたのか」と驚く。人それぞれだが、親の子の守り方は、そんな方法しか思いつかなかった。そして、父の、「憤懣・刹那」を、子供の前で、「普通」に、妻に話していた。話すことで、彼らの「戦う」予行演習。思い通りにならない事が多い世の中に出るまえの、「子供なりの覚悟」を持たせることにならないか、と考えてもいた。まあ、いい訳半分だが。

 「優しさ」だけではなく、「強さ」にも視点を当てて子供を育てる方策が、求められている時代なのではないか、そう思える。

 

昨日は、「中体連」。そこに臨む「部活動やりたい教師の「え?」。

~部活動をしたいから「教師」になる。何も言えない空気と矛盾

 昨日は中体連という部活動の大会。私は、卓球部を「引率」した。そこまでに見聞きした「部活動の病巣」と昨日、会場で見聞きした「信じられない言動」に、部活動したい教員の「根っ子」を、またもや見る。

 まず、職員室での会話。前日、ある子の親から苦情が来たらしい。事の発端は、こうだ。1週間後定期試験がある。その子は、レギュラーにもなれず、大会直前の「練習」にも参加できない。「役に立てない」ので、「家に帰り、勉強したい」、と顧問に相談。「当然」の既決として、顧問は激怒。「周囲の空気を考えろ。そんな感覚なら、部活動を辞めるしかないね」、と。・・・これが「学級」「学年」の集団行事なら。言いたいことは分からないではない、が。「勉強したい=自分の出来ることに時間を割きたい」、というのは、その子供のぎりぎりの叫びでもある。結局、その子は「円満」に部活動を辞めることになった。

 次は、昨日、大会当日である。「授業時間が確保できない」から、毎日、6時間、4時近くまで「授業」。インフルエンザで休校しようものなら「冬休み」を減らしてまで授業を組むのに、どうして「部活動」の大会を、平日に行うのか。誰も説明しない。

 卓球の大会は、無事、1日(昨日)で終了。他の競技は、今日も1日実施。やれやれ、と思ったら、引率含め、顧問が集められ、「子供たちに試合機会を提供したいので、明日も、「交流戦」として、大会を継続したい。いいですか。」

 もちろん、「やりたい教師」の主戦場なので、何も反対は出ない。「なぜ?テスト1週間前、勉強させろよ」「それでなくても、管内1,2を争う低学力地域なのだから」

と。そう思っていたら、ある顧問が、自校の選手のことを、「あの子は、駄目。根性がない。もう・・・勉強に生きていくしかないだめだめちゃん」

「え?勉強に生きていくことが「駄目な生き方」?逆じゃない。」

 その教師は、「数学」の教師である。数学ができるようになるわけはない。その人が教える生徒は。

 「好きで入ったのだから」とやりたい教師・保護者は言うが、「入らない」選択は、今や友達作りという観点で、これまた「勇気」のいる選択になっていることを感じられない。退部も間違えば「いじめ」の原因になるのである。

 部活動を初めとして、「教育現場の闇」は、教師・保護者・生徒、それぞれが幾層にもからまっているからややこしいのである。

 今、文科省がお金をつけてやろうとしているような、単に「事務員」を増やして、解決する問題ではない。けれど少なくとも「教師」は勉強を教えるのが「本務」だということから「目を背けるようでは」、教師たる資格に疑問符が付く。そんな輩が増えているのも、教育現場の危機である。ちなみに、その発言の主の卓球部顧問は、女性である。

 

西武・菊池「反則投球」の波紋 NPB「何度も注意」に鈴木投手の生を見る。

~「反則すれすれ」は工夫と呼べるのか。

     そこに西武菊池投手の倫理観を見る。

  西武の菊池雄星投手の「反則投球」を巡り、球界に波紋が広がっている。球団側は「なぜ今になって」などと判定に反発。一方の日本野球機構(NPB)側は、審判員がこれまで菊池本人や投手コーチに複数回注意していたことを明かし、「野球規則通りに判定した」としている。今季12勝で防御率もリーグトップに立つ左腕にとっては、思いがけない「難敵」の出現だ。菊池投手は「言いたいことはあるが、我慢して前に進まないと」と話すが、7月下旬以降、複数回にわたって注意と説明をしたが、フォームは改善されなかった。今月17日の楽天戦でも、宣告前の一回に1度注意。また、18日以降にも球団側に説明していたという。鈴木葉留彦・球団本部長も「(菊池)雄星だけですかと思いたくなる」と、25日、NPBに質問書を提出した。(朝日新聞 吉村良二、松元章 2017年8月25日21時49分)

 

 西武球団含め菊池投手も「プロ」ではないな、これが第一印象。子供に夢を与える事を標榜するプロ野球が、「反則すれすれ」の行為を工夫とし、注意されても「無視」。あまつさえ、それを不服と文句を言い、球団にいたっては「菊池)雄星だけですか」にはあきれる。一時の盟主を目指した姿は、そこにはない。

 子供が親によく言う。「みんな・・・・している」。「おれだけ注意される。」これに対して、昔の親は、「みんな・・・は関係ない。うちはうち」「おまえだけ・・・・。所詮、悪いことをしているから怒られる。言い訳するな」と怒られた。今とは、真逆だ。そんな「子供と親」の姿を垣間見る。

 鈴木投手は、ルーキーの頃、時のコーチの大久保氏の注意を、「何を偉そうに」という態度で「無視」し、大久保氏に叱責・こづかれ、大久保氏は「首」に、鈴木投手は「おとがめ無し」という行為も思い出された。素直でないなら、どんどんやったらいい。規則なんだから。

 正々堂々の精神の中、工夫をし力を見せ合う、それが「プロ」ではないだろうか。今季12勝で防御率もリーグトップに立つ左腕には、その成績にも、これで泥が付いた。彼には、社会人としても、世の厳しさを伝え、お仕置きもいるのかもしれない。今なお「わがままな」子供なのだから。

 

「失敗の顔」が出てきて党の再生はできるのか? との指摘に前原誠司氏は「怖さを知っている」 一方、枝野幸男氏は…

~大切なのは「失敗の経験」ではなくて、「反省」から生まれる次の一手

民進党代表選に立候補した前原誠司元外相、枝野幸男官房長官は22日の公開討論会で「民主党政権での『失敗の顔』が出てきて党再生はできるのか」と質問されたのに対し「失敗も経験だ」と口をそろえて反論した。 前原氏は政権を担った経験に触れ「一つの失敗が命取りになると認識させられた」と総括。「怖さを知っている人間が中核にいなければ、再び政権を取っても失敗を繰り返すだけだ」と訴えた。

 枝野氏も「さまざまな成功や失敗を最も見てきた自負がある。経験をした人間が中心を担わなければ、責任を持って政権を担当することはできない」と強調した。

(産経ニュース 2017.8.22 20:11更新

 

 今となっては何の関心もない。お家芸の足の引っ張り合い、非協力などの「内紛」。

「組織作り」など地道な活動に興味がない「お子様集団」。

 それよりなにより、「あのとき」の自分たちの行動・言動の反省がまったく感じられない中での「再登板」は白けるばかりである。この人たちには、この国をどうしたい、という「政治家の魂」みたいなものがない。(自民党も、そうか)自分が権力を握ってみたい、それだけ。前原氏は政権を担った時の「一つの失敗が命取りになると認識させられた」というが、「一つの失敗」とは何を指すのか、はっきりしない。自分が立ちたいが為に、小沢氏を引きずり降ろしたことか、それとも、原発事故後の右往左往した仲間たちに、安全圏にいて「言うだけ言った」、どこかの一言か。

 原発事故の際の枝野氏の態度・言動も、日本を担うに疑問符が付く。2人も、国民の前で「総括」されていないのだ。人は、反省の生き物だ。猿でも、と言われる「反省」のあとに、魂のこもった背水の陣の「一手」を見つける。その「一手」を引っ提げて再登板する姿を「成長」というのだろう。民主党の面々にはそれがないから、信用されない。組織にも個人にも。

 それがいまなお見えないとするなら、この党は解党しかないだろう。(解党には、どちらかというと前原氏が近いか。)

 

宇宙戦艦ヤマト2202を見て、心が疼く。

~現代版ヤマト その意味するところは。

 先日、ゲオで「宇宙戦艦大和2202」を借りてしまった。新説「さらば宇宙戦艦大和」だというから、借りてしまったのだ。最初は「?」。あまりに短く終わった、と思ったら次ぎ。TVで一時、放送していた「新ヤマト」のまとめたものだった。

 ヤマト世代からすると、キャラクターが、あまりに「今風」で、TVはあまりというかほとんど見なかったのだが、今一度、見てみると、そのテーマは、なかなか奥深い。

 危機に見舞われて、命からがら奇跡的に助かり、再出発をする。人間は、その時の「感動・感謝」をいつまでも覚えていられない。裏で、誓ったはずの「不戦」「非軍拡」の誓いとは相反する行動をしている。そんな人間の性。

 命の恩人への感謝も、いつしか「軍拡(人間の欲)」の前に邪魔になり、その居場所を奪い、あまつさえ、その「英雄」をさえ、攻撃の対象とする。

 その抹殺が適わないとすると、急に、想定内とし、新たな命令を下して味方面する。そんな人間の性。

 そして、主人公のヤマトクルーの中に息づく、「一人でも助けを求めているなら、助けに行く」「助けてもらった感謝は忘れない」「恩は行動で返す」という、人間の持つ「理想」を信じようとする。その会話の中にあった地球軍との会話。

「理想を追う前に、まず現実に寄り添え!」「その現実が、間違った方向いそうものなら、現実に刃向かう勇気を持ちたい」。ここにも、人生の永遠のアンチテーゼがある。

 また、残されたヤマトクルーが、最終的に、家族を置いて仲間のもとに向かう姿は、涙がこぼれそうになるが、ここにも、「戦いを経験したものは、戦いの中でしか充足を得られない」という、「ベトナム戦争経験下のアメリカ兵のその後」を見るようで、戦争の恐ろしさも感じる。

 ヤマトルークルーとガミラスの協力には、人種を越えて、ともに生きていけるようになりたい、という、これまた人類の永遠のテーマを読むことも出来る。

 「テレサ」による「幻のメッセージ」を聞いたヤマトクルーだけが、宿命への挑戦の旅に出る、というのも、「若者」への激励・メッセージに読み取ってしまうのは、あの時、そう感じて生きてきた「ヤマト世代」の「幻」か。

 ヤマトとともに、何を見て、何を追い、何を捨て、今があるのか。明日へと続く日々の前に、ふと疼くのである、あの時の「想い」が。・・・・ヤマトは、いいなあ。やっぱり。明日から、また、「現実の波」に溺れないよう、頑張ろう。

北海道北広島市コンビニのワイセツ男 画像公開の波紋

~15歳の「強姦未遂」。未成年と顔写真削除。「ごつい顔」があだに。

 〈どのような事件か〉

 16日午後7時30分ごろ、北広島市内のコンビニエンスストアで、石狩地方に住む20代の女性が客を装った男に、無理やりトイレに連れ込まれました。

 男は女性にわいせつな行為をしようとしましたが、女性が抵抗し、トイレから逃げ出したため、そのまま逃走しました。

 女性にけがはありませんでした。

北海道ニュースUHB

 

 このニュースが緊急速報で犯人の顔写真とともに流されたとき、あまりにごつい顔で「さもありなん」。これだけ顔写真が流されれば、すぐに捕まるな、と思っていたら、予想通りに、6時間後くらいに「自首」してきた。

 その後、この「ごつい顔」の人が15歳だとわかり、北海道警察は、急遽、顔写真を削除し、釈明(「どう見ても成人と思った)会見を行った。

 しかし、である。AVじゃあるまいし、白昼堂々とコンビニのトイレに女性を押し込み、事をなそうとした行為は、未成年だからと配意する必要があるのか、普通の15歳は、同様の行為はしないし、と思うわけである。また、加害者保護という現在の法体系・法解釈の矛盾を、世間一般の大多数は思ったはずである。

 まあ、顔写真削除といっても、「北広島市コンビニのワイセツ男 」と検索すれば出てくるし、それをまあ、道警も「黙認」する心境かも知れないが。

 石狩市に住む男ということだから、近隣住民や知人、過去の級友には、「ばればれ」だろう。コンビ二の防犯カメラを思いつかないあたりは、なるほど、15歳と思うが、今時の15歳は、それぐらい常識だ。きっと、こういう輩は、ろくな学校生活を送っていなかったろう事も、このあたりから推察される。似たような行為を経験があるのかもしれない。と、いささか厳しく書いてみたが、こういう犯罪は、意外と人相とか真面目不真面目とかいう日常の様子ではうかがい知れない部分もある。高校も退学であろう。そう言う意味では、自業自得であるが、その両親が、若干可哀想でもある。

 コンビニには従業員もいるし、客もいるから、安心、何かあったら「駆け込む場所」とも教えられる地域もあるが、世の中に「絶対安心」という場所はないのだ、と改めて考えさせられもした事件だった。

 

 

招かれざる客。あるスクールアウンセラー(SC)の戯れ言。彼女の言う不登校の論理とは。

~鼻持ちならないその人のSCとしての論理とは。

 今日、職場で本校に勤務しているSCの講話があった。「学校で笑顔が増える為の傾向と対策」という大仰なものだ。「傾向と対策」。何だか昔、聞いたことがある。

 まず、自己紹介があった。簡単に言うと、「自分は偉い」、ということ。「北海道スクールカウンセラーとして、何校にも講演に呼ばれて、話をしている。精神病院にも勤めていて(SCとして?)、精神統合失調症の人や、自分で命を絶った人を何人も見てきた。」と胸張って仰る。(待てよ、担当のクライアントが自死した、と言うことは胸を張れる事なのか?自分が力足らずだと背負うならいざ知らず)

 そんなこんなで、最初から「?」の雰囲気で時間は進む。ちなみに、このSCさん。昨年4月頃だったか、保護者から「守秘義務違反で教育委員会に訴えられている」。事実無根である、と、学校内でも、そう思わない教職員がいると大騒ぎをしたばかりだが。彼女のいう「不登校の論理」は、

不登校になるとき→家庭の事情=両親の離婚・浮気、父親の単身赴任、兄弟の不登校教師からの叱責などあげていたが、主に力説していたのが、この地区の「両親の浮気問題」の詳細。興信所に調べさせた写真を子供に見せ笑っている、とか。(おやおや、これは守秘義務違反では?)

(*教師の叱責→先生方も中学1年生からあれもこれもとやらずに、中学3年生でできればいい、という気持ちでやってください、という。「荒れ」が真面目な子供の感性を壊し、安心安全を約束できなくする。そこで大事なのが、中1の最初の3日間、1週間、1月、そして、中1の過ごさせ方がその後の3年間を形作るというのが、現場の感覚なのだが。)

不登校になりやすい子→知的障害の子、家庭環境の不安定な子、親の期待に頑張って応えようとする子、比較的よい子、完璧主義の子、だそう。

(*真面目なこと、期待に応えようとする子供の心を否定的に話す言動が目についた。→その後の「いじめ問題」についても、加害者にこそ光が当たるようにお願いしたい、と、やや時代遅れな発言に、ますます「?」)

不登校を未然に防ぐには(親)→環境が変わってうまくいかないのは当たり前。慣れるまで待つ。何事も本人に決めさせる。らしい。

(*その後、この家庭の子供はどうなるのか。時間はたち、就職もできず、引きこもり、最近、そんな事例が多く危惧されているが。)

不登校を未然に防ぐには(学校)

・慣れるまで待つ。→先生方は「成果」を求めすぎる、らしい。

・怒鳴らない→ある時、私もある先生と個室で話をしているとき怒鳴られて、という経験かららしい。きっとこの人は、今、多数の人間を不快にしている事に気づかない。

・中学生らしさを求めるならば、それを説明できるようにしてください。(まあね)

余談で、大学では酒ばかり飲んでいたと武勇伝。臨床心理士は「大学院」に行けなくてはなれないから、2年間だけは、猛勉強したという。うん?学歴自慢?どこの大学?

 違う世界から見ると、そんな風に思える「風景」もあるかもなあ、と思い拝聴していたが、普段、生徒の前で「教師の悪口を平気で話し」「どこそこの医者とつーかーの仲」だと喧伝し(その医者が、現場では悪評であることを知らない)、「怒鳴らない」(怒鳴らないで済むのならその方がいいが)、この部分の話を若い教師が「なるほど」と実践したら、その教師は、1年持たず「精神をやられる」かもしれない。このSCの「上から目線」は、明治大学の教授からすると、最悪のSCであろう。結局、人なのだ。明治大学の教授の講義を、今度は、真面目に受講するといいかもしれないなあ。

 我々教師もそうだが、自分の仕事を、真っ当に評価するシステム・人がいないのが、教育現場の不幸である。SCなんて、役に立つどころか、害にしかならない、そんな人がたくさんいる、と言っていた大先輩の言葉も、あながちうがっているとは言えないなあ、とあらためて思わされた、このお偉い「O」SCの講義だった。