日本化学会がPV削除 教授と学生の「恋愛」ストーリーで「女性軽視」?

~そんなことぐらいでうだうだ言うな!夢ぐらいいいだろう?

 

国内最大の化学学会「日本化学会」(東京都千代田区)は2018年6月11日、YouTubeなどで公開していたプロモーションビデオ(PV)を削除した。動画の内容に、複数の会員から「不適切ではないか」との指摘が寄せられたためだ。

削除されたPVは、既婚者の男性教授に恋心を抱く女子大生が主人公。彼女が教授への恋愛感情を募らせていく様が描かれたストーリーに、ツイッターなどで「化学を専攻する学生を馬鹿にしすぎ」といった反発が広がっていた。

「今から始まるケミカルストーリー」

問題視された動画は4月17日、学会公式サイトやYouTube上で公開された。同学会が初めて制作したPVで、タイトルは「日本化学会オリジナルムービー」。動画の説明欄には、次のようなあらすじが記されていた。

「主人公は化学に恋する女子大生ユナ。 大学3年生の彼女は、化学のことで頭がいっぱい。 そんなある日、彼女の心を揺さぶる運命的な出会いが訪れる。ユナの日常はクロムメッキのように光り輝き始め、その未来はセシウム時計のように揺るがないはずだった。あの一言を聞くまでは...」

こうした説明文が示すように、今回のPVは全体としてコメディ調だった。

まず冒頭では、パンをくわえた主人公のユナが、以前から憧れの対象だったという男性教授・日野と正面から衝突するシーンがある。その後、日本化学会に入会したユナは、学会で活躍する日野の姿を見て彼への恋心を深めていく。

だが、後に日野が既婚者で子持ちだということが判明。さらには、日野が同級生と「不倫」をしているという噂まで浮上するなど、ストーリーは急展開を見せていく。最終的には、紆余曲折を経て見つめ合うユナと日野の姿をバックに、

「今から始まるケミカルストーリー」

というテロップが表示され、どこか含みを持たせるような形でPVは終わる。

このように、女子大生と大学教授の恋愛模様を描いたストーリーに、疑問や違和感を覚えた人は少なくなかったようだ。ツイッター上では、PVの公開から1か月以上が経った6月9日頃からその内容に大きな注目が集まり、

「女性が科学者を志すのは『科学への興味・探求心』があるからで、男性科学者への恋愛感情なんかじゃない」
「この女学生を、女先生に憧れを抱く男子学生に置き換えても、日本化学会は変だと感じないのだろうか」
「これ、ちゃんと監修したん?上の方々は女子学生にこういう印象を持ってるのだろうかと邪推してしまう」

といった否定的な意見が次々と書き込まれる騒ぎとなった。

差別の意図は「全くございません」

その後、日本化学会は11日朝に問題視されたPV動画を公開停止とした。同学会の広報担当者は、J-CASTニュースの取材に対し、

「複数の会員から『表現が不適切ではないか』『化学会が出すPVの内容としてふさわしくないのではないか』との指摘があり、動画を削除することを決定しました。当会でも、(動画の内容に)問題があったと認識しています」

と説明した。

一部のネットユーザーから「女性を軽視しているのでは」といった指摘も出ている点について聞くと、担当者は「そういった意図は全くございません」。その上で、今回のようなストーリーの動画を制作した意図について、

「学生など化学の研究に携わる若い方が、動画のターゲットでした。そうした若い人たちにも、日本化学会へと興味を持って貰いたく、柔らかくソフトな内容のプロモーションビデオを制作しました」としていた。

(2018年06月11日 13時56分 J-CASTニュース

 

 日本の閉塞感がよくわかるこのてのニュース。誰かをたたいて安心する。たたかれた方は、面倒くさいから「謝って」、訂正・削除する。その繰り返し。心がないんだな。

 一言、いいんじゃない、それぐらい。ユーモアがあって。だって、「あり得ないんだから」。それぐらい、年寄りだろうがおじさんだろうが「夢」があってもいいんじゃねえ。それをセクハラだとか、「女性蔑視」だとか、場合によっては、その心理は「上から目線」?。複数の会員から『表現が不適切ではないか』とかの質問だって、所詮、少数意見なんだ。絶対。「うるせい、それぐらいの遊び心がなくて、なにが商売だ!」と怒鳴りたいところだが、そうすると、まあややこしくなる。その労力を考えると「謝ろうと」。それが、結局、こんな息苦しい閉塞感を生んでいるのに、気づかない。両者とも「息苦しく」なっているのに。

 最近の我が国は、ふところ、や優しさ、余裕、といったものがなくなっているんじゃないのかなあ。それは、誰かを叩いて嬉々とする言論に、その根があるんだ、実は。

 行為は厳に慎まなければいけないが、恋ぐらいしてもいいだろう、心の中で。SNSで批判しまくっている若者含め人達。夢、見ているかい?と言いたい。夢で食べてはいけない。が、たまに、夢ぐらい見ないと「やってけねえ」。それが、万民の正直な気持ちではないかな?「女性が科学者を志すのは『科学への興味・探求心』があるからで、男性科学者への恋愛感情なんかじゃない」
「この女学生を、女先生に憧れを抱く男子学生に置き換えても、日本化学会は変だと感じないのだろうか」なんて、このコミカルな動画にいちゃもんつける男性女性の人達。恋愛したことある?恋は理屈じゃないんだ。別に、それが「あり得ても」「あり得なくても」、どうでもいいんじゃない?あんたに関係ないし。関係ないことを、正論ぶる人達の気持ちこそ、ある意味、気持ち悪い。もっと、のんびりやろう。

教育実習生の指導を終えて。真子先生。評価は「10」だよ!

~今日は書きたいことを。伝わらない「想い」、を耐えるのが教育なのだ。

 今日で教育実習生の指導を終える。書きたいことを書きたい。本当に、教育業はボランティアなのだなあ、と思いつつ過ごした3週間のこと。

 相手は、石狩市(本校は札幌市、札幌駅の近くにある。)石狩市の唯一の女子大の学生、真子さん。私の学校の卒業生である。その当時は、窓も荒れ、授業も成り立たない、1学年400人強、全校生徒1000人を超えるマンモス校の時代の生徒らしい。「らしい」というのは、自分は教師であり、本校とは、それ以外の何にも関係はなく、彼女も知らないから。

 ちなみに、一昔は、教育実習は、大学の教官が、生徒の話を聞き、居住区や出身地やら、色々考えて、実習校を決め、斡旋したものだが、今は、大学病院の医学部と同じく、教授に力無く、学生本人が、その場所を決め、許可を得なければならない。したがって、昔、どんな生活をいようとも、自分の「母校」に連絡をとる。

 ところが、昔から行われている教育実習が100パーセント、学校側のボランティアだつた。自分の仕事をひとまずおいといて、学生の指導に全力を傾け、学生が帰る21:00頃から自分の本来業務をする。それが「当たり前」であり、自分らもそうされてきたという気持ちで頑張った。・・・今は、断ることも普通。それだけ、現場には息をつく隙間がない。だから、大学側には、なんの武器もなく、学生が自分で探して決める。それができないなら、教育実習はあきらめる。そんな時代である。だから、許可しても、指導教諭は別に、熱も入らない。入れる必要のもない。そんな気分が蔓延する。いわば「迷惑」そのもの。・・・そんな教育実習の3週間が終わったのである。

 さて、そんな自分は、今回、どんな気持ちで臨んだのか。一言「へとへと」である。

50の声を聞き、実習生の指導も最後かな?との思いもあり、「気持ち」があれば、すべての引きだしを開けて紹介しよう、幾多の「法則」を。とも思ったのだ。・・・なんて「優しい」。俺も年をとったなあ。

 「発問と指示」の違い。視線の偏り、当てるときの間合いに込める優しさ、机間巡視

の意図とレベル別の指導の準備、など、今までで一番丁寧に教えた。だって一応やる気があるようだから。

「教員採用試験受けるの?」「はい」「受けないのだったら正直に。授業は教授がくる週の2,3回で。子供は実験台じゃないから。」「受けます。」「なら、真剣に、全力で。それがあれば、こっちも真剣にするけど。そうでなければ、ね。」「頑張ります」。「まず、僕の授業を観察し、同じような方法で追試してもらう。そして、それを次ぎの単元でアレンジし、最後の週だが・・・・おなじ説明文的文章をやるか、全然違う「短歌」をするか。・・・」「やらせて頂けるなら、全然違う単元の短歌もやってみたいです。」・・・ほお~やる気はある?それが始まりである。

 しかし、その私大の彼女。思ったより「学力」がない。空き時間の50分から100分を使い、その後、17:00や18:00~1時間ほど使い、発問や指示、言葉使いの指導・・・。20:00を過ぎ、それから自分の仕事を行い、くたくたである。

 それでも、一生懸命な子であった。ノートを見ると、反省やら指導されたことやら明日への課題やら、メモ書きがびっしりである。容姿端麗というほどでもなく、愛嬌があるわけでもなく、固い頭・表情・・・でも、笑顔は、いけるのである。第一の指導は「笑顔はいいよ。そこは「武器」」。あるとき、卒論の準備があるとかで、その日の指導案が出ない。研究授業本番の指導案も「雑」。その日の18;00までと改めて期限を決めたが、出ない。「僕、帰るから。いいんだね。」「私、全然大丈夫です。今行きます。」・・・何が大丈夫なのか?心がない。そこで、言った。

「授業はさせられないわ。」「気分が悪い」。指導案も、「先生、指導案。」と突き出す。「あなたは、卒論も教授に、これ、って突き出す?」「そして、卒論の・・・は貴方の都合。子供は実験台ではない。」「普通はさせてもらってるのだから、前日までには点検を受けるのがマナー。」「言葉が悪いが・・・舐めている?」。その子は、「申し訳ありません」と誤るが響いてこない。まあ、いいか。と。でも、あと数日だし、最低限の指示をし、帰宅した。妻の言葉。

「あの年齢は、ちょっと上から目線で舐めているような感じが普通。意外とそうじゃないんだよ。学生で、出来なくて当たり前?」

・・・まあ、そうだよな。そう思って指導してきたんだし。・・・「意外と、教える日々は、彼女が一生懸命で楽しかったりするしな。中体連の準備より全然いい。」そう思い、でも、もんもんと寝付けず、気がつくと翌朝。いつものように授業にその子を立たせ、自分は後ろ。それを確認し、授業前だったこともあるのだろう。真子ちゃんが、廊下へ出たようだ。・・・「どうしたのだろう?」。自分も廊下に出ると「昨日は申し訳ないことしました。心入れ替えて頑張りますので、もう一度よろしくお願いします。」ときた。その時、実は「じ~ん」ときたのだ。思わず声を大きく「昨日は昨日。頑張るなら、最初の通り全力で応援する。頑張れ」と少々力みすぎな自分で、恥ずかしくなる。結局、指導案は自分が考え、板書も同様自分が案を出す。ワークシートは自分が考え、それを彼女が「アレンジ」できた。丁寧だ、自分より。・・当日前、子供達に葉っぱをかけた。「真子先生を泣かせる1時間に。」「おまえらの出来で、彼女の未来が変わるかも。子供とか大人とか関係なく、自分の身近な人を支えたり救うかもしれない一瞬。頑張れ」と発破をかけた。当然、感動の渦で終わった。学級担任の見えない準備、学級づくり。教科担任と生徒の関係、いろんな下ごしらえが生んだ「感動」。それを見ていた老害の他学年チーフ。「こうやって間違って教師になるんだあ」。まあ、そう。知らないところで多くの人がお膳立てをして成り立つ教育実習。現場は、全然違う。昔も今も。でも、・・・夢ぐらいあっていいんじゃないか。まだ学生なんだから。夢くらい見せてやれないでどうする50代、と思い、その人をこっそりにらんだ。悲しい人だ、赤野さん。・・・でも、まあ、そういう事実は、現実でもあるのだけれど。

 意外と好きだったのかも知れない。今回の堅物の実習生。真子先生。そんな気持ちは、まあ伝わらないだろう。それが教育の姿。無償の奉仕。反省会も終わり、あとは評価をするだけ。昔、教育実習は、評価が、10段階の9、10でなければ、採用試験は落ちると言い伝えられていた。実際はわからないが、自分は、小学校、中学校の実習とも10だった。同期ももちろん。・・・。教員になり、実習生を担当し、昔、一人だけ、6とかつけて、「不可」的な意味合いの数字を出したことがある。もちろん、採用試験は「不採用」である。本当のところはどうなのか。

 さて、林さん。僕は教科の担当である。知識・興味は普通。必死さは、減点はあるが、「上々合格」。愛嬌はないが・・・。そう言えば大学の先生が、その授業を見に来た。教え子が必死に過ごしていたのに、第一声は「私は和歌が専門で、今日は楽しみです。」と、その「なよ竹」教授を見て、私は怒り沸々。違うだろ!あんたの専門うんぬんではなく、教え子の「成長」を見に来たのだろう?と怒ったが、あとで聞いた妻は「社交辞令よ。なんかいわないといけなんだから」。そんなもんか、と納得。

 真子さん。今のところ、私の評価は「10」。反省会では、(教師に)向かないかも、とか(あとで向いていると、理由も述べたが、ショックで聞こえていないか?大人は、その人が好ましいと、あえて逆の事をいうものなのだ。)最後に言ったよね。「厳しいことを言ったが、3週間、よく頑張った。今まで担当した実習生の中で、その頑張りは3本の指に入る。」

 私の中の評価は今のところ、「10」である。一晩寝て変わるかも知れないが。3週間ご苦労様。貴方を教えるのは本当に楽しかった。今は、その自分の心にぽっかりあいた穴の対処に困っている。少し時間がかかるか?貴方は、やること、要求されることが他の実習生の3倍もあったから大変だっただろうが。まあね、恋人とかではないので、まあ、娘を見届ける気分か。若い頃とは100パーセント違う。当たり前か。純粋に、だ。

 楽しい時間を有り難う。評価は「10」である。

(こんな、雑文、誰も読まないし、読んでも面白くないし、うまくまとまらない、まとめる気もないけれど、書いておきたいことだった。それだけ。あしからず。)

 

 

 

 

この世には、狂ってでも守らなければならないものがある。認知症、警察官殺人事件、いじめ問題・・・

 

~コードブルーの再放送を見て落涙しながら考えたこと。

 何となく見ていたコードブルーの再放送。目を引いた(心を振るわせた)場面。最後の最後の場面。期待の若き研修医。どんな場面でも、患者に感情移入せず、冷静に診断し、方針を決め、実行する。ある工事現場で、多数の重傷者を診る中、身体に長いドリルが突き刺さった患者を見つける。他の医者は、その後の重篤な結果を考え、「見守る」ことにする。その若き医者も、しばらくそうするが、その患者が、意識混濁しながら、次ぎに生まれる3人目の子供の名前を、その医者に託そうとすると、その姿勢を一変させる。「あなたは、まだやらなければならない仕事がある」と。まあ、子を持つ親として、ここでも感涙するのだが。

 その後、周囲に、その冷静さを「異様」な目で見られ始める頃、その医者を育てた祖母が、若き医者の勤務する病院へ運ばれる。別れて、数年後の再会である。若き医者は、幼少の頃、両親が離婚し、その後、数年ののち、両親とも病死し、遠く離れた祖母に引き取られ、育てられた。奨学金をもらいながら「医者」になる。祖母は一人暮らしの年金暮らし。孫を引き取り、当然、貧しい生活を強いられた。そんな祖母は、重度の認知症にかかっているとわかる。小銭入れにいれた「お金」に異様にこだわる病状。かわいい孫と再会するも、もう、それが自分が育てた孫と認知できない。そんな祖母を、リハビリ病棟で仕事の合間、介護しながら、車椅子で売店に連れて行く。目にする物を何でも手にする祖母を諫める若き医師。聞き入れない祖母を諦めかけた時、祖母がつぶやく。「買わせてくれ・・・。(泣きながら)約束したんだ。こうすけに一杯のお菓子をかってやるんだと。こうすけ(医師の名前)は一人で頑張っている。わしには、これぐらいのことしかしてやれない。こうすけは、頑張っているんだ」。聞いて、その若き医師は祖母を抱きしめ泣き崩れる。

 長くなったが、この場面でいろんな事を考えた。親のこと。子供のこと。今は無き祖父母のこと。・・・どこかで聞いたかもしれない、「人間は狂っても守らなければならないものがある」ということを。それは、子供への愛情。親への愛情。それしかない。それが、人間である最低条件ではないか、と。

 いつかかいた、職場の執拗な事件。被害者も可哀想だが、加害者ではないか、と疑いがちになる教員。追い込まれているのである。加害者か、と疑われる女子の家庭環境も劣悪である。夫婦は離婚。引き取った父親のDVにより、祖父母宅から通学。巡視の帰り、見とがめられ・・・その瞬間、立ち止まり、自分の車を追いかけ笑顔で手を振るあどけなさ。事件解決でやれることが限られる中、大切なのは、生徒への「愛情」であろう。裏切られる事を恐れない「愛情」。

 母方の祖母。若い頃、祖父のDVに怯えながら、死ぬまで我慢して尽くし、自分の贅沢を、何もしない人だった。子供が大きくなり他家に嫁ぐようになって、子供らからたまにもらう「お小遣い」でパチンコの羽台で楽しそう遊ぶ姿が懐かしい。孫の自分も何度か一緒に遊んだが、なぜだか一度も負けたことを見たことがない。いつも自分が小遣いを使い果たし・・・婆ちゃんはまた、バスで30分ほど揺られ、家に帰っていく。そんなばあちゃんも認知症にかかり・・・。

 親や祖父母に限らず、人間は、生きていく中できっと人知れず、子供や親、友人に対して、「頑張れ」「よく頑張っている」という感情を秘めながら、その人達を想い生きているのだ、そんな事を思った。

 自分も含めて、明日はどうなるか、わからない。認知症になり、今を認識できなくなるかもしれない。でも、と思った。「たとえ狂っても(言葉に語弊があるのはわかりながら)、それでも、守りたい、守らなければいけないものが、人にはある。そうありたい」と。

 そんな事を考えていたら、「滋賀県彦根市の交番で彦根署の井本光(あきら)警部(41)が同僚に拳銃で撃たれて死亡した事件」を思い出した。その行為は、警察官として当然罰せられるべきだが、その原因が、「被害者に両親を侮辱された」ことが一因だとした。それが本当なら、この被害者に対しても同情ではなく、「自業自得」のような気持ちになる。「いじめ」の本当のつらさは、「仕返し」が許容されない社会風土にあるからだ。いじめ被害者は、すべてを失う覚悟がなければ、何もできない。だから、その最終手段として「自死」を選ぶしかない。ここを理解する教員やSCはほとんどいない。SCに至っては、お金持ちの婦女子がほとんどで、いじめ問題にいたっては、加害者側にいた人が多いのではないか。ここに、いじめ問題の闇の一因がある。

思春期不定期愁訴?頑張って学校おいで。

リストカット不登校、家庭不和?、担任の無関心、お門違いのスクールカウンセラー。重なる闇の五重奏。田中真子とのたわいない会話から。

 「今度は月曜日。きついなあ」「おれも、そう」「ええ~(笑)」「38度ぐらいでたらなあ、って思うこと結構あるねん。」「うん」「月曜日、朝からこいよ、待ってるぞ」「(笑って)うん。」。

 田中真子ちゃん(中2 仮名)。4月まで普通に登校。ただ、昨年も不登校傾向あり。家庭訪問時は、放課後、学級目標づくりで数人の仲間?と1~2時間残り作業。(メインは他の2~3名 そばで少し参加しながら微笑んでいる。)他に、根拠はないがリスカもしているかも?と噂されている。

 担任は部活大好き人間で、あまり個々の生徒の問題に接すること・気にすることをしない50代。彼女が5月から朝登校できず、3校時から登校するようになっても、特に家庭訪問するわけではなく(部活あるし、まあ学校きてるし)、声をかけるわけでもない。副担である自分は、学級目標づくり時の淡い笑顔が気になり、その後3日間、その手伝いに、学級に顔を出し、「くだらないこと」や家庭学習の仕方、部活の愚痴などただ聞いていた。

 全然朝からこれなくなっていたある日、養護教員に、「田中、朝、こないんだよな、ちょっと話しにいくかな」と聞いたら、「あの子、自分の領域に入り込まれるの嫌だというから」「ふうん」。・・・まあ、それで終わっておけば、楽な仕事なんだけど。それができない性分だからしたかがない。

 3時間目後の休み、田中を見つけ、「朝、こいや」「だってこれないいだもん」「腹痛いのか」

「そんなんじゃなく」。「わかった、話聞いてやる」「ええ~」。ここで、取り巻きの2人(彼女は友達と思っている?)が、「田中、先生に何も話さないよお(笑)」。

・・・「真子は話すよ。だって、4月に話したとき、俺にはすべてあからさまに話すって約束したし。」「ええ~してないよ。」「いや、した。おれの心のメモ帳に書いてあるし。」(もちろん嘘である。)ここで、チャイム。互いに笑いながら別れる。

 昼休み、予告通り田中を捜し、話しに行く。手で「こいこい」をすると、泣き笑いしながら「ほらー」。そうして、取り巻きと来る。色々話すが、取り巻きが、明るくふるまう振りしてそらす、ごまかす、邪魔する。・・・彼女らを無視して、話し続ける。

「学級いやか」「ううん。学級は楽しいよ」(取り巻きが側にいる)。「だったら来い」「だってこれないんだ」「朝起きれないか、飯食べれないか」「そんなことない」

「ふ~ん。だったら来い」「行きたいけど行けないんだ」「なぜ?」「家の・・・問題か?」(今思えば、よく踏み込んだものだ。)「家の雰囲気もやだけど、学校よりいいし」「うん」・・・「担任が嫌なんだ。」

 困った。予想はしていたけれど、直球は予想しなかった。「ふ~ん、でも、なあ、世の中に、嫌な奴なんていっぱいいるし、イケメンが女を騙すなんてざらに、なあ」とふざけた雰囲気で、少し逃げる。

「SC(スクール)カウンセラーとか嫌なんだ。全然希望していないのに、勝手に予約入れられて・・・」。そう言えば、うちのSC、いろんな肩書きついたせいか、妙に積極的で、教師や担任を超えて、頭ごなしに相談業務?に勤しむ。担任も管理職も、めんどくさいからさせとく。結局、何かあったとき責任とるのは、彼女じゃないのになあ。

「なるほど、その件はわかった。担任じゃなくとも、そのSCのなんだか?おばさんに会うとき断れば良いんじゃない?私は希望しませんて。」「うん」。

「とりあえず、学校こいや。おまえ、俺の授業、4月の中頃からまともに受けてないべ。おまえの顔見ないと、なんだか寂しいしな。」「ええ~うそ~」「本当だ」「絶対嘘だ~」(笑って)。取り巻きの前で敢えて演じてみた「あほな素顔」。 

 ここで時間終了。数時間後、放課後、彼女に会ったときの会話が最初の会話である。

 担任の無関心。更新制度のないSCの暴走、それを知らない、止めない管理職。まあ、大人同士の喧嘩ほど面倒くさく、修復できないものはないから、わからんではないが。それに、取り巻きの、自分が構ってほしいがための「友達ごっこ」という監視?保護者の養育意志の有無。本人の未成熟ゆえの甘え。まあ、生意気じゃないのなら甘えさせても良いんだけれど。幾重もの「闇のスパイラル」が、彼女を苦しめている。それでも、思う。立ち直るのは彼女自身の力しかない。周りは、構って、笑って、側にいて。それしかないのだ。頑張れ、田中。

 

最高裁判決 : 精勤手当支払い命令 運送会社の嘱託社員へ

最高裁は、やはり生活感がない。企業目線の判決に「怒」。

 定年後の再雇用で賃金を減らされたのは労働契約法が禁じる「不合理な格差」に当たるとして、横浜市の運送会社「長沢運輸」で働く嘱託社員3人が正規社員との賃金差額を支払うよう求めた訴訟の上告審判決が1日、最高裁第2小法廷(山本庸幸裁判長)であった。

最高裁は「労働条件の差が不合理か否かの判断は賃金総額の比較のみではなく、賃金項目を個別に考慮すべきだ」との初判断を示した上で、賃金項目を個別に検討。全営業日に出勤した正社員に支給される月額5000円の「精勤手当」について、嘱託社員に支給されない点を「不合理」と判断し、この部分の2審・東京高裁判決(2016年11月)を破棄。会社に対し、相当額の5万~9万円を3人に支払うよう命じた。

 その他の基本給や大半の手当については、3人が近く年金が支給される事情などを踏まえ、格差は「不合理ではない」として請求を退け、精勤手当に連動する超勤手当の再計算の審理のみを同高裁に差し戻した。裁判官4人全員一致の意見。

 訴えていたのは、63~64歳の男性3人。正社員時代と仕事内容が全く同じなのに、定年後に年収が2~3割減らされたとして14年に提訴。1審・東京地裁判決(16年5月)は「仕事内容が同じなのに賃金格差を設けることは、特段の事情がない限り不合理だ」として会社側に計約415万円の支払いを命じた。これに対して高裁判決は「企業が賃金コスト増大を避けるために定年者の賃金を引き下げること自体は不合理とは言えない」と指摘し、請求棄却を言い渡していた。

 (毎日新聞

 

 誰でも、いつか年をとる。そんな前提でこの判決を聞いて、納得感のもてる人はあまりいないだろう。仕事内容が同じなのに賃金格差を設けるのは、なぜか。企業が、「雇わなくても良いけど雇ってやってる」意識があるからだ。法律で定年延長、1億総活躍社会を謳うのだから、「従うしかない」という意識が見え見え。

 だが・・である。定年延長は、なぜ成立したのか?要は、年金制度がもたないからだ。少子化・不要な無駄遣い、国の赤字国債の補填・・・など、その巨額な金額に、「くらくら」きた役人のせいともいえるだろうか。とにもかくにも、年金制度の破綻を生活実感とさせない為の窮余の策なのだ。

 そこを、最高裁は見ていないし、見ていてもそれを指摘する「勇気」もない。自分たちが左遷されるし。

 だったら、である。というか、普通の感覚だと思うが、何十年も支払ってきた金額を、きちんと「返して欲しい」。それで、「定年格差」があるのは、仕方がない。そうでなくて、積み立てた40パーセントしか帰らなくて、しまいには75歳から受給すれば、50パーセント以上を返金とか、わけわからない。国家が行う壮大な「詐欺」ではないか。この件に関しては、公→個ではなく公=個でなくてはおかしい。それなのに、そろそろ年金がもらえるから、違法ではない、とか、意味が分からない。「今」ではなく「継続されたプロセス」の話なんだ、これは。日本だけなんだな、これが。そんな「詐欺」に怒らない、国民。結局、つけは、その先の先の先。それが、今なのかも知れない。本来なら、一度決めた定年を迎えたら、ご苦労さん。あとは、ゆっくり、でいい。それを、うやむやにするから、結局、若者の労働機会を、高齢者が奪うことになる。生きるために。・・・・でも、どうして、企業は、そうまでして高齢者を雇うのだろう。馬力も体力も可能性だって若者のほうがいいだろうに。・・・そうか、それが国策だから。選挙にいく世代だから、か。

 

 

 

速報 覚せい剤使用容疑で原辰徳氏の息子である嘉宏氏、自宅捜査か

~親(辰則氏)の暴力団とのつながりが、子供の覚醒剤使用のきっかけになったか。

 元読売巨人軍の監督・原辰徳氏の息子である嘉宏氏が、警察から覚せい剤使用の容疑で自宅が捜査を受けたと今週発売のアサヒ芸能が報じている。アサヒ芸能の直撃によると、原辰徳氏もガサ入れを受けたことを認めたという。

(gooニュース 2018/5/29 13:17)

 

 原辰徳氏もしばらくTVでご無沙汰と思っていたが、こんな背景があったのか。原辰徳氏は、知らない人はいない、平成の名監督。だが、その晩年は、不倫騒動や暴力団からの裏金問題で恐喝されるなど、その晩節を汚していた。その息子は、ご多分に漏れず慶応幼稚舎→慶応大学まで進学したが文学部中退。原監督同様、幼少時から野球をやらせていたが芽が出なかった。それが理由ではあるまい。親が名選手で子供が芽が出ないなどごまんといる。皆がチャラ夫ではない。野村氏の息子の野村克典氏は、地道に2軍のコーチなど、好きな野球で必死に生きている。とすれば、子供に見せた親の姿に違いがあるのか。件の原氏の息子嘉宏氏は、月の小遣い800万だそう。それは、真っ当な仕事はしないのは当たり前だ。芸能人やこの原氏など、どうして子供にこんな多額な小遣いを渡すのだろう?自分もそうだったからか。ジャニーズの赤西軍団の一員で、
六本木では知らぬ者はいない遊び人とも言われる。ニートを経て、現在は株式会社MAMIRO取締役。ワインの輸入などを手がける起業もどきをしていたらしい。
このドラ息子は慶応ファンド詐欺事件の首謀者と密接に関わっているという。

〈慶応ファンド詐欺事件とは〉

 慶応大学の元学生が、投資ファンドを設立して投資家から20億円ともいわれる出資金を集めたまま海外に逃亡している“慶大生ファンド詐欺事件。その首謀者は裏社会の人間に無理な利回りを約束させられた挙げ句、追い込みをかけられていたともいわれる。

 親が裏社会とつながりをもち、手を切ろうとしたが、そうは問屋がおろさず、息子に甘い罠を用意したか。

 まあ、子供ももう23歳。立派な大人だから、何でも親のせいではないだろうが、裏社会とのつながりを作ってしまった原辰徳氏に、そのきっかけがあるとすれば、親の責任は重い。その意趣替えしではないが、これで、原氏の野球界復帰の芽が100パーセントなくなった。見るからに、遊び人の息子が、親に引導を渡したとも言える。

 親が「立派な考え」を持ち、たくさん本を出し、お金も潤沢にあっても、うまく子供は育たないようだ。「親がなくても子は育つ」といった太宰治の言いたかったのは、「どうしようもない親」なら「いないほうが子は育つ」という事だったのかも知れない。

「1杯やりてぇなぁ」 父と最後の晩餐、笑って泣いた夜

理想の子育てとは・・?最後まで語り合い・笑いあい。

 ~さよならだけが人生だ!どんなさよならを?

 久しぶりに、20代で亡くなった親友「中山実男」君の夢を見た。心の中で、薄れず、消えずにいる、たった二人のうちの一人の人である。たくさんの思い出を、共に作り、共に紡いでくれた。・・・と、年を重ねるごとに感じ、感謝する男。

 自分より才気あふれる彼の適わなかった人生を、子育てをさせてもらっている。不器用な自分は、いつも寄り道・回り道しながら、適切でない言葉をかけ、勝手な夢を見て、・・・子供は、けなげに進んでいる。そのとき、思うのだ。理想の子育てとは、どうすべきなのか。理想の親子とは・・・?。

 

もうすぐ父が死んでしまうので:5(マンスリーコラム)

 「お父さんも若いころは、やっぱ『飲む・打つ・買う』みたいな感じだったすか?」

 私の大学時代、お金がなくて実家へよく夕飯を食べに来た男友だち(48)が、病床の父に質問した。2人の再会は二十数年ぶり。場を盛り上げるためなら、家族が眉をひそめるような話もあえて切り出すのが、この人のやり方だ。ベッドに半身を起こした父は、調子を合わせるように照れ笑いで答えた。 「いやぁ、それほどでも(笑)。ただ私も独身時代、確かに女性からよく求婚されましてね。3人ぐらいはいたかな。でも(笑)。」

 は?

 思わず父を見た。大学卒業後に就職した東京都内の信用金庫で母(83)と職場結婚した父は、いくつかの店舗で支店長を経験し、定年まで勤め上げた。部下の面倒見が良かったとは聞いたが、女性にモテたなんて話は初めて。「いくらなんでも作り話でしょ」と私が突っ込むと、「なんで今更、娘のお前にうそをつく必要があるんだ?」。父が真顔で反論した。

 それもそうだけど――。腑(ふ)に落ちない娘を置き去りに、男たちの雑談のテーマは競馬、マージャン、プロ野球と際限なく広がった。夜の個室にはワッハッハッと大きな笑い声が何度も響いて、私は遠い昔、皆でナイター中継を見ながらビール片手に囲んだにぎやかな食卓を思い出していた。

緩和ケア病棟の個室

 昨春に末期がんと診断され、介護のキーパーソンとなった私の自宅から徒歩数分の総合病院に移ってきた父は、亡くなるまでの約1カ月間、緩和ケア病棟で過ごした。

 最初は内科病棟の大部屋。次の緩和ケア病棟には「個室の空きが出たタイミング」で移ることになった。個室差額ベッド代は1泊約2万円。私たち家族には大きな負担だったが、他に選択肢はなかった。股関節を手術したばかりの母が1人で暮らす一軒家に、足元のおぼつかない末期がん患者の父を戻せるはずもなかった。

 父は個室に移ることを心から喜んだ。実は大部屋にいたある時期から「俺の調子が悪いのは、寝ている隙に○○の陰謀でベッドに細工をされているせい」と眉間(みけん)にしわを寄せて訴えるようになっていた。長引く入院生活や病気の進行に加え、認知症も影響していたのかもしれない。それが個室に引っ越すと一転し、「いつでもテレビが見られて、本当にうれしいよ」と穏やかになった。

 ただ、医療の中身までガラリと変わったのには驚いた。糖尿病だった父はそれまで毎食前に血糖値を調べられ、インスリン注射を打たれていた。私は「いまのうちに好きなものを」と父が好きなケーキなどをコソコソと差し入れていた。だが緩和ケア病棟に移ると検査はほとんどなくなり、「食事制限なし」と言われた。

 でも、父はもう何も食べたがらなかった。悲しかった。

朝日新聞 高橋美佐子 2018年5月24日10時28分)

 本当の優しさとは、なかなか人間関係のなかでうまく成立できないが、「「お父さんも若いころは、やっぱ『飲む・打つ・買う』みたいな感じだったすか?」。場を盛り上げるためなら、家族が眉をひそめるような話もあえて切り出す、そんなやり方。」

 そんな覚悟ある優しさ。なかなか、実を結ばないし、良い方向に回らない。で、疲れてやめちゃう。そう、あの無頼派作家「太宰治」のように。

 ここで、「はっ?」。と返せる、「はっ?」に、娘さんの「優しさ・愛情」を感じてしまうのは、今、自分が「疲れている」からなのかもしれない。

 げすな話。娘さんと、この「男友達」は、縁が結ばれたのだろうか?男と女の間に「純粋な」友達関係が成立するか、否か。はまあおいといて、こんな優しい男と女の間に「縁」があればと思わずにおれない。

 個室しか選びようがない状況。経済的には、相当苦しいだろう。それをみんなで支えた。そこにも、家族の中で、自分らしく「子育てをした」結果が、表れたのだろうか。幸せな「物語」である。

 自分たちの「生」は、諸行無常の中、いつ、その命を終えるのかも知れない。だからこそ、語りたい、傾けたい、子供への愛情。自分の人生=子育て、で、なんら恥じることはない。そう、思う、この頃である。