生きてきた証~2年間のつぶやき9

~子育て・悩み・生き方~2年間の証をまとめてみた(7)

 子供が生まれ、大きくなり、親の心配を乗り越え、中学・高校と無事終わりを告げようとしている。その2年間の足跡を、色々なところでつぶやいてきた。生きてきた証として、記してみたい。

   〈愛する娘の高校受験・合格①〉

 今日、10日ぶりにお酒を飲む。兄の時は途中で挫折。娘の今回は、頑張り、体重も10日で3キロ減。娘も、全道の時の方が緊張した、と祖母を安心させる電話。今日は受験。力通り、想定内通り実力発揮した模様。313,262。父の死闘をはるかに超え、これでもか、という努力を「普通」にし、父ともたわぶる。父は今日、兄のことを想い、人知れず涙こぼれ、兄は、それを感じつつ、少なくとも父の時以上に努力し、娘も。・・・結果は、来週。長い長い夫の夢?意地?自分の親への想い?に、真剣に楽しみながら、つきあった妻に、心から感謝。そして、妻と今日、お酒を飲む。そして、父はまた涙。結果は来週。父の一つの旅は終わる。・・・なんと幸せな親だろう。夫だろう?妻と子供達に幸あれ。 

  〈愛する娘の高校受験・合格②〉

 娘の卒業式。きりっとした表情。真剣に歌う姿。15年前、思わぬ赴任地に慌てて住居を考え、中学生になる頃を考え決めたのが、昨日の事のよう。たくさんの経験と思い出を作ることが出来て、縁ある人へ感謝。間に札幌の転校を考え辞め、そんな決断もあった。手紙の中に「生んでよかったと思われるよう頑張る」という一文があった。・・・「生まれてきてありがとう、の気持ちなんだよ、親は、」と危うく感涙。いつまで側にいれるか、なんて事を考える年齢になってきたが、子供の側にいられる幸せを噛みしめ、もう少し頑張らねばと自分に鞭を。担任の言葉もよかった。少し自分に近いか。来年自分はこんな言葉を抱けるか、少し自信がないのがつらいところ。それも経験か。良い学校は、教師ではなく、生徒が紡ぐ物語がある学校なのだ。その物語に教師が乗らせてもらっているのだ、きっと。夢だとか感動は、覚悟・決意の背後にこっそり息づいているもの。それを、息子・娘は見つける事ができるのだろうか。親に何ができるのだろうか。一生懸命に寄り添い・見守り・伴走し・・・そんな事しかできないのかもしれないが。子供達に幸多からんことを。 

   〈愛する娘の高校受験・合格③〉

娘が志望校に合格した。まあ、大丈夫かなあと思いつつ、ネットで確認して思わず「よし!」。人が側にいなくてよかった。15年前、そんな事は露も思わず。ひょんな出会いからそんな事があるのか?と思い、父がその気になったあの夜。妻がそっと柔らかに付き添う。親の想いに比例したか、兄も志望校がT校からK校そしてN校になり、つらい想いをするのだが、そんな兄を慕い、中1の三者懇談で志望校は?と聞かれ、「札南」と言い切り妻を苦笑いさせる。有限実行。親が幼少から「選ばれた人だけが行ける学校」との思いを伝え聞き、それを体現した娘は立派だ。父にとり大願成就そのもの。でも、その影に、楽しんで「娘とともに明治中学校や某中学校のリスニングや数学を娘と共に解く」妻の姿に脱帽。そして、感謝。その頃父はもう出番はなく横目で小説を読む。たまに国語を教える。塾もいかず自力で4校に合格する努力に脱帽。そこに兄の努力する(父に罵倒される)姿が土台となったのだろう。父は今日、1時間はやく仕事を切り上げ家へ。昔からの夢の「抱擁」をするために。「たたいま~MUおめでとう!」と手を大きく広げ、その胸に「娘が飛び込む」はずが・・・娘は、黙って(照れて)苦笑い。3度玄関からやり直し、試した最後の言葉はなんと・・・「大学に受かったらね!」。父は、もう少し元気に頑張らなければならないかと、また苦笑い。「約束だぞ!」「忘れるって!」・・・甘い!父は記憶力(そういう特殊な記憶)だけは、人三倍いいのだ。でも、そのころ(抱擁される)娘は幾つか?思わず、また苦笑い。至福の夜だった。今日は4000円のワインを購入、ほぼ一人で呑む。味は・・・1000円ぐらいのワインとよくわからなかったが、忘れられないワインだった。おめでとう!!!!。

 

 

 

生きてきた証~2年間のつぶやき8

~子育て・悩み・生き方~2年間の証をまとめてみた(7)

  子供が生まれ、大きくなり、親の心配を乗り越え、中学・高校と無事終わりを告げようとしている。その2年間の足跡を、色々なところでつぶやいてきた。生きてきた証として、記してみたい。

 乃南アサの「シャボン玉」に出会い、涙が止まらない〉

 字中毒?家に帰ったら 、何か活字に触れていないと気が済まない。多読。どうでもいい本。新書・啓発本・推理小説・純文学。・・・そんな中、久々にとても心潤う「名作」に出会った。乃南アサの「シャボン玉」。あらすじは、「女性や老人だけを狙った通り魔や強盗傷害を繰り返し、自暴自棄な生活をしていた若者が宮崎県の山深い村で老婆と出会う。若者を彼女の孫と勘違いした村人達はあれこれと世話を焼き、虐待を受け自堕落で猛り狂った心を優しく包み込む・・。」すべてを知っているお婆さん。最後に若者が言う。「なあ、ばあちゃん。」「なん」「あのさ・・・当分・・・死なねえ?」「死なねえで、いてくれねかな。あのー俺が戻ってくるまで」「帰ってくる、とね。」「来るよ、ー約束する。」「ーもう、そげに長うは待てんよ。何しろ、婆ちゃんになっちゃからね」「待っててくれよ。・・・俺、婆ちゃんの飯、また食いたいんだからさ。絶対。」「待っちょる。待っちょる。婆ちゃんは、ずうっと待っちょるよ。ここに、こうして、おる」。そうして、若者は警察へ自首。婆ちゃんは、帰ってくることを信じ、生きる。心の中で、涙が止...まらない、そんな感じ。年を重ね、心のヒダが固くなり、人生の終着点をすら想像する昨今。若いときなら、こんな人達に囲まれているとしたなら・・・とか。そんなに世の中甘くない?ずっと思ってきた、そう思った。こんなふうな人(婆ちゃん)になりたかったんだと。赤の他人の若者と、自分の子供(末っ子)に裏切れ続けた老婆と。気がつけば心の「親子」として太い強い絆が出来ている。「ぼう、おまえは、本当に良い子だ」。一瞬、揺らいで見える二人の絆。でも、偶然の出来事の出会いが、二人を引き戻す。う~ん。そんな「親子関係」を紡げたら、自分の人生も、自分が生きてきた「意味」も報われるか、なんて。年を取り、どこか「子供に還る」、そんな時があるなら、こんな「過疎の村」で過ごしたい、そんな想いを生む、名作である。・・・「生きていれば」。じゃないけれど、「頑張ろう、明日」も。そう思わせる作品だった。そして、それを今、娘が「勉強」の合間に読んでいる。これ以上の喜びは、ない。

生きてきた証~2年間のつぶやき7

~子育て・悩み・生き方~2年間の証をまとめてみた(7)

  子供が生まれ、大きくなり、親の心配を乗り越え、中学・高校と無事終わりを告げようとしている。その2年間の足跡を、色々なところでつぶやいてきた。生きてきた証として、記してみたい。

   巨人の星:娘と全道大会をかけて相まみえる〉

 石狩管内中体連。バトミントン部のコーチとして参加。なんと娘も同じ大会に出場。自分のチームは全道大会出場。・・・なんと娘もダブルスで準優勝で全道大会出場が決定。ジュニア全盛の種目の中、中学から始めての快挙。同じ会場での試合で、1試合目はなんと父のチームと対戦というハプニングも。なかなか苦しかった。でも心は9対1で娘の応援か。でも、女子のチームは娘のチームには9割方勝てなかったので許されるか。この2日間は自分のチーム以上に正直、いつも娘の試合ばかりを見て、応援していた。そのうち、周囲にどう思われるかなど関係なしに、仕事を忘れ、娘だけを見て、娘だけを応援していた。まあ、もともとそんな人間なのだ。娘の白帯すれすれのクロス。小気味よいスマッシュ。逆境の時も、いつでも冷静に攻める気持ちで試合に臨めていたのも、感動。子供は強くなるのだなあ、と。さあ、全道大会は思い切り応援だ。

 

生きてきた証~2年間のつぶやき6

~子育て・悩み・生き方~2年間の証をまとめてみた(6)
  子供が生まれ、大きくなり、親の心配を乗り越え、中学・高校と無事終わりを告げようとしている。その2年間の足跡を、色々なところでつぶやいてきた。生きてきた証として、記してみたい。

    〈苦悩の青年時代の一つのシンボル:野幌百年記念塔〉

 娘の試合の送迎の合間に4時間くらいあったので、浪人時代の遠足を思い出し、野幌森林公園の百年記念塔に行ってみた。江別に就職時も一度訪れていたが、改めてみると「でかい」。でかさを感じるほど、逆に年をとったか、と心で笑う。そのあと、森林公園の桜並木を見ながら、瑞穂池まで片道2キロ、池を見、何組かの家族連れ、カップルを横目に、浪人時代に通り過ぎた一人の青森から来ていた友人と、話が出来たもう一人の友人を想った。友人らしくは何も出来ない自分だったが・・・。往復4キロ、休まず歩き、気がつくとふくらはぎがパンパン。笑える。そのあと、野幌の「湯ノ花温泉」で汗を流し、読書中に15分位居眠り。はっと起きて時計を確認。・・・大丈夫、余裕。そして何とかという「オレンジ」のアイスを食べ、娘を迎えに行き、無事家へ。さあ、今週は宿泊学習だあ。いまいち、よく理解しないまま、出発。まあ、いつものことか。なんとかなるもの。そういえば、野幌に、独身の頃、たまあに通っていた「寿司や」を発見。なんだか、うれしくなる。今度は、あの「寿司や」に行ってみるか。

生きてきた証~2年間のつぶやき5

~子育て・悩み・生き方~2年間の証をまとめてみた(5)

  子供が生まれ、大きくなり、親の心配を乗り越え、中学・高校と無事終わりを告げようとしている。その2年間の足跡を、色々なところでつぶやいてきた。生きてきた証として、記してみたい。

  〈「ゼロの激震」に出会い・考えたこと〉

 ゼロの激震を読み、玉置浩二のオリジナルCDを作り、やしきたかじんの「やっぱ好きやねん」を聞き、自分の器の小ささを感じ・・・。5月3日(水)15年ぐらいぶりに「留寿都遊園地」へ。娘も苦手なジェットコースターに果敢に挑戦。息子は私と2機のジェットコースター。わんわん競争、うさぎ競争でぬいぐるみを2つゲット。前日、夜11時帰宅。朝6時出発の強行軍も、晴天に恵まれ、兄娘のむつまじい笑顔と側の妻の姿を見、「これから」、と「今まで」を思っていた。この人達の側にいる事の喜びもしっとり考えながら。「知性とは、生業や人にひけらかす為に身につける物ではなく、困難に直面したとき、どう立ち向かうかを教えてくれるもの」「技術は人を選ぶ。勤勉、真摯、そして、器の大きさ。売名・不遜・おごり。どれかひとつでも心に潜んでいたら技術は、人を裏切る」。そんな言葉を我が身に顧みて、想っている。どこかで、思い続けてきた「教えること」「伝えるため」の技術・心が、到達点に近づいた実感があった。いつの間にかおごっていたのか、と今の違和感の理由を探している。あの時、あいつらを、第二の親の思いで愛でていたつもりが、実は愛でられていたか。それでも、想うこと。教育は環境だということ。そして、それは、親が作るのだ、ということ。そのために、親は逃げてはいけないということ。そして、それが正しいかどうかは・・・信じるしかないということ。孤独の中に喜びもあるのか、と想う日々。休日ぐらい、感傷もいいか。2階の部屋に貼っている前任校の子供達の笑顔に、明日への一歩の元気を思い出す。20代も50代もさして変わらぬ「自分」に、苦笑。切り替えが、下手なんだよなあ。昔から。しばらく引きずる性分は変わらないなあ、と。感謝の思いを縁を返すつもりでいたことを思い出す。今までのように。など、どうでもいいことを考え、やはり玉置浩二の「メロディ」はいいなあ、と想いながら、ほっと1日が終わる。

 

生きてきた証~2年間のつぶやき4

~子育て・悩み・生き方~2年間の証をまとめてみた(4)
  子供が生まれ、大きくなり、親の心配を乗り越え、中学・高校と無事終わりを告げようとしている。その2年間の足跡を、色々なところでつぶやいてきた。生きてきた証として、記してみたい。

   〈ペアレントモンスターと呼ばれた親子から教わった一本の筋〉

 今日は、一つまた勉強した気分。今日が、今までの自分の教師生活が試される、そんな日。苦しい中、そんな目で見られる年齢。自分に負ける訳にはいかない、そんな気分の日。「決戦の水曜日」。「怪しい失言」もあったかもしれないが、自分のこれまでの人生の中で見つけてきた教師である意味、教師でありたい、過去から来る言葉を、伝え、わかってもらった「ありがたさ」。よい出会いだったと思う。それをストレートに伝える事の難しさも、伝えられたか。大人と子供の差異。親というものの難しさ、孤独。お互い同世代の苦しさを経験してきたのだ。今日は、やっと眠れるか。苦しさは、明日への希望。この年にして、また、良い経験ができた。有り難い事だ。また、一つ再確認した。苦悩し、呻吟し、鴛(おし)になり、不格好になり、それでも前を向いて歩いてきた、そんな生き方も、意味があったか、と。大切なのは、また明日だ。娘との朝のじゃれ合いを宝物に、明日も宝探しに出かける。少し、感傷的になりすぎたかも。息子には、やや感傷的に。娘には、「今のありがたさ」を胸に。父さんは頑張る。心に残る生き様を。そんな想いで毎日を歩いている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

生きてきた証~2年間のつぶやき3

~子育て・悩み・生き方~2年間の証をまとめてみた。(3)

  子供が生まれ、大きくなり、親の心配を乗り越え、中学・高校と無事終わりを告げようとしている。その2年間の足跡を、色々なところでつぶやいてきた。生きてきた証として、記してみたい。

   〈『凍れるいのち』に出会い、再び立ち上がる決意と迷い〉

 感覚の違いに翻弄された10日あまり。檻のような疲れが抜けない。2006年に刊行された『凍れるいのち』川嶋康男を昨日から一日で読み終わる。主人公、野呂浩二が11人のパーティーを冬山旭岳行で自分以外の10人を遭難・死亡させ自分だけ生き残る、その後の人生を記したものだ。「自分の失敗で死なせてしまった十人の仲間、その黒い十字架を背負っておれは生きてきたんだ。」その言葉に20数年間の自分の教員生活とたぶらせ読んだ。力不足で幸せな想いをさせてあげられなかった幾多の生徒の思いを背負って生きている教師は自分だけではあるまい。この本の巻末にある言葉に、数十年自分が考え・支えてきた想いと重なる言葉があり、手帳にしたためた。
・人生は信頼である。
・仕事は意地である。
・発展は責任である。
・成果は執念である。...
「現場」にこだわりたい「かすかな想い」。それは、共にいた子供達との最終章の時間に見せる彼らの「表情」である。人間管理に向かない自分の性格。しかし、50を迎えようとする世代には、やや「いずい」時間でもある。逃げずに前を向いて見える世界は、何を見せるか。残された決断の時間は少ない。