警察官に執筆料1億円超 最高額は1500万円 昇任試験問題集の出版社 18警察の467人 副業禁止に抵触も

~モラルなしの世の中、性悪説で考えるしかないのか。医・教・警。

 西日本新聞の勇気に希望。なぜTVは報道しない? 

 警察庁と17道府県警の警察官が、昇任試験の対策問題集を出版する民間企業の依頼を受け、問題や解答を執筆して現金を受け取っていたことが西日本新聞の取材で分かった。企業の内部資料によると、過去7年間で467人に1億円超が支払われていた。最も高額だった大阪府警の現職警視正には1500万円超が支払われた記録があった。取材に対し複数の警察官が現金授受を認め、一部は飲食接待を受けたことも認めた。識者は「公務員が特定業者の営利活動に協力するのは明らかにおかしい。業者との癒着が疑われる」と指摘する。

 この企業は「EDU−COM」(東京)。関係者によると、内部資料は同社が作成した2010年1月〜17年3月の支払いリスト。警察官467人の氏名や執筆料、支払日が記され、ほとんどが警部以上の幹部だった。執筆料は、階級に応じた単価にページ数を掛けて算出していた。

 最高額の大阪府警の現職警視正は7年間で1万8778分執筆していた。このほか、宮城県警警視正京都府警の警視がそれぞれ約500万円、千葉県警の警部が約317万円など。福岡県警の最高額は本部所属の警視で2年間に約80万円、熊本県警は警視級の署長で4年間に約250万円だった。

 複数年にわたって執筆し、50万円以上を受け取った警察官は41人で合計額は約8150万円に上った。執筆料が多額に上るケースでは、リストに載る警察官が窓口役で、複数で執筆を分担した可能性がある。

 一方、巻頭言や設問を1回だけ執筆した警察官が半数を占め、大半の執筆料が数千〜2万数千円だった。

 公務員の副業は原則禁止されている。警察庁と各警察本部に情報公開請求したところ、いずれも副業許可は出ていなかった。地方公務員法(兼業の禁止)などに抵触する恐れがあるが、警察庁などは「個別の事柄についてはコメントを差し控える」と回答した。

 取材に対し、複数の警察官が「小遣い稼ぎだった」「上司から頼まれて断れなかった」と認めた。同社側もいったんは事実関係を認めたが、その後は「個人のプライバシーに関わるので、これ以上は答えられない」と取材を拒否した。

 同社のホームページには「法律のスペシャリスト」が問題集を作成しているとあるが、関係者は「警察内部の通達や規定は公表されないことが多い。捜査など実務に関する設問を自前で作るのは難しく、警察官に頼んでいた」と証言した。

 同社は09年設立。昇任試験の対策問題集「KOSUZO」(コスゾー)を毎月発行し、全国向け「全国版」と、大阪や福岡など10道府県警に特化した「県版」がある。市販はしていない。民間調査会社によると、社員数は20人程度。販売部数は不明だが、年商は数億円とみられる。

小遣い稼ぎ、悪質だ 田中孝男・九州大大学院教授(行政法)の話

 公務員が特定業者の営利活動に協力するのは不公正だ。金銭が伴うと業者に取り込まれる恐れがあるし、癒着の温床にもなりうる。組織として昇任試験対策の問題集を必要としているのなら、公的な手続きを経て無報酬で執筆すればいい。
 公務員には職務専念義務があり、公務に支障を来しかねない副業は制限されている。勤務時間外でも無許可で反復・継続的に執筆していれば、国家公務員法地方公務員法に抵触する恐れがある。反復・継続的の判断は各行政機関の裁量に委ねられているが、同じ年に2回執筆していれば該当しうる。今回のケースは頻度や報酬額からみて小遣い稼ぎの要素が強く悪質だ。
 執筆料が年間20万円を超えていれば確定申告が必要で、仮にしていなければ脱税だ。法律を取り扱う警察官は特に襟を正さなければならない。

【ワードBOX】昇任試験 地方公務員法に定められた昇任のための競争試験。各警察の内規に基づき、巡査部長、警部補、警部の3階級で毎年実施される。警視への昇任は選考だが、人選のため筆記試験を行う警察もある。試験問題は各警察が部内資料などを基に作成。科目は、憲法や刑法など法律に関する知識を問う「法学」と、刑事や生活安全、交通など各部門の「実務」がある。実務は各警察の施策や治安情勢に応じた内容になっている。試験方法は択一式と論文の両方を採用するケースが多い。国家公務員試験を受けて警察庁に採用されるキャリア警察官には昇任試験はない。

=2019/01/08付 西日本新聞朝刊=

 

 またか、という感想。安倍総理はじめ政治家の朝ごはん論法いわく居直り。医大の子息はじめ男性有利にするための得点操作。今回の警察の裏金に続く、法の網の抜け穴をついた高額アルバイト。法の遵守し、執行する警察官であるだけに、その罪は重い。しかも、試験のないキャリア上司の命令によるものもあったというから、上司のこづかい稼ぎであり、裏金作りにつながる法令違反であろう。「国家公務員試験を受けて警察庁に採用されるキャリア警察官には昇任試験はない。」という上級公務員優遇制度にも問題がある。信頼のない法律執行者が跋扈する世の中は怖い。モラルの崩壊とともに、静かに世の中が変わろうとしているかもしれない。

 警察だけではない。ある都道府県の学校現場の研究会。どこからか予算が付き、それをもとに教育機器を買ったりしたりする場合がある。そのうちの一つ。「全道視聴覚研究協議会」。そんなのあったの?てな感じで、その歴史をひもといても、いつ、その下部研究会が動き、どうつながっているのかわからない。そんな研究会があった。大きな予算、3年間で200万ぐらいつくのだが、その条件は一つしかなかった。授業にNHKの内容を組み込めというものである。え?と思っているうち、NHKから講師がきて、授業の内容を「指導」し始めた。なぜ、NHKが「授業」を指導する?違和感ありありだったが、まあ、適当にごまかし、当日を終えた。それは、もう「時間の無駄」だった。その後の慰労会。1次会は通常通り。ほとんど帰宅し、少数の近場の者、教頭の子飼いなどが2次会へ。教頭の子飼いが冗談半分に言う。「NHKから、いくばくか貰ってるんでしょ?」。最初は頑なに否定する教頭も、酔いが回るにつれ、気持ちも大きくなったのか、周りを睥睨(へいげい)し、「このメンバーならいいか」。と笑いながら、「予算のほかに感謝料として100万もらっている。今日の2次会は俺が持つよ」。子飼い以外のメンバーが絶句したのは言うまでもない。

 いろんなところに、業者から、知らない間に「闇金」が入り込んでいる。知らない間にである。政財界だけでなく、無辜の民の世にも。世の中は、ほとんど性善説でルールが決められているが、もはや、その屋台骨である「モラル」は消失し、性悪説で物事を考え、周囲を観察する必要があるのかもしれない。

 それにしても、と思う。なぜ、TVがこのニュースを報道しないのか?あるいはできないのか。なぜ、癒着・圧力があるからだろう。見えない圧力。そう考えると、西日本新聞がこのニュースを「取材」し「記事」にした「勇気」は称えなければならないし、我々一市民・一国民が、その「勇気ある行動」を守らなければならない。まあ、そんなことを考えたりしないから、気が付けば「不公平」な世の中が跋扈し、自分や自分の子供達が、その「被害」にあい、その現実を諦めながら理想や夢を持てなくなり、その現実を飲み込まなければならなくなっているのだ。だからこそ、我々大人はあきらめてはいけないのだ、自分の子供や孫たちが、生きがいを持ち、社会で生きていくためにも。

 マスコミの横暴や商業主義が喧伝さえる中、西日本新聞の姿勢は、一縷の希望を感じさせてくれる。この記事のもとになった「あなたの特命取材班」。<暮らしの疑問から地域の困り事、行政や企業の不正告発まで、情報提供や要望に応え、調査報道で課題解決を目指す「あなたの特命取材班」を創設しました。「知りたいこと」を取材し、正確に深く報じる「ジャーナリズム・オンデマンド」に挑みます。

 知りたいことや困っていることについて、ご要望や情報をお寄せください。ツイッターフェイスブックの文中に「#あなたの特命取材班 」を入れて発信してください。LINEの友だち登録で取材班と直接やりとりもできます。>という姿勢は、他のジャーナリストを自任する個人・組織は見習ってほしい。まだ、曲がり始めた道を戻すための時間は残されているのかもしれない。

衰えない肉体、寿命150歳 遠のく「死」問われる「生」

~「不老長寿」は、果たして幸せなのか?

 

老化を防ぐ研究が着実に進んでいる。

ワシントン大学の今井真一郎教授らが老化を抑える働きを突き止めた長寿遺伝子。これがつくる酵素がカギを握る。誰にでもある酵素だが加齢で次第に機能しなくなり、老化するとみられている。

今井教授らはこれらの酵素の働きを保つ生体物質「NMN」に注目。枝豆などにもわずかに含まれる物質で日本企業が大量生産に成功、一部は市販もされているが、実際に人が摂取して臓器などの老化を防げるか研究している。

マウスでは効果を確認しており、「人間でも2~3年で証明できる」と今井教授。「死の直前まで健康に生きる『ぴんぴんころり』が増えるはず」と笑う。

「いずれは生きた臓器同士の交換が始まる」

スタンフォード大学の中内啓光教授はブタの体内で人の膵臓(すいぞう)の作製を目指す。膵臓ができないように遺伝子操作したブタの受精卵に、人のあらゆる細胞に育つiPS細胞を混ぜれば、生まれたブタの体内に人の膵臓ができるとみる。日本政府が2019年にも規制を緩和するのを待ち、日本で研究を申請するつもりだ。

国際電気通信基礎技術研究所(京都府精華町)が開発しているのは脳波で操るロボットアームだ。「動け」と念じると、脳から検知した電気信号を帽子のセンサーでとらえ、「3本目の腕」が動く。西尾修一主幹研究員は「人の脳には3本の腕を同時に動かす能力がある」と進化に期待する。

狩猟採集社会では多くの人がケガで命を落とした。農耕社会に移り、20世紀に抗生物質が見つかり感染症が激減。平均寿命は記録が残る約300年間で40歳弱から80歳超まで延びた。人口学が専門の金子隆一明治大学特任教授は「人間は最期まで健康で潜在能力を最大限発揮しようとする稀有(けう)な生物になりつつある」と話す。

老いの抑制、臓器の交換、そして脳と機械の融合が進めば、2050年には不老不死に近づく。「老後」が死語になれば「支える側」として働き続けることが求められ、社会保障の考え方そのものが変わる。

日本経済新聞が若手研究者約300人に「人間の寿命は何歳まで延びるか」と尋ねたところ「150歳」が最も多かった。家族も4世代、5世代が同じ時代を生きる終わりなき社会。一方で50年に日本人の死因で最多になる死因を尋ねると、自ら生の長さを決める「自殺」がトップだった。

新幸福論Tech20502019/1/3 0:00情報元日本経済新聞 電子版)

 

 人間の永遠の夢「不老長寿」。果たして、それは幸福なのか?人類は、科学の力で次々と、神の領域の分野までその手にしてきた。宇宙への進出、医療技術の進歩・臓器移植、そしてDNA捜査によるクローン製造、臓器複製、父母のいない赤ん坊を誕生させることなど。そして、とうとう、「老化」を防ぎ、不老不死へ、一歩一歩近づいているようだ。だが、果たして、それは福音なのか。

 人は誰しも若さをうらやみ老いを出来るなら避けて生きたいと願う。それは、純粋に長く生きていたいからなのか。150年も生きていられることを、誰しも希求するのだろうか。

 仏教用語で「四苦八苦」という言葉がある。普段もなかなか思う通りにいかず悪戦苦闘

仏教では、人生の苦しみを、大きく4つに分けたものを「四苦(しく)」といいます。
1.「生苦(しょうく)」
2.「老苦(ろうく)」
3.「病苦(びょうく)」
4.「死苦(しく)」の4つです。

さらに4つ加えたものを「八苦(はっく)」といいます。
5.「愛別離苦(あいべつりく)」
6.「怨憎会苦(おんぞうえく)」
7.「求不得苦(ぐふとっく)」
8.「五陰盛苦(ごおんじょうく)」
の8つです。

1.生苦(しょうく)死ぬまで苦しむ……

生苦」とは、生きる苦しみです。

 

生まれる苦しみとわれる場合がありますが、
仏教で私たちが生を受けるのは、出産のときではなく、お母さんのお腹に宿るときですから
「生まれたときの苦しみ」では、本人は自覚がありません。
四苦八苦を説かれたのは、苦しみを知らせるためですから、
この世に生を受けて、生きていくことが苦しみ、ということです。

生きるためには、衣食住をそろえるために、働かなければなりません。
一日のほとんどの時間を働いて、他の人と競争し続けなければなりません。
天下を統一し、成功者といわれる、徳川家康でも、
人の一生は重荷を背負って遠き道を行くがごとし
というように、重荷という苦しみをおろせず、
死ぬまで歩き続けなければなりません。
生きるということは、大変な苦しいことなのです。

2.老苦(ろうく)あなたの容姿が醜くなる

老苦」とは老いの苦しみです。

30代になれば、今までできたことが
どんどんできなくなっていきます。

物覚えは悪くなり、動きはにぶくなって、疲れやすくなります。
肌はシワより、顔も醜くなり、加齢臭を発し、
髪の毛も白くなります。

年が行くほど、趣味もできなくなり、
新しいことは覚えられなくなり、
楽しみが少なくなっていきます。

昔の友達もだんだん死んで行き、
人は寄りつかなくなり、一人ぽっちで寂しい生活になり、
しばらくして自分も死んでいきます。
老いるというのは、苦しいことなのです。

3.病苦(びょうく)─死因の9割は病気─

病苦」とは病の苦しみです。
若い頃も、色々な病気になりましたが、
年をとって、最終的には病気で死ぬ人が9割です。

中でも日本の死因のトップは、ガンです。
50%の人がガンにかかり、30%の人がガンで死にます。

ガンは最初は自覚がなく、痛みもないのですが、
気づかないうちに血液やリンパ液に乗って全身に転移していきます。
そして、神経がやられると、ビリビリジンジンして痛くて夜も眠れなくなります。
骨や筋肉や関節、皮膚にも浸食していき、一種類の薬では痛みは治まりません。
骨転移には、放射線治療を行いますし、薬物治療や手術の痛み、
抗がん剤の副作用による吐き気、便秘もあります。

やがて骨と皮ばかりにやせてくるのは、ガンの特徴で、
やせればやせるほど、身体が弱ってガンの進行は加速します。
体内が腐って悪臭を放つので、家族がよりつかなくなり、
小さい孫は口に出して「くさーい」と言うので、
精神的にも大きなショックを受けます。

ガンは治すことができないので、このように
まっしぐらに死へ向かって進んで行くのです。

4.死苦(しく)人生最悪の苦しみ

死苦」とは死の苦しみです。

死を自覚すると、今まで必死でかき集めてきたお金も、
名誉も地位も何の支えにもなりません。
一切が光を失い、「自分の人生は何だったんだろう」という
生きる意味が分からない苦しみが起きてきます。
これを「スピリチュアル・ペイン」といわれます。
肉体の痛みは、薬である程度とれますが、
スピリチュアルペインは、医学ではなすすべがありません。

愛する家族とも永遠に別れ、自分がこの世に存在しなくなります。
死んだらどうなるかという途方もない恐怖が起きてきます。

遅かれ早かれ、死は誰にでも訪れますから、
死は200%確実な未来なのです。

5.愛別離苦(あいべつりく)会うは別れの始め……

愛別離苦」とは愛する人や物と別れる苦しみです。

会うは別れの始め」「会者定離(えしゃじょうり)」と言われ、
出会ったからには、どんなに愛する人とも、
最後は必ず別れて行かなければなりません。

江戸時代・化政文化を代表する俳人小林一茶は、
晩年になって、ようやく待ち焦がれた子供が生まれました。

さと」と名づけたその長女は、生まれて一年も経つと、
他の子供が持っている風車を欲しがったり、
夜空に浮かぶ満月を、「あれとって」とせがんだり、
たき火を見てきゃらきゃらと笑います。

そのかわいいかわいい一人娘の、あどけないしぐさをいとおしむ情景が、
一茶の代表作「おらが春」に描かれます。

ところがそんな時、突如、さとは当時の難病、天然痘にかかってしまいます。
びっくりした一茶、必死に看病しますが、さとはどんどん衰弱し、
あっという間にこの世を去ってしまいます。
茫然自失、深い悲しみが胸にこみ上げ、一茶はこう詠んでいます。

露の世は つゆの世ながら さりながら小林一茶

露の世は、露のような儚いものと聞いてはいたけれど……。
かわいい娘を失った悲しみは胸をうちふるわせ、
あふれる涙に、もはや言葉が継げません。
一茶の決してあきらめることのできないむせび泣きが聞こえてくるようです。

そして最後は、愛するすべての人と別れて、
自分が死んで行かなければなりません。

6.怨憎会苦(おんぞうえく)憎い奴には会う

怨憎会苦」とは、会いたくない人や物と会わなければならない苦しみです。

学校では厳しい先生や、むかつく友達に会わなければならず、
会社では、偉そうな上司にいじめられ、
嫌みな同僚の嫌がらせにあいますが、
毎日朝から晩まで顔を合わせなければなりません。

結婚すれば、感覚の違う姑と会わねばならず、
息子が結婚すれば、我がままな娘を迎え入れて
顔を見るのも嫌な人同士で同棲しなければなりません。

そして人生の最後は、絶対あいたくない死と
対面しなければならないのです。

7.求不得苦(ぐふとっく)欲しい物は手に入らない

求不得苦」とは、求めるものが得られない苦しみです。

欲しいものがあっても、お金がないので
たいていは我慢しなければなりません。

大学受験では、できれば一番入りたい大学に入りたいですが、
定員が決まっているので、全員が入れるわけではありません。

就職活動でも同じです。
せっかく就職できても、ポストは限られているので、
同期が全員出世できるわけではありません。
出世すればするほど、それ以上の出世は難しくなっていきます。

欲望は限りがないので、手に入るものは手に入る限り欲しいのですが、
お金も能力も限られているので、手に入りません。

そして命にも限りがあるので、すべてのものを手に入れることはできません。
究極的には永遠の命が欲しいのですが、死ぬことは避けられないので、
どうしても手に入れることはできません。

やがて必ず死んでいきます。

8.五陰盛苦(ごおんじょうく)まとめ

五陰盛苦」の「五陰」は肉体(心身)のことで、
五陰盛苦」とは、肉体あるがゆえの苦しみのことです。
これまでの7つを総括されたもので、この肉体によって、
苦しみながら、老いて病気になって死んで行くのです。

この四苦八苦の8つの苦しみの中でも、
特に人生を苦しみに染めているのは、
死の大問題です。

その死の大問題を解決して、変わらない幸福にすることが、
仏教の目的です。
それについてメール講座と小冊子にまとめてあります。

 

 などと解説されていたが、生きることは苦しい事だ、と釈迦も説いている。それは神様でさえどうすることもできないと言われている。「不老不死」はそれに挑戦している。「生きること」=「苦しいこと」だとして、それが単純に150年続く。会いたくない人や物と会わなければならない苦しみも我慢して「生きていける」のは、それが、いつか終わるときがくるからだ。それが150年続く。我慢できない人間は、その苦しみを避けるため殺戮を選ぶかも知れない。重荷という苦しみをおろせず、 死ぬまで歩き続けなければならない、それに耐えなければならない。

 内臓は取り替えられても、身体全部を取り替えられるわけではない。時代が止まってくれるわけでもない。生きていて、自分の都合のいい「いいとき」ばかりが目の前に表れるわけではあるまい。なぜ、人は「不老不死」を願うか。それは死の前にある「苦痛」へ恐怖し、また、自分の意志で、その生を「終わらせる」事ができない恐怖。「永遠に続く「痛」への恐怖が、あるからではないか。愛する人や物と別れる苦しみだが、寿命が延びても、いや伸びれば伸びるほどその死が順番にくるとは限らない。自分だけが永遠に生き延びるかもしれない。それを幸せというのだろうか。、「自分の人生は何だったんだろう」と、幼少の頃より考えることもあるが、寿命が延びてもその答えが出るとは限るまい。また、それが仮に「一般的な幸せ」だとしても、それが公平に万民にあたわるとは、昨今の社会情勢的に考えづらい。人間の幸せとは、生きるとは、死ぬとは、どういう事なのか。少し否定的な事ばかり書いてしまったが、それでも、子供とはいつまでも一緒にいたいし、健康を気にもするのである。できるなら病気にもなりたくない、と思うのである。年末に向け、なんとか走りきり、その反動か酒量が増え、1年ぶりに肝機能が正常値をこえた知らせを「献血センター」のお知らせで見た。・・・2週間くらい断酒しよう。このくらいのささやかな抵抗が「人間らしい」のかもしれない。

 

「初詣」。後ろの若造に「長え~し」と言われ、考えたこと。「父の急病」「初詣の雑言」「終わり方」「息子・娘」

~新しい年を迎えて

 大わらわの年末。仕事を終え、開放感に浸りながらごろごろしていた時。携帯に一通のメールを見た。そこには「父、腰から足に強い痛み、救急車で病院へ」とあった。その時は当然のように酒を飲んでいて、父の住む札幌には、今からでは1時間以上かかる。実家や母に連絡を取るもつながらず。連絡のあった弟にも連絡がつかず、弟の奥さんの携帯で訪ねるも、詳細分からず。その後、弟から2度目のメール。今、病院にいるが、ヘルニアの疑い?とある。偶然に翌日が当番病院なので検査できるので明日検査とだけ。まあ、整形系のようだし、妻は病院へ、と言うが、何しろ冬真っ盛りでつるつる路面。悩んでいるうちに、3度目の弟から電話。夕方5時から3時間ほど待たされ、やっと今、診察終わるとのこと。しめて5時間の同行。実家に帰る2日後でいいんじゃない、と言うのでそうする。・・・結局、ヘルニアでもなく、非常に強いぎっくりみたいなものじゃないかという結論で安心する。2日入院し、3日目の30日に連れて帰る。娘と父に会いに札幌を歩き、なんだか贅沢、という娘を横に父に会いに行き、帰宅後、帰りたいという電話あり、とんぼ返りでまた病院へ。なかなか忙しい1日だった。

 翌日、さざんの紅白や大好きな京都の行く年来る年もみず、早めに「初詣」に娘と行く。神社の前に、同級生が住職をするお寺の鐘突きに行くが、例年と違いまだ、記者らしき人と寺の人が鐘突きの写真を撮っているだけで、誰もいない。気温も例年より温かくやや拍子抜け。神社には0時の20分前に着いた。が、ここで、0時までは参拝できません。並んでくださいと言われる。ええ~。なぜ?昔は、ドンドン好き勝手にお参りできたというのに。0時にお参りしたい人は待てばいいし、早くお参りして帰りたい人は先に行かせればいいのに、と娘とぶつぶつ。20分まち、順にお参りすることに。家族の健康と息子の受験の成功をお願いし、だいたい10秒ぐらい。顔を上げると、後ろの若造が「なげ~んだよ」。・・・後ろ向いてにらみつけてやろうと思ったが、新年早々・・・と思い、知らんふり。10秒も考えない、君達のお参り。それは「何?」、と思いながら、しばらく腹が立った。そのあと、娘とおみくじを引いた。数年ぶりの「大吉」。あの瞬間は、決して大吉ではないが、などと考えていたら、気がついた。「教えてくれたんだ、神様が」と。「無意識に出る」考え事・言葉に気をつけろ、という事。それは往々にして人を不快にさせるから。

 さて、昨年も、さんざん悩みながら、残された時間、自分の出来ることは何か、揺れながら考えてきた。この職業に就いたときの純粋な想いと今を考え。今年はどう生きるか。高校生の娘が、この正月は、父の側で甘えていた。息子は、また少し大人になり、見えないところで、実家の父を夜中に見守る優しさを見せ、浪人生活に終止符をうつべく頑張っている。

 父として、出来ること。それは、そこに「どんと」いること。見守ること。おっちょこちょいの息子に、当日は、駅までつきそうか、など考えつつ、そこにあるだろう未来まで共に歩くのみ、などと考えている。

 「終わった人」を読みながら、この主人公のような「才能」のない自分は、はて、あと10年どうするか。どう生きるか。まあ人間関係は今まで以上に、ドライでいいかな、とも思うが、さりとて、自分の仕事の終末をどう描くか。

 娘の「うちの父は意外と打たれ強い」と、妻の実家で親戚に話したように、「打たれ負け」ず、やはり「誰かの心に残る」生き方をしてみたい、とも思う。

 息子は、将来は、父と同じく「歩きながら」見つけていきそうだし、娘は医者になりたいという夢に、今年はもう一歩近づくべく歩くだろう。女の子の「差別」が騒がれた医学部の昨年だが、それでも、それが本当の夢ならば、戦い、チャレンジして欲しい友思う。・・・学費稼ぎの為にも、それまでは、健康で働かねば。仕事への魅力もすり減っていくこの頃だが、あがいても、はいつくばっても頑張らねば。そんな気持ちも「立派な新年の決意」だろうか。そんな事を考えていた今日。熊本で震度6地震。災害は正月とか平成最後のとか考えてくれない。今を、真剣に走り抜けるしか、ないか。

平成最後の「初詣」で考えたことである。

 

「いじめが自殺の主原因」広島・中3転落死で最終報告書

~何の権限もないなかで責任をとらされる無力感。時の流れるままにしかできない。

 広島市佐伯区の市立中学校で昨年7月、3年生の女子生徒が校舎から転落死した問題で、市教委が設置した第三者組織「市いじめ防止対策推進審議会」(会長=林孝・広島大大学院教授)は28日、最終報告書をまとめ、「いじめが自殺の主な原因と推認する」と結論付けた。報告書によると、小学校低学年から暴言や嫌がらせを受け始め、中学でエスカレート。3年時には「汚い物扱い」が常態化し、暴言をはじめ、小石を投げられたり傘でたたかれたりすることもあったという。クラス替えで仲の良い友人と離れたこともあり、「孤立感や自分に対する無価値感を強め、自殺に至った」とした。 さらに、中学校側が「いじめ」と認知できなかった点を問題視。問題行動を繰り返す他の生徒たちへの指導に意識が集中していたことなどを挙げ、「被害側の視点に立っておらず、早期に対処する姿勢に欠けていた」と批判した。

朝日新聞 東郷隆

 

 「いじめ」を見つけ、なくす為の、何の権限も権利もない。踏み込みすぎて調べれば、人権侵害と訴えられ、集団の規律を正し、そのために距離感を取り、集団が正常化すれば、「指導が厳しすぎる」と声を上げる保護者。そうして、集団は暴徒化する。その危険性を、今の若い教師・中間層の教師は肌で感じたり、見つめてこず、危機感はない。一端、事が起こり、「いじめは犯罪」という法律ができても、警察はじめ周囲の期間は「調査した」という実績づくりのみ行い、批判を恐れてそれ以上踏み込まない。lこれが昔からの慣習である。

 昨年度から今年度まで、2年続けて一人の生徒への「いじめ」らしき事案が続いた。「らしき」とうのは、外側から見ると、みな、いい子の集団で、幾人か「逸脱する生徒」はいるが、その子であるという確証もないまま、ただ「想像し」、「解決策」を数時間も考える徒労の時間が続いた。その間、毎日のように、その生徒の自宅や周辺の同学年の生徒宅へ送られる脅迫(体育祭楽しみだね・・・刺してやるよ。S○○の時の写真ばらまくよ。クソ婆もね~。せんこう何が出来る(笑))や誹謗中傷の手紙が永遠と続く。保護者会は、「何かしないんですか」「学年集会に何の意味が?」「犯人は分かったんですか?」などのつるし上げも、当然起こる。

 今年度、その中の保護者も巻きこんで「被害届」をだした。脅迫状などの指紋もとり、学校の中で(生徒の心情を鑑みるという警察の提案)、昨年からの、被害生徒と同じ部活動にいた生徒の事情聴取・指紋捺印までさせた。さすがに、指紋の件は、微細に渡り説明を「警察と調整」して行った。

 結果、たくさんの事件があるので、指紋照合はまだだいぶ先です、という電話のみ。他の情報は全く学校には知らされない。それから数ヶ月たち、保護者から、指紋の件はどうなりましたか?という半ば糾合の問い合わせも出てきた。その間、続く脅迫状・誹謗中傷・合成写真のラインなどによるバラマキが続いた。手紙は、学校と保護者が、一切受け取らないことを郵便局に表明。手元に届くことは無くなった。指紋の件は・・・結局、「捜査はこれ以上行わない」という一方的な連絡のみで終了。捜査は・・・パトカーでたまあに周囲を回って、それだけ。捜査は、皆無である。では、なんのために「指紋」を捺印させたのか。「事故があった時」の為の警察の責任逃れ、である。

 これらの中で、現場に何ができるのか。何もできないのである。踏み込みすぎていいことがない。疲れて、非難されて終わり。黙って、軽くつきあい、見ているだけ。当然、問題生徒もそれを見、学習する。緊張感を持つ必要もなく、ますます生徒が見えなくなる。問題行動を繰り返す他の生徒たちへの指導に意識が集中し、「いじめ」と認知できなかったのも、ある意味当然なのである。生徒が教師と利害関係を感じない、そんな中で、教師の指示は、ほぼ無意味になる、そんな時が生まれ得る。

 担任や学年だけを「訴えても」、無意味なのである。学校全体、いや警察も含めて責任を問わなければ。だからこそ、学校は、いじめ事案は保護者に警察に被害届を出させるべきであり、警察の、担当官の氏名も含め管理し、全体で「責任」をとらせる。それぐらいでなければ、荒れた学校の「立て直し」や深刻ないじめ問題の「解決」は、はっきり言って無理なのである。

 学校現場に漂う空気。それは、「担任するだけ損」。子供の集団原理を学ばない「教師」や何度も採用試験に受からない臨時採用の人(北海道では、3年以上不合格の人に特別枠で無試験で指導案だけ書かせ、採用にする制度が今年からがはじまり、不合格の人の50パーセントを合格にする暴挙を始めた)だけが担任を希望する現状である。

 また、保護者は、誰が不合格を続ける臨時採用の先生なのか、知ることができない。・・・子を持つ親として、とても怖い。そんな現実が、今、ある。

 

 

 

 

 

 

 

韓国レーダー照射問題。国交を断絶、韓国国内の日本企業の全面撤退!どちらが困るか?

~〈けんか〉は結局、どちらが屈服するか、距離を置くかしか解決の道はない。これからの「利」と存在していくための「理」

 

 韓国野党「正しい未来党」の河泰慶(ハ・テギョン)議員が、最近、韓日の間で論争となっている「日本海自衛隊哨戒機レーダー照準」に関連して「挑発したのは韓国ではなく日本」としながら「むしろ威嚇的な近接飛行をした日本が謝るべきだ」と明らかにした。河議員は27日、フェイスブックに「日本は連日、駆逐艦『広開土大王』が自衛隊海上哨戒機に攻撃型ビームレーダーを放射する挑発的行為をしたとして韓国の謝罪を要求している」としながら「いかなる電磁気)

 

 日韓の「いさかい」・「けんか」はとどまることを知らず、拡大していく模様だ。その姿は、まるで「けんか」。その原因は、3つ。韓国という国が貧乏な時(今現在もINF勧告の手前の状況だが)から、日本を異常にライバル視・敵視しながら国造りをしてきたという歴史・国性。その考え方の根っ子は、北朝鮮や中国と非常に近い。もう一つは、中国や北朝鮮、ひいてはそれ以外の周辺国から、さげすまれ・舐められているという、これまた歴史的事実。それを改善しようと、多額の金を国際機関や新興国へ「無償」で貸与したりしたいたが、効を成さず、返還されることなく、舌を出されている。

 その侮蔑意識を増長させているのが、領域を侵されても、何をされても、ただ「見守る」「抗議する」ことしかできない現状に、徹底的に「舐められている」こと。それが、根底にある。

 3つめは、それを肌で感じてきた現場の「自衛隊」の事実ねつ造が、国民の心の奥底に疑念として沈殿している、という事。それを払底したいがための、「強気」な行動。日本側は「火器管制レーダー」の照射を受けたことを裏付ける具体的なデータも示し、「非常に危険な行為だ」などと厳重に抗議したが、それ以上がしないのも、韓国は織り込み済みだろう。そして、認めない。

 データーは、当事者間ではなく、他国のマスメディアにも公開するべきだ。時間が経ち、そのデーターを無視し、自国の正当性をマスメディアに主張するだろうことも、歴史的事実なのだから。

 人間社会もそうだが、一度、舐められたら、その意識を払底するのは、非常に困難になる。「いじめ」の場合は、そこから脱出したり、その時のすべてを捨てる覚悟で、その当事者を「ぼこぼこ」にするぐらいでないと、その関係性は変えられない。

 対韓国は、国と国の約束も平気で破棄する暴挙もあった。その関係性を変えるのは、外交官の引き上げ、国交を断絶、韓国国内の日本企業の全面撤退!これぐらいの強い決意でないと、その関係性は変えられないだろう。一時的には、日本の経済にも影響を与えるだろう。が、中期的には、その経済規模・北朝鮮との関係の中で、困るのは韓国だろう。、「日韓通貨スワップ協定」ももちろん、拒否。未来志向は、韓国の出方次第でいいだろう。対北朝鮮でも、拉致問題への影響は多少あるだろうが、もともと韓国にはその解決の力も、気持ちもないのだから、長引く国交不和は、韓国という国の奥底にある政情不安に火をつけ、韓国が困惑・混乱するだろう。対して、アメリカは、多少、困惑し、国交正常化へ圧力をかけるだろうが、そのけんかは、日本は負けないだろう。アメリカの声をよそ目に、相手の困窮を目にしながら正常化の道を探ればいいだろう。

 日本にその覚悟があるか。韓国は、その時の影響を全く考えもしていない。だって「舐められているのだから」。

 

 

中1自殺、両親が市提訴=「いじめに措置講じず」―福島・須賀川

~片側からの事実は真実ならず。けれどもう片側からの事実を加えても「真実」ならず。

福島県須賀川市の中学1年の男子生徒=当時(13)=が2017年1月に自殺した問題で、生徒の両親が27日までに、市と教員2人に計約7600万円の損害賠償を求める訴訟を福島地裁郡山支部に起こした。提訴は10月12日付。 訴状で両親は、男子生徒の担任と所属していた部活動の顧問、学校を運営する市が、いじめに対して適切な措置を講じなかったと主張している。

 市教育委員会の第三者委員会は17年12月に発表した報告書で、男子生徒がクラスで受けた「菌」呼ばわりなどのいじめが自殺の大きな一因になったと認定した上で、「単なるからかいと事態を軽視する教職員が一定程度いた」と言及していた。

 須賀川市の橋本克也市長は「訴状の内容を十分に検討し、対応する」とコメントした。(時事通信社 13:08) 

 

 大切な子供に死なれた親のやるせなさ、怒りの「ぶつけ先」が学校・部活動顧問・担任に向くのは、理解できる。しかし、その陰にある「闇」までも見て、人は語ることが出来ず、もちろん記事に出来ない。それは、社会的タブーであるからだ。それが、事実だとしても。

 まず、いじめ、あるいは、心的負担に感じる程の継続的な圧力をからかいとしか見ない教員が「一定数」いる、というのは、どこの学校も同じだろう。学校は、特別な場所ではなく、社会の縮図なのだから。

 学校の問題として、生徒の命を預かる「担任」としての仕事が、まず「評価されない」役職であることが、意外と知られない。親対応、非行対応、警察沙汰対応・・・すべて「担任の仕事」なのだが、それ以外の副担と同じ給料であること。副担も一部の業務多忙な部署に比べれば、一時期の仕事の多忙さがあるだけで、多くは「骨休め」的な仕事も多い。でも給料は同じ。年々、経験もこの仕事の清濁も経験した、貴重なベテランが、50代で副担を希望する割合が多くなるのもこのためだ。そして、経験を積まない若手や何年も採用試験に受からない臨時採用の人を担任にする。最近は、理由無く、若い女教師を担任に据える管理職もいて、現場は不協和音が静かに浸透する。臨時採用の教師は、それを公表すると親からの避難中傷があるため、その人が転勤・離職するとき初めて「任期終了のため」という言い方で、形だけ伝えるのみだ。そういう意味で、今後は、学校・学年・学級の治安維持に、再び困難な場面が増えてくる事も予想される。

 学校だけではない。社会全体で「責任を誰かになすりつけ正当化」する風潮が、この「いじめ問題」をも不透明なものにしている。

 たとえば、介護問題。人手不足・外国人参加問題で注目を浴びているが、そもそも、家庭で「介護」出来なくなり、「お金を払って」、代わりを「お願い」している制度だ。「お金を払って」いるから、という理由で、「些細な部分」にも注文をつけ、「やってあたりまえ」「プロなんだから」という言葉で、「自分が出来ないでお願いしている事実」を覆い隠す。出来ない事を責める。目を背ける。それが、介護施設の「虐待」「人手不足」の原因の一つである事は、自明の事実だろうに。「感謝」の気持ちがない所に、その闇の原因・制度の限界があるのだろう。

 学校も同じ。勤務時間を超えて、放課後学習を毎日することを公然と要求したり(自分でもっと子供に関わる、教育に関心を傾ける等放棄して)、いじめが横行しているときは、担任の力量を責め、「だめなものはだめ」と指導すると、高圧的すぎる、子供が萎縮していると非難する。(自分の子供目線で考えるだけでなく、至極正しそうに言葉にする)。結局、教師は、考えるのをやめてしまう。面倒くさくなるから。結果、学級・学年は荒れる。結局、他人事。そこに闇の原因はある。自分の子供が同様の事件に巻きこまれるまでは、自分がしてこなかったことの結果を誰かに転嫁しているほうが「楽しい」という気分。

 子育ての問題。すぐ「死にたがる」子供は、その家庭に根深い問題があるが多い。夫婦仲、経済等。そして、その事実に、目を背け、対決を避け、逃げ続けた結果、耐え、逃げ、次の道を模索することなく死を選ぼうとしているかもしれないことに、不感症になっていることも多い。

 「死んだ犬に石持て投げるな」は、美徳である。が、美徳は、いつも人を救うとは限らない。時には、その災いを周囲に広げることさえある。その根本の原因は、「責任の他人への転嫁」「責任のなすりつけ」「開き直り」という、人間の業にあるような気がする。特に、最近の社会の様相を見るにつけ聞くにつれ、そう感じる。

 学校にしても、介護施設にしても、いざ事件が起きれば謝るしか手だてがない。だから、「正義の代理人」風のマスコミは、責めやすい。そして、その闇を見つめられない。・・・学校のいじめ問題は永遠に解決できない、深遠な闇に包まれているような気がする今日この頃である。

 

日産「ゴーン追放クーデター」に見る日産の未来と正義という偽善。

~悲しいかな。ゴーン追放クーデター後の日産の未来!

 まさかの、そしてドラマ「ハゲタカ」もびっくりの「ゴーン追放」クーデター。

 これは、誰が見ても「クーデター」である。そして、この「クーデター」を成し遂げた西川廣人社長兼CEOサイドに高揚感がうかがえないこと、ゴーン体制の「不満」をあげつらうだけで、自分たちの思い描く「未来」を示しえない結果に、「西川廣人社長兼CEO日産」の未来も見えたような気もする。事実、西川廣人社長兼CEOの思惑とは裏腹に東京地検特捜部は日産経営陣の背任も視野に「聴取」を続けているという話もある。

 1999年経営破たん寸前だった日産はひどかった。自分もずつと日産車を乗り続けていたが、新車は、普通に乗って6年で錆が末期状態になる。(街で見かけるブルーバードはみな同じ様)、中古車は5~6万キロのテラノが、車のおなかに給油が漏れ続け、タプタプ、少しでも衝撃があれば爆発・・・なんていわれ、挙句に、トヨタに乗り換えることを決意しつつ、日産の付き合いのある会社に、エルグランドの交渉も、社交辞令で話し合い、・・・その夜(トヨタエスティマにしたのだが)、営業から電話で、270万でもいいので・・・というお願いがあったほど。そんな状態だったのだ。

 人生の行動の結果には、すべて光と影がある。日産のカルロス・ゴーンがメディアに「カリスマ経営者」と持ち上げられた理由は、言うまでもなく“コストカッター”。要するにクビ切りだ。ゴーン容疑者は日産の社長だった2009年2月から、国内工場などで働く約8000人に上る非正規労働者の大量のクビ切り策を強行。多くの人が生活の基盤を失ったが、同時に、彼の行動力なしでは、200パーセント、日本から「日産」という会社はなくなっていた。当時を生きた自分は、そう思う。倒産すれば、生活の基盤も何もありはしない。多くは派遣社員がその対象になったが、その社員たちは、世の移り変わりに、危機感を持ち、学生時代や社会人時代を過ごしたか?言いたいのは、ゴーンだけが悪いのか、ということだ。

 まあ、外部の人間が富を得て、自分たちには・・・となると「妬み」「ひがみ」は世の常。そこに「手を打たなかった」所に、ゴーンの油断があったかもしれない。ただ、今回の「事件」も、日本の「文化」的に、報酬はあまり多く見せないほうがいいと「日産」経営陣がアドバイスしていた、という話もある。つまり、だまされたのかもしれない。ただ、倒産しそうな時には、百頭下げて「来ていただいて」、利益が出るようになると、足で砂をかけるように「もらいすぎだ」、と謀略をはかる。それが、なんともやりきれない。「感謝は口だけ」「のど元過ぎれば熱さ忘れる」のような「今の日本」を見るようで、落ち着かない。社内の不満は、ゴーン氏ら一部の外国人が高給を取り、会社の金で贅沢三昧なのに、現場への投資は怠っていることへの反発もわからなくはないが。

 ただ歴史上、クーデターは明るい未来を作ってこなかった。壊すのは簡単。だが、その先の「設計図」を誰も描けなかったからだ。西川廣人社長兼CEOサイドに、未来への

「設計図」や「設計図作製への情熱」があるとは感じられなかった。

 ゴーンなきあとの日産は、残念ながら明るいものではないような気がする。