続く教師の不祥事。その責任は教師(学校)だけにあるのか?

 名古屋の小学校教師だったか、北海道の女子中学生に携帯で自分の胸の写真を撮らせ送らせた罪で逮捕された。最近、そんなニュースばっかりで、子を持つ親としても「目のやり場」に困ることが多い。

 でも、学校に限らず一定数の割合で「そんな人」はいる。それが、教師であるだけ、といってしまうと語弊があるか。でも、援交にしろ何にしろ、そういう行為をする教師は言語同断だが、そういう行為に参加する17歳とかの「生徒」の方に責任はないか。自分の子供がそういう行為をする前に、いろいろ類似行為があるはずで、その親の責任はどうなのか。なぜなら、普通の生徒は、自分の「胸」の写真をとって、知らない大人に送らない。つまり、その生徒も「普通の感覚」で生きてはいない、ということ。その家庭には、子供の行動になんら関心を持っていなかったということ。みんな同罪なんだ。教師だけを責めても、意味はあまりない。この時代、聖人君子なんて、いないのだから。

 と思っていたら、福島県南相馬市の市立中学2年の女子生徒(14)が今月11日、自宅で自殺していた件で、学校側は報告をあげていたのに、教育長が、もみ消そうとしたという、摩訶不思議(普通、逆でしょう?)な事が起こっている。教育長は「今までの人生でそんな経験がなかったので」とコメントしてる。なんとまあ、幸せな教員人生だったんだろうと思うが、実はありがちな事なのである。

 教育長になる人は40代前半で管理職になる。つまり10年そこそこで「教育の場」から離れるのである。その最中も、早々と担任を離れ、教務などその「準備」の役職に就いている人ならば、生徒指導の経験が皆無であることもあるのである。

 ちなみに教師を指導する「都道府県教育課の指導主事」(行政職)の人達は、教育現場に立っている期間はもっと短い。実質、7~8年しか、現場に立たない。さすがに、そんな「あからさま」なシステムは、何かと不合理なので、最近は、なり手が少なく、「研究会」と称して一本釣りの場を新設しようとしているらしいが。

 昔は、女子生徒が、若い先生の家に遊びに行きたいというと、その保護者は、ほほえましく送り出しながら、必ず3~4人の複数で行かせたものだ。それは、「疑い」ではなく、「男性」の「性」を、よく考え、わきまえていたからだろう。

 そういう世の中への「警戒」。それが、保護者の中にも少なくなり、事が起きるまで何も考えない「呆けた」人が増えたのではないだろか。あるいみ、教育現場に関わる人間の劣化が引き起こしている問題なのかも知れない、そんな事を思ったりもする。