学校現場から体罰をなくすには?・・・「諦めること」。

 

~学校から体罰をなくすには、「諦めること」

 学校現場から「体罰」がなくならない。それはなぜか。体罰がある意味ランナーズハイのような常習性・習慣性があるのは間違いない。だから、上意下達式の「部活動」で、それは起こりやすい。それ以外では、「子供の悪意」が「大人としてのプライド」に穴を空ける時だ。昔のように地域も家庭も保護者もそして子供すら、一部の地域・生徒(子供)除き、敬意を持っていない。そして、「悪意」に打ち勝つ「手だて(武器)」を持たない今、その「悪意」に打ち勝つのは、「鈍感さ」と「諦め」を知る事である。諦め・・・それは、教師ごとくが、何年も家庭で育まれた文化(子供)を変えることなどできないのだ、という諦めである。そこを真っ直ぐ突き進み、「救える」「変えられる」と錯覚した時、突然、表れる「子供の裏切り」に耐えられなくなる。そこに体罰が生まれる。だから、学校から体罰はなくならないのである。

 諦め・・・言葉で言うが易しだが、実際はなかなか難しいのである。何しろ、この職業、多くの不条理の中、「子供のため」という「情熱?」に支えられる部分が非常に多い職業だから。同業者が自分の子供には「勧めたくない」職業NO1なのも頷けなくもない。では、心のバランスを崩さず、しかも、情熱を持ち、生徒前に立つには何が必要なのか。次回は、ある一時期を振り返って、その問いに答えてみたい。