過保護は「時代」か。親と子の距離感の「気持ち悪さ」。

 先日の参観日のあとの「茶話会」と称する学級行事である。教師の立場的には「茶話会」だろうが「保護者との飲み会」だろうが「仕事」である。仕事だから、楽しい雰囲気作りに苦労する。(献血での事故を美人看護婦との絡みで笑い話にするとか)

 そんななか、空気の読まない保護者がいるわけである。もともと、昨年の懇談会での子供の心配事を伝えた腹いせか、まず、役員OKと出しながら、感謝の電話が遅いという理由で、他学年の役員へ。「申し訳ありませんが、他の人を探してくださいね」ときた。他になり手もいなかったせいもあるが、別にPTA役員決めは本務ではないので、「なり手がいないこと、報告します」と答えておいた。明るい声で。

 だって困らないんだもん。別に。さて、その茶話会で彼女が出したいちゃもん。「・・・の時、息子、服装間違えて、戻ってきて、先生はいいと言った言うけれど、

納得いかないので説明してください。」(本校は、体育の時、家庭科・美術の時は内容次第でジャージ登校なのだ。)

 「3年生ですので、昨年も申し上げましたが、時間割の確認は係・生徒が運営しています。教科の内容もメモさせています。たまたま・制服・ジャージの部分が間違えて貼ったみたいですけど、他の33名は、、その日は体育もなく5教科でしたので、全員、内容から「制服登校」と考えて、制服で登校しています。」

 「息子が何も考えていなかったという事ですね」「そうなりますね。」「わかりました。ラインに入っていないのは息子ともう一人だけだから。」。(ラインのせいか?もう一人はきちんと「制服」で登校したし。貴方の横の母親が、そのもう一人なのですよ。)時間は17:00である。(3時から開始したので、いやはや2時間経過である。)その後、解散、さあ、仕事と思ったら、その彼女、「先生、進路の相談があるのですけど」。(相談があるのなら、それなりの「雰囲気」を作るが「大人」なのでは?)全然、いいのだけど、なんなんじゃそれ?自分の要望だけ伝え、何も考えていない、それは「あんただろ」、と思ったのだ。

 入学当初から、息子べったりで有名な彼女。息子はそのせいか寡黙で、人と目を見て話せない。それでいて、サッカー部で、声も出さないで指摘されると、文句はかっこいい。・・・お母さん、あなたの距離感、どうなんだろう?家の中では、どうでもいいけど、外に出さない方がいいんいじゃない?なんて思ったり。

 過保護は、あるいは、溺愛は、果たして息子は喜ぶのか。仕事だから「笑顔」で「真剣」に対応したけれど、さ。よくある話っていえば、そうなんだけれど。

 他人の話だから、どうでもいいんだけれど。息子さん、苦労しなければいいけれど、と思う茶話会・茶話会後でした。