朝鮮学校の無償化除外、国の対応は「違法」? 大阪地裁。

 

~予算原資・教育の目的に照らした時、なぜ「違法」なのか。

 大阪朝鮮高級学校大阪府東大阪市)を高校授業料無償化制度の適用対象から外した国の対応の是非が争われた訴訟の判決が28日、大阪地裁であった。西田隆裕裁判長(三輪方大裁判長代読)は、「無償化法の趣旨を逸脱しており、違法、無効だ」として学校側の請求を全面的に認め、国の処分を取り消し、無償化の対象とするよう命じた。  判決は、外交的、政治的意見に基づいて学校を排除するために規定を削除しており、教育の機会均等をうたった無償化法の趣旨を逸脱している、と指摘した。

朝日新聞 大貫聡子、千種辰弥 2017年7月28日11時40分)

 

 新聞に掲載された「満面の笑み」を浮かべる女性が「勝訴」の大きなものを掲げている写真を見て、素朴な疑問が沸いてきた。

 公立・国立・市立・もっといえば、カリフォルニア大学付属高等学校みたいなものがあり、国籍の違う人達が学ぶ高校を「無償化の対象」に、というなら頷ける。では、どうして「大阪朝鮮高級学校」だと、頷けないのか。心理的に。それは、「朝鮮人だけが集まり、朝鮮人のための学校」で、その歴史が「革命」「破壊」に寄与する目的で設立された疑いがあるからだ。後者は、裁判で、現在の状況に鑑み否定されるが。

 そもそも教育の無償化は教育の平等の観点に照らされ、社会全体で「日本の将来」を担う子供を「日本社会全体」で支え、育てようという思いで設立された法律だ。「日本の将来を担う子供」「日本社会が支え」という、当初の観点がこの裁判で抜けているし、裁判を起こした「朝鮮高級学校」は、その意味からも「イチャモン」に過ぎない。

 「差別」といういわれなき「言葉の攻撃」に腰が引けてしまった判決に、政治的な意味はさておき、素朴な疑問を感じるのだ。そういう意味で、掲載された写真に違和感を覚えるのである。日本人ですら、貧困の連鎖から実質的に教育の平等の果実が子供達に行き渡っていない現実で、「いいかっこしい」の対応はいらない。