日本の「蝶化身」伝説。~蝶と死者の関連性、死者は蝶に化身し帰還する!

~世界中の死の象徴「蝶」。

 

 先日、森林公園を散策。なんと往復11キロ。この夏、2回目である。そこで、ふと思ったのである。最近、蝶が少なくないか。モンシロチョウ、モンキチョウ、キアゲハ、カラスアゲハ。捨てるほど飛んでいた子供の頃が嘘のように、ほとんど見かけなくなった。そう、つぶやいていたら、帰り道、モンシロチョウとキアゲハ、カラスアゲハを発見。農薬散布や何やらで少なくなったか。何しろ、最近は「毒毛虫」騒動で、毛虫・青虫も一緒くたに嫌われている。まあ青虫も農家にとっては天敵なのだけど。そんなこんなで、吉田恭教の『化身の哭く森』を読んでいて、蝶化身という言葉が出てきたので、調べてみた。

 日本では、実は昔から「死者は蝶に化身し帰還する。」と考えられ、時に疎まれ時に尊ばれていたようだ。優雅なとびかた、不思議な羽の色など、愛好家にはたまらない生き物で、子供の頃は「夏休みの宿題」として、その標本が定番となっていたぐたいだ。ただ、近くで見ると、その様態は、皆が忌み嫌う「蛾」とさして変わらず気持ち悪い。鱗粉も身体によくないとも聞いた。

 平安時代では「死者の魂がこの世に甦った姿」とされ、弔いの詠にはしばしばが使われる。ので「名前を言うのも気持ち悪い」物だったらしく、日本語では元「カハビラコ」「カービル」(川にいるヒラヒラあるいは皮の張ったびびるもの)と呼ばれた らしいのだが後中国語の「tie」を無理やり日本語発音した「てふ」が使われる。まさか、あの有名な「てふてふ」という古語にこんな歴史があったとはびっくりだ。

 民俗学上では、蝶は死人の化身だという解釈があり、先祖が蝶になって帰ってくるという考え方もある。栃木県宇都宮市では、盆時期に飛行する黒いチョウには仏様が乗っていると考えられている。(九州ではトンボに死者が乗ってくるという伝承がある)
 さらに、立山の追分地蔵堂では、毎年7月15日夜に死者の化身である多数のチョウが舞い飛ぶ「生霊の市」という現象が起こる。命日や法事になると故人が蝶となって出現するという地域もある。英語圏でも、「アゲハチョウ」を魔女の化身と考える迷信がある。蝶は死体にたかるという迷信もあり、その美しさや幻想的な飛行方法から、蝶に纏わる不可解な迷信が生まれたのであろう。迷信とわかっていながら蝶を恐れ嫌い、チョウを死霊の化身とみなす地方もあり、立山の追分地蔵堂で「生霊の市」といって、毎年7月15日の夜に多数のチョウが飛ぶという。秋田県山本郡ではチョウの柄の服を好む者は短命だという。高知県の伝説では、夜ふけの道で無数の白い蝶が雪のように舞い、息が詰まるほどに人にまとわりつき、これに遭うと病気を患って死ぬといわれる怪異があり、同県香美郡富家村(現・香南市)ではこれを横死した人間の亡霊と伝えている。「春に最初に白いチョウを見ると、その年の内に家族が死ぬ」「チョウが仏壇や部屋に現れるのは死の前兆」という言い伝えもある。

奥州白石では、チョウが大好きだった女性が死に、遺体から虫が湧いて無数のチョウと化したという話が伝わる。また秋田県上総川の上流で、かつて備中という侍が沼に落ちて死に、チョウに化身して沼に住み着き、現在に至るまで曇った日や月の夜に飛び上がって人を脅かすという。そのことからこの沼を備中沼、または別蝶沼ともいう。

 そんな蝶だが、逆に「幸せを運ぶ」貴重な存在として、あがめられているものもある。

 それが、この蝶で、名前は「千年アゲハ」という。捕まえると代々子孫繁栄されるとして、あがめられている。

 お盆を前に、子供の頃身近な存在だった「蝶」が、実は世界中で生と死にまつわると考えられた存在だったと知り、調べてみた。とりあえず日本の伝説・迷信・信仰と蝶との関わりである。・・・しかし、最近、トンボは見るが、蝶は見ないなあ。