招かれざる客。あるスクールアウンセラー(SC)の戯れ言。彼女の言う不登校の論理とは。

~鼻持ちならないその人のSCとしての論理とは。

 今日、職場で本校に勤務しているSCの講話があった。「学校で笑顔が増える為の傾向と対策」という大仰なものだ。「傾向と対策」。何だか昔、聞いたことがある。

 まず、自己紹介があった。簡単に言うと、「自分は偉い」、ということ。「北海道スクールカウンセラーとして、何校にも講演に呼ばれて、話をしている。精神病院にも勤めていて(SCとして?)、精神統合失調症の人や、自分で命を絶った人を何人も見てきた。」と胸張って仰る。(待てよ、担当のクライアントが自死した、と言うことは胸を張れる事なのか?自分が力足らずだと背負うならいざ知らず)

 そんなこんなで、最初から「?」の雰囲気で時間は進む。ちなみに、このSCさん。昨年4月頃だったか、保護者から「守秘義務違反で教育委員会に訴えられている」。事実無根である、と、学校内でも、そう思わない教職員がいると大騒ぎをしたばかりだが。彼女のいう「不登校の論理」は、

不登校になるとき→家庭の事情=両親の離婚・浮気、父親の単身赴任、兄弟の不登校教師からの叱責などあげていたが、主に力説していたのが、この地区の「両親の浮気問題」の詳細。興信所に調べさせた写真を子供に見せ笑っている、とか。(おやおや、これは守秘義務違反では?)

(*教師の叱責→先生方も中学1年生からあれもこれもとやらずに、中学3年生でできればいい、という気持ちでやってください、という。「荒れ」が真面目な子供の感性を壊し、安心安全を約束できなくする。そこで大事なのが、中1の最初の3日間、1週間、1月、そして、中1の過ごさせ方がその後の3年間を形作るというのが、現場の感覚なのだが。)

不登校になりやすい子→知的障害の子、家庭環境の不安定な子、親の期待に頑張って応えようとする子、比較的よい子、完璧主義の子、だそう。

(*真面目なこと、期待に応えようとする子供の心を否定的に話す言動が目についた。→その後の「いじめ問題」についても、加害者にこそ光が当たるようにお願いしたい、と、やや時代遅れな発言に、ますます「?」)

不登校を未然に防ぐには(親)→環境が変わってうまくいかないのは当たり前。慣れるまで待つ。何事も本人に決めさせる。らしい。

(*その後、この家庭の子供はどうなるのか。時間はたち、就職もできず、引きこもり、最近、そんな事例が多く危惧されているが。)

不登校を未然に防ぐには(学校)

・慣れるまで待つ。→先生方は「成果」を求めすぎる、らしい。

・怒鳴らない→ある時、私もある先生と個室で話をしているとき怒鳴られて、という経験かららしい。きっとこの人は、今、多数の人間を不快にしている事に気づかない。

・中学生らしさを求めるならば、それを説明できるようにしてください。(まあね)

余談で、大学では酒ばかり飲んでいたと武勇伝。臨床心理士は「大学院」に行けなくてはなれないから、2年間だけは、猛勉強したという。うん?学歴自慢?どこの大学?

 違う世界から見ると、そんな風に思える「風景」もあるかもなあ、と思い拝聴していたが、普段、生徒の前で「教師の悪口を平気で話し」「どこそこの医者とつーかーの仲」だと喧伝し(その医者が、現場では悪評であることを知らない)、「怒鳴らない」(怒鳴らないで済むのならその方がいいが)、この部分の話を若い教師が「なるほど」と実践したら、その教師は、1年持たず「精神をやられる」かもしれない。このSCの「上から目線」は、明治大学の教授からすると、最悪のSCであろう。結局、人なのだ。明治大学の教授の講義を、今度は、真面目に受講するといいかもしれないなあ。

 我々教師もそうだが、自分の仕事を、真っ当に評価するシステム・人がいないのが、教育現場の不幸である。SCなんて、役に立つどころか、害にしかならない、そんな人がたくさんいる、と言っていた大先輩の言葉も、あながちうがっているとは言えないなあ、とあらためて思わされた、このお偉い「O」SCの講義だった。