桜散る。今年も見納め。そして考える。「幸せのリレー」の行き着く果ての年金問題。「はてな」

 どうして人は桜を愛でるのか。古今東西日本人は桜を愛し、桜になにかしら思う。なぜだろう?とふと考えてみた。単純な理由であることに気がついた。まず、自分が年を

重ね、「散る」までの年限を意識し出したこと。もう一つは、木というものは、意外に花をつけない。ましてピンクなんて。そして、その美しさもわずか1週間ほどしかもたない。その「はかなさ」に、自分の人生の「色」を比べるのか、と。さて、わが町の桜並木もどうやら見納めのよう。昨日までは、満開で、桜の「満開」が「散る間近」であるというので、そうなのかなあ、とやや名残惜しく、早めに帰宅、桜並木に見学に行った。

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 昨日まで、まさに「満開」の桜たちが、苦しそうに、必死に花を支えているようである。美しいというより、苦しそうという言葉が適当か。

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 それでも、近くで見ると、なかなか可憐で、そう思う自分が「年取ったなあ」と感慨深い。この気持ちが、桜を愛でる日本人気持ちなのか。そんな桜も、降ってわいたわけではない。今から7年も8年も、いやいやもっと前に、ここに植樹した人がいて、それを、大切に育てた人がいて、今、ここにある。当たり前のことだが、そんな当たり前の事があって、植樹し、育て、守ってくれた人がいて、もしかしたら、その人は、もうこの世にいない人かも知れなくて、その人やその瞬間のおかげで、愛でたり、考えたり、嘆賞したりできるのだ。いわば、「幸せのリレー」。その「バトン」は、きちんとつながっているのだろうか。自分もつなげているのだろうか。

 さて、ここで、やや固い話題に。年をとる。=退職=年金。なんて考える事もある。その年金、毎月相当なけなしのお給料から、何十年もとられ、しかし、受け取る段になると、その額は年々減らされ、気がつくと、50パーセントそこそこ?しまいには、もらえる(返してもらえる)年齢が、年々伸ばされ、おいおい、その年まで生きている?みたいな。でも、日本人は、なぜか「文句一つ言わない」。まさしく「はてな?」。

 50パーセント切るんだぜ。70歳とか75歳に返してもらうんだぜ。ええ~てな感じ。だったら、最初から国に預けず、天引きでも何でも、そうそう「郵便局」にでも預けておいた方が、お得だったのでは?「みんなで支え合う」というお題目で、とられる人は相当とられるが、感謝もされず(当然か)、半分しか返却されない。だったら、それぞれ自分で将来にそなえて、「貯蓄」して、それを、きっちり「返してもらう」、そういう方式の方が、すっきりこないか。なんて・・・・真剣に考えてしまう。

 ちなみに、マスコミがよく使う「国の借金」1000兆円。日本の国民総資産は8420兆円ある。余裕がありありなのだ。まあ、外国に貸したお金は、ほぼ戻らないだろうが。年金資金も、巨大にある。だからこそ、杜撰な処理や官僚による無駄遣いができるのである。では、なぜ、受取額が減らされるのか。大きな「はてな」なのである。

 桜のように美しく、桜のように可憐で、桜のように潔く、散りたい、そんな年齢に一歩一歩近づいている。今年も、見納めである。