変わる価値観。麻生大臣「セクハラ罪」炎上。加計「忖度」問題。体罰問題。今と昔どちらの社会がいいか?

 

~麻生財務相「セクハラ罪ない」。体罰処罰。加計問題。

     〈変わる価値観。どちらが良かったか?〉

 

 変わる価値観、社会の未来図。はたしてどちらがよかったのだろうか。

 「セクハラ罪はない」との問題発言で火ダルマになっている麻生財務相。7日には東京・霞が関財務省前や札幌市など全国5カ所で辞任を求める抗議行動が行われたにもかかわらず、8日の閣議後会見でも「セクハラ罪っていう罪はないという事実を申し上げている」と繰り返して問題になっている。ここで、我が家の夫婦の話。妻が言うのである。「これって、私が20代なら、問題にならないっていうか。流しているっていうか。悪くないっていうのじゃなく。今の20代、30代と50代60代では全く生きている感じが違う。。私達の時は、よく言えば笑って流す(そして「相手」にしない)。悪く言えば、諦め。今は、当時者でない人も騒ぐ。というより、当事者でない人が騒ぐ。それに、おじさんたちはついていけないんじゃないだろうか。」。一人の女性の言葉である。(ある意味、おじさんたちをいじめているだけ?)

 加計学園問題=忖度問題=コネ?だって、普通にたぶん世の中にあり、それが「自分」にあたわらないことに「不公平感・不満」を感じながらも、「自分は自分」を半分あきらめ、どこかで、自分にも「あたわったらいいなあ」と妄想しつつ、生きていた。まあ、安部総理は「あからさますぎる」が。

 隠れていたものがあきらかになったのは、間違いなく悪いことではないだろう。ただ、それが世の中・社会を暮らしやすくするのとは、繋がらなかったということか。

 ある新聞で、道内の体罰で処罰された教師の数が報道された。ある教師の話。授業中、不振な動きをした生徒の側に行くと、マンガを見ている。取り上げて、それこそ軽く頭を、その本で「たたき」、その後、収まらず、学級全員の前で「どなる」。これは、「体罰」になりうる。その妻は夫に言ったそう。「ばからしいことしなさんな。分からないんだから。それで損する。仮に、その子は納得して、親も了解しても、周囲の「関係ない」誰かが、アンケートに書いたらジ・エンド。生活に支障がでる。駄目教師で良いんだよ。」。その後、その生徒は公園や教室で女生徒と抱き合ったり、○○したり。担任は、同様なこと自分の後ろでおこなれても見えない、見ない。自称、俺みたいな教師いない、と自画自賛。まあ・・・その件は問題にしなかったのだから、結果よしか。

 子を持つ親として、10数年前と今と比べて、(セクハラ云々の騒がしい今含め)、どちらが良い社会であったか。親としては、断然、10数年前である。非効率であっても、先行序列社会=終身雇用社会であり、賃金の不公平はありながらも、年齢相応に、その不条理に我慢・適応していけば暮らしていける、「総中流社会」だったのだから。今はどうか、下手すれば、50歳で年収300万。派遣社員。退職金なし。新自由社会。つまり、富める物はさらにとみ、貧しい者はいつまでも貧しく。・・・政治は、そうした社会を先導しながら、弱気もの対策を声高々に叫び、・・・何も変わらず。他者を許容できなくなりつつある現社会。未来を語れた社会はいずれか。

 そんな社会の変容が、教育現場にも、無力感を生み、勘違い教師をも作る。生徒はそんな教師を見、親を見、新たな虚無を見つめる。そこに未来の幸せはない。

 次回はそんな現場の、ある「ストーカー事件」から見る教育現場の「闇」を考えてみたい。