104歳豪科学者、スイスの専用診療所で安楽死

         「これ以上生きたくない」!

 】「これ以上生きたくない」と主張していた104歳のオーストラリア最高齢の科学者が10日、スイス北部バーゼル郊外の安楽死用診療所で、致死量の鎮静麻酔薬の注射を受け、亡くなった。

 この科学者が会員となっていた豪安楽死推進団体「エグジット・インターナショナル」の医師がツイッターで明らかにした。

 安楽死したのは、豪西部パースのエディスコーワン大学名誉研究員の植物生態学者デビッド・グドール氏。重い病気はなかったが、ここ数年、視力低下など体の衰えが進んで「生活の質」(QOL)の低下を感じ、「生きたくない」「野外調査に出られない」と周囲に漏らしていた。

 オーストラリアでは現在、安楽死が認められていないため、安楽死を含む自殺ほう助が合法化されているスイスに今月初めに渡った。地元メディアによると、グドール氏の希望を受け、安楽死の処置中には「歓喜の歌」で知られるベートーベンの交響曲第9番の演奏を流し、曲が終わる頃に息を引き取ったという。死の直前には「やったことに決して満足はしていないが、最善を尽くした」との言葉をのこしたという。

2018年05月11日 13時19分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
 
 今まで、自ら死を選ぶ、つまり「自殺」はいけない、とブログ等で書いてきたし、心の変遷を経て、そう思うようになってきた。「命は自分の物であるが、自分だけの物ではない」という考えに至った。・・・が、果たして、そうか、と最近思う。
 末期癌。いろんな施術を経て、たくさんの管につながり、意思表示もできなくなり、そうなると、延命措置の拒否すら、この国では認められない。そして、莫大な医療費を延々支払うことになる。癌だけでなく、治癒が不可能な難病を抱え、必死に行き、行き着く果ては、同様のことに。そうなるまえに出来ることは、自ら死を選ぶことぐらいだが、病によっては、死ぬための体力・筋力も衰え、自ら決断すら出来なくなることもある。誰もが思う。長生きはしたいが、周囲に迷惑をかけたり、自分が自分でなくなるようなら、そんな「生」は嫌だ、と。その時が、苦しまず、自分が決断できるうちに、死ねたなら、と。それが、年を重ねた者の想いなのかもしれない。
 この国は、しかしながら、そんな「死に様」を許さない。だから、将来に、不安になり、そして、現実も、年金や生活保護等の社会保険は削られ、生きても地獄、死ぬ間際も地獄、の苦しみを考え、不安になるのである。
 この記事を見て思う。どうして「安楽死」をこの国は認めないのだろう。それは、果たして、誰のためなのだろう。今、不安で苦しんでいる人の事を本当に考えているのだろうか。今、不安でもなく、苦しくもない人が考えた法律が、果たして正しいのだろうか。自分の人生、いろんな決め方が許されてもいいのではないだろうか。