あなたは「買いますか」?宝くじ。夢か効率か。割の合わないギャンブルか。

    お金持ちが「宝くじ」を絶対に買わない4つの理由

 

 

宝くじは他人にお金を貢ぐのと同じ?

私の周りにいる30代前半から40代半ばの高所得の知人は、宝くじをまったく買いません。興味もないですし、話題にのぼることもありません。宝くじ売り場の行列を見て「バカじゃん。ほかにやることねえの?」とまで言う人もいます。その理由を、彼らの言動を元に、私なりに推測してみました。

そもそも当選確率が低いからお金のムダ

ジャンボ宝くじの当選確率は1000万分の1。下記コラムでは興味深い比喩が紹介されていて、「東京ドームの収容人数を4万5000人だとすると、東京ドーム約222個にひしめき合う人の中から1人が選ばれるのと同じ確率」とのこと。これは気が遠くなりますね。交通事故に遭う確率より低く、買ってもほとんどがムダになることがわかります。「そもそも買わないと当たらないだろう」とも言われますが、買っても当たらないとしたら、300円の商品をわざわざ3000円払って買うわけですから(ジャンボの場合)、ちょっと滑稽な行為とも言えそうです。

胴元が確実に儲かるシステムになっていて割にあわない

宝くじの配当率は47%と、他のギャンブルと比較すると、還元率が非常に低く、買った人はなかなか儲かりにくいシステムと言えます。これに比べたら、FXはテラ銭が1ドル(120円)あたり0.4銭ですから、同じくギャンブル性が高いと言われるFXのほうが、よほど健全です。使いみちはともかく、これほど買い手に不利な商品を買う合理的な理由がない、ということですね。では、そのテラ銭はどこに行くかというと、基本的には地方自治体が潤う構造になっています。

もちろん、地方自治体は地元のためにお金を使うため、社会貢献をしたいという人向けの寄附行為とも言えそうです。その他にも、特殊法人と言われる日本宝くじ協会自治総合センター、宝くじ事務協議会などにもお金が落ちますが、天下り法人の可能性もあります。だとすると、宝くじを買うことで、他人の給料や退職金のために貢いでいる、と言えなくもありません。

時間のムダ

時間を投下するとは、人生の一部をそこに投下する行為であり、ひとつの投資とも言えます。では、宝くじの発売をチェックする時間、買いにいく時間、並ぶ時間、ロトやナンバーズなどで数字を選ぶ時間を考えたとき、いったいどういう投資的意義があるでしょうか。

おそらく、富裕層(引退した悠々自適の富裕層ではなく、現役のアクティブ富裕層)は、自分ではコントロールできないものに時間を使うのがもったいない、と感じます。そんなことをする時間があれば、やればやっただけリターンが見込める、ビジネスのことを考えたほうがよいということでしょう。

自分の努力や才覚に依存しない夢を見る必要がない

宝くじを買う行為を指して「夢を買うものだから、ゲームみたいなもの。当選確率とかはどうでもいい」と言われることもあります。しかしこれは、そんなことでしか夢を見る方法がないという、典型的なお金を稼げない人の発想のような印象を受けます。夢とは本来、自らの努力と才覚で叶えるものであって、棚からぼた餅を待つという行為ではないはず。それは夢というより「夢想」や「妄想」の類いでしょう。

おそらく、「普段は満たされない自尊心」「やり場のない不満」「自分の力で切り開くという努力は面倒くさい」「儲かる方法を具体的に考えるのも面倒くさい」という潜在的な逃げと受け身の発想が、「楽して儲けたい」「一発逆転したい」、そんな夢を見たいという欲望を起こさせるのかもしれません。

仮にそうだとしたら、富裕層が宝くじに興味がないことが腑に落ちます。彼らは、自らの行動が未来を作ることを本能的に悟っているので、「お金持ちになる夢を見るヒマがあるなら、お金持ちになるための具体的な行動を起こせばいい。それは運を天に任せる宝くじなどではなく、仕事や起業や投資など、自らの知恵と努力と行動でつかみとることだ」という発想である、と言うでしょう。

もちろん、誰が何を買おうとそれは本人の自由ですから、他人の買い物やお金の使い道に干渉するつもりは毛頭ありません。なので、本コラムは宝くじを買うことの是非を論じているわけではなく、「自分はいったい何を信念にしているかが、日々の消費行動に現れる」ひとつの例としての紹介ですので、悪しからず。

宝くじは他人にお金を貢ぐのと同じ?

私の周りにいる30代前半から40代半ばの高所得の知人は、宝くじをまったく買いません。興味もないですし、話題にのぼることもありません。宝くじ売り場の行列を見て「バカじゃん。ほかにやることねえの?」とまで言う人もいます。その理由を、彼らの言動を元に、私なりに推測してみました。

そもそも当選確率が低いからお金のムダ

ジャンボ宝くじの当選確率は1000万分の1。下記コラムでは興味深い比喩が紹介されていて、「東京ドームの収容人数を4万5000人だとすると、東京ドーム約222個にひしめき合う人の中から1人が選ばれるのと同じ確率」とのこと。これは気が遠くなりますね。交通事故に遭う確率より低く、買ってもほとんどがムダになることがわかります。「そもそも買わないと当たらないだろう」とも言われますが、買っても当たらないとしたら、300円の商品をわざわざ3000円払って買うわけですから(ジャンボの場合)、ちょっと滑稽な行為とも言えそうです。

胴元が確実に儲かるシステムになっていて割にあわない

宝くじの配当率は47%と、他のギャンブルと比較すると、還元率が非常に低く、買った人はなかなか儲かりにくいシステムと言えます。これに比べたら、FXはテラ銭が1ドル(120円)あたり0.4銭ですから、同じくギャンブル性が高いと言われるFXのほうが、よほど健全です。使いみちはともかく、これほど買い手に不利な商品を買う合理的な理由がない、ということですね。では、そのテラ銭はどこに行くかというと、基本的には地方自治体が潤う構造になっています。

もちろん、地方自治体は地元のためにお金を使うため、社会貢献をしたいという人向けの寄附行為とも言えそうです。その他にも、特殊法人と言われる日本宝くじ協会自治総合センター、宝くじ事務協議会などにもお金が落ちますが、天下り法人の可能性もあります。だとすると、宝くじを買うことで、他人の給料や退職金のために貢いでいる、と言えなくもありません。

時間のムダ

時間を投下するとは、人生の一部をそこに投下する行為であり、ひとつの投資とも言えます。では、宝くじの発売をチェックする時間、買いにいく時間、並ぶ時間、ロトやナンバーズなどで数字を選ぶ時間を考えたとき、いったいどういう投資的意義があるでしょうか。

おそらく、、「お金持ちになる夢を見るヒマがあるなら、お金持ちになるための具体的な行動を起こせばいい。それは運を天に任せる宝くじなどではなく、仕事や起業や投資など、自らの知恵と努力と行動でつかみとることだ。「お金持ちになる夢を見るヒマがあるなら、お金持ちになるための具体的な行動を起こせばいい。それは運を天に任せる宝くじなどではなく、仕事や起業や投資など、自らの知恵と努力と行動でつかみとることだ。自分ではコントロールできないものに時間を使うのがもったいない、」と感じます。そんなことをする時間があれば、やればやっただけリターンが見込める、ビジネスのことを考えたほうがよいということでしょう。

自分の努力や才覚に依存しない夢を見る必要がない

宝くじを買う行為を指して「楽して儲けたい」「一発逆転したい」、だから、ゲームみたいなもの。当選確率とかはどうでもいい」と言われることもあります。しかしこれは、そんなことでしか夢を見る方法がないという、典型的なお金を稼げない人の発想のような印象を受けます。夢とは本来、自らの努力と才覚で叶えるものであって、棚からぼた餅を待つという行為ではないはず。それは夢というより「夢想」や「妄想」の類いでしょう。

おそらく、「普段は満たされない自尊心」「やり場のない不満」「自分の力で切り開くという努力は面倒くさい」「儲かる方法を具体的に考えるのも面倒くさい」という潜在的な逃げと受け身の発想が、「楽して儲けたい」「一発逆転したい」、そんな夢を見たいという欲望を起こさせるのかもしれません。

仮にそうだとしたら、富裕層が宝くじに興味がないことが腑に落ちます。彼らは、自らの行動が未来を作ることを本能的に悟っているので、「お金持ちになる夢を見るヒマがあるなら、お金持ちになるための具体的な行動を起こせばいい。それは運を天に任せる宝くじなどではなく、仕事や起業や投資など、自らの知恵と努力と行動でつかみとることだ」という発想である、と言うでしょう。

もちろん、誰が何を買おうとそれは本人の自由ですから、他人の買い物やお金の使い道に干渉するつもりは毛頭ありません。なので、本コラムは宝くじを買うことの是非を論じているわけではなく、「自分はいったい何を信念にしているかが、日々の消費行動に現れる」ひとつの例としての紹介ですので、悪しからず。

(©株式会社オールアバウト)

 

 まあ、宝くじの確率の悪さは、昔から言われていた。ギャンブルの中での確率論。意外と、競馬→パチンコ→宝くじと言われてきた。東京ドーム約222個にひしめき合う人の中から1人が選ばれるのと同じ確率」と言われると「ほへ~」となるが。

 並ぶ時間?あまり並ばない所に行くし。、「楽して儲けたい」「一発逆転したい」、というより、「失敗」できないし。

 かくいう自分も、40代になるまで買わなかった。まわりが「夢を買う」と言いながら、「宝くじ」の話をしていても「ふ~ん」、てな感じだったが。もちろん「胴元が確実に儲かるシステムになっていて割にあわない」のは百も承知だった、自分が、「たま~に」買うようになったのは、まず、ロト6で同僚が夫婦併せて100万円当たって、仕事を休み海外旅行に行ったこと。旦那は、嫁さんと買い物で待ち合わせ。暇で人生初めてのパチンコ。やはりというか、なんとというか、ビギナーズラック。4円20連、10万円超の儲け。妻に話し、ふらでこれまた初めてのロト6。じいちゃんばあちゃんの誕生日含め、「適当」にやったら、なんと、前述の大当たり。「いいなあ~」。自分も、少しやってみた。全く当たらず。次の職場。つぶれそうな寿司屋の息子。最近、店を「建て直し」。大きく改築。それが「大当たり」で、うはうは状態。で、ある時、その息子に聞いてみた。・・・息子は臆面もなくばらした。「宝くじ1億円当たって、そのお金で・・・」。すぐ、その息子に忠言した。「そういう話は、周囲にしないほうがいいぞ。」と。それからである。まあ当たらないだろうが、買わなくては「1パーセント」も当たらない。夢すら見れない。まあ、、「お金持ちになる夢を見るヒマがあるなら、お金持ちになるための具体的な行動を起こせばいい。それは運を天に任せる宝くじなどではなく、仕事や起業や投資など、自らの知恵と努力と行動でつかみとることだ」と言われれば、そうなんだけど・・・となるが。多くの家庭人は、投資などで失敗は出来なのですよ、と。まあ、合理的ではないけれど。富裕層が宝くじに興味がないのは、まあ、それだけ「お金がありあまり」興味がないという、うらやましい状態なんだろう。まあ、宝くじ1億円が当たったら→貯金+妻と海外旅行。3億円なら、3000万円くらいで家を建て、1度きり妻ともう一度、新婚旅行で言ったイタリアへ。あとは、3000万くらいで家を建て、あとは貯金。もちろん、年齢が許せば、働く。まあ、生活できて、自分で自分をセーブ出来るなら・・・・働きたくないなあ、正直。だって、体力衰えても、人間関係で患い、疲れたくないもの。無理して働きたくはないなあ。

 多くの「サラリーマン」の人達は、宝くじを「買うのだろうか」「買わないのだろうか」。