傷だらけの西城秀樹逝く。最後まで強くあることに努力して。

         ~障害の残る姿でもなお、ステージに立ち続けた強さの根源は。

 歌手の西城秀樹さんが5月16日午後11時53分、急性心不全のため横浜市内の病院で亡くなった。63歳だった。1979年には「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」で日本歌謡大賞などを受賞。高い歌唱力とともに派手な衣装とパフォーマンスが話題を呼んだ。郷ひろみさん、野口五郎さんとともに「新御三家」として、多くのファンに支持された。48歳だった2003年に脳梗塞を発症。56歳だった2011年に再発していた。

NEWS 2018年05月17日 12時58分 JST | 更新 2018年05月17日 14時01分 JST

 

 もろ西城秀樹世代である」。「傷だらけのローラ」からしばらくして西条秀樹を知ることになるが、なぜだか、「傷だらけのローラ」という題名とその歌詞が耳について離れなかったことを覚えている。晩年の秀樹は、まさに「傷だらけの秀樹」。それでも、ステージに立ち続け、激痛の伴うリハビリ・筋力トレーニングに励み、戻らない発音や運動能力を、最後は、「ありのままを見せ」、同病の人達の「勇気」になりたい、とステージに立っていたという。その話を聞いて、「強え~なあ」と思った。人間誰しも、人に弱みを見せたり、かっこ悪い所を見せたい、そう思うのだと思っていた。自分がまさにそれだから。それは、何十年の応援してくれる「ファン」のためもあるのか。幼い3人の子供や妻のためでもあるのか。「戦う姿」を見せ続けることに、意味を見いだしていたのか。

傷だらけのローラ 歌詞
ローラ 君は 何故に
ローラ 心を とじて
ローラ 僕の前で
そんなにふるえる

今 君を救うのは
目の前の僕だけさ
生命(いのち)も 心も
この愛も 捧げる

ローラ 君を 誰が
ローラ そんなにしたの
ローラ 悪い夢は
忘れてしまおう

この腕に おすがりよ
今 僕は 狂おしく
祈りも 誓いも
この愛も捧げる ローラ

祈りも 誓いも
この愛も捧げる ローラ
ローラ ローラ……
祈りも 誓いも
この愛も捧げる ローラ

 晩年は、その病故、日常の中に、常に「死」を覚悟・意識しない日はなかったろう。そんな彼の胸中にあったものは、残していくかもしれない「子供」達の事だったかもしれない。

 親のとり、子供は「人生」のすべて。子の成長は、「自分の歴史」。子供を守り、子供の無垢は瞳に守られ、時を重ね、親は年老いていく。定めと言えば定めなのだが、無情な時間の流れ。子供を授かり、その乳の匂いを側で感じ、あまりの愛おしさに、自分の顔をほっぺにくっつけたまま離れがたくなり、苦しくなる。仕事にも行きたくなくなる。すべての時間が惜しくなる。子供も大小の病気を乗り越え、その時間も「親」は「歴史」として記憶する。自我の芽生えとともに、時に気弱になることがあれば、大きく叱り、涙も流す。そして、成年になり、社会に出て行く様を心配し、でも、その横に自分の背を超えた横顔と、その片隅の変わらぬあどけなさを、見つけ、その行く末を見届けたいと願う。そんなさなかの出来事だった。さぞかし、無念で悲しかったろう。でも、どこかに、「戦う姿」を見せ続けられたことに、「わかっただろう、生きることが」と、思っていたか。永遠のロックシンガーに献杯。合掌。