高等教育無償化 中所得層は置き去りか

~税は公平にが原則。どこまで情を入れて良いか。見えない「不公平」。

 ない学生も多い。逆差別を招かない制度の設計を求めたい。

 家庭が貧しく、高等教育の機会に恵まれなかった子どもも、また貧しくなる。負の連鎖を断ち切るために、国は低所得層に対し、大学や短大、専門学校などに要する費用の負担を軽くする制度の枠組みを決めた。

 住民税非課税世帯とそれに準じる年収三百八十万円未満までの世帯を対象に、授業料や入学金の学費と生活費を支える。すべて返済不要だ。消費税の増税分を使い、二〇二〇年度から実施するという。

 近年、大学・大学院卒と高校卒の学歴の違いは、およそ七千五百万円の生涯賃金の格差となって跳ね返るという。教育水準の底上げは、学び手本人はもちろん、社会全体の利益の向上に結びつく。

 大学に進学する場合、国公立か私立か、自宅から通うか下宿するかなどの条件で費用は変わる。

 非課税世帯については、子ども一人あたり年間百万円から二百万円ぐらいの支給を視野に入れての議論になるのではないか。その上で、段階的に金額を引き下げながら、年収三百八十万円未満までの世帯を支援する設計となる。

 限りある財源を、低所得層に優先的にふり向ける考え方はうなずける。けれども、高等教育費の負担は中所得層にとっても重く、少子化の圧力にもなっている。

 国の奨学金事業を担う日本学生支援機構の一六年度調査では、大学生のほぼ二人に一人は奨学金を利用し、そのうち七割余は年収四百万円以上の家庭の出身だ。在学中はアルバイトに時間を割き、借金を抱えて社会に出る人も多い。

 たとえば、子どもの人数や要介護者の有無、資産の多寡といった個々の家庭の事情を度外視した仕組みが公平といえるか。少しの収入差で対象から外れる世帯や高校を出て働く人が納得できるか。

 親が学費を賄うべきだとする旧来の発想に立つ限りは、こうした疑問は拭えないだろう。

 自民党教育再生実行本部は、国が学費を立て替え、学生が卒業後の支払い能力に応じて返す出世払い制度の導入を唱える。オーストラリアが採用している。学び手本人が学費を賄う仕組みは一案だ。 もっとも、高等教育の恩恵に浴する国がもっと公費を投じ、私費負担を抑える知恵がほしい。慎重かつ丁寧な議論を重ねたい。

中日新聞 2018年6月22日)

 子育て世代ということで言わせてもらえば、低所得者への「進学費用の負担」は、税の「公平性」という意味で、「違憲」でさえあるかもしれない。親の所得=学歴差という社会現象は、「新自由主義」を標榜した「安倍自民党」が進めてきた施策の結果である。話はそれるが、生活科や総合という科目は、習熟度学習=出来る子をさらに伸ばす、という陰の目標があり、その逆バネの受け皿として、「そうでない子は、生活力や社会性、遊び」の中で、違う生きる力を、と考えらてきたものだ。その結果として、社会の格差、経済力の格差の負の連鎖が問題になったのに、「今更」感がありありだ。

 それはさておき、どの家庭も子供の進学費では頭を悩ます。子供の進学費=老後に残る自分達の生活費だからである。子供の夢を叶えさせてあげたい。でも、出せる金には限りがある。学費を出したあと、自分たちに、どれだけのお金が残り、どんな生活が待っているか。・・・不安で仕方がないのである。そんな気持ちでいるなか、「低所得者への学費全額負担」とか、気持ちが逆なでさせられる人もいないわけはない。税金をきちんとおさめ、そして、貯金を取り崩し、やっと子育てしているのに、生活保護を受け、それに、学費もか、と考えるのは、心が卑しいか・・・と考えて、声を出せないだけである。身近には、生活保護費をもらうため、偽装離婚し、市営住宅の新築に住み、高級外車を乗る輩、子供の部活動のシューズを、周囲の「普通に過ごす」子供達の何倍も高い値段のものを買い与え、その子供が嬉々と見せびらかす姿。給食費を3年間一銭も払わずパチンコに明け暮れる母親。その人達にも、である、支援するのでは、逆不公平であろう。国は、それをきちんと調べられるのか、その方策を考えているのか。まずは、そこを解決してもらいたい。大学や短大、専門学校などに要する費用に四苦八苦しているのは、一部の国民・市民だけではない。税金は、公平に使われるべきだし、払った対価を国民に与えるべきだ。そうでなければ、暴動が起きても、国は文句は言えない。本当は。娘が「医者になりたい」と勉強している。自分たちの預貯金を計算し、奨学金の返済金・返済年度・その時の親子の年齢を考え、暗い気持ちになる。経済×学歴×夢なら、国民みんなに平等に与えた欲しい。チャンスを。親の経済=少子化の解決策というなら、それが本筋だろう。