東京芸大がミスコンを中止 「企画してしまったことを浅はかであったと痛感」。人間の根源の感情の発露を否定するな。

~杓子定規から生まれる閉塞感。「別にいいじゃん」。自然の感情の発露ではないか。

上旬に開かれる東京芸術大学の学園祭「藝祭」で開催予定だった「裏ミス藝大」が中止されることが明らかになった。藝祭実行委員会が6月21日、学生課を通して学生全員宛にメールを送り、中止を決めた経緯を説明した。

藝祭には、「ミス」と「裏ミス」のコンテストがある

藝祭では、「ミス藝大」と「裏ミス藝大」の両方が開催される予定だった。「ミス藝大」は毎年開かれている名物企画で、通常の「ミスコン」のような女性の見た目などを評価するコンテストとは違い、男女問わず参加でき、モデル、美術、音楽でチームを組み「ミス藝大」という作品をつくることで「美」を追求するというのが狙い。作品は人ですらない場合もある。
藝祭実行委員会のTwitterでは「藝祭のミスコンは一般的な大学のように容姿だけでは判断しません。毎年テーマを設定し(設定しない年もあり)、出場者およびチームがそのテーマをそれぞれの解釈で表現します。その中で魅力的なものを皆さんに投票で選んで頂き、グランプリ等が決定します」と説明されている。
対して、今回中止が決まった「裏ミス藝大」は、通常の女性の容姿やふるまいなどを評価する、いわゆる従来型の「ミスコン」を見たいという学生の要望に応え、今年企画されたものだったようだ。

「企画してしまったことを浅はかであったと痛感」

以下、「裏ミス藝大」の中止を知らせるメールだ。

  本企画の開催が中止となった経緯をご説明いたします。
本企画についてのメールを送らせていただいた後、様々な意見をいただきました。
賛成や出場を希望される意見も多数ございましたが、本企画に対し、懸念を示された方もいらっしゃいました。 本企画の参加資格が女子学生のみであること、また、外見から人の内面や人自身を判断するということが、「女性は美しくあるべき」というような、強迫的な観念をもたらしてしまうこと、そして、様々な価値観を持つ学生が集まり、芸術を学ぶ藝大という場において、このような企画が催されることに対して、強い危機感を持っていらっしゃいました。このような経緯を経て、意見をくださった方々とイベント課、企画課を交え、内的な意見交換会を行いました。そして、交換会において、本企画の発案のきっかけとなった、「ミス藝大」企画に関する意見ポスターについての言及もありました。 意見ポスターには、今まで通り「ミス藝大」を続けてほしいとの意見もございましたが、反対に、「普通の」ミスコンが見たいという旨を、女性に対するハラスメント的な言葉遣いで書かれているものもございました。
上記のような意見が学生の声として正式に受け入れられるとは思わなかった、という声をいただき、意見を取り入れ、企画してしまったことを浅はかであったと痛感いたしました。(井土亜梨沙/ハフポスト日本版)

 

 差別・区別・セクハラ・・・。そういう価値観は、総じて正しい。しかし、正しさと面白さとか夢とか開放感とか、そういう無形の心の内は、相反する事が多い。

 例えば、日本を代表する文学者の川端・漱石・芥川・太宰他、日本の文化の一端を今なお担っている人達は、私生活では、幾多の失敗を重ね、それが結果、人々の心の潤いを作ってきた。人間の一生は、総じて無駄の中に、一筋の結晶・光が生まれ、尊んできた、その積み重ねである。・・・なんて、かっこつけたが、要は、「別にいいじゃん」という思うだけなのである。別に「容姿をたたえる会」があってもいいし、(実際、対象が女性だから問題になるが、男性でそれをしても、あまり問題にならないだろう。)、そこが問題になるのは、別の問題が、その人達の心理の中にあるからなのではないか、とも思うのである。主催者が、それに対して、闘うだけのモチベーションも論理もないから(まあ、もともと「遊び」なのだから)、謝って、そして無くなって終わりなのだが。世の中に、いわゆる「美男子」「美女」と称する人は、間違いなくいるし、まあ、自分には縁がないなあ、と思うので、別にいいし。

 だって、いわゆる芸能界だって、歌とか芸という基準ではなく、容姿が半分以上で選ぶようになってどれくらいたつのだろう。それが飽きたので、今は、普通っぽい人がうけているようだが。

 今回の「裏ミス」だって、本当に、みんなが「嫌」なら、参加する女性だってないはずだし。

 そういうのも「いいなあ」というのも一つの価値観。そういうのは嫌だというのも一つの価値観。どちらが良いとか悪いとか、ではないだろう。「価値観」の問題なんだから。まあ、セクハラとは根が違うだろう。(それだって、醜悪なものは論外だが、○○はかわいいなあ、もセクハラと叫ばれる昨今、世の中に潤いがなくっていると感じてしまうのは、やはり、年をとったか。)

 世の中には、男と女しかいないのだから、もう少し上手につきあって行ければいいのに、とも思うのだ。「外見から人の内面や人自身を判断するということが、「女性は美しくあるべき」というような、強迫的な観念をもたらしてしまうこと」、そんな難しい話で、日々生きていないし。「かっこいいなあ」「いい男」「かわいいなあ」「きれいだなあ」。それは、人類の根源とも言うべき素直な感情の発露ではないか。それを否定して、何が楽しいか。まあ・・・自分は、それに当てはまるとは一度も思ったことはないが。その根源が・・・・嫉妬、と書いたら、怒られるだろうか。無意識の嫉妬。それも、人類の根源の感情の発露であるのは間違いない。