厚真東部地震 震度7 の前夜の体験。

    厚真東部地震 震度7 の前夜

 

 50年生きてきて初めて見舞う災害。東日本大災害の時でも、多分、どこか遠い世界の人ごとだったのだ、とこの時わかった。自宅から車で30分程度で行ける厚真・安平地区。たまあに妻とパークゴルフとか、おいしいアイスを食べに立ち寄れる穴場だった。そんな近くで起きた災害。短すぎる場所での大災害に、右往左往した2日間。いやいや実は、2日どころではない、4日間の出来事を書いてみよう。

 4日前、台風21号が北海道に上陸するとかしないとか。まあ、いつものようにそれていくのだろうなあ、とか、最近疲れているので、上陸して臨時休校にならないかなあ。(その場合、もちろん年休をとり休むつもりだった)と思いながら、職場では、特に動きもなく。・・・夜になり、夜中にどうやら上陸する模様との天気予報。まあ温帯低気圧だろうなあ、と、早めの就寝。なにしろ、疲れている。夜中に、今まであまり経験のない外の風の音が気になりながら、「意地で眠り続ける。」。どこかで、「がしゃんがしゃん」と嫌な音がする。でも、眠り続ける。(実は寝ていたのは私だけで家族はみんな起き出していた。それほどすごい音だったそう。)翌朝5時、電話が鳴る。妻の職場が休みになる電話がくる。「うらやましいなあ」と外を見てみると、なんと自分の家の屋根があっちこっちで飛ばされている。妻と急いで回収に走る。妻によると、夜中に物音がして外に出て、自分の家の屋根が飛ばされているのを知ったそうだが、あまりの風の強さに、身の危険を感じ、1枚のみ拾いあきらめたそうだ。その時、はじめて、道路の信号がすべて消えているのを知ったのである。驚きながら、家に帰ると、職場から臨時休校のお知らせ。先生方も信号が回復するまで自宅待機とのこと。その信号は翌日も復旧することなく、職場に翌日も来なくていいという知らせが、また朝の5時。今度は自分の職場だったが。さすがにすることもなくなり、様子を見に行きがてら慎重に車を運転し、周囲の状況を観察したりしていた。そんな、台風の猛威が我が家に波及した3日後、つまり臨休の3日目の朝方、AM3:00頃の事である。あまり記憶にないぐらい、突き上げる揺れから即座にじわりじわりという横揺れ、それが長く徐々に大きくなる。「おお~」「子供~起きろ!服着ろ~!早く」そうして逃げる準備をした時、地震が収まった。TVをつける。厚真震度6強(その後震度7へ訂正)、千歳6弱、恵庭5強、札幌5強。ふえ~。と思ったら停電。すぐ復旧。また停電。これがいわゆるブラックアウトとよばれる未経験の災害であることはこの時、わからない。じりじり待つが復旧する気配なく、水を調べると、出る!妻は鍋に水を入れ、私は、急いで「風呂を洗い」水をためた。今に思うと、洗う必要はなかったのである。単純に、昨日の風呂水に水を足せば良かったのだ。まあ、慌てていたんだなあ。その後、また4時半頃携帯に職場が休みの連絡がきた。今思うと、この時が、最後のまともな電話連絡が可能な時刻であった。その後、開店の1時間前に、自転車で食料や水を買いに近くのセイコーマートへ。もうすでに、たくさんの行列で、食材はほとんどなく、ペットボトル3本とカップ麺を10個ほど買った。レジのバーコードも地震対応で、計算は電卓だ。その後は、地震に怯えながら、情報もなく、夜まで、これからの「避難対応」をしながら時間を費やす。幸い、水も断水することなくガスも出ていて、食材も台風上陸の前日に買いだめしていたため、とりあえず1週間は大丈夫、と妻が言うので一安心。夜は車のカーナビTVで情報を仕入れると共に、スマホを少しだけ充電。この時、地震で電話が通じなくなるということを初めて知った。電話は、これから5日間ほどほとんど不通状態。メールもラインもほとんど駄目。情報から隔離されることが、意外と精神的に堪えた。

 翌日の朝早く、ガソリンの補充に出かける。何しろ地震当日は、すべてのスタンドが営業していなかったのだ。開店1時間前にいつもの店に行くと、もうそこは大行列。途中から入る隙間がないし、入れてもくれない。そこで、少し離れスタンドに向かうと4着ろ先まで、やはり大行列だが、なんとか最後尾につけることができた。一安心。まあ、ガソリンもちそうだ。カーナビのTVで被害状況を確認しながら待つこと2時間半。3,11の震災のとき聞いたガソリン難民に近い体験をすることになるとは、思いもしなかった。途中で車が故障したのか、どこからかガソリン携行キットを持ち、おじいさんが車と車の間に立ち、歩きながらその行列に並んでいたのは、可哀想だった。

 それから2日後、電気が復旧。4泊5日。不謹慎だが、予想もしない休日は、当然、心も体も休まることなく、与えられた休日も終わりを告げたのである。

 こちらは、そんな状況だったが、震度7を記録した厚真・安平地区は甚大な被害である。千歳の6強。(千歳の被害はそうでもなく、前日の台風で木々が倒れ電線が切れ交通障害の方が甚大だった。)少しでも早く復旧できることを祈るばかりである。

 と書きながら、2月前、このブログの記事で、「安平地区震度5弱」の記事を書いていたのを偶然発見した。すっかり忘れていたが、今から思えば、あれが前震だったのかも、と思ったりした。まだ、どの情報機関も記事にしていないが