財政破綻から10年 。再出発、挑戦あるのみ。 ~北海道夕張市~ 市長「鈴木直道」にみる日本の未来

~一言「感動」。東京の一青年の見た「夢」が夕張に「希望」を生んだ。

 

 たまたまTVを見ていて、少しく縁ある「夕張」の特集だった。もう少しで「再生団体

」の重しがとれ、同時に、負債を自分で返さなければならない岐路に立つ夕張。それでも、この町は(あえて市と呼ぶまい)、そこに住む人達は、一度死んだのだ、と思う。それを、10年前の、あどけない、東京の1青年が、勇気を見せ、立ち上がる心を作り、今、未来への小さな、小さすぎるけれど確かな「道」を作ってくれたんだな、と、素直に感動している。

 市長は言う。「2016年、夕張市財政破綻から10年を迎えたこの年に、大きな決断をしました。これまで市民の努力により116億円ものお金を返すことができた一方、まちから多くの人が去りました。このままでは夕張自体の存続も危ぶまれてしまう…。そこで夕張市は、財政再建一辺倒の政策から、地域再生との両立へと舵を切りました。山積する地域課題に立ち向かい、夕張は立ち上がります。」と。

 すべてが、夕張の責任ではない。時代の変化、国策の無責任さ。いろいろある。けれど、愚痴や恨み言を言っていても、「夕張」は、今、なかったろう。そう思える施策を、東京の一青年が次々と行った。

 日本にとどまらず、世界的に有名な夕張メロン。けれど、秀逸さゆえ、愛情をかけ続けなければ育たず、日本一の高齢化とかけなければならない手間は、夕張を救う「1手」にはなりえなかった。

 炭鉱の町夕張をイメージして、竹炭を混ぜ込み熟成黒麺を完成させたゆうばり屋台村 石炭黒ラーメンや、夕張産メロンの果汁や、幻の夕張メロンブランデーを使用したれで漬け込んだジンギスカン、夕張屋ジンギスカンなども、夕張の人達の心の復興なくして生まれなかっただろう。

 その他に、この10年で、いろいろな施策が生まれている。

■手つかずの市有林を再生「日本一の薬木産出地」プロジェクト

 「かつて炭鉱の坑木として植栽されたカラマツは、ほとんどが伐採可能な年数を超えているため、市営住宅の建材用として伐採し、跡地に薬木を植栽しました。キハダ、ホオノキは、樹皮が成長分野として期待される生薬の原料となり、花や材も活用できます。成長が早く、15~20年ほどで活用することができます。森林資源の潜在力を引き出し、循環利用による雇用を生み出し、薬木産出地日本一を目指します。」とする。

■ごみの山を再生!「宝の山」プロジェクト

 「石炭をとった際の捨石(ズリ)を積み上げたズリ山は、夕張市に60あまり存在し、単なる「ごみの山」と見なされてきました。
このうち、最大級のズリ山が融雪水で一部崩落し、河川を塞き止め、下流側に鉄砲水を発生させました。防災対策として、工事費5億円が必要となりましたが、このズリ山は選炭技術が進んでいなかった時代のもので、約3割もの石炭分を含んでいることがわかりました。ズリから採炭し、海外産のカロリーの高い石炭にブレンドすれば、火力調整用の石炭として出荷することができます。崩落ズリを採取して石炭を生産することで、工事費5億円が不要になるばかりか、10名の雇用創出が生まれており、今後20名の雇用を目指します。」とする。

 これらは、鈴木市長なくしてうまれなかった発想だろう。まあ、夕張市長となんの関係もない自分が、どうして、ここまでほめちぎるのか。それは、たぶんTNVでみた10年前の、東京都庁の職員として執行してきた彼のあどけない顔を、改めて見たからだろう。自分も年をとり、違う世代の若者を見るとき、ともすれば、厳しい視線で彼らを見てしまう、そんな事も数多くある。それは、年をとり、残り時間が短くなる刹那、ある意味必然かもしれない。が、彼の言動、行動を振り返り、全然違う感覚を持った自分に驚くのだ。

「子供達を育て、夕張にいつか戻って欲しい、と思う。当然です。でも、それは、大人のエゴかも知れません。それより、愛情込めて地域で育て、世界に羽ばたく彼らが、今自分があるのは、夕張のおかげ、夕張という地域のおかげ、と思ってもらえるような「故郷夕張」を作りたい」という、」彼の言葉に、感動したのだ。「どうして、そこまで、思い入れ出来るのだろう。」と。

 

 少し調べてみた。なぜ、彼が夕張再生に、「自分の半生をかけたのか」を。

 

 東京都職員を辞し、北海道夕張市長選に立候補を決めたのは29歳のときです。私は2008年1月から2年2カ月間、都から夕張市に出向しました。その後、約半年ぶりに夕張に戻った際、一緒に地域活動をしていた仲間から出馬要請されました。
 とても悩みました。というのも、当時交際を続けていた現在の妻との結婚を控え、出身地の埼玉県三郷市に新居を確保したばかり。07年の財政破綻以降、夕張市長の給与は70%カットされています。月額25万9千円。退職金はゼロです。しかも、選挙運動には数百万円の費用がかかります。法律上、都職員を退職しないと立候補できません。片道切符なんです。当選しても身分が保障されるのは4年間。落選したらすべてを失う。

 一方、都職員としての当時の年収は約500万円。市長に当選しても半分近くに減ってしまいます。悶々と考えていましたが、答えを出せませんでした。これだけ断るべき要素がたくさんあるのに、断れない自分がいた。何でだろうと考えたとき、こうした不安をいったんテーブルからおろして自問してみたのです。そうしたら、挑戦したい自分がいるから断れないんだ、と気づいたんです。

●高校生で母子家庭に

 見ず知らずの人たちにも支援者になってもらうぐらいの熱意がなければ、どんな仕事も成し遂げられません。そう考え、自分の中で答えが出るまで誰にも相談しませんでした。こんな考え方をするのは、高校生のときに母子家庭となり、経済的苦境に陥った経験が大きいと思います。当然視していた大学進学を一旦断念し、食べるのにも苦労することになり、世の中は自分で切り開いて渡らなければいけないものだと痛感したのです。

 国内最大の石炭供給地として日本の近代を支えた夕張の歴史は理不尽そのものです。国のエネルギー政策の転換に伴い、炭鉱から観光へシフトしたのが裏目に出て財政破綻の憂き目に遭いました。約3千人が炭鉱事故で死亡しています。かつて夫を炭鉱事故で亡くした女性が「私はそんなに悪いことを、この人生でしてきたんだろうか」と嘆く姿を見て、申し訳ない、見て見ないふりはできない、絶対この状況を変えてやる、と思いました。夕張市の子どもたちにまで責任を負わせるのはあまりに理不尽ではないですか。

大義ある逆境に挑戦する」が私の持論です。逆境でもそこに大義があれば必ず道は開けます。財政破綻から10年を経た今年、「不可能」とされた財政再生計画見直しを図ることができました。信じて身を投じるのが大事と思っています。

AERA 2017年5月22日号 )

 妻は、脱サラして「ラーメン屋」をするみたいなもん?と言うが、何か、少し違う?
 東京の一青年が、絶望の淵にある、小さな田舎町の「夕張」の老若男女の心に灯火を灯した、このすごさ。感服だな、この若者に。

 次期の北海道知事の候補として取りざたされるが、党や主義主張を超えて、応援しなければ、と思わせる人間のようだ。今後の動向に注目してみたい。