生きてきた証~2年間のつぶやき5

~子育て・悩み・生き方~2年間の証をまとめてみた(5)

  子供が生まれ、大きくなり、親の心配を乗り越え、中学・高校と無事終わりを告げようとしている。その2年間の足跡を、色々なところでつぶやいてきた。生きてきた証として、記してみたい。

  〈「ゼロの激震」に出会い・考えたこと〉

 ゼロの激震を読み、玉置浩二のオリジナルCDを作り、やしきたかじんの「やっぱ好きやねん」を聞き、自分の器の小ささを感じ・・・。5月3日(水)15年ぐらいぶりに「留寿都遊園地」へ。娘も苦手なジェットコースターに果敢に挑戦。息子は私と2機のジェットコースター。わんわん競争、うさぎ競争でぬいぐるみを2つゲット。前日、夜11時帰宅。朝6時出発の強行軍も、晴天に恵まれ、兄娘のむつまじい笑顔と側の妻の姿を見、「これから」、と「今まで」を思っていた。この人達の側にいる事の喜びもしっとり考えながら。「知性とは、生業や人にひけらかす為に身につける物ではなく、困難に直面したとき、どう立ち向かうかを教えてくれるもの」「技術は人を選ぶ。勤勉、真摯、そして、器の大きさ。売名・不遜・おごり。どれかひとつでも心に潜んでいたら技術は、人を裏切る」。そんな言葉を我が身に顧みて、想っている。どこかで、思い続けてきた「教えること」「伝えるため」の技術・心が、到達点に近づいた実感があった。いつの間にかおごっていたのか、と今の違和感の理由を探している。あの時、あいつらを、第二の親の思いで愛でていたつもりが、実は愛でられていたか。それでも、想うこと。教育は環境だということ。そして、それは、親が作るのだ、ということ。そのために、親は逃げてはいけないということ。そして、それが正しいかどうかは・・・信じるしかないということ。孤独の中に喜びもあるのか、と想う日々。休日ぐらい、感傷もいいか。2階の部屋に貼っている前任校の子供達の笑顔に、明日への一歩の元気を思い出す。20代も50代もさして変わらぬ「自分」に、苦笑。切り替えが、下手なんだよなあ。昔から。しばらく引きずる性分は変わらないなあ、と。感謝の思いを縁を返すつもりでいたことを思い出す。今までのように。など、どうでもいいことを考え、やはり玉置浩二の「メロディ」はいいなあ、と想いながら、ほっと1日が終わる。