高1男子が自殺…父親「担任教諭から罵声」

~そんなことで死ななければならないのか?結果に対する原因は?

 

宮城県工業高校1年の男子生徒(15)が8月、仙台市内の自宅で自殺していたことが31日、わかった。男子生徒の父親(44)が同日、記者会見して明らかにした。父親ら遺族は「担任教諭の過度な指導があった」などとして、原因を調査する第三者委員会の設置を求める要望書を県と県教育委員会に提出した。 父親によると、生徒は担任の男性教諭から罵声を浴びせられたほか、提出したリポートのやり直しをさせられたり、部活動を禁止されたりして精神的に追い詰められたとしている。生徒は「先生が自分にだけ強く当たっている気がする」と話していたという。

 生徒は夏休み最終日の8月21日、自分の部屋で自殺しているのを母親が発見した。遺書はなかった。(読売新聞 / 2018年10月31日 19時4分)

 

 生徒を死なせたことは、関わった教師、学校が全面的に悪い。学校は、すべての生徒に「安全」を保証する事が、第一義的な「責務」だからだ。しかし、「悪い」ことと「責任」が100パーセントある、のとは違うのでは、とも思う。

 

1、担任の男性教諭から罵声を浴びせられた。

 罵声=激怒、である。一他人の一教師が、(たかだか子供の)生徒に、感情を露わに、その後に起きるであろう様々な「面倒くさい」事象を、考えられなかったわけでは無いと思う。それでもなお「罵声」を、衆人の面前で「見せて」しまうほどの、「原因」があったのではないか。それは、その「場」にいた者しか知らない。他の人は、所詮「想像」しかできない。

2、提出したリポートのやり直しをさせられた。

 これが、死を選ぶ原因としてあげられる意味がわからない。「やり直し」を求めるには、当該生徒やその集団に、完成のための「条件」が提示され、それに見合わない、(つまり、説明を聞いていない、条件を無視している)為であるはずで、主観も含め、その価値観に会わなければやり直しであり、それが、学校という「場」である。

(まあ、それすら面倒な場合は、「不可」のサインを記して返すだろう。この場合、それをしない所に、この教師の、ある意味「真摯」ささえ、うかがえるかもしれない)

3、部活動を禁止された。

 学校の部活動は、クラブチームではない。対価ももらわず、いわばボランティアの場である。もとより、学校という場の約束事が守れてこそ、活動が保証されるのである。それが出来ていない、と認められる場合、「部活動停止」は、その顧問の判断に委ねられるし、それが納得出来ない場合、部活動を辞め、クラブチームなどの社会体育に、その活動を、対価を払って委ねるべきであるのは、明白だと思う。

4、生徒は「先生が自分にだけ強く当たっている気がする」と話していたという。

 子供が言う、文句の方程式である。それだけ、その子が「目立つ」という事実がある。叱られるには、原因がある。仮に他の生徒が違う場面で同様の事を起こして、叱られない(教師が見えない、あるいはその場で叱る事を意図的に避ける)ことがあったとしても、その場で、怒られる生徒が、怒られる原因を「見せていた」のは事実だろう。

 子供が、自ら命を絶つ、これほど痛ましいことはない。が、親の立場で言えば、そんな事は、これからいくつもやってくる。理解できない人との出会い。理解してくれない人との出会い。理不尽な出来事の数々。生きていけば、多分、出会うだろう、誰しも。そこで、くじけない心を育てたいし、この父親も育てたかったのだろう。苦しいとき、その一端でも「自分にこぼしてくれれば」、そんな思いが、今回の訴えの背景にあるのかもしれない。・・・・合掌。それしか、ない。