中高年の47%が「会社の飲み会」が嫌い。嘘をついて断ることも。

~飲み会に行かなくなった理由。それは・・・。

 飲み会は好きか嫌いか?」と尋ねたところ、中高年世代の47%が「嫌い」「どちらかというと嫌い」と、否定的な態度を見せているのだ。一方、若手世代に同じ質問を投げたところ、飲み会否定派は35%にとどまった。しかも飲み会を断る際には、いい年こいた中高年でさえ64%が嘘をついて参加を断っているのだ。

                    (2018年11月9日 8時54分日刊SPA!

 

 最近は、とんと飲み会に参加していない。理由すら言わない。この「記事」は、そういう中高年が増えているという。さもありなん。なぜなら、時代・耐久観・見返り・充実度、いろんな物が変わってきている。教育現場は、それがマイナスに触れつつあるが。

 若い頃は、なぜあんなに飲み会に参加していたのか。不条理な職場や上下関係、嫌な同僚・上司のいる首席へ。楽しかったか、そうでなかったか、と聞かれれば、そうでない事・心理の方が多かっただろう。金もない。それなのになぜ?

 まずは仕事を覚え、独り立ちしなければならない、という切迫感。困難な場面に出会ったとき、助けに堪えてくれる目上の先輩や上司への顔つなぎ、人間関係作りの必要性。それが、なににも増して必要だった。「酔った振りして」、仕事の進め方のコツや困難な場面に出くわしている事を、「少し」相談したり、そんな必要性があった。年を重ねる度に、そんな場面は軽減し、また、年齢相応に、自分で選択・解決出来なければ、ある意味、「恥ずかしい」年齢になることも、その必要性が薄れていく、それも要因としてあろう。飲み会=人間関係作り・拡散、という意味合いもあったが、最近は、家に帰れば、仕事の残り、食事、読書、ネットで時間は終わる。意図して人と関わらず、必要な知識を補える。飲み会に出る意味がなくなった。

 また、先輩に教えを請うという時代でなくなった。自分が若い頃は、理不尽な先輩でも、そこに一定の敬意を持ち、話を聞いたり、行動を観察し、自分の引き出しに貯めていった。そこには、やはり大きな緊張感も生まれ、それが「仲間」観を作り出していたように思う。今は、良くも悪くも「平等」なのである。そこに、「ごちそうしてでも」という心は生まれない。勝手に動き、さもそれが「当然」のように振る舞い、問題を起こしたら、「知らん顔」。そんな若者の為に、何かを作る、「心の耐性」が減っているのであろうか。

 お金の問題である。そういう平等性のもと、飲み会は若手主体のものとなる。別にそれでいいのだ。ただ、そこに安くないお金を積み立て出席するのは「馬鹿らしい」のである。なので、どうしても飲みに行きたい、心のリフレッシュをしなければ、という時には、行きつけの店を探しておいて、一人で飲むのである。その方が、お金の使いがちを認めるのである。

 基本、一人で「責任を取れる」自信をつけた中高年は、無理して若手と飲もうと思わないのだ。相手が「欲しない」中、「育てよう」と頑張る意味がない。

「飲み会に誘う側である、上司や先輩側の努力がまず必要ですね。普段の力関係を考えずに、酒席だからと上司が友達感覚で話そうとしても、コミュニケーションに齟齬が生じるケースはよくあります。アドバイスのつもりで話したのに、若い世代にとっては、自慢話や説教に聞こえてしまう。飲み会で腹を割った話をしたいのであれば、上の立場の人は、上から目線にならないように注意して、お得意様を接待するくらいの気持ちで接するといいでしょう」と記事の筆者は言うが、そこまで迎合してまで、飲み会に参加する意味は、管理職にでもならないかぎり生まれない。

 中高年が飲み会に参加しなくなった理由。それは、「個性・平等・人権」など声高に叫ばれ、年長者を敬う空気が薄くなっていく昨今、まあ、必須の現象ではあるのではないか。・・・飲み会のお金の積み立てすら、最近は拒否する中高年が多くなっていると聞くが、まあ、意味ないからね。積み立てたお金は、丼勘定で出席しなくても、もろもろ引かれ返金されないし、なら、間違って行かなければならない時だけ支払う方がいいし。・・・会社も終身雇用制がなくなり、仲間である意識より、時間内だけの社員という時代だし、生き方・その価値観の変化も要因としてあるのだろう。

 「良い仲間関係は良い仕事をする。=仲間関係が良くないと良い仕事ができない」。こんな(仕事をしない・出来ない人達の)妄想が、妄想として分かってくる年齢層が中高年でもある。「良い仕事を成し遂げる→達成感→仲間関係が良くなる」ことに、中高年層が気づき始める年齢であるのも、飲み会を中高年層が求めなくなった背景にありそうではある。たかだか「飲み会」の事。どうでもいいことではある。