日産「ゴーン追放クーデター」に見る日産の未来と正義という偽善。

~悲しいかな。ゴーン追放クーデター後の日産の未来!

 まさかの、そしてドラマ「ハゲタカ」もびっくりの「ゴーン追放」クーデター。

 これは、誰が見ても「クーデター」である。そして、この「クーデター」を成し遂げた西川廣人社長兼CEOサイドに高揚感がうかがえないこと、ゴーン体制の「不満」をあげつらうだけで、自分たちの思い描く「未来」を示しえない結果に、「西川廣人社長兼CEO日産」の未来も見えたような気もする。事実、西川廣人社長兼CEOの思惑とは裏腹に東京地検特捜部は日産経営陣の背任も視野に「聴取」を続けているという話もある。

 1999年経営破たん寸前だった日産はひどかった。自分もずつと日産車を乗り続けていたが、新車は、普通に乗って6年で錆が末期状態になる。(街で見かけるブルーバードはみな同じ様)、中古車は5~6万キロのテラノが、車のおなかに給油が漏れ続け、タプタプ、少しでも衝撃があれば爆発・・・なんていわれ、挙句に、トヨタに乗り換えることを決意しつつ、日産の付き合いのある会社に、エルグランドの交渉も、社交辞令で話し合い、・・・その夜(トヨタエスティマにしたのだが)、営業から電話で、270万でもいいので・・・というお願いがあったほど。そんな状態だったのだ。

 人生の行動の結果には、すべて光と影がある。日産のカルロス・ゴーンがメディアに「カリスマ経営者」と持ち上げられた理由は、言うまでもなく“コストカッター”。要するにクビ切りだ。ゴーン容疑者は日産の社長だった2009年2月から、国内工場などで働く約8000人に上る非正規労働者の大量のクビ切り策を強行。多くの人が生活の基盤を失ったが、同時に、彼の行動力なしでは、200パーセント、日本から「日産」という会社はなくなっていた。当時を生きた自分は、そう思う。倒産すれば、生活の基盤も何もありはしない。多くは派遣社員がその対象になったが、その社員たちは、世の移り変わりに、危機感を持ち、学生時代や社会人時代を過ごしたか?言いたいのは、ゴーンだけが悪いのか、ということだ。

 まあ、外部の人間が富を得て、自分たちには・・・となると「妬み」「ひがみ」は世の常。そこに「手を打たなかった」所に、ゴーンの油断があったかもしれない。ただ、今回の「事件」も、日本の「文化」的に、報酬はあまり多く見せないほうがいいと「日産」経営陣がアドバイスしていた、という話もある。つまり、だまされたのかもしれない。ただ、倒産しそうな時には、百頭下げて「来ていただいて」、利益が出るようになると、足で砂をかけるように「もらいすぎだ」、と謀略をはかる。それが、なんともやりきれない。「感謝は口だけ」「のど元過ぎれば熱さ忘れる」のような「今の日本」を見るようで、落ち着かない。社内の不満は、ゴーン氏ら一部の外国人が高給を取り、会社の金で贅沢三昧なのに、現場への投資は怠っていることへの反発もわからなくはないが。

 ただ歴史上、クーデターは明るい未来を作ってこなかった。壊すのは簡単。だが、その先の「設計図」を誰も描けなかったからだ。西川廣人社長兼CEOサイドに、未来への

「設計図」や「設計図作製への情熱」があるとは感じられなかった。

 ゴーンなきあとの日産は、残念ながら明るいものではないような気がする。