中1自殺、両親が市提訴=「いじめに措置講じず」―福島・須賀川

~片側からの事実は真実ならず。けれどもう片側からの事実を加えても「真実」ならず。

福島県須賀川市の中学1年の男子生徒=当時(13)=が2017年1月に自殺した問題で、生徒の両親が27日までに、市と教員2人に計約7600万円の損害賠償を求める訴訟を福島地裁郡山支部に起こした。提訴は10月12日付。 訴状で両親は、男子生徒の担任と所属していた部活動の顧問、学校を運営する市が、いじめに対して適切な措置を講じなかったと主張している。

 市教育委員会の第三者委員会は17年12月に発表した報告書で、男子生徒がクラスで受けた「菌」呼ばわりなどのいじめが自殺の大きな一因になったと認定した上で、「単なるからかいと事態を軽視する教職員が一定程度いた」と言及していた。

 須賀川市の橋本克也市長は「訴状の内容を十分に検討し、対応する」とコメントした。(時事通信社 13:08) 

 

 大切な子供に死なれた親のやるせなさ、怒りの「ぶつけ先」が学校・部活動顧問・担任に向くのは、理解できる。しかし、その陰にある「闇」までも見て、人は語ることが出来ず、もちろん記事に出来ない。それは、社会的タブーであるからだ。それが、事実だとしても。

 まず、いじめ、あるいは、心的負担に感じる程の継続的な圧力をからかいとしか見ない教員が「一定数」いる、というのは、どこの学校も同じだろう。学校は、特別な場所ではなく、社会の縮図なのだから。

 学校の問題として、生徒の命を預かる「担任」としての仕事が、まず「評価されない」役職であることが、意外と知られない。親対応、非行対応、警察沙汰対応・・・すべて「担任の仕事」なのだが、それ以外の副担と同じ給料であること。副担も一部の業務多忙な部署に比べれば、一時期の仕事の多忙さがあるだけで、多くは「骨休め」的な仕事も多い。でも給料は同じ。年々、経験もこの仕事の清濁も経験した、貴重なベテランが、50代で副担を希望する割合が多くなるのもこのためだ。そして、経験を積まない若手や何年も採用試験に受からない臨時採用の人を担任にする。最近は、理由無く、若い女教師を担任に据える管理職もいて、現場は不協和音が静かに浸透する。臨時採用の教師は、それを公表すると親からの避難中傷があるため、その人が転勤・離職するとき初めて「任期終了のため」という言い方で、形だけ伝えるのみだ。そういう意味で、今後は、学校・学年・学級の治安維持に、再び困難な場面が増えてくる事も予想される。

 学校だけではない。社会全体で「責任を誰かになすりつけ正当化」する風潮が、この「いじめ問題」をも不透明なものにしている。

 たとえば、介護問題。人手不足・外国人参加問題で注目を浴びているが、そもそも、家庭で「介護」出来なくなり、「お金を払って」、代わりを「お願い」している制度だ。「お金を払って」いるから、という理由で、「些細な部分」にも注文をつけ、「やってあたりまえ」「プロなんだから」という言葉で、「自分が出来ないでお願いしている事実」を覆い隠す。出来ない事を責める。目を背ける。それが、介護施設の「虐待」「人手不足」の原因の一つである事は、自明の事実だろうに。「感謝」の気持ちがない所に、その闇の原因・制度の限界があるのだろう。

 学校も同じ。勤務時間を超えて、放課後学習を毎日することを公然と要求したり(自分でもっと子供に関わる、教育に関心を傾ける等放棄して)、いじめが横行しているときは、担任の力量を責め、「だめなものはだめ」と指導すると、高圧的すぎる、子供が萎縮していると非難する。(自分の子供目線で考えるだけでなく、至極正しそうに言葉にする)。結局、教師は、考えるのをやめてしまう。面倒くさくなるから。結果、学級・学年は荒れる。結局、他人事。そこに闇の原因はある。自分の子供が同様の事件に巻きこまれるまでは、自分がしてこなかったことの結果を誰かに転嫁しているほうが「楽しい」という気分。

 子育ての問題。すぐ「死にたがる」子供は、その家庭に根深い問題があるが多い。夫婦仲、経済等。そして、その事実に、目を背け、対決を避け、逃げ続けた結果、耐え、逃げ、次の道を模索することなく死を選ぼうとしているかもしれないことに、不感症になっていることも多い。

 「死んだ犬に石持て投げるな」は、美徳である。が、美徳は、いつも人を救うとは限らない。時には、その災いを周囲に広げることさえある。その根本の原因は、「責任の他人への転嫁」「責任のなすりつけ」「開き直り」という、人間の業にあるような気がする。特に、最近の社会の様相を見るにつけ聞くにつれ、そう感じる。

 学校にしても、介護施設にしても、いざ事件が起きれば謝るしか手だてがない。だから、「正義の代理人」風のマスコミは、責めやすい。そして、その闇を見つめられない。・・・学校のいじめ問題は永遠に解決できない、深遠な闇に包まれているような気がする今日この頃である。