「初詣」。後ろの若造に「長え~し」と言われ、考えたこと。「父の急病」「初詣の雑言」「終わり方」「息子・娘」

~新しい年を迎えて

 大わらわの年末。仕事を終え、開放感に浸りながらごろごろしていた時。携帯に一通のメールを見た。そこには「父、腰から足に強い痛み、救急車で病院へ」とあった。その時は当然のように酒を飲んでいて、父の住む札幌には、今からでは1時間以上かかる。実家や母に連絡を取るもつながらず。連絡のあった弟にも連絡がつかず、弟の奥さんの携帯で訪ねるも、詳細分からず。その後、弟から2度目のメール。今、病院にいるが、ヘルニアの疑い?とある。偶然に翌日が当番病院なので検査できるので明日検査とだけ。まあ、整形系のようだし、妻は病院へ、と言うが、何しろ冬真っ盛りでつるつる路面。悩んでいるうちに、3度目の弟から電話。夕方5時から3時間ほど待たされ、やっと今、診察終わるとのこと。しめて5時間の同行。実家に帰る2日後でいいんじゃない、と言うのでそうする。・・・結局、ヘルニアでもなく、非常に強いぎっくりみたいなものじゃないかという結論で安心する。2日入院し、3日目の30日に連れて帰る。娘と父に会いに札幌を歩き、なんだか贅沢、という娘を横に父に会いに行き、帰宅後、帰りたいという電話あり、とんぼ返りでまた病院へ。なかなか忙しい1日だった。

 翌日、さざんの紅白や大好きな京都の行く年来る年もみず、早めに「初詣」に娘と行く。神社の前に、同級生が住職をするお寺の鐘突きに行くが、例年と違いまだ、記者らしき人と寺の人が鐘突きの写真を撮っているだけで、誰もいない。気温も例年より温かくやや拍子抜け。神社には0時の20分前に着いた。が、ここで、0時までは参拝できません。並んでくださいと言われる。ええ~。なぜ?昔は、ドンドン好き勝手にお参りできたというのに。0時にお参りしたい人は待てばいいし、早くお参りして帰りたい人は先に行かせればいいのに、と娘とぶつぶつ。20分まち、順にお参りすることに。家族の健康と息子の受験の成功をお願いし、だいたい10秒ぐらい。顔を上げると、後ろの若造が「なげ~んだよ」。・・・後ろ向いてにらみつけてやろうと思ったが、新年早々・・・と思い、知らんふり。10秒も考えない、君達のお参り。それは「何?」、と思いながら、しばらく腹が立った。そのあと、娘とおみくじを引いた。数年ぶりの「大吉」。あの瞬間は、決して大吉ではないが、などと考えていたら、気がついた。「教えてくれたんだ、神様が」と。「無意識に出る」考え事・言葉に気をつけろ、という事。それは往々にして人を不快にさせるから。

 さて、昨年も、さんざん悩みながら、残された時間、自分の出来ることは何か、揺れながら考えてきた。この職業に就いたときの純粋な想いと今を考え。今年はどう生きるか。高校生の娘が、この正月は、父の側で甘えていた。息子は、また少し大人になり、見えないところで、実家の父を夜中に見守る優しさを見せ、浪人生活に終止符をうつべく頑張っている。

 父として、出来ること。それは、そこに「どんと」いること。見守ること。おっちょこちょいの息子に、当日は、駅までつきそうか、など考えつつ、そこにあるだろう未来まで共に歩くのみ、などと考えている。

 「終わった人」を読みながら、この主人公のような「才能」のない自分は、はて、あと10年どうするか。どう生きるか。まあ人間関係は今まで以上に、ドライでいいかな、とも思うが、さりとて、自分の仕事の終末をどう描くか。

 娘の「うちの父は意外と打たれ強い」と、妻の実家で親戚に話したように、「打たれ負け」ず、やはり「誰かの心に残る」生き方をしてみたい、とも思う。

 息子は、将来は、父と同じく「歩きながら」見つけていきそうだし、娘は医者になりたいという夢に、今年はもう一歩近づくべく歩くだろう。女の子の「差別」が騒がれた医学部の昨年だが、それでも、それが本当の夢ならば、戦い、チャレンジして欲しい友思う。・・・学費稼ぎの為にも、それまでは、健康で働かねば。仕事への魅力もすり減っていくこの頃だが、あがいても、はいつくばっても頑張らねば。そんな気持ちも「立派な新年の決意」だろうか。そんな事を考えていた今日。熊本で震度6地震。災害は正月とか平成最後のとか考えてくれない。今を、真剣に走り抜けるしか、ないか。

平成最後の「初詣」で考えたことである。