夏の甲子園。北照予想取り惨敗!地域に応援されるような野球をいつか。

~北海道の暗黒時代再びか。「戦えない・勝負できない」。

 

 一応は応援した。桃枝君のタイムリーには、「よし!」と声が出た。結果、3対4。惜しかったのか、そうでなかったのか。ただ、今回の北照の野球を見て、北海道の野球のレベルの低下と暗黒時代再び、という思いを持った。もちろん、精一杯戦ったナインにけちをつけるつもりはない。が、という所である。

 南北海道大会決勝を見に行った。円山は超満員で、私達はたまたま空きのあった北照側応援席で観戦することになった。相手の札幌国際情報高校と比べるつもりはなかったが、あまりの「熱」の違いに驚いた。翌日の新聞にも「球場全体が国際情報びいきのような雰囲気の中」というコメントがあったほど。

 何が違ったか?それは一体感だ。応援席で声をだし、拍手をし、応援する人はまばら。札幌・小樽間,約1時間強の距離で、当然、全校応援なのに、ブラスバンドの演奏から伝わる「覇気のなさ」(に感じる差)。見ている分に感じられる 国際情報のナインとの一体感・切迫感の差。そう「なにくそ」感のなさ。

 「桃枝のスピードは、ねえ」とか、「甲子園で勝てるのかねえ」。これは、応援席の声である。もちろん「父母」は真剣である。

 果たして、彼らは、本当に「一体」となって、あの場に臨んでいたのだろうか。甲子園を決めたあの時の桃枝君の「コメント」。

「また、俺が投げて打ってみんなを引っ張るから・・・」てへ感まるだし。聞いてるベンチもてへ感全開で。監督も、このチームは「桃枝のチーム」と公言する。これを聞いて、「駄目だなこれは。」と思った。

 そんなさなか、古本の店で、「田中将大ヒーローのすべて」という本を購入し、読んでいた。あれだけ年数が経ったのに、まだ、ありありとあの時の興奮・感動・感涙を思い出し、目が離せなくなった。あの時の「駒苫」との違いはなんだろう?「ナイン・監督」との一体感ではないか。逃げながら、かわしながら作られる「見せかけ」の一体感ではなく。

 また、試合に臨む「闘う姿勢」。今回の桃枝君はじめ最近の北海道のチームは、インコースをほとんど投げない。かわす投球ばかり。同じ変化球でも、攻めてかわすのではなく恐れてかわす。いつかは捕まるわけだ。

 守備を見ていても、「守っている」守備なのだ。あのときの「駒苫」の「さあ、こい」という「守備を楽しむ」守備ではなく。

 野手も、打撃が課題といながら、予選も・決勝も甲子園でも、ただ、打ち上げる。「つなぐ意識」が感じられる場がほとんどなかった。そういう練習をしていないんだなあ、と感じた。

 40代監督の「遠慮」しながらまとめた「限界」も見たような気がした。そんな北照に勝てない他校。「北海」「東海大付属札幌」「駒苫」。同じ課題を抱えた、同じレベルなのだ。いつのまにか、である。

 「桃枝」のチーム。ワンマンチームは勝てない。レベルも上がらない。「桃枝のチーム」と聞くごとに、他のナインは何を思うのか。まあ、思い入れのある生徒への「思い」を伝えたくなる「大人」の気持ちは分からないではない。しかし、それは、情となり、勝負では、大概、負けに直結する。

 「桃枝」はよく投げた。ただ、攻められなかった。チームで一体となって「戦え」ていなかった。北海道の野球のレベルは、いつのまにか、あの「暗黒時代」、他の都府県のチームに「当たりたい」と思わせるレベルに戻っているようである。あの振り逃げを成功させてしまったプレー。傷口を広げたショート後方のヒット。

 甲子園で見た北照ブラスバンドや生徒の応援。あの時の円山と違い、なかなかのものだった。円山の時はえへらえへらしながら、遊びながら応援していた1年生が、だ。なぜ、北海道でできないことを、今、できたのか。「やらなかった」のである。甲子園では、「自分のために」応援したからできたのである。この辺なのだ。それは、今の北照の学校の雰囲気なのかも知れない。この学校の変わらぬ課題である。監督なのか、選手なのか。香田監督のような人材が出てきた欲しいし、今度こそ、その人達の熱い思いを「守って」あげたい。自分たちが感動し・元気をもらえるように。

 地域に・ベンチ外のメンバーに、心から応援されるチーム。そんなチームの出現を待ちたいと思う。