緊急事態宣言!不安の原因が伝わらない。終わりの見えない未知の恐怖。

~安部総理、北海道知事。似ている人々。それは・・・。

 日本初の「緊急事態宣言」を受けて2日目。道民の生活はどう変化したか。

 食料品。医療品以外の店や建物は閉店。閑散とした景色。散歩する人さえまばら。

 その日常に何が浮かぶか。それは、「恐怖」である。感染への恐怖はもちろん、自分の力では何も変えられない終わりなき非日常が続くことへの恐怖。その「恐怖」は子供とか大人とかの次元ではない。それが、日本と北海道のトップと共有できない「恐怖」。

・感染した場合の治療法がない。

・薬がない

・年齢により感染可能性が変わるが、絶対ではない。

・自己予防のための手段(マスク・アルコール液)が手元にない。

・感染源がわからない。情報が遮断されている。

 そんな、「今」を二人はわからない。鈴木知事・安部総理。鈴木知事は、マスクがないと右往左往する道民を横目に「マスク装備」会見。

 安部総理にいたっては、拓銀破綻に続く「北海道を実験場に」(鈴木知事の会見)しての「全国臨時休校宣言」。子供を守るといいながら、国民全体の危機感がない。

 そんな中、職場では「老人はいつか死ぬから。この件がなくても」と軽口を叩く30代がでる。それも、この安部総理の欺瞞がなせるものか。

 国民みんなで乗り切ろう、と言うなら、国民を信じて情報をしっかり開示すべきだ。国民である我々も、それに値する行動・言動をするべきだ。どちらも、その値がないのが、今の日本の悲しさ。自分で考えることをしない。ただ恐れるだけ。

 もともと感染症が広がることは想定内だったはず。強毒性のインフルエンザを危惧したシュミレーションもしてきた。

・経済活動がストップする。

・特効薬は国民全部にいきわたらない。

・医療従事者や教育従事者等に感染が広がり、子供達や病気を持つ人への対策がとれ なくなる。

・軽度の感染者を見極められず、感染が広がる。

・感染者収容所の不足。

どれもこれも今問題になってることだ。人間は、いざ自分の身に降りかからないと本気になれない動物だ。まさに、今、その課題にぶつかっている。そういう意味では、安部総理も鈴木知事も責められない。人間の業だから。では、どうする?答えは・・・。「諦める」。諦めて普通に過ごす。普通に感染を恐れる。それしか、ない。今なお日本中にマスクがない。でも、中国に援助として、どこからか26億枚のマスクが送られる。そういう「絶望」には、諦観しかない。そう思う。

 そんな自分は先週37度の熱。ぜんそくの薬をもらいに病院に行き、職場にインフルAの人がいたので、相談すると、すぐ検査。結果インフルA。ほっとした自分がいたのを覚えている。受験生がいるため、慌てたが、安ホテルに直行し、部屋から4日間缶詰。無事被爆せず。

 それにしても、今、職場では、「熱=新型肺炎」が怖いので、無理に病院へ行くな、という命令が出ている。インフルだろうが、新型だろうが、「有給」で対応だから、無理して出社する人もいる。公休でもなければ職場感染は防げまい。

 みんなが公休では、経済活動がストップし、生活も破綻する。消費税増税なんぞしている暇はなかった。考えることは、山ほどあった。そんな、どうにもできない「不安・不満」とともに、多くの道民は、不要不急の外出を控えている。

 安部総理・鈴木知事に言いたい。まずは、情緒的でもいい。走りながらでいい。道民・国民・病に罹患した人達とともに走りながら、なすべきことを「一つ一つ」でいい。考え・実行して欲しい。足下の市民・国民の不安を少しずつでも解消し、普通の生活に戻すために。彼らへの「評価」はそれからである。