昨日は、「中体連」。そこに臨む「部活動やりたい教師の「え?」。

~部活動をしたいから「教師」になる。何も言えない空気と矛盾

 昨日は中体連という部活動の大会。私は、卓球部を「引率」した。そこまでに見聞きした「部活動の病巣」と昨日、会場で見聞きした「信じられない言動」に、部活動したい教員の「根っ子」を、またもや見る。

 まず、職員室での会話。前日、ある子の親から苦情が来たらしい。事の発端は、こうだ。1週間後定期試験がある。その子は、レギュラーにもなれず、大会直前の「練習」にも参加できない。「役に立てない」ので、「家に帰り、勉強したい」、と顧問に相談。「当然」の既決として、顧問は激怒。「周囲の空気を考えろ。そんな感覚なら、部活動を辞めるしかないね」、と。・・・これが「学級」「学年」の集団行事なら。言いたいことは分からないではない、が。「勉強したい=自分の出来ることに時間を割きたい」、というのは、その子供のぎりぎりの叫びでもある。結局、その子は「円満」に部活動を辞めることになった。

 次は、昨日、大会当日である。「授業時間が確保できない」から、毎日、6時間、4時近くまで「授業」。インフルエンザで休校しようものなら「冬休み」を減らしてまで授業を組むのに、どうして「部活動」の大会を、平日に行うのか。誰も説明しない。

 卓球の大会は、無事、1日(昨日)で終了。他の競技は、今日も1日実施。やれやれ、と思ったら、引率含め、顧問が集められ、「子供たちに試合機会を提供したいので、明日も、「交流戦」として、大会を継続したい。いいですか。」

 もちろん、「やりたい教師」の主戦場なので、何も反対は出ない。「なぜ?テスト1週間前、勉強させろよ」「それでなくても、管内1,2を争う低学力地域なのだから」

と。そう思っていたら、ある顧問が、自校の選手のことを、「あの子は、駄目。根性がない。もう・・・勉強に生きていくしかないだめだめちゃん」

「え?勉強に生きていくことが「駄目な生き方」?逆じゃない。」

 その教師は、「数学」の教師である。数学ができるようになるわけはない。その人が教える生徒は。

 「好きで入ったのだから」とやりたい教師・保護者は言うが、「入らない」選択は、今や友達作りという観点で、これまた「勇気」のいる選択になっていることを感じられない。退部も間違えば「いじめ」の原因になるのである。

 部活動を初めとして、「教育現場の闇」は、教師・保護者・生徒、それぞれが幾層にもからまっているからややこしいのである。

 今、文科省がお金をつけてやろうとしているような、単に「事務員」を増やして、解決する問題ではない。けれど少なくとも「教師」は勉強を教えるのが「本務」だということから「目を背けるようでは」、教師たる資格に疑問符が付く。そんな輩が増えているのも、教育現場の危機である。ちなみに、その発言の主の卓球部顧問は、女性である。