最高裁判決 : 精勤手当支払い命令 運送会社の嘱託社員へ

最高裁は、やはり生活感がない。企業目線の判決に「怒」。

 定年後の再雇用で賃金を減らされたのは労働契約法が禁じる「不合理な格差」に当たるとして、横浜市の運送会社「長沢運輸」で働く嘱託社員3人が正規社員との賃金差額を支払うよう求めた訴訟の上告審判決が1日、最高裁第2小法廷(山本庸幸裁判長)であった。

最高裁は「労働条件の差が不合理か否かの判断は賃金総額の比較のみではなく、賃金項目を個別に考慮すべきだ」との初判断を示した上で、賃金項目を個別に検討。全営業日に出勤した正社員に支給される月額5000円の「精勤手当」について、嘱託社員に支給されない点を「不合理」と判断し、この部分の2審・東京高裁判決(2016年11月)を破棄。会社に対し、相当額の5万~9万円を3人に支払うよう命じた。

 その他の基本給や大半の手当については、3人が近く年金が支給される事情などを踏まえ、格差は「不合理ではない」として請求を退け、精勤手当に連動する超勤手当の再計算の審理のみを同高裁に差し戻した。裁判官4人全員一致の意見。

 訴えていたのは、63~64歳の男性3人。正社員時代と仕事内容が全く同じなのに、定年後に年収が2~3割減らされたとして14年に提訴。1審・東京地裁判決(16年5月)は「仕事内容が同じなのに賃金格差を設けることは、特段の事情がない限り不合理だ」として会社側に計約415万円の支払いを命じた。これに対して高裁判決は「企業が賃金コスト増大を避けるために定年者の賃金を引き下げること自体は不合理とは言えない」と指摘し、請求棄却を言い渡していた。

 (毎日新聞

 

 誰でも、いつか年をとる。そんな前提でこの判決を聞いて、納得感のもてる人はあまりいないだろう。仕事内容が同じなのに賃金格差を設けるのは、なぜか。企業が、「雇わなくても良いけど雇ってやってる」意識があるからだ。法律で定年延長、1億総活躍社会を謳うのだから、「従うしかない」という意識が見え見え。

 だが・・である。定年延長は、なぜ成立したのか?要は、年金制度がもたないからだ。少子化・不要な無駄遣い、国の赤字国債の補填・・・など、その巨額な金額に、「くらくら」きた役人のせいともいえるだろうか。とにもかくにも、年金制度の破綻を生活実感とさせない為の窮余の策なのだ。

 そこを、最高裁は見ていないし、見ていてもそれを指摘する「勇気」もない。自分たちが左遷されるし。

 だったら、である。というか、普通の感覚だと思うが、何十年も支払ってきた金額を、きちんと「返して欲しい」。それで、「定年格差」があるのは、仕方がない。そうでなくて、積み立てた40パーセントしか帰らなくて、しまいには75歳から受給すれば、50パーセント以上を返金とか、わけわからない。国家が行う壮大な「詐欺」ではないか。この件に関しては、公→個ではなく公=個でなくてはおかしい。それなのに、そろそろ年金がもらえるから、違法ではない、とか、意味が分からない。「今」ではなく「継続されたプロセス」の話なんだ、これは。日本だけなんだな、これが。そんな「詐欺」に怒らない、国民。結局、つけは、その先の先の先。それが、今なのかも知れない。本来なら、一度決めた定年を迎えたら、ご苦労さん。あとは、ゆっくり、でいい。それを、うやむやにするから、結局、若者の労働機会を、高齢者が奪うことになる。生きるために。・・・・でも、どうして、企業は、そうまでして高齢者を雇うのだろう。馬力も体力も可能性だって若者のほうがいいだろうに。・・・そうか、それが国策だから。選挙にいく世代だから、か。