衰えない肉体、寿命150歳 遠のく「死」問われる「生」

~「不老長寿」は、果たして幸せなのか?

 

老化を防ぐ研究が着実に進んでいる。

ワシントン大学の今井真一郎教授らが老化を抑える働きを突き止めた長寿遺伝子。これがつくる酵素がカギを握る。誰にでもある酵素だが加齢で次第に機能しなくなり、老化するとみられている。

今井教授らはこれらの酵素の働きを保つ生体物質「NMN」に注目。枝豆などにもわずかに含まれる物質で日本企業が大量生産に成功、一部は市販もされているが、実際に人が摂取して臓器などの老化を防げるか研究している。

マウスでは効果を確認しており、「人間でも2~3年で証明できる」と今井教授。「死の直前まで健康に生きる『ぴんぴんころり』が増えるはず」と笑う。

「いずれは生きた臓器同士の交換が始まる」

スタンフォード大学の中内啓光教授はブタの体内で人の膵臓(すいぞう)の作製を目指す。膵臓ができないように遺伝子操作したブタの受精卵に、人のあらゆる細胞に育つiPS細胞を混ぜれば、生まれたブタの体内に人の膵臓ができるとみる。日本政府が2019年にも規制を緩和するのを待ち、日本で研究を申請するつもりだ。

国際電気通信基礎技術研究所(京都府精華町)が開発しているのは脳波で操るロボットアームだ。「動け」と念じると、脳から検知した電気信号を帽子のセンサーでとらえ、「3本目の腕」が動く。西尾修一主幹研究員は「人の脳には3本の腕を同時に動かす能力がある」と進化に期待する。

狩猟採集社会では多くの人がケガで命を落とした。農耕社会に移り、20世紀に抗生物質が見つかり感染症が激減。平均寿命は記録が残る約300年間で40歳弱から80歳超まで延びた。人口学が専門の金子隆一明治大学特任教授は「人間は最期まで健康で潜在能力を最大限発揮しようとする稀有(けう)な生物になりつつある」と話す。

老いの抑制、臓器の交換、そして脳と機械の融合が進めば、2050年には不老不死に近づく。「老後」が死語になれば「支える側」として働き続けることが求められ、社会保障の考え方そのものが変わる。

日本経済新聞が若手研究者約300人に「人間の寿命は何歳まで延びるか」と尋ねたところ「150歳」が最も多かった。家族も4世代、5世代が同じ時代を生きる終わりなき社会。一方で50年に日本人の死因で最多になる死因を尋ねると、自ら生の長さを決める「自殺」がトップだった。

新幸福論Tech20502019/1/3 0:00情報元日本経済新聞 電子版)

 

 人間の永遠の夢「不老長寿」。果たして、それは幸福なのか?人類は、科学の力で次々と、神の領域の分野までその手にしてきた。宇宙への進出、医療技術の進歩・臓器移植、そしてDNA捜査によるクローン製造、臓器複製、父母のいない赤ん坊を誕生させることなど。そして、とうとう、「老化」を防ぎ、不老不死へ、一歩一歩近づいているようだ。だが、果たして、それは福音なのか。

 人は誰しも若さをうらやみ老いを出来るなら避けて生きたいと願う。それは、純粋に長く生きていたいからなのか。150年も生きていられることを、誰しも希求するのだろうか。

 仏教用語で「四苦八苦」という言葉がある。普段もなかなか思う通りにいかず悪戦苦闘

仏教では、人生の苦しみを、大きく4つに分けたものを「四苦(しく)」といいます。
1.「生苦(しょうく)」
2.「老苦(ろうく)」
3.「病苦(びょうく)」
4.「死苦(しく)」の4つです。

さらに4つ加えたものを「八苦(はっく)」といいます。
5.「愛別離苦(あいべつりく)」
6.「怨憎会苦(おんぞうえく)」
7.「求不得苦(ぐふとっく)」
8.「五陰盛苦(ごおんじょうく)」
の8つです。

1.生苦(しょうく)死ぬまで苦しむ……

生苦」とは、生きる苦しみです。

 

生まれる苦しみとわれる場合がありますが、
仏教で私たちが生を受けるのは、出産のときではなく、お母さんのお腹に宿るときですから
「生まれたときの苦しみ」では、本人は自覚がありません。
四苦八苦を説かれたのは、苦しみを知らせるためですから、
この世に生を受けて、生きていくことが苦しみ、ということです。

生きるためには、衣食住をそろえるために、働かなければなりません。
一日のほとんどの時間を働いて、他の人と競争し続けなければなりません。
天下を統一し、成功者といわれる、徳川家康でも、
人の一生は重荷を背負って遠き道を行くがごとし
というように、重荷という苦しみをおろせず、
死ぬまで歩き続けなければなりません。
生きるということは、大変な苦しいことなのです。

2.老苦(ろうく)あなたの容姿が醜くなる

老苦」とは老いの苦しみです。

30代になれば、今までできたことが
どんどんできなくなっていきます。

物覚えは悪くなり、動きはにぶくなって、疲れやすくなります。
肌はシワより、顔も醜くなり、加齢臭を発し、
髪の毛も白くなります。

年が行くほど、趣味もできなくなり、
新しいことは覚えられなくなり、
楽しみが少なくなっていきます。

昔の友達もだんだん死んで行き、
人は寄りつかなくなり、一人ぽっちで寂しい生活になり、
しばらくして自分も死んでいきます。
老いるというのは、苦しいことなのです。

3.病苦(びょうく)─死因の9割は病気─

病苦」とは病の苦しみです。
若い頃も、色々な病気になりましたが、
年をとって、最終的には病気で死ぬ人が9割です。

中でも日本の死因のトップは、ガンです。
50%の人がガンにかかり、30%の人がガンで死にます。

ガンは最初は自覚がなく、痛みもないのですが、
気づかないうちに血液やリンパ液に乗って全身に転移していきます。
そして、神経がやられると、ビリビリジンジンして痛くて夜も眠れなくなります。
骨や筋肉や関節、皮膚にも浸食していき、一種類の薬では痛みは治まりません。
骨転移には、放射線治療を行いますし、薬物治療や手術の痛み、
抗がん剤の副作用による吐き気、便秘もあります。

やがて骨と皮ばかりにやせてくるのは、ガンの特徴で、
やせればやせるほど、身体が弱ってガンの進行は加速します。
体内が腐って悪臭を放つので、家族がよりつかなくなり、
小さい孫は口に出して「くさーい」と言うので、
精神的にも大きなショックを受けます。

ガンは治すことができないので、このように
まっしぐらに死へ向かって進んで行くのです。

4.死苦(しく)人生最悪の苦しみ

死苦」とは死の苦しみです。

死を自覚すると、今まで必死でかき集めてきたお金も、
名誉も地位も何の支えにもなりません。
一切が光を失い、「自分の人生は何だったんだろう」という
生きる意味が分からない苦しみが起きてきます。
これを「スピリチュアル・ペイン」といわれます。
肉体の痛みは、薬である程度とれますが、
スピリチュアルペインは、医学ではなすすべがありません。

愛する家族とも永遠に別れ、自分がこの世に存在しなくなります。
死んだらどうなるかという途方もない恐怖が起きてきます。

遅かれ早かれ、死は誰にでも訪れますから、
死は200%確実な未来なのです。

5.愛別離苦(あいべつりく)会うは別れの始め……

愛別離苦」とは愛する人や物と別れる苦しみです。

会うは別れの始め」「会者定離(えしゃじょうり)」と言われ、
出会ったからには、どんなに愛する人とも、
最後は必ず別れて行かなければなりません。

江戸時代・化政文化を代表する俳人小林一茶は、
晩年になって、ようやく待ち焦がれた子供が生まれました。

さと」と名づけたその長女は、生まれて一年も経つと、
他の子供が持っている風車を欲しがったり、
夜空に浮かぶ満月を、「あれとって」とせがんだり、
たき火を見てきゃらきゃらと笑います。

そのかわいいかわいい一人娘の、あどけないしぐさをいとおしむ情景が、
一茶の代表作「おらが春」に描かれます。

ところがそんな時、突如、さとは当時の難病、天然痘にかかってしまいます。
びっくりした一茶、必死に看病しますが、さとはどんどん衰弱し、
あっという間にこの世を去ってしまいます。
茫然自失、深い悲しみが胸にこみ上げ、一茶はこう詠んでいます。

露の世は つゆの世ながら さりながら小林一茶

露の世は、露のような儚いものと聞いてはいたけれど……。
かわいい娘を失った悲しみは胸をうちふるわせ、
あふれる涙に、もはや言葉が継げません。
一茶の決してあきらめることのできないむせび泣きが聞こえてくるようです。

そして最後は、愛するすべての人と別れて、
自分が死んで行かなければなりません。

6.怨憎会苦(おんぞうえく)憎い奴には会う

怨憎会苦」とは、会いたくない人や物と会わなければならない苦しみです。

学校では厳しい先生や、むかつく友達に会わなければならず、
会社では、偉そうな上司にいじめられ、
嫌みな同僚の嫌がらせにあいますが、
毎日朝から晩まで顔を合わせなければなりません。

結婚すれば、感覚の違う姑と会わねばならず、
息子が結婚すれば、我がままな娘を迎え入れて
顔を見るのも嫌な人同士で同棲しなければなりません。

そして人生の最後は、絶対あいたくない死と
対面しなければならないのです。

7.求不得苦(ぐふとっく)欲しい物は手に入らない

求不得苦」とは、求めるものが得られない苦しみです。

欲しいものがあっても、お金がないので
たいていは我慢しなければなりません。

大学受験では、できれば一番入りたい大学に入りたいですが、
定員が決まっているので、全員が入れるわけではありません。

就職活動でも同じです。
せっかく就職できても、ポストは限られているので、
同期が全員出世できるわけではありません。
出世すればするほど、それ以上の出世は難しくなっていきます。

欲望は限りがないので、手に入るものは手に入る限り欲しいのですが、
お金も能力も限られているので、手に入りません。

そして命にも限りがあるので、すべてのものを手に入れることはできません。
究極的には永遠の命が欲しいのですが、死ぬことは避けられないので、
どうしても手に入れることはできません。

やがて必ず死んでいきます。

8.五陰盛苦(ごおんじょうく)まとめ

五陰盛苦」の「五陰」は肉体(心身)のことで、
五陰盛苦」とは、肉体あるがゆえの苦しみのことです。
これまでの7つを総括されたもので、この肉体によって、
苦しみながら、老いて病気になって死んで行くのです。

この四苦八苦の8つの苦しみの中でも、
特に人生を苦しみに染めているのは、
死の大問題です。

その死の大問題を解決して、変わらない幸福にすることが、
仏教の目的です。
それについてメール講座と小冊子にまとめてあります。

 

 などと解説されていたが、生きることは苦しい事だ、と釈迦も説いている。それは神様でさえどうすることもできないと言われている。「不老不死」はそれに挑戦している。「生きること」=「苦しいこと」だとして、それが単純に150年続く。会いたくない人や物と会わなければならない苦しみも我慢して「生きていける」のは、それが、いつか終わるときがくるからだ。それが150年続く。我慢できない人間は、その苦しみを避けるため殺戮を選ぶかも知れない。重荷という苦しみをおろせず、 死ぬまで歩き続けなければならない、それに耐えなければならない。

 内臓は取り替えられても、身体全部を取り替えられるわけではない。時代が止まってくれるわけでもない。生きていて、自分の都合のいい「いいとき」ばかりが目の前に表れるわけではあるまい。なぜ、人は「不老不死」を願うか。それは死の前にある「苦痛」へ恐怖し、また、自分の意志で、その生を「終わらせる」事ができない恐怖。「永遠に続く「痛」への恐怖が、あるからではないか。愛する人や物と別れる苦しみだが、寿命が延びても、いや伸びれば伸びるほどその死が順番にくるとは限らない。自分だけが永遠に生き延びるかもしれない。それを幸せというのだろうか。、「自分の人生は何だったんだろう」と、幼少の頃より考えることもあるが、寿命が延びてもその答えが出るとは限るまい。また、それが仮に「一般的な幸せ」だとしても、それが公平に万民にあたわるとは、昨今の社会情勢的に考えづらい。人間の幸せとは、生きるとは、死ぬとは、どういう事なのか。少し否定的な事ばかり書いてしまったが、それでも、子供とはいつまでも一緒にいたいし、健康を気にもするのである。できるなら病気にもなりたくない、と思うのである。年末に向け、なんとか走りきり、その反動か酒量が増え、1年ぶりに肝機能が正常値をこえた知らせを「献血センター」のお知らせで見た。・・・2週間くらい断酒しよう。このくらいのささやかな抵抗が「人間らしい」のかもしれない。