突然来た娘からのライン。その心は?

~「お父さん。ピカチュウの人形欲しいっていってたよね?」

 ある日曜日。北海道とは思えないうだる暑さの昼上がり。まったく面白くない野球を見ていたとき。わがスマホが鳴った。「なんだなんだ?」(普段、あまり作動しないので、いざというとき慌てるのである)。「○○(娘の名前)からだ。なんだなんだ?」。横で笑っている妻を横目にスマホを見る。

「今、ポケモンセンターにいるんだけど、お父さん、まえ、ピカチュウ人形欲しいって言ってたよね?(うちには、もうすでに4体いるのである、ピカチュウが。)

「うん

「あれ?違った?・・・」ここで、ふとわかったのである。娘自身が欲しいのであるのではないか、と。友達でも近くにいて、高校生にもなって赤ちゃんぽい、と思われるので、「父親のせい」にしたのではないか、と。そこで、

「ああ、そうだったね。どんな奴?大きさは?価格は?」と矢継ぎ早に送信。

「(写真が送信)。1200+税」

「おお、そうか。じゃ頼む。お金は帰ったらね」

「OK!(喜びの絵文字)」

 その後、娘が帰ったので、聞いてみると、まさにその通り。あまりにもかわいいので、お金は払ってあげた。

 娘の心を当てた父の心に乾杯。楽しいひと時であった。いつまでこんな仲良しでいてくれるのやら。

 

ある酒場での嫌~な出来事。地域の中の「負の連鎖」

 

~感謝を知らない子供が親になるという不幸せ。

 ある酒場で、30歳ぐらいの女性二人との出会い。それまでは、全く楽しい「出会い(会話)」(一人飲みだったので・・・。)だったのだが。少しく酒が入ったころ、後から入店してきた女性2人組と店長との会話で、自分の職業が知れることに。

 「○○なんだって~(悪意)」。無視していると、その一人は、1歳の子供を親に預けて、飲みに歩いている様子。それ自体は、別にどうでも、というより、「たま」には、とも思い聞いていたが。その後、預かってもらっている旦那の親の悪口を言いたい放題。・・・その後、その女性は、旦那と子供のこお住んでいた近くでセブンイレブンを経営しているのがわかった。(そうか・・・今、旦那はそのセブンイレブンで働いているんだ。)。その女性達が中学生のころ、自分もその「職場」に努めていたことがわかり・・・。その頃は、その「職場」は荒れまくり、警察を呼ぶような時代の1年前くらい。突然、その女性の一人が、

「誰か、知っている?」「うーん、AとかUとか」。この二人は、後日、校長室に殴り込みに行き、警察の御厄介になるなど、今でも許しがたい2人である。

「ああ、知っているよ。かわいい後輩。」(この時点で帰れば良かった。)

 急に、「今でも内申点とかあるんですか~」(非難の調子)。「あるけど」

「私、近隣のEK高落ちたのさ。友達の「あいつ」の方が、ランクも低いのに受かりやがって」。

「へえ~(だいぶ飲みすぎの自分)。倍率は?」

「1.2倍くらい」(その高校は、近年、定員割れが続いている)。

「それは、ランクとか点数よりは、面接かもしれないね。(少し意地悪したくなった)。厳しいよ、面接は。」

その後、すぐ、彼女らは違う場所に飲みに行った。まあ、喧嘩ごしで他人の職業を悪しざまなまなざしで話されても、ね。

 でも、思うわけである。そのまなざしは、もしかしたら「子供」の時と変わらないのかもしれない、と。人間、そうそう変われない。そして、その「心」のまま大人になり、結婚して、子供を産み、嫁ぎ先の親を悪しざまに思い、言い、そして、その子供も、不満をしか感じれないまま成長し、学校で悪さをし・・・。地域の負の連鎖である。一教師に、それを止めるすべはない。あるのは、たまたま、同じ地域でも、少しまっとうな子供達との、保護者との出会いがあることがある、という至極受け身的な出会いだけである。その出会いを「守る」ことだけである。・・・早く帰れば良かった。

 

平井堅「歌以外はコンプレックス」。

~生きると言うこと、それは、自分の柄や器の小ささ・弱さとの戦い

 

 

 操上さんに言われてあらためて、自分の中の“欲”と向き合ってみると、欲しいものは才能とか称賛、あとはときめきとか感動とか、目に見えないものばかりだった(苦笑)。人前に出る仕事なので、今まで割と称賛されたことはあったと思うけど、もっと欲しいということは、それじゃ足りないんでしょうね。~中略~20代の頃なんかは、アーティストとして振る舞おうと、肩肘張っていたときもあったけど、やればやるほど自分の凡庸さに気づいてしまって……(苦笑)。自分の柄や器の小ささを知ることに一抹の哀しみを覚えつつ、「その事実を受け入れた上で、迷いや弱さと闘っていくことが人生なのかもしれない」と平井さん。(週刊朝日 2017年7月7日号)

 

 平井堅が81歳になる写真の大家にアルバムジャケットの撮影を頼んだ時の一コマである。音楽業界という一見華やかな世界に身を置き、成功も収めている人が、81歳の人に撮影を頼む事も、当たり前のようで、実は当たり前ではないのかも知れない。その深奥が上記の懊悩にあった。

 一芸能人のインタビューだが、50歳を迎えて日々、)。自分の柄や器の小ささを知る事が増え、その事実を受け入れることの難しさと、迷いや弱さと闘っていくことが人生だ、という、その言葉に、無意識に共鳴、いや縋る、そんな気分があることに気づいたのだ。人生は戦いなのだ、というあるドラマの言葉を座右の銘にしてきたが、その本質は、こういう事にあったのだ、と今更ながら思う。みんな、戦っているのだ。そう言う意味では、生きていれば皆、同士。そんな事も思う。腹の立つことも、上手くいかないことも多い日々だが、それをも受け入れて、戦っていくことに意味があると信じて、明日も頑張ろう。

過保護は「時代」か。親と子の距離感の「気持ち悪さ」。

 先日の参観日のあとの「茶話会」と称する学級行事である。教師の立場的には「茶話会」だろうが「保護者との飲み会」だろうが「仕事」である。仕事だから、楽しい雰囲気作りに苦労する。(献血での事故を美人看護婦との絡みで笑い話にするとか)

 そんななか、空気の読まない保護者がいるわけである。もともと、昨年の懇談会での子供の心配事を伝えた腹いせか、まず、役員OKと出しながら、感謝の電話が遅いという理由で、他学年の役員へ。「申し訳ありませんが、他の人を探してくださいね」ときた。他になり手もいなかったせいもあるが、別にPTA役員決めは本務ではないので、「なり手がいないこと、報告します」と答えておいた。明るい声で。

 だって困らないんだもん。別に。さて、その茶話会で彼女が出したいちゃもん。「・・・の時、息子、服装間違えて、戻ってきて、先生はいいと言った言うけれど、

納得いかないので説明してください。」(本校は、体育の時、家庭科・美術の時は内容次第でジャージ登校なのだ。)

 「3年生ですので、昨年も申し上げましたが、時間割の確認は係・生徒が運営しています。教科の内容もメモさせています。たまたま・制服・ジャージの部分が間違えて貼ったみたいですけど、他の33名は、、その日は体育もなく5教科でしたので、全員、内容から「制服登校」と考えて、制服で登校しています。」

 「息子が何も考えていなかったという事ですね」「そうなりますね。」「わかりました。ラインに入っていないのは息子ともう一人だけだから。」。(ラインのせいか?もう一人はきちんと「制服」で登校したし。貴方の横の母親が、そのもう一人なのですよ。)時間は17:00である。(3時から開始したので、いやはや2時間経過である。)その後、解散、さあ、仕事と思ったら、その彼女、「先生、進路の相談があるのですけど」。(相談があるのなら、それなりの「雰囲気」を作るが「大人」なのでは?)全然、いいのだけど、なんなんじゃそれ?自分の要望だけ伝え、何も考えていない、それは「あんただろ」、と思ったのだ。

 入学当初から、息子べったりで有名な彼女。息子はそのせいか寡黙で、人と目を見て話せない。それでいて、サッカー部で、声も出さないで指摘されると、文句はかっこいい。・・・お母さん、あなたの距離感、どうなんだろう?家の中では、どうでもいいけど、外に出さない方がいいんいじゃない?なんて思ったり。

 過保護は、あるいは、溺愛は、果たして息子は喜ぶのか。仕事だから「笑顔」で「真剣」に対応したけれど、さ。よくある話っていえば、そうなんだけれど。

 他人の話だから、どうでもいいんだけれど。息子さん、苦労しなければいいけれど、と思う茶話会・茶話会後でした。

 

北海道安平町深夜震度5弱の地震。聞こえない、使えない「防災無線」。

 

~「・・・・さい」「落ち着いて・・・」

          「お父さん、避難してくださいだって」?

 昨日、7月1日(土)。もう日付が変わろうとする23:45分頃。「ご・ご・ご」という音が鳴る。2~3日前にも、同様な音がなり家が少し揺れた?ため息子が「お父さん、地震あったよ」、と教えていたが、多分、あれはトラックだったろう。

 今回も、のんびり構えていたら、横の妻が「あれ?」。その声で眠気眼をこすり、半起き状態に。すると、ずんずん、とか言う感じの突き上げがあり、「おお?」、そのあと激しい揺れが3~4秒。家がみしみしと軋んだ。幸い地震はすぐ収まった。

 そのすぐあとに「お父さん、外で非難してくださいって流しているよ。」「?、これだけの地震で?」。外に出て、見ると、確かに「防災無線」が起動している。もともと、以前勤めた村のように、家屋の中にスピーカーがあるわけではないので、家の中にいたら聞こえないし、風が吹いても聞こえづらい、と不評の「防災無線」。外に出てみたら、「・・・・さい」「落ち着いて・・・さい」としか聞こえない。落ち着いて、何をするんだ?やはり避難か。津波の訳もないし、「火山?」。しばらくたたずんでいたら、「・・・TV、ラジオで確認を。」。そうか、慌てず、TV、ラジオをつけろ、といことか。それで一件落着。

 それにしても、なんとかならんのか、防災無線。その役割を全く果たせず、何とかの長物。まあね、平時にあまり大きなボリュームでも迷惑だろうし、深夜、役場の人は、周辺に住んでいないだろうし、いても、まさか仕事場に来て、防災車で放送して歩かないだろうし。本当の大きな災害がこんな夜中に起きたら、終わりだなあ、津波なら、逃げ遅れだなあ、などと思い、娘をあやし、就寝。息子は勉強に戻る。

 翌朝、新聞を見て感心。安平町の職員が役場に集結、情報収集にあたっている写真が掲載。大変なことだ。本当にご苦労様。短い時間で、いろいろ考えた夜だった。

 

「落とすなら落としてみろ」 二階氏、マスコミ批判

~いいなあ、そんな事言えて。

   そんな強気な事、今、「政治家」しか言えないし。

 

  自民党二階俊博幹事長は30日、東京都国分寺市で行った東京都議選の応援演説で、自らの差別的な発言が報じられたことなどを念頭に「言葉一つ間違えたら、すぐ話になる。私らを落とすなら落としてみろ。マスコミの人だけが選挙を左右するなんて思ったら大間違い」と述べた。さらに「我々はお金払って(新聞を)買ってんだよ。買ってもらっていることを忘れちゃだめじゃないか」と語った。(朝日新聞2017年6月30日18時31)

 

 いいなあ。この期に及んで、そんな強気発言が出来るなんて。今、一番身分が保障されている職業が政治家・大臣だからなあ。「おめえらに力があるなら見せてみろ」だもんな。確かに、政治の提灯持ちにならざるえない「ジャーナリスト(死語)」に、そんな力はないだろう。あると見せかけ、諦めている。それが、今のマスコミ。安住地点からの「揚げ足取り」しか技がない。そう思われている。

   それにしても「安部政権」の強気は、たいしたもんだ。それが本心でも強がりでも。普通、そんな言葉をだそうもんなら、大概「退場」。まあ、でも、「我々はお金払って(新聞を)買ってんだよ。買ってもらっていることを忘れちゃだめじゃないか」という部分は、その通りかもしれない。マスコミの本分は、誰彼と無く攻撃することではないのだから。

   でも・・・「できるのならやってみろ!」と一度くらい言えたら、気持ちいいだろうなあ。

 

 

学校現場から体罰をなくすには?・・・「諦めること」。

 

~学校から体罰をなくすには、「諦めること」

 学校現場から「体罰」がなくならない。それはなぜか。体罰がある意味ランナーズハイのような常習性・習慣性があるのは間違いない。だから、上意下達式の「部活動」で、それは起こりやすい。それ以外では、「子供の悪意」が「大人としてのプライド」に穴を空ける時だ。昔のように地域も家庭も保護者もそして子供すら、一部の地域・生徒(子供)除き、敬意を持っていない。そして、「悪意」に打ち勝つ「手だて(武器)」を持たない今、その「悪意」に打ち勝つのは、「鈍感さ」と「諦め」を知る事である。諦め・・・それは、教師ごとくが、何年も家庭で育まれた文化(子供)を変えることなどできないのだ、という諦めである。そこを真っ直ぐ突き進み、「救える」「変えられる」と錯覚した時、突然、表れる「子供の裏切り」に耐えられなくなる。そこに体罰が生まれる。だから、学校から体罰はなくならないのである。

 諦め・・・言葉で言うが易しだが、実際はなかなか難しいのである。何しろ、この職業、多くの不条理の中、「子供のため」という「情熱?」に支えられる部分が非常に多い職業だから。同業者が自分の子供には「勧めたくない」職業NO1なのも頷けなくもない。では、心のバランスを崩さず、しかも、情熱を持ち、生徒前に立つには何が必要なのか。次回は、ある一時期を振り返って、その問いに答えてみたい。