「彼氏と違う人がいます」 高校生に淫行容疑で逮捕。違う人と一夜明けて気がつく?

~非難すべきは「男」だけ?

         「彼氏」ってどんな人をいう?

 

 三重県警は17日、チャットアプリで知り合った大分県の少女とみだらな行為をしたとして、松阪市派遣社員の男(26)を県青少年健全育成条例違反(淫行)の疑いで逮捕し、発表した。男は別の人物の顔写真を使って他人になりすまし、少女と会う際には友達を装っていた。

 松阪署によると、男は11日午前0時ごろ、自宅アパートで、大分県の高校3年の少女(17)が18歳未満なのを知りながら、みだらな行為をした疑いがある。「間違いありません」と容疑を認めているという。

 2人は7月にチャットアプリを通じて知り合い、その後、別のメッセージアプリで連絡を取り合った。少女が「会ってほしい」と伝えると、男は「(自分の)友達のところに行って」と自宅アパートの住所を返答。今月10日、少女はバスや電車を乗り継いで伝えられた場所に向かい、一緒に過ごしたという。

 ところが、5日後に部屋で見つけた郵便物は少女が連絡を取り合っていた男の名前だった。ただ、画像で知っていた顔と違うため不審に思い、「彼氏と思っている人と違う人がいます」と110番通報したという。少女は家族に「友達の家に行く」と言って外出したという。

朝日新聞 2017年8月17日20時24分)

 

 男の行動そのものは特段目新しいものではない。その行為は処罰されても仕方がないが。

それよりも、笑えるのは「彼氏と思っている人と違う人がいます」との言葉だ。彼女は、チャットアプリを通じて男と知り合い、その後、少女が「会ってほしい」と伝えると、男は「(自分の)友達のところに行って」と自宅アパートの住所を返答。今月10日、少女はバスや電車を乗り継いで伝えられた場所に向かい、一緒に過ごしたというが、その「彼氏」たるものと一度も会わず、その「友達」(男)と一夜を過ごす。「彼氏と思っている人と違う人がいます」という110番通報は、なんとも笑える。「彼氏と思っている人」。「彼氏」だけではなく「彼氏と思っている人」。笑うしかない。110番通報を受けた警官も「?」だったろう?その感覚はいかに?一言、「頭、おかしいんじゃねぇ」。

 この子の保護者は、今、どんな気持ちでいるのだろう?なんとも「心配」な、我が子の行く末を憂うしかないか。この子の親の気持ちを思うと、何ともやりきれない気持ちになる。

威嚇するきつね。公園を占拠!・・・札幌市清田区

対策が出来ないという市の理由=鳥獣保護法

 

 札幌市内の清田区の住宅地に近い公園で歯をむき出しにして人を威嚇するキツネ。
エキノコックスの感染の恐れもあるキツネの出没に、住民も困惑している様子が放映された。
 うなり声を上げて人を威嚇するキツネ。札幌市清田区の公園にキツネが頻繁に姿を見せ始めたのは、2017年6月。住民が追い払おうとしても逃げようとはせず、8月15日も公園には、キツネのフンが、あちらこちらにあった。
 札幌市清田区土木部 木村顕一郎課長は「法律的に駆除できないので、駆除は考えていない」という。

 エキノコックスの感染は命に関わる重篤な感染症で特効薬がない。キツネは対策の打てない人間を見下し、居座る原因になっているという。

 なぜ、対策を打てないのか。それは、鳥獣保護法にある。この法律は、簡潔に言うと、法律に定められた鳥獣は、市街地にわなをしかけたり、捕獲してはいけないというものだ。 

鳥類28種[6]
カワウゴイサギマガモカルガモコガモヨシガモヒドリガモオナガガモハシビロガモホシハジロキンクロハジロスズガモクロガモエゾライチョウヤマドリコシジロヤマドリを除く)、キジコジュケイバンヤマシギタシギキジバトヒヨドリニュウナイスズメスズメムクドリミヤマガラスハシボソガラスハシブトガラス
哺乳類20種[6]
タヌキキツネノイヌノネコテン(ツシマテンを除く)、イタチ(オス)、チョウセンイタチ(オス)、ミンクアナグマアライグマヒグマツキノワグマハクビシンイノシシニホンジカタイワンリスシマリスヌートリアユキウサギノウサギ

 対策は、電気柵を使用するのが有効で、四方を囲い込むように電気柵を設置するとしているが、以前、その策をさわろうとした子供が感電し、非難が浴びせられたように、その維持管理にも、費用がかかり、補助はでない。

 奈良市では増えすぎた鹿の被害に頭を悩ませている。同様に、効果的な対策は、ない。

 法律は、何のためにあるのか。行きすぎた法律は、改善されて然るべきだろう。ちなみに、私が住む場所も、カラスの被害が多数寄せられているが、この法律のため駆除できず、捕獲の後、トラックに入れ物とともに積み込み、近くの「山」に放す。そして、カラスは、また、市街地に戻ってくるという。

 「共存」とは、いたずらに「愛護」し、人間はへりくだるものではないだろう。「共存」の意味をもう一度考えるべきかもしれない。人間自身が滅びても、「愛護」するというのは、おかしいだろうから。なんにでも「いきすぎ」「やりすぎ」は、良い結果をもたらさない。

山中慎介がめった打ち!涙の陥落!

~盛者必衰のことわりか。結果以上の完敗。

 

 いつまでも勝者でいつづける事は出来ない。そんな世の中の道理をこれほど情け容赦なく見せつけられた試合も、久々だ。 WBC世界バンタム級王者山中慎介(34=帝拳)が挑戦者の同級1位ルイス・ネリ(22=メキシコ)との戦いの前に、CMで「いつまでもかつこいい父親でありたい」と言葉を発していたが、ボクシングというスポーツほどそれが適わないものもないだろう。子が物心つくころ、父は、大概下り坂なのだから。

 予兆はあった。前回の試合も、前々回の試合も、不用意にパンチをもらう回数が増えてきていた。DF力の衰えを心配されてたが、この試合は、図らずもそれが的中してしまった。

 1ラウンドにもらった大振りのフックのあと、両足が一瞬そろった。それを見た時、「効いているぞ」と思った。その後も、パンチを当てるも、ルイス・ネリは下がらず、強烈なパンチと共に前に出てきた。得てして、こんな時、「パンチはないぞ」と感じるという。つまり、攻撃力にも、明らかな衰えが忍び寄っていたのか。4回、ネリが怒濤の攻撃。山中は、自分では「ガード」をあげているつもりなのだが、顔を出しているだけ。クリンチに入るスピードもないため、クリンチで逃げることもままならない。最後は「めった打ち」状態。息子が一言「いじめだ」とつぶやくほど。タオルも当然だった。

  しかし、山中の12回連続、しかもたぐいまれなKO率は、見るものに夢をみさせてもらった。十分「かっこいいお父さん」ではなかったか。再起を臨む気持ちもあるが、まずはゆっくり、今の自分の「状態」を、自分と話しながら、次の1歩を考えて欲しいと思う。山中はリング上で号泣。しばらくたっても涙は収まらず、関係者に支えられながらリングを後にしたが、ボクサーが、リングで負けて号泣した姿を見るのも久々である。

 「かわいそうだなあ」とも思ったが、どこかで「かっこいいなあ」と思う自分もいたのも確かだ。

素晴らしいファイトを有り難う!

 また、仕事が始まる。疲れる・苦しい日々も始まるだろうが、「ファイト」を灯して頑張っていこうと思う。

米大統領「攻撃したら本当に後悔する」 北朝鮮を強く警告~強者の論理の中で。

~怒りの感情は、自分を焼き尽くすまで消えない?人間の性の中で。

 

  核・ミサイル開発をめぐる米朝の威嚇の応酬がエスカレートするなか、トランプ大統領は11日、「アメリカの領土や同盟国を攻撃したら、本当に後悔する」と北朝鮮側に強く警告しました。
 「金正恩キム・ジョンウン)党委員長が脅迫を一言でも発したら、あるいはグアム島やアメリカの領土、同盟国に何かしたら本当に、そして、すぐに後悔することになる」(アメリカ トランプ大統領)

 トランプ大統領はさらに金党委員長を念頭に「この男のしていることは許されないことだ」として、強い調子で、改めて北朝鮮側に警告を発しました。

(TBS 8月12日(土)6時50分

 

 とどまることの知らない挑発の応酬。結末は、どんなものか。自分たちは見ているしかできない。いくら安部さんが強気な発言をしても、いざというとき、自衛隊は何も出来ないだろう。そんなレベルの話ではないから。

 ただ、トランプ大統領の挑発は、仕方がない部分もあるが、どうも胸の中で落ち着かない。何が?強者の論理がだ。世界で一番の軍事大国。一番の核保有国としての強者の論理。現在なら北朝鮮は、グアムが精一杯。アメリカは、北朝鮮本土を攻撃出来ると。

 アメリカは、「この男のしていることは許されないことだ」というが、アメリカは、民主主義の旗印の下、イランやイラクを危険国として、空爆・攻撃をして、大統領やその国民をも大量に殺戮した。古くはベトナム戦争も。その時は、なぜ、こんなに騒がなかっただろう。それは「自国が攻撃される可能性がなかった」から。ただ、それだけ。

 沖縄や北海道のオスプレイの活動再開も根っ子は同じ。弱者は黙っておれ、という感覚。

 しかし、それすらも必然なのかも知れない。タモリさんの言葉だが「LOVEさえなければ、PEACE」。何かを愛する、守るという感情がなければ、争いは起きず、自然「平和」の状態になる。愛し守る対象さえなければ、何を奪われても何の感情も湧かないのだから、当然である。

 自分の家族・国・プライド。守りたいもの=人間の性、だとすると、人間に戦争を止めることは不可能か。いずれは第三次世界大戦=核戦争も必然か。戦争と平和について考えることは、学校教育で何を教えるかを考える上でも、大いに関係がある。世界共通の教育テーマであるともいうが、危機感だけで生きていくことが出来ない以上、それは、どうしても説得力をもつものになりえない。そんな宿命との戦いなのかもしれない。平和を作ると言うことは。

 日本が核不保持の条約に調印しないのも、そんな人々の「無意識」が、そこに横たわっているのかもしれない。そんな宿命に、人間はどこまで抗うことができるのか。そんな事を、このアメリカ対北朝鮮の問題は提起しているのかもしれない。

「柔道は極めて危険」部活中に娘失った父、思いブログに

  ~「命の危険」が予想される部活動は、廃止しましょう!

 「危ないということを、人は忘れてしまう。私も油断していた」。中学柔道部の練習中の事故で長女を亡くした父親が、再発防止につなげるきっかけにと、ブログを書きつづっている。

 「柔道 それは極めて危険なスポーツ」

 福岡市の大場重之さん(51)は4月、そんなタイトルのブログを始めた。

 長女の彩さんは福岡市立の中学1年だった2015年5月、大外刈りをかけられて頭を打ち、急性硬膜下血腫で5日後に亡くなった。中学で柔道を始めたばかりだった。

 大外刈りは重大事故につながりやすい。全日本柔道連盟に03~14年に報告された頭部外傷の重大事故で技が判明した29件のうち、大外刈りは15件。全柔連は近年、大外刈りを初心者に受けさせる時、受ける力量があるかを慎重に見極めるよう指導者に求めている。(朝日新聞2017年8月10日15時47分)

 

 「危険を回避する力量を見極めるように」、そんな無理難題を押しつけるくらいなら、自分たちで何とかしなさいと言いたい。何でも「学校」に押しつけるな。いやいや、「自分でやりたい」教師もいるか。

 今は、中学校の体育でも、安部政権の通達で、日本の武道を教える事になっている。もちろん「危険回避」のために、1週間、座学の講習を受け、偽物の「黒帯」しめて、「受け身」だけ、という至極つまらない授業しかやらない。何の意味があるのだろう?体育教師でさえ、そう思っている。と思ったら、柔道に負けてなるまい、と「空手会」が猛烈に巻き返し。校長会を取り込んで。

 「空手こそ危険」。そんな声に猛烈に反発し、行なわせているのが、空手の「型」。何時間も。笑える。確かに危険はない。

 と思ったら、もっと安全な「格技」を実践している学校も。それは・・・相撲である。ジャージを着させ、(今は男女共授業が主流なので、おしり丸出しというわけにはならない)その上にまわしをつけ、四股、そして仮の土俵で勝負。これなら、楽しいか。ということで、日本の文化・武道の授業としては、「相撲」の勝ち!

 こんな上記のような重い記事に、いささか不謹慎だと思ったが、政治家の言うことの不条理を、少し紹介してみたくなった。

 担当したい者がいないため、若い未経験者を無理矢理、柔道部などの顧問にし、あとは知らない、という管理職がほとんどである。自分は、2~3年でいなくなるから。この辺をしっかり認識しないと、学校での「重大事故」はなくならない。

 

【警察官暴言】「とことんやってやんぞおめぇ」「お前が乞食になったってかまわねえ」

~記事の裏側も想像しよう。「たかが万引き」そんな態度がなかったか?

 警視庁高井戸署の警察官が万引事件の取り調べで中学生2人に黙秘権を告知せず、「お前の人生終わりだからな」などと、関与を認めるよう迫っていた問題で、録音データなどに基づき、東京弁護士会が10日付の警告書で認定したやり取りは次の通り。

 (事件への関与を否定する供述をした生徒に対し)「発言次第じゃお前の首を取るぞ。てめえ高校なんか行かせねぇぞコラ。学校じゃねぇんだぞここは。おら。高校なんか行かせねえよお前。お前の言い方次第じゃやってやんぞ。とことんやってやんぞおめぇ」

 (「やってないです」という生徒に対し)「じゃあどこでもいって勝負でもしてこいお前は。学校でも高校でも教育委員会でもなんでも話するから。お前高校いかせねえよお前。お前はいかせない。じゃあ。学校行く資格がないお前は。反省がないもんお前。反省が見えない。(中略)どうすんだよ。認めねえのか。じゃあ逮捕状でもなんでもとってやるよ。んじゃ」

 「お前にあの、ごめんなさいという気持ちがあれば、そこはちゃんとくみ取ってあげようって俺は思っている。でもお前にその気持ちがないようであれば、とことん追い込むしかないなあ、ということ。てめえを高校に行かせることはできない」

 (否認をする生徒に対して)「もうお前と話しても時間の無駄か。んじゃあ。時間の無駄ということで、んじゃあこの話を打ち切っちゃっていいか。裁判所でもあのー検察庁でもどこでも俺行ってくるから。どこでも行ってくる。お前には反省もくそもねえよ。てめえさえよければいいのかんじゃあ。鼻水たらして万引きしてくればいいのか、同じクラスメートが。(中略)ばっくれてんじゃねえんだお前。ちゃんと話せよ。時間の無駄だお前」

 (否認をする生徒に対して)「じゃあお前には反省も何もないという風に決断していいのか」

 「お前たちはな、高校受験も控えてるし、大事な時期だから早々にできる。極力小さくできれば穏便に話をまとめてあげたいなというつもりで俺は今日ここに来た。という気持ちをもって俺はここに来た。でも俺はこうやって話をしてみると、知らぬ存ぜぬ、いや関係ないですよ。知りませんよ。反省も何もないんだよ。お前には。反省も何もないんだ。だったら鑑別でも少年院でもどこでもぶちこむしかないのかなって俺は今考えている。高校受験。関係ねぇよ。やむをえない。関係ない。見過ごすわけにいかないよ、んじゃ」

 (もう1人の生徒は認めているという話を出した後に)「向こうは反省、ごめんなさいができている。てめえだけなんだよ。お前おちょくってんのかお前。お前だけだお前。(中略)じゃあお前だけ事件として俺、取り上げるぞ悪いけど。んじゃあ。何回も何回も言っているけど、めんどくせえよもう。お前だけやっちゃって、やっちゃっていいか。(中略)じゃあお前だけ事件としてやるぞ、んじゃ。やるぞ。反省のない奴はとことんやってやるぞ。んじゃあ。そこまで言ってあげてんのにお前。もう頑張る時間は終わったんだよ。終わったの。頑張る時間は終わったの。もうこっからは時間の無駄のタイムに入っているんだよ。ごめんなさいだってよ、あいつは。ごめんなさいだってよ、あいつは」

 (事件への関与を認める意味で「すみません」と言ったのに対し)「てめえ言ったんだろ◯◯(万引事件で事情を聴かれた生徒)にコラ。正直に言えねぇんだったらパクるからな、てめえは。言ってみろ」

 (「言ったかもしれません」と事件への関与を認める趣旨の供述をしたのに対し)「ちっ。正直に言うんだこの野郎。『すいません』は。(中略)頭下げろコラ」

 (「すいませんでした」と何度も謝る生徒に対し)「そういう気持ちがなかったらお前逮捕だかんなてめえ。おーっ。(中略)てめえらを呼んでんのは、お前らが高校生だったら逮捕状もってくんだぞって家に。言うこと聞かねえとバーンだぞお前。お前らが義務教育だからわざわざ呼んでやってんだぞわざわざ。チャンスを与えてやってんだよ。ふざけんなよてめえ。いつまでも時間とらせやがってこの野郎」

 「すいません、俺もうやりませんって言うんだったら、それじゃあお前、これから高校も行かないといけないし、じゃあ何とかしてやるよということで、お前、許してあげるんだぞ。否認すれば否認するで間違いなく牢屋に入れるんだぞお前。わかってんのか。意味分かるか。意味分かるかって聞いてるんだよ」

 「てめぇごときをおめえ、すぐ連れていけるんだぞお前。それを、しないでおいてあげてんだからなこの野郎お前。情けをかけてあげてんだからなお前。そこをお前、よく考えろお前は。ボケ野郎が」

 「我われはお前にチャンスを与えているだけの話だから。お前にチャンスがいらいないんだったら(原文まま)お前逮捕して牢屋に入れ。じゃあ。お前の人生終わりだからな。高校いけねえから」

 「お前が高校行こうが行くまいが知らねえよ、んなの。お前は赤の他人だから。お前がこじきになったってかまわねえ。認めねえからな」

 「認めるんだったら徹底的に認めろよ、こらあ。認めねえんだったら最後まで認めるな。そのかわりお前を牢屋に入れるから」

 「くだらねえことでいつまでもやってんじゃねえぞこの野郎。俺を怒らせんじゃねぇぞ。この野郎いつまでも。てめえはこれから全部書いて親にもバンと言って、もう二度としませんから許してくださいって言わない限りは高校に行けねぇから」

産経新聞 13:39)

 

 言葉・記事だけを見れば、「なんでそんなに興奮しているの?」とか、「少年(被疑者)にこんな言葉を投げつけて」とか思うし、そんな趣旨の記事なのだろう。

 だが、である。この少年はこの前段まで、いや、この問答の途中まで、自分の非を認めていない。「黙秘権」である。まあ、憲法で保障された正当な権利ではある。

 だが万引きも、正当な犯罪である。軽犯罪かもしれないが、その軽犯罪で、小さな店が倒産したり、店主が自殺したりする悲劇が生まれてもいる。

 それに対し、この生徒は、高校に知られたら、停学及び退学になるなどの事情から、長い時間、それを認めなかったのだろう。また、当初は、「たかが万引き」と見くびり、罰せられる行為との意識もなく、そこには「大人」そのものを斜めに見て馬鹿にしている、そんな態度があったのではないか。そういう意識が「万引き」に走る高校生などには、ある。それが現実である。退学や停学を恐れるなら、そのような「働く者」「働く行為」を馬鹿にした行為・行動を取るべきではない。取ってしまった行為の代償を払わなければならないのは、すぐに「大人」の世界に入らなければならない年代の人間として、当然の事ではないか。

 警官の仕事は雑多で忙しい。その隙間での「事件」であり、多少疲れていらだってもいただろう。もしかしたら、自分の親や知人が「万引きゆえの悲劇」の被害者であったかもしれない。人が激怒する。そこには、いろいろな「事情」があるのである。

 少なくとも、この警官を責めるより、軽い気持ちで、遊び感覚で「万引き」に走る「高校生」たちをこそ叱責すべきで、そう言う意味では、怒るべき周囲の「大人の代弁者」として、この警官は、この「高校生」の前に立ったのではないか。

 正しい言葉を使うべき立場ではある。だが、その建前の前に、そうできなかった「事情」を、今はやりの「忖度」、「想像」すべきなのかも知れない。記事には書けないその裏側を。

 

ゼリア新薬の22歳男性傷心の自殺。いじめは人間の根幹にある闇か。

     ~発見・撲滅の難しいいじめ。言えない、「原因は両方」に。 

 この夏休み。いじめでまた高校生が自殺している。いじめはなぜなくならないのか。原因が多様である分、撲滅は難しい。そして。その「経験」は成長しても継続する。まさに人間の「闇」である。

 いくつかの例をあげよう。ある中学校のAという少女。2年生の学級編成後しばらくして不登校に。悪口や仲間はずれをされるから、という。では、この少女は、何かの理由で突然仲間はずれや悪口を言われるようになったのか。実は、小学校6年生の頃からだ。中一の担任が、家庭訪問の折聞いたことによると、理由は「金銭問題」だという。貧しい家庭(母子家庭)なので、「大人の事情」によるのか、と思ってたらしい。そんな事情をおもんがかり、1年次の担任は、自分から仲間に入らないその子を、自然と見守り、毎日、冗談始め、ちょっとしたよい事も見逃さず、さりげなくほめ続け(周囲の生徒に聞こえるように)、時には、リーダー格で信頼できる生徒に、様子を来たり、側に置き、配慮を頼むような事もあった。その甲斐あって、徐々に笑顔も増え、その年も終わりになった頃、突然、班内でとんでもない事を言い始めた。「私、小6で先生の机の上にあったお金を、盗んじゃったの。それで、いっぱいいじめを受けた」。

 それが、教師の真ん前の班で、給食中であったため、昼休みに事情を聞き、解決した事件であることを確認し、むやみやたらと「過去」は話すものではない事を諭した。

 それから1週間ぐらいして、級友の教科書が事件が起きた。朝方であったと推察できるため、学年団が見張るっていると、また、教科書がゴミ箱へ。学年棟にはA他3~4名。事情を聞いても、Aは認めなかったが、Mから「悪口を言われている」と言う。原因は「お金の話」だ。

 この件では、「お金の話」をAが話さねば、起こらなかった。そして、2年次、悪口と併せ、この「お金のうわさ話」が広まることとなる。

 次の例は、別の中学校の女生徒の話である。この生徒は、学力も中くらい、難しい新書などを数多く読むなど、ある意味博学である。問題は、お風呂に入らないことである。家族も頓着しない。姉の卒業式に、父はジーパンでくるような人達である。夏場、その体臭のひどさに、陰口がはじまりかけた。そこである生徒が女性の担任に相談。とちあえず学校の身障者要のシャワー室でシャワーをあびさせたりしていたが、それでは収まらず、家庭に相談しても、お風呂が壊れてしばらく無理です、など埒があかない。担任は、仕事を早く切り上げ、管理職に相談後、近くの銭湯に連れて行き、一緒に入り、身体を洗ってあげたという。その際の「桶のお湯」は真っ黒だったとか。担任の機転・人間性により、小学校時代と同じ事態にはならなかったが。・・・今年、入学した弟は、姉より「ひどい」らしい。

 このような極端な例でなくとも、偏見なしに、その事情を探っていけば、いじめの原因は「双方」にあることが多い。ただ、その観察眼の肝がどうしても「担任の目」に限られてしまうのが難点でもある。そして、基本、いじめの指導は、加害者のみになりがちである。片方だけの指導は、その根っこを隠し、問題を解決しないまま、「抑える」指導になりがちである。人間的には、加害者・被害者両方の心の治癒がなされないまま。・・・「死」という最悪の選択をさせた場合は、また別だが。どんな時も、どんな事情でも、「自ら死なせてはいけない」のである。

 いじめは、「大人社会」でも普通にある。セクハラ・パワハラ・・・。それが、常識でもある。歴史をひもといても、軍隊にはいじめがつきものである。日本軍・自衛隊

 「ゼリア新薬の22歳男性傷心の自殺」は、まさにいじめでなくて何だろう。人は誰でも隠しておきたい「負の側面」がある。それが生きるということだ。それを、理由無く、権力で公開させる。公開処刑そのものだ。それを認められない会社の上層部も、この講師も、少年時代・青年時代の過去に「いじめ」に加担した「経歴」があったんではないかと邪推したくなる。

 

 『原告側によると、Aさんが亡くなるまでの経緯は次のようなものだ。

 Aさんは早稲田大学を2013年3月に卒業後、4月からゼリア新薬工業で働き始めた。

  新入社員研修は4月1日から始まり、8月9日まで続くはずだった。この間、Aさん

 は会社の指定した宿泊施設に缶詰状態だったが、5月18日に異常行動があったとし

 て帰宅を命じられた。そして、その途中、東京都新宿区内で自死した。労基署が注

 目したのは、4月10日〜12日の3日間、ビジネスグランドワークス社が請け負って実

 施した「意識行動改革研修」。その中で、Aさんの「吃音」や「過去のいじめ」が

 話題になった。講師から過去の悩みを吐露するよう強く求められた上で、Aさんは

 こうした話をさせられていたという。

  Aさんは、研修報告書に、次のように書き残していた。

 「吃音ばかりか、昔にいじめを受けていたことまで悟られていたことを知った時のショック

 はうまく言葉に表すことができません」

 「しかもそれを一番知られたくなかった同期の人々にまで知られてしまったのですから、 

 ショックは数倍増しでした。頭が真っ白になってその後何をどう返答したのか覚えていま

 せん」

「涙が出そうになりました」

一方、研修の講師は、Aさんの報告書に赤字で次のようなコメントを残している。

「何バカな事を考えているの」「いつまで天狗やっている」「目を覚ませ」』

  原告たちの聞き取りに対し、ゼリア新薬の新人研修担当者は、「自分も受講した

 ことがある」として、次のように供述したという。

「軍隊みたいなことをさせる研修だなと感じました」

「いつも大きな声を出す必要があり、機敏な動きを要求され、指導員が優しくない」

「指導員は終始きつい口調」「大きな声で命令口調だということです」

「バカヤローといった発言も多少はあった」

「最終的には感極まって涙を流す受講者も出るような研修」

「研修会場はある種異様な空間でした」

「個人的にはもう受けたくない」

「途中で体調不良者が出ることもあります」

(バズフィード・ジャパン) 

 何度も、どこかで、聞いたような話だ。こういう人達は、会社名を変え、何度も繰り返す。そんな講師を採用する、この会社は、ある意味、狂っている。

 ゼリア新薬のキャッチフレーズが「健康作りは幸せ作り」。なにおかいわんや、である。第1四半期の連結業績の中で、営業利益、経常利益が、60パーセント以上減、というのも影響しているかも知れないが。上層部には、断固としたペナルティーを科されることを望む。「いじめは絶対に行けない」「そんな事情でも、誰かを死なせてはいけない」、という学校現場への文科省の決まり文句が、言葉だけではないことを、未来を担う子供達に示せるように。