日大アメフト部内田監督「14分の自供テープ」を独占公開

~スポーツだけが清廉潔白という幻想は捨てよう!

 

  5月6日、関西学院大学との定期戦における悪質タックルが大きな批判を受けている日本大学アメフト部。22日の会見で宮川泰介選手(20)は、内田正人監督(62)から反則行為の指示を受けたと明かしたが、内田監督自身が試合直後、「僕、相当プレッシャー掛けてるから」などと反則プレーの指示について“全面自供”していたことが分かった。

週刊文春」取材班が入手した「自供テープ」は14分に及ぶ。そこには関学大との試合後に行なわれた内田監督の囲み取材の模様が収録されていた。

「やっぱ、今の子、待ちの姿勢になっちゃう。だから、それをどっかで変えてやんないと。練習でも試合でもミスをするなとは言わないですよ。ミスしちゃダメよ、反則しちゃダメよと言うのは簡単なんですよ。(中略)内田がやれって言ったって(記事に書いても)、ホントにいいですよ、全然」

 悪質タックルについては「あのぐらいラフプレーにならない」と答えた上で、「宮川はよくやったと思いますよ」と評価していた。 

 さらには関学の鳥内秀晃監督の「あれ(悪質タックル)で試合を壊された」とのコメントを聞かされ、こう言い放っている。

「よく言うよ、何年か前の関学が一番汚いでしょ」

 5月24日(木)発売の「週刊文春」では「14分の自供テープ」の内容に加え、日大の最高権力者、田中英寿理事長を直撃した際の一問一答など、6ページにわたって日大問題を特集している。(2018年5月23日 16時0分文春オンライン

 

 スポーツは清廉潔白と誰が言ったのか?そんな幻想は「大人」が作ったものだ。きっと。「つぶせ」→(上級生の言葉として)選手を壊せということ。そうだったのか。監督の「直接の言葉」ではないのか。もし直接の言葉だとしたら、「つぶせ」ってどんな意味?と普通の関係ない我々のような人間は考える。それを、すぱっと「こんな意味しかない」と決断できるのは、「常日頃」から、それは使われており、「共通のワード」になっているのではないか。アメフトはそういう「スポーツ」なのでは?ということを考えていた。「アメフト」だけでは、ない。大相撲の暴力問題。中高校の部活動でのいじめ。中学校の「いじめ」の多くは、部活動の「人間関係」から生まれるのは、暗黙の了解事項。スポーツが清廉潔白なら、なぜ、そうなる?

 今、管理職になる人間の大多数は「運動部」である。バスケットは、普通に生徒のほっぺたを往復びんた、間違って鼓膜を破り、でも、「出世」が「予定事項」だから、「問題にもならない」。その学校が荒れていて、売りが「部活」で勝てているから。スポーツは、教育現場では「出世」の道具なのだ。

 また、今、ヒーロー扱いの「正直な勇気ある学生」扱いの、あの「学生」。本当に「きれい」なのか。「スポーツ」の中にいて、そんな人はいないのだ。「追い込まれて」断れなかった?「追い込まんだ」方はもちろん悪い。が、「追い込まれて怪我をさせた」、その瞬間、何も考えられなかった、その理由が「追い込まれていたから」。

 かわいそうだ、で済むのだろうか。20歳の大人に。追い込まれたら、「人を殺し」、何も考えられなかった、という人を、本当に許せるか?

 スポーツの光と影の部分を、きちんと見つめるべきである。幻想は他人を不幸にするだけである。勧善懲悪だけでは、大切な何かを見失う。

 もちろん、日大の「前監督」は、大学から去るべきである。ただ、前監督の「よく言うよ、何年か前の関学が一番汚いでしょ」という言葉も、きちんと受け止めるべきである。因果応報。怨念・憎しみの負のループ。きちんと見つめて、歩くべき方向を変えなければ、何も変わらない。この場合、喧嘩両成敗とは、どういう結果をもってそういうのか。

母親が告白 農業アイドルだった大本萌景さん(16)は、なぜ自殺しなければならなかったのか!

 ~地域アイドルという闇、経済の闇、母親の闇、無知の闇。闇が持ち去った生きる希望。

ももクロが大好きで、アイドルに憧れていた 3月21日に萌景(ほのか)が亡くなってから、私たち家族の明るさ、家の光が失われた感じがしています。萌景の姿を最初に発見したのは私です。私は今でも自宅の2階に一人で上がることができません。萌景が亡くなった場所は、階段を上がってぱっと目に入る萌景の部屋だったので、どうしてもその場所に行くことができない。残された子どもたち、社会人の娘は体調を崩してしまい、小学生の息子は一人でトイレに行くこともできないような状況です。

 萌景は、いつも明るくて本当にお調子者。小さい子どもたちが大好きで、お年寄りからも愛されるような子でした。色々な方から「今1番人気よー」とか、「萌景ちゃんすごい人気があるね、すごいね」と声をかけてもらっていました。

 実は中学1年の頃、学校でいじめを受けていて、不登校のような時期がありました。きっかけは、 萌景がクラスメートと些細なことでもめて、担任の先生が「大本の嫌いなところをみんなで本人に言おう」と提案したことだったみたいです。いじめに悩んでいた萌景は、よく私たちに「転校させて」と言っていました。そんなときにゲームセンターのSEGAで「愛の葉Girls」のライブを見て、目をキラキラ輝かせていました。気が付けば、自分でオーディションに申し込んでいて。書類審査に合格したというので、「やってみたい」と相談を受けたんです。

 中学2年の7月、「愛の葉Girls」の研修生になりました。もともと「ももいろクローバーZ」が大好きで、アイドルに憧れていたということもあったと思います。「いじめられていた自分自身や周りの人を見返したい、みんなと打ち解けたい」。そういう理由でオーディションを受けようと思ったと、本人が振り返って話していました。

全国区のアイドルになりたい「愛の葉Girls」では、ライブや地産地消フェアなどのイベントが主な活動でした。あとは月に1回程度の農作業。ブログでもアボカドを育てている様子などを紹介していましたが、本人は農作業をまったく嫌がらず、一生懸命取り組んでいました。週3回のレッスンも、休むことなく真面目に取り組んでいたんですよね。「歌って踊ることが好き」と言っていましたし、家では甘えん坊の萌景が、ステージに立つと人が変わったように生き生きとしていて。 萌景にとって「愛の葉Girls」は自分の居場所になっていて、「もっとグループが売れて、全国区のアイドルになりたい」という夢に向かって、とてもストイックに頑張っていました。

 何より、運営会社である農業生産法人「hプロジェクト」代表のSさんを第2の父親のように信頼して、ひょっとしたら親以上に信頼していたとも思っています。私たちが何を言っても納得しない場合でも、Sさんに言われると素直に話を聞ける。そういう風なところがありました。

アイドル活動と高校生活の両立で悩んでいた 萌景のアイドル活動は順風満帆のスタートを切ったと言えました。しかし今思えば、大きなつまずきは、事務所の方針で学業が大幅に制限されたことにありました。

 2017年4月から、週に2回、火曜日と日曜日に登校日がある通信制高校に通っていたのですが、「愛の葉Girls」の仕事で、特に日曜日はイベントに出かけなければならないことが多かった。登校日と重なると、仕事をお休みする旨をスタッフへ連絡していたのですが、許可がもらえず、学校を休みがちになっていきました。 通信制ですから、毎回授業に出席する必要はありませんでしたが、受講する科目ごとの「必要面接時間数」以上の出席がないと、試験を受けることができないシステムでした。日曜日は全部で8日間、登校日があったのですが、3日間はイベントによって休まなければならなくなり、英語の出席日数が足りなくなって、単位を落としてしまいました。 高校1年の前期だけで4単位を落とし、後期は一度も学校へ登校していません。

事務所スタッフからの高圧的なLINE 事務所との契約に際しては、「愛の葉Girls」の仕事が学業に支障をきたさないことを前提としていました。しかし実際には、萌景が登校日なので「愛の葉Girls」のイベントを休んで学校に行きたいと、懸命に伝えても聞き入れてもらえず、スタッフの高圧的な態度に萌景も悩んでいたようでした。娘の携帯電話には、学校に行きたいという娘の訴えに対して、事務所スタッフからのこんなメッセージが残っています。

「お前の感想はいらん。学校の判断と親御さんの判断の結果をそれぞれ教えろ」

「何故学校がダメと結論したのか、親御さんがダメと判断したのか、その理由だ」

「その理由によって、今後事務所はお前の出演計画を考えにゃならん。そこまで考えて物を言え」

 当時15歳だった萌景に、身近なスタッフからのこういったLINEがどれほど厳しく響いたか。真面目な萌景は「仕事を頑張らなくちゃ」という思いが強く、結局学校を休んでしまうことが多かったんです。

 また、萌景は高校1年のはじめに「1年間の時間割を見せるように」と言われて、事務所に提出しています。本人は「なんでこんなにプライベートまで管理されなきゃいけないのか、理解できない」と話していました。時間割を提出したにもかかわらず、「お休みをください」と言っても「愛の葉Girls」のイベント優先で、学校へ行くための許可をもらえなかったことは、何度もありました。

母親から連絡しても、取り合ってもらえなかった このままだと通信制高校の卒業も危ういと思い、高校1年の6月、萌景としっかり話をしました。萌景から「このままだと学校がダメになってしまうので、『愛の葉Girls』を辞めたいです」とSさんに相談したそうです。ですが、「全日制高校に入りなおすべきだ」と勧められて帰ってきました。全日制だったら土日がお休みだからイベントにも出られるだろう、という理由だったようなのですが、私からすると、週に2日も通学できていないのに、週5日の全日制との両立は難しいのでは、というのが正直な感想でした。萌景は、Sさんから「お金の心配はしなくていいけん」、「全日(制高校)に入学したらレギュラー番組を持たないか? 週1日くらいだったら学校を休んでも大丈夫」と言われたと話していました。 

 ときに、母親の私からマネージャーにLINEで連絡をしても、本人以外では取り合ってもらえませんでした。「家庭の事情でお休みをどうしても頂きたくご連絡させて頂きました」とLINEすると、

「申し訳ありません。この相談は萌景本人からじゃないと聞けないことになっています」

 とシャットアウト。さらに、離婚した実の父親に会いにいかせたいと思って、元旦のお休みをもらえないか私から連絡すると、

「事情は理解できます。ただ、全国区のタレントを目指していく上で元旦のように世間的に特別な日こそ、活動すべきではないかと思います」

 こういうやり取りを続けるうちに、萌景も私も、だんだんと「愛の葉Girls」を何が何でも優先させなければならない、という思考に陥ってしまったように思うんです。

今学校をやめると、私になにも残らなくなります 結局、2017年内に通信制高校を退学して、2018年に入ってから私立の全日制高校を再受験することになりました。あるとき、萌景は事務所スタッフとのLINEで、

「今学校(※通信制高校)をやめると、私になにも残らなくなります」

「正直今、学校の事も契約の事もどうしたらいいかわからないです」

 こういった混乱した胸の内を明かしていたこともありました。アイドル活動と高校生活を両立する方法を、萌景なりに模索していたのだと思います。それでも、スタッフからの返信は、

「そもそもお前はそういう特別な存在になりたかったんだろ?だから愛の葉に応募したんだろ?全国的なアイドルになりたいんだろ?最初の気持ちを忘れるな」

 親身に相談に乗るどころか、萌景をますます追い詰めていくような内容でした。

もう1回、高校1年からやり直そうとしていた 萌景は、土日休みの全日制高校に進学することで、「愛の葉Girls」との“二足のわらじ”をまっとうしようと決意していました。萌景は何でも自分で決める子で、一度目標を決めたら、その目標に向かってまっすぐに進む意思の強さがありました。「もう1回、高校1年からやり直そう」と私たち親子にしてみれば一大決心をして、なんとか生活を立て直そうとしていました。

「家族には迷惑をかけたくないから」という本人の強い意思で、「愛の葉Girls」のギャランティを前借りして、全日制高校の学費に充てることに決めました。全日制への進学に反対していた私も、「萌景がそこまで言うなら」と思って、応援することにしました。奨学金を借りることを提案しましたし、本当に萌景が困ったときはサポートするつもりでした。

 ただ、母親として事務所に伝えるべき心配事は伝えようとも思いました。最近レッスン後も帰りが遅くて困っていること、契約満了の2019年8月まで、あと1年半は「愛の葉Girls」を続けるが、そのあとは辞めたいと本人が話しているということ。そういった内容を、3月中旬頃に経理担当の社員・ Tさんへ電話で伝えたのです。 Tさんもまた萌景が信頼していた人で、時々萌景の生活態度について、母親である私の代わりに注意してくれたこともありました。

とにかく事務所の言うことは「絶対」 萌景が亡くなる前日の3月20日に、萌景と二人で事務所へ伺って入学に必要なお金をお借りすることになっていました。私から、契約満了までの1年半は「愛の葉Girls」の活動を頑張るということを伝え、「全日制高校へ進学したい。お借りしたお金は、働いてお返しします」という萌景の考えをTさんに話したところ、「なぜ今、このタイミングで辞めることも考えるのか」、「今の考えのままなら、お金は貸せません」と告げられました。

 娘は今までに見たこともないほど落ち込んでしまった様子で、帰り道、ひとことも発しませんでした。今から考えると、娘のことを守ろうと思って、契約満了とともに「愛の葉Girls」を辞めようと考えていると事務所に伝えたことが、とてもネガティブに受け取られてしまったのだと思います。事務所としては、「そんなに甘い考えなら、お金は貸せない」ということを態度で示そうとしたのかもしれない。単純に学費の問題ならば、親が用意することもできました。しかし、問題は信頼していた事務所にはしごを外されるような対応をされたということでした。それでも、とにかく事務所の言うことは「絶対」。萌景も私も、そんな風に思いこむようになってしまっていました。

 事務所から帰ってきて、思いつめた表情の娘に「明日、全日制高校は辞退しよう」と私から話すと、「そうだね、そのほうがいいよね。『愛の葉』にいても正直(高校を)続けられるか分からんしね」と萌景は語っていました。「とりあえず『愛の葉』を卒業したら、通信でも定時でもいいから、無理しないでゆっくり高校に行こう。高校卒業認定だけは必要だよね」と諭しました。本人も「そのほうがいいよね。バイトもできるし」と。そのときぼそっと「私って悪い子よね」とつぶやいたんです。

「だってさ、私は全日(制高校)に行くことを友達とか、入学するはずだった高校の校長先生にも『今年入学します』と挨拶したのに、そういった期待を裏切ってしまっている」

「ちゃんと通信に行かせてもらえたら、あと3年で卒業やったのに、私の1年間は一体何やったんやろうね。1年間無駄にした」

 こういう風に話していました。何とか気持ちを切り替えて親子で話していたところ、その日の夜になって、日中に話し合いをしたTさんから連絡があり、高校をあきらめて1年半は「愛の葉Girls」を頑張ると伝えると、驚いた様子で「本当に高校入学を辞退していいんですか? 本人から社長(Sさん)に連絡させてください。本当はお金を用意しているので」と言うのです。いま振り返ると、私たちを振り回す行動だったと思えてなりません。

「1億円を払うように言われた」という娘の言葉 萌景は出先からSさんに電話をしたようです。電話を切ったあと一緒にいたお友達に、

「謝らされた、私は何も悪いことしていないのに謝らされた」

「なんで私が謝らないかんの? 本当に社長(Sさん)に裏切られた」

 と話していたそうです。このときは、何のことを謝らなければならなかったのか、お友達にも話さなかったといいます。

 亡くなった3月21日の朝、萌景が一緒にいたお友達とそのお母さんに、

「私の(「愛の葉Girls」で活動した)2年間は何だったんだろう、夢を返してほしい」

「社長(Sさん)に裏切られた。社長に1億円を払うように言われた」

 と話していたと、あとから聞いて本当にショックでした。契約書には「ペナルティ料」の項目があり、規定違反や義務の不履行、タレント活動への事前連絡なしの不参加、遅刻の場合などにギャランティの50パーセント、または100パーセントをカット、足りなければ事務所から請求する旨が記されています。「1億円」というのは、Sさんが「違約金」をにおわせた発言だったと思えてならない。生前、「『何があっても萌景は辞めさせん』と社長(Sさん)に言われるよ」とも本人から聞いていました。 

足元に置いてあった携帯には 萌景が亡くなったあと、私からSさんに「萌景との最後の電話で、どんな話をしたのですか」と直接確認しましたが、「『本当に高校入学を辞退していいのか?』と話した」という一点張りでした。いまとなっては、どういうやり取りがあったのか、萌景にたずねることもできませんが、「もう『愛の葉Girls』を続けられないです」と信頼していたSさんに弱音を吐いたのかもしれない。親としてもっと支えてあげられたのではないかと、とても後悔しています。

 3月21日にも「愛の葉Girls」のイベントがあり、集合時間の12時20分になっても娘が集合場所に来ないといって、私のところにSさんから電話がありました。淡々と「萌景はリーダーなので、イベントに来ないのは非常に困ります。『愛の葉』の信用問題にも関わりますので、お母さんも連絡を取って家を見に行ってもらってもいいですか」と。

 出先だったのですが、何か嫌な予感がして家に戻ったのが13時40分。自転車があったので、「家におるな」と思いました。急いで中に入ると、リビングにはいない。2階に上がったら、階段を上る途中に、娘の足が見えてきて、「なんでこの子ずっとここに立ってるん」と思って見上げたら、立っているんじゃなくて、首を吊ってぶら下がっていました。足が真っ青になっていました。(「週刊文春」編集部)

 

 彼女が階段をあがり、一番よく見えるところで「首つり」という衝撃的な形で自死を選んだ、そのことに「意味(メッセージ)」があるように思える。

 多くの闇が、彼女の死の前に横たわったいた。まず、彼女自身が「いじめ」を受け、不登校になってしまったこと。そのことが、必要以上に「明るい未来」を切望することになる。夜の蛍光灯に多くの蛾や虫が引き寄せられ、焼かれ死ぬように、「明るさ」には「滅び」の闇が寄り添う。彼女はアイドルという光の世界の闇を見つめる目を持たなかった。アイドル=多くの羨望の的。そこに「いじめられっこ」だった自分を消す唯一のリベンジを求めた事が、結果的に彼女に死を選ばせた。アイドル=商品なのである。経済的には「使い捨て」の部品。それすら、「誰もがなれる」わけではない。容姿・運・いつかは、自分の若さを性的な貢ぎ物として、TV出演を手にしたなんて話もあるくらいだ。

 「地域アイドル」。今、流行だ。小学生や中学生に、市や町をあげて宣伝し勧誘する。保護者は嬉々として参加させながら、入学式で、学級発表の氏名を玄関前に貼られることに、ネットで自分の子がこの学校にいることが知られるのはまずいので、止めて欲しい、など身勝手な要望を出す。子供に「身勝手」を教える親。子供達は、大人の商業主義の闇など、誰からも教えられず、華やかな(?所詮地域アイドル)スポットライトまがいな場所にたち、勘違いをしていく。本来すべき勉強をそうそうに止め、「そこ」に夢を傾ける。結果、「通信制高校」しか行き場がなくなり、期待した「芸能界」への道がつながらない事を知ったとき、彼女らをそそのかした「市や町やアイドル会社」は、自己責任として手を差し伸べることはしない。そして、彼女らは、AVの世界や風俗へ身を落としていく人も少なくない。

 もう一つは、無知の罪。母親は本当に「地域アイドル」が全国区に、そんな夢が我が子に実現すると思っていたのか。その可能性の少なさに、覚悟をしていたのか。母子家庭で、3人もの子を抱え、ゆっくりと彼女の「子供らしさ」「子供らしい甘さ」を解きほぐし、社会性を身につける努力が出来なかったのではないか。やはり、母親自身、娘を死に追いやったと感じているように、最後の日、彼女が会社に行きたくない、とこぼしたとき、抱きしめ、認めてやるべきだった。また、彼女が会社に今後の身の振り方を相談しに行った時、一人で行かせず同席すべきであったろう。まだ、15,6歳の子供が、大の大人数名に囲まれ、自分の意見など言えるはずもないし、「1億円」うんぬんも、親が同席していれば、その後の対処の仕方が違ったろう。仕事忙しさにかまけて、子供の悩みに寄り添えなかったうらみは消えまい。

 そして、、『愛の葉Girls』を運営する会社。このブラックさ。15,6歳の学業を優先させない事業事実。行政はここに手を入れるべきである。ただ、そんな会社はごまんとある。それを、知らなかった、考えなかった、母親の無知もやはり責任がある。

 そして、2階の階上の見渡しの良い場所を「決行場所」に選んだ意味。その会社そのもの以上に、「誰も助けてくれなかった」「味方はいなかった」という悲しみ。それを表現する場所が「そこ」だったのではないか。遺族の母親にはとても酷だが・・・。

 いじめ。・・・学校だけではなく、社会そのものが、いや、この国じたいが「いじめの構図」であるという識者もいる。ある意味、親は我が子に「打たれ強さ」を身につけさえなければならない。子育ての中の叱咤激励・親が生きる姿・子供にかける理解を超えた「愛情」。そんな親子関係も大切な「言葉」なのかもしれない。

 16歳で死を選ばなければならなかった絶望。どこかに、まだまだ生きる道がたくさんあること、アイドルへの挑戦は一つの経験だったのだということを、彼女に教えてあげられなかったのだろうか。子を持つ親として、考えさせられるじけんであった。合掌。 

 

教師、紫煙が目にしみる 福岡市の学校内全面禁煙 「校門の外で」に厳しい声

~管理職や任命予備軍が守らないのだから。

  ・・・でも、まあ、生徒・児童のいないところで吸っているのだから。 

 「近所の中学校の校門前で、教職員と思われる大人がたばこを吸っている。子どもに喫煙の害を教える立場なのに、どういう意識なのでしょう」。福岡市西区に住む30代女性から、特命取材班にそんな声が届いた。他人のたばこの煙を吸い込む「受動喫煙」のリスクが叫ばれており、愛煙家は肩身が狭い。教育現場ではどうなっているのか。

 無料通信アプリLINE(ライン)でメッセージを寄せてくれた女性によると、平日は朝や放課後に2~3人、土日は部活動の合間にスポーツウエア姿の男性が校門の外に出てきてたばこを吸っているという。「授業で受動喫煙の危険性も教えているはず。生徒も通る校門の前で堂々と吸える神経が信じられない」と話す。

 学校での喫煙ルールはどうなっているのだろう。

 福岡市教育委員会は2005年、公共施設に受動喫煙対策を求めた健康増進法の施行を受け、市立の幼稚園や小中高校の敷地内を全面禁煙にした。16年8月には学校敷地内のプレハブ小屋を喫煙所として使い、教職員を誘って喫煙していたとして城南区の男性小学校長を減給処分にしている。

 さらに今年2月から福岡市役所が勤務時間中の喫煙を禁止したのに伴い、学校の敷地内外を問わず、勤務時間中は禁煙を徹底するよう各学校に通知を出した。

 休憩時間の喫煙は禁じていないが、そもそも教師の場合、勤務時間との境界線はあいまい。罰則はないとはいえ、女性が目撃した「教師」たちは、ルールに抵触しているように映る。(西日本新聞 2018年05月18日 06時00分 )

 

 自分は、もう20年も前にたばこを止めたから気楽だが・・・まあ、現場は大変。敷地内もだめ、もちろん、喫煙室なんてもってのほか。さあ、どうするか。これは、職員に範を見せるはずの管理職にとっても苦しい。なぜなら、彼らも多くは喫煙者だから。

 さて、多くの学校では、どうしているか。外に出たら近所の目が「うるさい」。多いのは、立場の弱い「公務補」さんに泣きついて、なんと、火の元である「ボイラー室」(だいたい地下)に小さい机や椅子を置き、喫煙室としている。滑稽なのは、そこは、生徒の通る廊下に面しているから、ある時、「ボイラー室」から大量の「先生」が出てきたり、何人も交代で出入りするのを目にすることになる。生徒は「ははん」と思うのである。その次は、駐車場にある自分のマイカー内。その次は、マイカーを移動して、近くの市民野球場の駐車場へ行き、しばしば喫煙。なんとも笑ってしまう。記事の校長は、たまたまの「事故」。災難としか言いようがないのではないか。

 ルール遵守を教える「教師」が抜け道を作る・探すのだから、言わんやおやである。ただ、なんでも、生徒・子供目線で良いとも思わないが。大人と子供は違うという事を見せ・教えるのも教育だろう。子供は、学校は勉強・修行の場だが、大人の教師にとっては「労働の場」である。だから、生徒と教師は、違って当たり前の行動はある。大人が萎縮してはいけない部分もある。親だってそうだろう。自分の「夜」の生活を子供に赤裸々に話すのか。子供と大人は違うのである。そうそう、記事では、「休憩時間の喫煙は禁じていないが、そもそも教師の場合、勤務時間との境界線はあいまい。罰則はないとはいえ、女性が目撃した「教師」たちは、ルールに抵触しているように映る。」とあるが、そもそも教師の1日に厳密に「休憩」と呼べる時間は保証されていないのだ。そういう意味では、喫煙者にとっても、学校は「牢獄」のようなものなのかもしれない。

男性チームコーチが高校生選手にパワハラ,辞任。「え?この程度で?」

~「ええ~この程度で?」。時代の変化と子供の変容についていけない「やりたがり教師」の末路。

 

指導陣5人辞任、選手22人のうち13人も退部申し出

 平昌冬季五輪代表選手も所属する、女子アイスホッケーチーム「フルタイムシステム御影グレッズ」(北海道清水町)で、男性コーチによる高校生選手へのパワーハラスメント行為があったとして、このコーチや監督ら指導陣5人が辞任し、選手22人のうち13人も退部を申し出たことが19日、チーム関係者への取材で分かった。

毎日新聞

 

 実際、え?この程度で辞任?退部?と家庭で話していた。しかも、「質の高い指導=大きな大会出場」を目指している「クラブチーム」で?と。

 今、中学・高校の部活動のあり方が問題になっているが、一昔(10年以上前)は、桁違いにひどかった。教える方も、部活動のあり方も。例えば・・・。自分も経験した(ほぼ素人だったが)バスケットボール。高校・大学と競技経験があり、その指導が「したくて」教員になった「やりたがり」教師。いわゆる専門家。動きが「ぬるい」と部員20名ほど円陣を組ませ、上から下から目隠しさせ、ほっぺたを「たたく」、イスを投げる、は当たり前。そんな競技だと、思っていた。選手は駒だ。それがバスケットボールという競技。ほっぺたをたたくのは、男性教師とは限らない。女性教師もたくさんいた。同様の行為をしていた。きんきん声を張り上げて。森○と言ったか。その誰もが北海道では、最後は教頭・校長になっていった。部活派閥・札教閥。だから、少なくとも北海道では、体罰もなかなかなくならないし、それを見て育った後輩も、何かに「気づかなければ」同様の事を繰り返す。コピーである。それを、苦笑いで見ながら「体罰撲滅」を唱える管理職になった「彼ら」。なぜだか、それを黙認している道教委。北海道の、特に石狩管内の部活動のあり方は、多分、また、変わらない。骨抜きだ。「彼ら」はやりたいのだ。それが生き甲斐だから。問題は、それを「権力」の下、そうでない教師や若手に押しつけることが、問題なのだ。

 本題からそれたが、今回のコーチが選手に叫んだ「ユニフォーム脱いで帰れ」なんて、優しい方。だって「なぐっていた」んだから。選手の視線で言えば「殴られて」いたんだから。へえ~。こんなんで辞めるんだ、大の大人が、てな感じなのだ。まあ、時代も変わり、子供には、親や子も、過度に「優しく」なったからなあ。それに、ついていけない「やりたがり」教師の末路ということなのだと思う。

 これも、ある意味、みんなが知っていて、知らない振りをしている「教育現場の闇」の大人版と言えるのだと思う。まあ、それに関知しない生徒。つまり、監督・コーチの辞任に反意を示して、退部した選手達。つまり、セクハラを訴えた選手と、それに反意を示し、指導者の退部と共に自分たちも退部した選手たち。同じ選手の中にも、2つのグループがいたということ。ここに、スポーツが、清廉潔白とか純粋とか、部外者が求める「世界」と違った「どろどろ」した世界があるという事を示してもいる。子供も大人も、スポーツに身を置くことで、そういう「現実」を学ぶのだろうか。そういう意味でスポーツ=社会勉強なのか。だから、学校現場で部活動偏重主義が改善されないのだ。

 

 

傷だらけの西城秀樹逝く。最後まで強くあることに努力して。

         ~障害の残る姿でもなお、ステージに立ち続けた強さの根源は。

 歌手の西城秀樹さんが5月16日午後11時53分、急性心不全のため横浜市内の病院で亡くなった。63歳だった。1979年には「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」で日本歌謡大賞などを受賞。高い歌唱力とともに派手な衣装とパフォーマンスが話題を呼んだ。郷ひろみさん、野口五郎さんとともに「新御三家」として、多くのファンに支持された。48歳だった2003年に脳梗塞を発症。56歳だった2011年に再発していた。

NEWS 2018年05月17日 12時58分 JST | 更新 2018年05月17日 14時01分 JST

 

 もろ西城秀樹世代である」。「傷だらけのローラ」からしばらくして西条秀樹を知ることになるが、なぜだか、「傷だらけのローラ」という題名とその歌詞が耳について離れなかったことを覚えている。晩年の秀樹は、まさに「傷だらけの秀樹」。それでも、ステージに立ち続け、激痛の伴うリハビリ・筋力トレーニングに励み、戻らない発音や運動能力を、最後は、「ありのままを見せ」、同病の人達の「勇気」になりたい、とステージに立っていたという。その話を聞いて、「強え~なあ」と思った。人間誰しも、人に弱みを見せたり、かっこ悪い所を見せたい、そう思うのだと思っていた。自分がまさにそれだから。それは、何十年の応援してくれる「ファン」のためもあるのか。幼い3人の子供や妻のためでもあるのか。「戦う姿」を見せ続けることに、意味を見いだしていたのか。

傷だらけのローラ 歌詞
ローラ 君は 何故に
ローラ 心を とじて
ローラ 僕の前で
そんなにふるえる

今 君を救うのは
目の前の僕だけさ
生命(いのち)も 心も
この愛も 捧げる

ローラ 君を 誰が
ローラ そんなにしたの
ローラ 悪い夢は
忘れてしまおう

この腕に おすがりよ
今 僕は 狂おしく
祈りも 誓いも
この愛も捧げる ローラ

祈りも 誓いも
この愛も捧げる ローラ
ローラ ローラ……
祈りも 誓いも
この愛も捧げる ローラ

 晩年は、その病故、日常の中に、常に「死」を覚悟・意識しない日はなかったろう。そんな彼の胸中にあったものは、残していくかもしれない「子供」達の事だったかもしれない。

 親のとり、子供は「人生」のすべて。子の成長は、「自分の歴史」。子供を守り、子供の無垢は瞳に守られ、時を重ね、親は年老いていく。定めと言えば定めなのだが、無情な時間の流れ。子供を授かり、その乳の匂いを側で感じ、あまりの愛おしさに、自分の顔をほっぺにくっつけたまま離れがたくなり、苦しくなる。仕事にも行きたくなくなる。すべての時間が惜しくなる。子供も大小の病気を乗り越え、その時間も「親」は「歴史」として記憶する。自我の芽生えとともに、時に気弱になることがあれば、大きく叱り、涙も流す。そして、成年になり、社会に出て行く様を心配し、でも、その横に自分の背を超えた横顔と、その片隅の変わらぬあどけなさを、見つけ、その行く末を見届けたいと願う。そんなさなかの出来事だった。さぞかし、無念で悲しかったろう。でも、どこかに、「戦う姿」を見せ続けられたことに、「わかっただろう、生きることが」と、思っていたか。永遠のロックシンガーに献杯。合掌。

50代“負け組”3000人の共通点 人生の勝ち負けを決める基準とは?

~自分は「勝ち組」、それとも「負け組」?

SPA!が歩んだ30年の間に、日本は「一億総中流社会」から勝ち組と負け組が混在する「格差社会」へと変貌を遂げた。ウイルスのように増殖を続ける負け組たち。そこで今回は「自分は人生の負け組だと思う」と回答した50代の男性会社員を対象とした3000人にアンケートを実施。見えてきたのは「負け組」特有の意外な共通点だった!

◆50代の背中から見えてきたものとは?

「ゆっくり仕事をしても午後にはやる作業がなくなる。営業で現場を飛び回っていた頃が懐かしいです」

 機械メーカーに勤める安原寛治さん(仮名・52歳)は現在、総務部で保養所施設の管理業務を担当。肩書はヒラ社員。年収740万円だが、同年代では最低レベルだ。安原さんが負け組50代に転落する契機は45歳のときだった。

「年下課長に噛みついたら、地方の営業所に左遷されました。今は東京本社勤務ですが、自宅は大阪なので、社宅に単身赴任。同じ社宅に住む上司の子供に『オジさんなのにペコペコしてる』と言われ、本当にツラくなりましたね」

 12歳になる子供のため、会社を辞めるわけにもいかない。もはや「サラリーマンとして負け組かもしれない」と公園のベンチに座って話す安原さんの背中からは、物悲しい哀愁が漂っていた――。

 年収740万円にもかかわらず、安原さんはなぜ「負け組」と感じてしまうのか。今回「負け組だと思う」と回答した50代サラリーマン3000人を対象にアンケートを実施。その結果から導き出されたのが下記の平均像だ。

◆<負け組50代男の平均値>
※従業員数50人以上の会社に勤務する50代サラリーマンで都市部在住の人を対象に「あなたは負け組だと思いますか?」という質問をぶつけた。その中から「負け組だと思う」と回答した3000人を抽出し、結果を算出

●一戸建て所有率 51.7%
●既婚率 79.3%
●子供の数 1.65人
●貯蓄額 325万円
●通勤時間 45.2分
●最終学歴 偏差値60未満の大卒
●平均年収 618万2000円

●負け組転落年齢 38.9歳
(20代以下…17.9% 30~34歳…17.0% 35~39歳…16.4% 40~44歳…20.9% 45~49歳…13.1% 50代…14.7%)

●負け組三大マインド
1位 低収入 43.9%
2位 低肩書 18.4%
3位 低貯蓄 14.7%
4位 独身&孤独 12.5%
5位 病気 4.9%
6位 非モテ 1.6%

 平均年収は618万2000円で51.7%が一戸建てを持ち、8割近くが既婚。決して負け組とは言えない平均像が浮かび上がったが、実情は違う。経済ジャーナリストの荻原博子氏はこう解説する。

「40代までは、がむしゃらに働いていた人ほど収入や肩書の相対的な低さは気にならない。むしろ『いつか出世してやる』という希望を持ち、積極的に生きていた。でも、50代になって上がり目がないことを認識したとき、他人に比べて低収入、低肩書、低貯蓄という現実が一気に重くのしかかり、一層の負け組感を増幅していきます」

◆収入、肩書、貯蓄……3つの“低い”が、負け組を決定づける

 3000人のアンケート結果は、人生の敗北感を突きつける負け組マインドは家族や健康、モテではなく、低収入、低肩書、低貯蓄という3要素だと示す。そして、この“新・三低”とも呼ぶべきマインドが生まれる分岐点が平均38.9歳であることも判明した。この数字について、健康社会学者の河合薫氏は次のように指摘する。

成果主義が浸透しつつあるとはいえ、日本企業は入社すれば立ち回り方次第で、本人の能力がイマイチでも出世して勝ち組になるチャンスが与えられます。だからこそ、アラフォーまでは誰もが夢を見られる。一方、それを境にいかんともしがたい現実が見え始める。年下上司が現れ、会社に居場所がなくなり、セカンドキャリアの研修会に強制参加。出世の夢から急速に醒めるのがこの年齢です」

 来年結成30周年を迎える人気バンドのミスターチルドレンは「未来」という曲の中で「今僕の目の前に横たわる/先の知れた未来を/信じたくなくて/目を閉じて過ごしている♪」と歌う。

 もはや先の知れた未来に目を背けず、どう生きるかが負け組50代にならないために必要なのかもしれない。<2018年5月15日 8時52分日刊SPA!

 

 定年延長や年金給付の繰り上げが話題になる昨今。50代のサラリーマンの悩みは深い。50代の「平社員」。どの職業も悩み深き年齢である。出世を含め、何かを諦める。体力も衰える。「やりがい」の維持もエネルギーがいる。いろんな矛盾が具体的に見える。自分の人生の終焉を意識しだし、「有意義な人生」「第2の人生」という言葉に、ある意味怯えるようになる。親が50代の時、ふともらした「早く辞めたいなあ」という言葉。バリバリの仕事人間。病をしたあとも、そのバリバリ感が彼を支えたのだろう。その父の言葉である。今、その言葉を自分が噛みしめている。ただ、働かなければ生きていけない時代。ただ、その為だけに「働く」。そう、それだけのために「死ぬ」まで働かなければいけないのか。そんな事も考える。疲れる年齢50代。

●一戸建て所有率 51.7%
●既婚率 79.3%
●子供の数 1.65人
●貯蓄額 325万円
●通勤時間 45.2分
●最終学歴 偏差値60未満の大卒
●平均年収 618万2000円

 これを見て、考える。ここで当てはまるのは、2、3つつぐらい?上記の項目はどう理解すればいいのだろう?それでも、自分が「勝ち組」とは、とうてい思えないなあ。

 要は、社会の中で、どうな立ち位置にいれるかどうか、という「現実」に、考えさせられるということなのだろう。

 自分の今の一番の願いは、子供達の行く末、努力の末、社会で生きていく「力」や「心」を見つけ、巣立っていくのを見届けられること。それができれば、いいかなあ。それと、そんな自分の「歴史」を理解してくれる「妻」と時間を共有できること。それができれば、トータルで「勝ち組」になれるかなあ。

 それにしても、こんな公然と「勝ち組」「負け組」という言葉が語られる、今の社会は息苦しくないか。・・・それとも、言葉はともかく、その考え方は昔からあったのか。

 

正体不明のストーカー。学校の限界と警察の無力、保護者の無責任化。

~犯人は誰だ?→校内で起きないこと(被害者の安全)→何も変わらない。

〈ケース1〉

 ある時期のある学校のケースである。意外と一般的なよくある話だが、ここにいろんな「闇(限界と勘違い)」がある。

 始まりは、秋口、部活動の人間関係のもつれから、部活動後、更衣室の被害者Aの鞄に誹謗中傷の手紙がいれられる。顧問は、すぐに部員全員を集め、事実確認と首謀者は誰か、を確認するミーティングをする。が、犯人は、わからず、顧問はしばし部活動停止。当該学年は学年集会を行い、記名アンケートをする。→効果無し。

 その後、ラインを使っての誹謗・中傷が起き、数ヶ月も続くため、学校側は、警察の協力をあおぎ、加害者を特定するよう被害者家族に提案する。被害者家族は警察に届け出るが、警察は「様子を見る」の1点ばり。その後、しばらく小康状態が続くが、年が明け、学年があがり、再び、同様の事案が起きる。今度は、左手で書かれたような文字で誹謗中傷の手紙が、自宅に、そして、近隣の同級生やその友人の家やその周囲のものにはさまれたり、被害者家族の自宅のドアの鍵穴に瞬間ボンドが塗り込まれたり、ペンキで嫌がらせをされるなどの事が起きる。母はノイローゼ様になり、子供は、学校に「行きづらく」なり、遅れてきたり、休む事が多くなった。

 この事態を受けて、警察は「事件化」することとし、可能性が疑われる「数人」の生徒の指紋を任意で取り、事情を聞く。

 その間、学校は、何度目かの学年集会で、情報提供の協力を求めつつ、被害者の生徒に寄り添うことを話す。→その翌日、再び、「学校は何も出来ない。」「あんまりあおるなや、絶対に警察にもわからん」などの手紙が、同様に、被害者家族自宅に届く。

 その後、保護者集会で事実を伝えるも、同様に、2~3日後、それを揶揄する手紙が届く。→その後、警察の動きも知らされず、特に進展無し。

 周辺住民の協力や防犯カメラの設置するも、今度はどこからか同様の手紙が郵送される。保護者集会では、「いつ自分の子供も同様の事が起きるかわからない。詳細を教えて欲しい」「犯人の目星がついていると子供は言うが、誰なのか」など、半分興味本位の発言もあった。その間、その手紙や、その報告は昼夜・夜中問わず、学校・他人の携帯に届くようになった。

〈学校・警察・地域の闇〉この事案から思うこと。〈学校・警察の限界〉

学校側→・この時起こっている事案はすべて学校外である。(きっかけは学校内だが)

    ・学校には、加害者の揶揄するように、加害者を特定する調査の権限は非常に

     少なく、不可能に近い。(その少ない可能性も、小中の中で培われた生徒の

     教師・大人への信頼に因るところが大きい。)

    ・きっかけは、部活動顧問の力量不足もあるだろう。(管理能力)。時には、

     それを自覚していない面々も当然いる。

    ・当該担任は、被害者の保護者の気持ちに寄り添うあまり、他の生徒へ心行か

     ず、否定的な(この中に犯人がいる)イメージで生徒を見るようになった。

     〈たしかに、これ以上打つ手は無しだが・・・・。〉

警察側→該当(被害者に濃厚接触した)生徒・家族への事情聴取、指紋捺印はする。照

    合するするが該当せず。ここで、もちろん、自作自演を学校側も可能性として

    否定できず、被害者・家族へも指紋捺印させる。被害者や近い立場の人々にし

    たら、動きが遅いし、情報がもらえない。この事案も、最初の「相談」の時、

    ライン会社へ動いて加害者が特定できれば、もしかしたらここまで事案が大き

    くならなかったかも知れない。半年後ライン会社に協力を要請するも、解決に

    繋がる情報をもらえず。その後は音沙汰無し→打つ手がないのだろう〉

被害者→遅刻したり、その理由もさまざまで、当然の様子で学校へ。体調不良で遅刻す

    るも部活では普通に活動。髪の長さなどの校則を違反するも、同様に指導でき

    なくなる。(そのことには現状から担任触れることできず)

加害者→様々な様子・行動からも特定できず。半年にも及ぶ執拗な「ストーカー行為」

    の背景に、どんな「事件」があったのだろうか。その存在すら許せなくなった

    としたら、どんな解決が可能なのか?

 

 この〈ケース1〉では、近隣の関係者でも、無関係な部分が大にしろ、「興味本位」のワイドショー的な感覚を、正しそうな声でかき消し、主張する。中には、本当に正しいと思い、被害者・家族が躊躇する中、行動指針みたいなものを、被害者に渡したり、警察に直訴したりと「困ったちゃん」が現れたりしたという。学校には「限界がある」が、それを言えないがため、保護者も中途半端な味方しかできない。学校には調査権限もなく、学校外の事件を、教職員が、見張り・見回り・調査することは、不可能に近いし効果的ではない。それなのに「学校はなにをしている責められても、無意味・無駄である。

 唯一の「警察」も、人権上、一番効果的な、全生徒の指紋調査ができないため、こういう事例は、解決に近づけない事が多い。

 結局、この悶々とした事案を「もんもん」とさせているのは、人権という大仰なものなのだ。人を守る為の法律が、人を苦しめる矛盾。

 正しいことを行使できず、ごまかしで自己満足する学校・警察、そして聞くだけの教育委員会

 こんな事が、近々で起きたなら、どうすればいいのか。もし戸建てでないなら、引っ越し・転校である。これは、「負けではない」。経験を力にかえるための「撤退」。親も子もそう考えるべきだ。私も、周りは考えすぎだと笑ったが、中学卒業までは、前述の理由で、賃貸暮らしを選択した。では、戸建ての家族は?逃げるわけには、なかなかいかない。鈍感になるか、戦うか、どちらかしかないだろう。ただ、叩くにしても、警察は、こういう事案には、実は無力で、「大きな事故」でもないかぎり警察主導で解決できた例はあまり多くない。学校には限界もある。管理職や学年主任の力量・価値観にも大きく左右される。味方は、自分たちしかいない。が、もしかしたら、犯人は自分の子供の自作自演であったり、さっきまで心配顔で隣にいた隣人(同級生)やその保護者かもいれない。・・はたまた、被害者と思われる本人あるいはその保護者が加害者という可能性もあるのだ。・・・

 被害者に寄り添いすぎた挙げ句利用される。被害者に「親身」になる。そこに深い闇が手を広げて待っていることもあるのかもしれない。