母親が告白 農業アイドルだった大本萌景さん(16)は、なぜ自殺しなければならなかったのか!

 ~地域アイドルという闇、経済の闇、母親の闇、無知の闇。闇が持ち去った生きる希望。

ももクロが大好きで、アイドルに憧れていた 3月21日に萌景(ほのか)が亡くなってから、私たち家族の明るさ、家の光が失われた感じがしています。萌景の姿を最初に発見したのは私です。私は今でも自宅の2階に一人で上がることができません。萌景が亡くなった場所は、階段を上がってぱっと目に入る萌景の部屋だったので、どうしてもその場所に行くことができない。残された子どもたち、社会人の娘は体調を崩してしまい、小学生の息子は一人でトイレに行くこともできないような状況です。

 萌景は、いつも明るくて本当にお調子者。小さい子どもたちが大好きで、お年寄りからも愛されるような子でした。色々な方から「今1番人気よー」とか、「萌景ちゃんすごい人気があるね、すごいね」と声をかけてもらっていました。

 実は中学1年の頃、学校でいじめを受けていて、不登校のような時期がありました。きっかけは、 萌景がクラスメートと些細なことでもめて、担任の先生が「大本の嫌いなところをみんなで本人に言おう」と提案したことだったみたいです。いじめに悩んでいた萌景は、よく私たちに「転校させて」と言っていました。そんなときにゲームセンターのSEGAで「愛の葉Girls」のライブを見て、目をキラキラ輝かせていました。気が付けば、自分でオーディションに申し込んでいて。書類審査に合格したというので、「やってみたい」と相談を受けたんです。

 中学2年の7月、「愛の葉Girls」の研修生になりました。もともと「ももいろクローバーZ」が大好きで、アイドルに憧れていたということもあったと思います。「いじめられていた自分自身や周りの人を見返したい、みんなと打ち解けたい」。そういう理由でオーディションを受けようと思ったと、本人が振り返って話していました。

全国区のアイドルになりたい「愛の葉Girls」では、ライブや地産地消フェアなどのイベントが主な活動でした。あとは月に1回程度の農作業。ブログでもアボカドを育てている様子などを紹介していましたが、本人は農作業をまったく嫌がらず、一生懸命取り組んでいました。週3回のレッスンも、休むことなく真面目に取り組んでいたんですよね。「歌って踊ることが好き」と言っていましたし、家では甘えん坊の萌景が、ステージに立つと人が変わったように生き生きとしていて。 萌景にとって「愛の葉Girls」は自分の居場所になっていて、「もっとグループが売れて、全国区のアイドルになりたい」という夢に向かって、とてもストイックに頑張っていました。

 何より、運営会社である農業生産法人「hプロジェクト」代表のSさんを第2の父親のように信頼して、ひょっとしたら親以上に信頼していたとも思っています。私たちが何を言っても納得しない場合でも、Sさんに言われると素直に話を聞ける。そういう風なところがありました。

アイドル活動と高校生活の両立で悩んでいた 萌景のアイドル活動は順風満帆のスタートを切ったと言えました。しかし今思えば、大きなつまずきは、事務所の方針で学業が大幅に制限されたことにありました。

 2017年4月から、週に2回、火曜日と日曜日に登校日がある通信制高校に通っていたのですが、「愛の葉Girls」の仕事で、特に日曜日はイベントに出かけなければならないことが多かった。登校日と重なると、仕事をお休みする旨をスタッフへ連絡していたのですが、許可がもらえず、学校を休みがちになっていきました。 通信制ですから、毎回授業に出席する必要はありませんでしたが、受講する科目ごとの「必要面接時間数」以上の出席がないと、試験を受けることができないシステムでした。日曜日は全部で8日間、登校日があったのですが、3日間はイベントによって休まなければならなくなり、英語の出席日数が足りなくなって、単位を落としてしまいました。 高校1年の前期だけで4単位を落とし、後期は一度も学校へ登校していません。

事務所スタッフからの高圧的なLINE 事務所との契約に際しては、「愛の葉Girls」の仕事が学業に支障をきたさないことを前提としていました。しかし実際には、萌景が登校日なので「愛の葉Girls」のイベントを休んで学校に行きたいと、懸命に伝えても聞き入れてもらえず、スタッフの高圧的な態度に萌景も悩んでいたようでした。娘の携帯電話には、学校に行きたいという娘の訴えに対して、事務所スタッフからのこんなメッセージが残っています。

「お前の感想はいらん。学校の判断と親御さんの判断の結果をそれぞれ教えろ」

「何故学校がダメと結論したのか、親御さんがダメと判断したのか、その理由だ」

「その理由によって、今後事務所はお前の出演計画を考えにゃならん。そこまで考えて物を言え」

 当時15歳だった萌景に、身近なスタッフからのこういったLINEがどれほど厳しく響いたか。真面目な萌景は「仕事を頑張らなくちゃ」という思いが強く、結局学校を休んでしまうことが多かったんです。

 また、萌景は高校1年のはじめに「1年間の時間割を見せるように」と言われて、事務所に提出しています。本人は「なんでこんなにプライベートまで管理されなきゃいけないのか、理解できない」と話していました。時間割を提出したにもかかわらず、「お休みをください」と言っても「愛の葉Girls」のイベント優先で、学校へ行くための許可をもらえなかったことは、何度もありました。

母親から連絡しても、取り合ってもらえなかった このままだと通信制高校の卒業も危ういと思い、高校1年の6月、萌景としっかり話をしました。萌景から「このままだと学校がダメになってしまうので、『愛の葉Girls』を辞めたいです」とSさんに相談したそうです。ですが、「全日制高校に入りなおすべきだ」と勧められて帰ってきました。全日制だったら土日がお休みだからイベントにも出られるだろう、という理由だったようなのですが、私からすると、週に2日も通学できていないのに、週5日の全日制との両立は難しいのでは、というのが正直な感想でした。萌景は、Sさんから「お金の心配はしなくていいけん」、「全日(制高校)に入学したらレギュラー番組を持たないか? 週1日くらいだったら学校を休んでも大丈夫」と言われたと話していました。 

 ときに、母親の私からマネージャーにLINEで連絡をしても、本人以外では取り合ってもらえませんでした。「家庭の事情でお休みをどうしても頂きたくご連絡させて頂きました」とLINEすると、

「申し訳ありません。この相談は萌景本人からじゃないと聞けないことになっています」

 とシャットアウト。さらに、離婚した実の父親に会いにいかせたいと思って、元旦のお休みをもらえないか私から連絡すると、

「事情は理解できます。ただ、全国区のタレントを目指していく上で元旦のように世間的に特別な日こそ、活動すべきではないかと思います」

 こういうやり取りを続けるうちに、萌景も私も、だんだんと「愛の葉Girls」を何が何でも優先させなければならない、という思考に陥ってしまったように思うんです。

今学校をやめると、私になにも残らなくなります 結局、2017年内に通信制高校を退学して、2018年に入ってから私立の全日制高校を再受験することになりました。あるとき、萌景は事務所スタッフとのLINEで、

「今学校(※通信制高校)をやめると、私になにも残らなくなります」

「正直今、学校の事も契約の事もどうしたらいいかわからないです」

 こういった混乱した胸の内を明かしていたこともありました。アイドル活動と高校生活を両立する方法を、萌景なりに模索していたのだと思います。それでも、スタッフからの返信は、

「そもそもお前はそういう特別な存在になりたかったんだろ?だから愛の葉に応募したんだろ?全国的なアイドルになりたいんだろ?最初の気持ちを忘れるな」

 親身に相談に乗るどころか、萌景をますます追い詰めていくような内容でした。

もう1回、高校1年からやり直そうとしていた 萌景は、土日休みの全日制高校に進学することで、「愛の葉Girls」との“二足のわらじ”をまっとうしようと決意していました。萌景は何でも自分で決める子で、一度目標を決めたら、その目標に向かってまっすぐに進む意思の強さがありました。「もう1回、高校1年からやり直そう」と私たち親子にしてみれば一大決心をして、なんとか生活を立て直そうとしていました。

「家族には迷惑をかけたくないから」という本人の強い意思で、「愛の葉Girls」のギャランティを前借りして、全日制高校の学費に充てることに決めました。全日制への進学に反対していた私も、「萌景がそこまで言うなら」と思って、応援することにしました。奨学金を借りることを提案しましたし、本当に萌景が困ったときはサポートするつもりでした。

 ただ、母親として事務所に伝えるべき心配事は伝えようとも思いました。最近レッスン後も帰りが遅くて困っていること、契約満了の2019年8月まで、あと1年半は「愛の葉Girls」を続けるが、そのあとは辞めたいと本人が話しているということ。そういった内容を、3月中旬頃に経理担当の社員・ Tさんへ電話で伝えたのです。 Tさんもまた萌景が信頼していた人で、時々萌景の生活態度について、母親である私の代わりに注意してくれたこともありました。

とにかく事務所の言うことは「絶対」 萌景が亡くなる前日の3月20日に、萌景と二人で事務所へ伺って入学に必要なお金をお借りすることになっていました。私から、契約満了までの1年半は「愛の葉Girls」の活動を頑張るということを伝え、「全日制高校へ進学したい。お借りしたお金は、働いてお返しします」という萌景の考えをTさんに話したところ、「なぜ今、このタイミングで辞めることも考えるのか」、「今の考えのままなら、お金は貸せません」と告げられました。

 娘は今までに見たこともないほど落ち込んでしまった様子で、帰り道、ひとことも発しませんでした。今から考えると、娘のことを守ろうと思って、契約満了とともに「愛の葉Girls」を辞めようと考えていると事務所に伝えたことが、とてもネガティブに受け取られてしまったのだと思います。事務所としては、「そんなに甘い考えなら、お金は貸せない」ということを態度で示そうとしたのかもしれない。単純に学費の問題ならば、親が用意することもできました。しかし、問題は信頼していた事務所にはしごを外されるような対応をされたということでした。それでも、とにかく事務所の言うことは「絶対」。萌景も私も、そんな風に思いこむようになってしまっていました。

 事務所から帰ってきて、思いつめた表情の娘に「明日、全日制高校は辞退しよう」と私から話すと、「そうだね、そのほうがいいよね。『愛の葉』にいても正直(高校を)続けられるか分からんしね」と萌景は語っていました。「とりあえず『愛の葉』を卒業したら、通信でも定時でもいいから、無理しないでゆっくり高校に行こう。高校卒業認定だけは必要だよね」と諭しました。本人も「そのほうがいいよね。バイトもできるし」と。そのときぼそっと「私って悪い子よね」とつぶやいたんです。

「だってさ、私は全日(制高校)に行くことを友達とか、入学するはずだった高校の校長先生にも『今年入学します』と挨拶したのに、そういった期待を裏切ってしまっている」

「ちゃんと通信に行かせてもらえたら、あと3年で卒業やったのに、私の1年間は一体何やったんやろうね。1年間無駄にした」

 こういう風に話していました。何とか気持ちを切り替えて親子で話していたところ、その日の夜になって、日中に話し合いをしたTさんから連絡があり、高校をあきらめて1年半は「愛の葉Girls」を頑張ると伝えると、驚いた様子で「本当に高校入学を辞退していいんですか? 本人から社長(Sさん)に連絡させてください。本当はお金を用意しているので」と言うのです。いま振り返ると、私たちを振り回す行動だったと思えてなりません。

「1億円を払うように言われた」という娘の言葉 萌景は出先からSさんに電話をしたようです。電話を切ったあと一緒にいたお友達に、

「謝らされた、私は何も悪いことしていないのに謝らされた」

「なんで私が謝らないかんの? 本当に社長(Sさん)に裏切られた」

 と話していたそうです。このときは、何のことを謝らなければならなかったのか、お友達にも話さなかったといいます。

 亡くなった3月21日の朝、萌景が一緒にいたお友達とそのお母さんに、

「私の(「愛の葉Girls」で活動した)2年間は何だったんだろう、夢を返してほしい」

「社長(Sさん)に裏切られた。社長に1億円を払うように言われた」

 と話していたと、あとから聞いて本当にショックでした。契約書には「ペナルティ料」の項目があり、規定違反や義務の不履行、タレント活動への事前連絡なしの不参加、遅刻の場合などにギャランティの50パーセント、または100パーセントをカット、足りなければ事務所から請求する旨が記されています。「1億円」というのは、Sさんが「違約金」をにおわせた発言だったと思えてならない。生前、「『何があっても萌景は辞めさせん』と社長(Sさん)に言われるよ」とも本人から聞いていました。 

足元に置いてあった携帯には 萌景が亡くなったあと、私からSさんに「萌景との最後の電話で、どんな話をしたのですか」と直接確認しましたが、「『本当に高校入学を辞退していいのか?』と話した」という一点張りでした。いまとなっては、どういうやり取りがあったのか、萌景にたずねることもできませんが、「もう『愛の葉Girls』を続けられないです」と信頼していたSさんに弱音を吐いたのかもしれない。親としてもっと支えてあげられたのではないかと、とても後悔しています。

 3月21日にも「愛の葉Girls」のイベントがあり、集合時間の12時20分になっても娘が集合場所に来ないといって、私のところにSさんから電話がありました。淡々と「萌景はリーダーなので、イベントに来ないのは非常に困ります。『愛の葉』の信用問題にも関わりますので、お母さんも連絡を取って家を見に行ってもらってもいいですか」と。

 出先だったのですが、何か嫌な予感がして家に戻ったのが13時40分。自転車があったので、「家におるな」と思いました。急いで中に入ると、リビングにはいない。2階に上がったら、階段を上る途中に、娘の足が見えてきて、「なんでこの子ずっとここに立ってるん」と思って見上げたら、立っているんじゃなくて、首を吊ってぶら下がっていました。足が真っ青になっていました。(「週刊文春」編集部)

 

 彼女が階段をあがり、一番よく見えるところで「首つり」という衝撃的な形で自死を選んだ、そのことに「意味(メッセージ)」があるように思える。

 多くの闇が、彼女の死の前に横たわったいた。まず、彼女自身が「いじめ」を受け、不登校になってしまったこと。そのことが、必要以上に「明るい未来」を切望することになる。夜の蛍光灯に多くの蛾や虫が引き寄せられ、焼かれ死ぬように、「明るさ」には「滅び」の闇が寄り添う。彼女はアイドルという光の世界の闇を見つめる目を持たなかった。アイドル=多くの羨望の的。そこに「いじめられっこ」だった自分を消す唯一のリベンジを求めた事が、結果的に彼女に死を選ばせた。アイドル=商品なのである。経済的には「使い捨て」の部品。それすら、「誰もがなれる」わけではない。容姿・運・いつかは、自分の若さを性的な貢ぎ物として、TV出演を手にしたなんて話もあるくらいだ。

 「地域アイドル」。今、流行だ。小学生や中学生に、市や町をあげて宣伝し勧誘する。保護者は嬉々として参加させながら、入学式で、学級発表の氏名を玄関前に貼られることに、ネットで自分の子がこの学校にいることが知られるのはまずいので、止めて欲しい、など身勝手な要望を出す。子供に「身勝手」を教える親。子供達は、大人の商業主義の闇など、誰からも教えられず、華やかな(?所詮地域アイドル)スポットライトまがいな場所にたち、勘違いをしていく。本来すべき勉強をそうそうに止め、「そこ」に夢を傾ける。結果、「通信制高校」しか行き場がなくなり、期待した「芸能界」への道がつながらない事を知ったとき、彼女らをそそのかした「市や町やアイドル会社」は、自己責任として手を差し伸べることはしない。そして、彼女らは、AVの世界や風俗へ身を落としていく人も少なくない。

 もう一つは、無知の罪。母親は本当に「地域アイドル」が全国区に、そんな夢が我が子に実現すると思っていたのか。その可能性の少なさに、覚悟をしていたのか。母子家庭で、3人もの子を抱え、ゆっくりと彼女の「子供らしさ」「子供らしい甘さ」を解きほぐし、社会性を身につける努力が出来なかったのではないか。やはり、母親自身、娘を死に追いやったと感じているように、最後の日、彼女が会社に行きたくない、とこぼしたとき、抱きしめ、認めてやるべきだった。また、彼女が会社に今後の身の振り方を相談しに行った時、一人で行かせず同席すべきであったろう。まだ、15,6歳の子供が、大の大人数名に囲まれ、自分の意見など言えるはずもないし、「1億円」うんぬんも、親が同席していれば、その後の対処の仕方が違ったろう。仕事忙しさにかまけて、子供の悩みに寄り添えなかったうらみは消えまい。

 そして、、『愛の葉Girls』を運営する会社。このブラックさ。15,6歳の学業を優先させない事業事実。行政はここに手を入れるべきである。ただ、そんな会社はごまんとある。それを、知らなかった、考えなかった、母親の無知もやはり責任がある。

 そして、2階の階上の見渡しの良い場所を「決行場所」に選んだ意味。その会社そのもの以上に、「誰も助けてくれなかった」「味方はいなかった」という悲しみ。それを表現する場所が「そこ」だったのではないか。遺族の母親にはとても酷だが・・・。

 いじめ。・・・学校だけではなく、社会そのものが、いや、この国じたいが「いじめの構図」であるという識者もいる。ある意味、親は我が子に「打たれ強さ」を身につけさえなければならない。子育ての中の叱咤激励・親が生きる姿・子供にかける理解を超えた「愛情」。そんな親子関係も大切な「言葉」なのかもしれない。

 16歳で死を選ばなければならなかった絶望。どこかに、まだまだ生きる道がたくさんあること、アイドルへの挑戦は一つの経験だったのだということを、彼女に教えてあげられなかったのだろうか。子を持つ親として、考えさせられるじけんであった。合掌。