小樽塩谷丸山登山。たかが700メートルのはずが・・・・。

猛暑(AM10:00時点31度)のせいか、年齢のせいか?今年初の登山。

 今年初の登山。今年こそは北海道の代表山たる「羊蹄山」を、と思いつつ、年々高度の低い山を、しかも回数も減りつつあるなか、妻と小樽の塩谷丸山を登ることにした。最初は、軽く、でも頂上が涼しい山という妻からの何度の高い要望を踏まえての決断である。 

「北海道の山」に掲載されている、登山データは以下のような感じ。

  • 技術度:★☆☆☆
  • 体力度:★☆☆☆
  • 参考コースタイム:2時間10分
  • コースの距離:6.0km

 さて、午前8時30頃自宅を出発。高速を使い、途中、新たにできた後志自動車道を使い、9:40頃現地近くの「無人駅」につく。登山道には、簡易トイレがあるが、どんな案配だかわからないという情報だったので、無人駅とは知らず、JR北海道塩谷駅に向かったのである。

 

f:id:hunen:20190804194806j:plain ご多分にもれず、1時間に1本しか列車はなく、人っ子一人いない。無人駅。JR好きの娘は喜びそう。さて、肝心のトイレだが・・・。  

f:id:hunen:20190804195600j:plain水洗トイレのわけはなく、いわゆる「ぼっとんトイレ」。貯めるんです、すべてを。そしてバキュームカーで吸い取る式。紙も何もありません。一応、水で洗ったりしているようでした。

 さて、この駅を越え、すぐの踏切を左折します。 

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そのまま、道なりに、脇にある案内板を見落とさず、二叉路を左に。間違って右に行くと迷路の気分になり、迷うかも。順調にいくと高速道路の下あたりに着きます。

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ここからを越えて駐車場とトイレがあります。10台から15台は止められる。さて、車を無事駐車し、こんな看板があるので、それに「従い」10分ほど歩きます。

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    登山届けに記入しようとしてみると、目の前にいけめんの大学生風の青年が。一言二言かわし記入・・・・。自分たちとこの若者しか書いていない?2人?そうして、道ばたの野いちごに感動したりしながら、歩き始めました。

 

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 見事な野いちごに感動しながら、歩いていると、地面にぼつぼつとたくさんの穴が。すわっ、地蜂(黒スズメバチの巣)か?とおののいていると、妻が、「わーすごい!蝉が出てきた穴だわ!」。妻は虫に詳しい。そういえば今年はすごく蝉が鳴いている。この時の気温32度。(・・・失敗したかも?)

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 だらだらと歩き始めました。とにかく暑い。40分ほど歩くと、ガレ場(岩場)が出現。

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 こんな感じの中途半端な坂がずーと続くのだ。しかも猛暑。この段階で用意したお茶・水1リットルをほぼ飲み干した。しかも何合目という案内板が何一つない。いつまで続くんだ、この苦行。しかも両脇は高い木ばかりで景色は全く見えない。くじけそうになった時、目の前に出てきたもの・・・

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こんな見晴らしのいい場所が、至る所に出てくるのである。おお~。上を見ると、頂上らしいものも見えてきた。

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そこから、20分くらい心試しの坂を上り、頂上である。360度のパノラマ。そして、頂上だけは、期待通り涼しかった。

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 やっとの思いで到着。PM12:30。ジャスト2時間。誰だ~子連れで1時間30分もあればOKなんて紹介していたのは!でも、景色は、暑さも疲れも吹き飛ばしてくれるような美景だった。

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下山も、なんだかんだで1時間30分かかった。14:10分到着。けれど途中で、せみの脱皮の瞬間を見つけたり 

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私有地のため、あまり知られていない「清水」の地を地域の人(森を管理する人かも)に教えてもらい喉を潤したり、

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なかなかGOODの旅でありました。帰りには、登山道から車で余市に向けて10程走ると国道沿いにある「鶴亀温泉」に入り、旅を締めくくりました。源泉かけ流し、38度から40度の内湯、大きな露天風呂。温泉通の自分としても期待以上。まあ、あえていえば水風呂はもう少し冷たくてもいいかな。

 今回の登山では、山は高度だけでははかれないものだということを、つくづく感じたものでした。それは、この異常な暑さによるものなのか、重ねる年齢によるものなのか。この翌日も32度。もう~北海道ではない殺人的な暑さにへとへと。一緒に登ってくれる妻に感謝!

不可思議なある若い女性の行動?その心理は。

JR北海道内のあるカップルの行動。「その時」の気持ちを聞いてみたい!

 先日、JR北海道で札幌に向かっている時のこと。座席が横2列の長シートの向かい合わせになっている普通列車。妻と2人で夏の楽しみの札幌競馬・大通りビアガーデンに行った帰りのこと。迎えにはうら若き男女のカップル。今ではどこでも見かける光景だが、彼氏はゲームに夢中。横の彼女は、背もたれに崩れるように座り、足を広げ座っている。ふと思っていた。「隣に彼氏がいるのだから、清楚に、とまでは言わないけれど、もっときちんと座り、足も閉じて「きれいに」していればいいのに。」

 そして、ちらっとまたその彼女を見て、「この年で、もう緊張感ないのか?」「まあ、そんな関係だから、安心しているんだなあ」「絶対なんてないんだがなあ」と想いながら。すると、急に、その彼女、姿勢を正し、ちらっとこちらを見たと思ったら、急に横の彼氏の背中に手を回し、抱きついた。そしてこれみよがしに彼氏の肩に「顔を乗せて」甘えていた。まあ、公衆の面前で、なんて言わないが、何なんだろう?

 まあ、面白かったのは、彼女がそんな大胆な行為をしているのに、彼氏はゲームで夢中で知らんふり。自分の若い頃だったら、よからぬ妄想をしていそうなもんだ。まあ、彼氏の心の中はわからないが・・・。女の心は、いつの世も不可思議で。

 ドラえもんがここにいたら、あの時の彼女の心の中を覗いてみたい。何を考えていたのか?・・・その程度じゃ、おじさんの心は、1ミリも騒がないのだが。もし、何か、「勘違い」して挑発していたのだとしたら(多分そうだろう)、間違いなく、おじさんの勝ちだなあ。彼氏とも、いずれ終わりが来るよねえ。そんな「心」だとしたら。姿形は心を表す?そんなことも考えたりして。

川崎市上村遼太君殺害事件 加害者元少年と親に賠償命令

~一人1700万円×3(計5000万円)。

 被害者上村遼太君の自己責任分の減額か?少年法は廃止すべき!

 

 川崎市多摩川河川敷で殺害された上村遼太君の事件の加害者3人とその保護者に計5000万円の賠償命令がでた。少年の命、しかも惨殺された事件の賠償として妥当なのか。これは、非行少年の近くに自ら行った過ちへの自己責任ゆえの減額の匂いがしてならない。相変わらず「命」の通わない判決だと言わざる得ない。

 

 この事件は、2015年2月20日午前2時頃、神奈川県川崎市にある多摩川河川敷で、当時13歳の中学1年生だった上村遼太くんが3人の加害者少年らに惨殺されるというものだった。主犯格のH少年の主導により、上村遼太くんは1時間あまりで業務用カッターで全身を43箇所も切りつけられ、冬の身も凍えるような川の中を泳ぐように命令された。少年らは放置して逃げ出したが、上村遼太くんは川から必死に這い出ると、動かない身体を懸命に引きずって23.5メートル進んだが、生い茂る雑草の上で息絶えてしまった。

 死因は首の後ろから横にかけてカッターで複数回切られた傷による出血性ショック死というものだった。

 判決は、「不良交友の深刻化を認識していたのに、具体的な対策を講じなかった」。

だが、そもそも「具体的対策」を思い悩む家庭だったか?虐待・体罰はもちろん、「親」より「男・女」を選ぶ保護者が、そんな対策をとる価値観があればこんな事件は起きていない。また、具体的対応とは何か?児童相談所への相談?警察への相談?現実には両者は簡単には動いてくれないのは、周知の事実。そういう現実に多少目をつむっても、懲罰的な意味、で保護者への1700万円ぐらいの賠償額は妥当かもしれない。

 しかし、それは、あくまで「判決」という意味で、だ。保護者が「支払い能力がない」と言い張り、支払わない場合、裁判所は、何もできないのだ。差し押さえの前に少し支払い、そのうち「行方知れず」で賠償額が支払われず、という事もある。支払いができない場合、収監して労働させ賃金を払わせる、など強制力を持って、その支払いを「観察」し続ける必要があるだろう。

 また、これは保護者へ「賠償額」として、という意味で、加害者3人の賠償額も含めると、あまりにも少ない、そう感じる。

 また、上村君自身の「非」にしても、どうか。明るい電灯に幾多の虫が吸い寄せられ焼き付くように、ある時期、ある一定数の少年が「不良」に近づいてしまう、そんな事は、現実にある。それは、家庭の問題、心の問題、地域の問題様々だが、それを「非」として「責める」のは酷のように思う。そして、一度、足を踏み入れた「異世界」から、そう簡単に足抜けできないのも、周知の感覚。「環境が人を作る」という言葉もあるくらいだ。だから一般の親は、自分の子供の環境に、必要以上に目を配り、心配し、干渉する。ある種、それは親の務めでもある。それを、上村君の親がしていたか、考えていたか、感じていたか、には、疑問符もつくが、それは殺害された「上村君」だけの非だけではないのは確かだ。そういう意味でも、この賠償額は低すぎないだろうか。

 主犯格のHには「懲役9年以上13年以下の不定期刑」、Hに命令されて犯行に及んだBは「懲役4年以上6年6月以下の不定期刑」、Hに次いで事件を主導したCには「懲役6年以上10年以下の不定期刑」が下されている。

 Hは職業資格を取得したと言われているが、32歳となる2028年頃に出所予定となり、不定期刑のため獄中での態度が更生したと認められれば2024年頃に出所となるかもしれない。彼らのした、執拗に何度も身体や首を刺し殺すといった残虐な行為は、服役して0になっていいのか。彼らには一生かけて償い続ける賠償額と「観察」が必要なのではないか。出所=放免でいいのか。被害者蔑視・加害者保護の少年法は見直し・廃止すべきであろう。この事件を思い出し、強く、そう思う。

 

 

 

 

感動!国際情報高等学校の応援。高校野球決勝戦を観戦して。

小樽北照高校対札幌国際情報高校

~「一体感、応援、願い」では、圧倒的に国際情報高校の勝ち。

 

 初めて、21日(日)に高校野球の決勝戦を見に行った。そこで、驚いた。何に?国際情報高校のブラスバンドのレベル高さ、それに乗る生徒達の一体感。7つほどある応援の仕様をいつ練習したのか。一糸乱れぬ心に響き渡る応援を。

 それにもまして、その応援にある「心」。文字では表せないのが悔しいが、ブラスバンドの演奏・応援が終わると、つかの間の「フリータイム」様がある。それぞれが、限界値の声を張り上げ、何か叫ぶ。「お前なら~」なのか「いけ~」「抜け~」なのか、聞き取れないほどの「悲痛」な感じすらする「叫び」に、まず、おじさんの心は震えた。涙が滲んだ。その叫びも、ブラスバンドの太鼓の一叩きでぴたっと止み、また、違う応援の様をする。「すげえ」。と同時に、こんなに応援される選手は幸せだなあ、と思った。対する北照高校スタンド。「・・・あの応援すげえ」との声がありらこちらに。

 周囲を感動させる「応援」。全国で披露させたかったなあ。あの応援が、メッタに決まらない9回の代打策成功に導き、連打で同点にさせたと思う。力では圧倒的不利の中、全員の「想い」が、彼らの力を引っ張りだした。そう思える応援だった。

 対する北照。いまだに寮で「いじめ」があると噂される。監督も、前監督が首になった煽りで「指導」できない。エースでピッチャーの生徒が「甲子園でも俺が打って投げて、おまえらを引っ張るから・・・・」。これを聞いて、やっぱりか、と思ったのだ。

 彼らに罪はないのかもしれない。だが、そういう「空気」が、円山を国際びいきにしたのかもしれない。北海道の人達の多くは、北照高校を、心から応援する空気には、ならないかもしれない。その空気を打破するのは、やはり「結果」なのかもしれない。

 全員で、そう、心から「全員」で、という「空気」「想い」で闘って欲しいものだ。

 

警察官に執筆料1億円超 最高額は1500万円 昇任試験問題集の出版社 18警察の467人 副業禁止に抵触も

~モラルなしの世の中、性悪説で考えるしかないのか。医・教・警。

 西日本新聞の勇気に希望。なぜTVは報道しない? 

 警察庁と17道府県警の警察官が、昇任試験の対策問題集を出版する民間企業の依頼を受け、問題や解答を執筆して現金を受け取っていたことが西日本新聞の取材で分かった。企業の内部資料によると、過去7年間で467人に1億円超が支払われていた。最も高額だった大阪府警の現職警視正には1500万円超が支払われた記録があった。取材に対し複数の警察官が現金授受を認め、一部は飲食接待を受けたことも認めた。識者は「公務員が特定業者の営利活動に協力するのは明らかにおかしい。業者との癒着が疑われる」と指摘する。

 この企業は「EDU−COM」(東京)。関係者によると、内部資料は同社が作成した2010年1月〜17年3月の支払いリスト。警察官467人の氏名や執筆料、支払日が記され、ほとんどが警部以上の幹部だった。執筆料は、階級に応じた単価にページ数を掛けて算出していた。

 最高額の大阪府警の現職警視正は7年間で1万8778分執筆していた。このほか、宮城県警警視正京都府警の警視がそれぞれ約500万円、千葉県警の警部が約317万円など。福岡県警の最高額は本部所属の警視で2年間に約80万円、熊本県警は警視級の署長で4年間に約250万円だった。

 複数年にわたって執筆し、50万円以上を受け取った警察官は41人で合計額は約8150万円に上った。執筆料が多額に上るケースでは、リストに載る警察官が窓口役で、複数で執筆を分担した可能性がある。

 一方、巻頭言や設問を1回だけ執筆した警察官が半数を占め、大半の執筆料が数千〜2万数千円だった。

 公務員の副業は原則禁止されている。警察庁と各警察本部に情報公開請求したところ、いずれも副業許可は出ていなかった。地方公務員法(兼業の禁止)などに抵触する恐れがあるが、警察庁などは「個別の事柄についてはコメントを差し控える」と回答した。

 取材に対し、複数の警察官が「小遣い稼ぎだった」「上司から頼まれて断れなかった」と認めた。同社側もいったんは事実関係を認めたが、その後は「個人のプライバシーに関わるので、これ以上は答えられない」と取材を拒否した。

 同社のホームページには「法律のスペシャリスト」が問題集を作成しているとあるが、関係者は「警察内部の通達や規定は公表されないことが多い。捜査など実務に関する設問を自前で作るのは難しく、警察官に頼んでいた」と証言した。

 同社は09年設立。昇任試験の対策問題集「KOSUZO」(コスゾー)を毎月発行し、全国向け「全国版」と、大阪や福岡など10道府県警に特化した「県版」がある。市販はしていない。民間調査会社によると、社員数は20人程度。販売部数は不明だが、年商は数億円とみられる。

小遣い稼ぎ、悪質だ 田中孝男・九州大大学院教授(行政法)の話

 公務員が特定業者の営利活動に協力するのは不公正だ。金銭が伴うと業者に取り込まれる恐れがあるし、癒着の温床にもなりうる。組織として昇任試験対策の問題集を必要としているのなら、公的な手続きを経て無報酬で執筆すればいい。
 公務員には職務専念義務があり、公務に支障を来しかねない副業は制限されている。勤務時間外でも無許可で反復・継続的に執筆していれば、国家公務員法地方公務員法に抵触する恐れがある。反復・継続的の判断は各行政機関の裁量に委ねられているが、同じ年に2回執筆していれば該当しうる。今回のケースは頻度や報酬額からみて小遣い稼ぎの要素が強く悪質だ。
 執筆料が年間20万円を超えていれば確定申告が必要で、仮にしていなければ脱税だ。法律を取り扱う警察官は特に襟を正さなければならない。

【ワードBOX】昇任試験 地方公務員法に定められた昇任のための競争試験。各警察の内規に基づき、巡査部長、警部補、警部の3階級で毎年実施される。警視への昇任は選考だが、人選のため筆記試験を行う警察もある。試験問題は各警察が部内資料などを基に作成。科目は、憲法や刑法など法律に関する知識を問う「法学」と、刑事や生活安全、交通など各部門の「実務」がある。実務は各警察の施策や治安情勢に応じた内容になっている。試験方法は択一式と論文の両方を採用するケースが多い。国家公務員試験を受けて警察庁に採用されるキャリア警察官には昇任試験はない。

=2019/01/08付 西日本新聞朝刊=

 

 またか、という感想。安倍総理はじめ政治家の朝ごはん論法いわく居直り。医大の子息はじめ男性有利にするための得点操作。今回の警察の裏金に続く、法の網の抜け穴をついた高額アルバイト。法の遵守し、執行する警察官であるだけに、その罪は重い。しかも、試験のないキャリア上司の命令によるものもあったというから、上司のこづかい稼ぎであり、裏金作りにつながる法令違反であろう。「国家公務員試験を受けて警察庁に採用されるキャリア警察官には昇任試験はない。」という上級公務員優遇制度にも問題がある。信頼のない法律執行者が跋扈する世の中は怖い。モラルの崩壊とともに、静かに世の中が変わろうとしているかもしれない。

 警察だけではない。ある都道府県の学校現場の研究会。どこからか予算が付き、それをもとに教育機器を買ったりしたりする場合がある。そのうちの一つ。「全道視聴覚研究協議会」。そんなのあったの?てな感じで、その歴史をひもといても、いつ、その下部研究会が動き、どうつながっているのかわからない。そんな研究会があった。大きな予算、3年間で200万ぐらいつくのだが、その条件は一つしかなかった。授業にNHKの内容を組み込めというものである。え?と思っているうち、NHKから講師がきて、授業の内容を「指導」し始めた。なぜ、NHKが「授業」を指導する?違和感ありありだったが、まあ、適当にごまかし、当日を終えた。それは、もう「時間の無駄」だった。その後の慰労会。1次会は通常通り。ほとんど帰宅し、少数の近場の者、教頭の子飼いなどが2次会へ。教頭の子飼いが冗談半分に言う。「NHKから、いくばくか貰ってるんでしょ?」。最初は頑なに否定する教頭も、酔いが回るにつれ、気持ちも大きくなったのか、周りを睥睨(へいげい)し、「このメンバーならいいか」。と笑いながら、「予算のほかに感謝料として100万もらっている。今日の2次会は俺が持つよ」。子飼い以外のメンバーが絶句したのは言うまでもない。

 いろんなところに、業者から、知らない間に「闇金」が入り込んでいる。知らない間にである。政財界だけでなく、無辜の民の世にも。世の中は、ほとんど性善説でルールが決められているが、もはや、その屋台骨である「モラル」は消失し、性悪説で物事を考え、周囲を観察する必要があるのかもしれない。

 それにしても、と思う。なぜ、TVがこのニュースを報道しないのか?あるいはできないのか。なぜ、癒着・圧力があるからだろう。見えない圧力。そう考えると、西日本新聞がこのニュースを「取材」し「記事」にした「勇気」は称えなければならないし、我々一市民・一国民が、その「勇気ある行動」を守らなければならない。まあ、そんなことを考えたりしないから、気が付けば「不公平」な世の中が跋扈し、自分や自分の子供達が、その「被害」にあい、その現実を諦めながら理想や夢を持てなくなり、その現実を飲み込まなければならなくなっているのだ。だからこそ、我々大人はあきらめてはいけないのだ、自分の子供や孫たちが、生きがいを持ち、社会で生きていくためにも。

 マスコミの横暴や商業主義が喧伝さえる中、西日本新聞の姿勢は、一縷の希望を感じさせてくれる。この記事のもとになった「あなたの特命取材班」。<暮らしの疑問から地域の困り事、行政や企業の不正告発まで、情報提供や要望に応え、調査報道で課題解決を目指す「あなたの特命取材班」を創設しました。「知りたいこと」を取材し、正確に深く報じる「ジャーナリズム・オンデマンド」に挑みます。

 知りたいことや困っていることについて、ご要望や情報をお寄せください。ツイッターフェイスブックの文中に「#あなたの特命取材班 」を入れて発信してください。LINEの友だち登録で取材班と直接やりとりもできます。>という姿勢は、他のジャーナリストを自任する個人・組織は見習ってほしい。まだ、曲がり始めた道を戻すための時間は残されているのかもしれない。

衰えない肉体、寿命150歳 遠のく「死」問われる「生」

~「不老長寿」は、果たして幸せなのか?

 

老化を防ぐ研究が着実に進んでいる。

ワシントン大学の今井真一郎教授らが老化を抑える働きを突き止めた長寿遺伝子。これがつくる酵素がカギを握る。誰にでもある酵素だが加齢で次第に機能しなくなり、老化するとみられている。

今井教授らはこれらの酵素の働きを保つ生体物質「NMN」に注目。枝豆などにもわずかに含まれる物質で日本企業が大量生産に成功、一部は市販もされているが、実際に人が摂取して臓器などの老化を防げるか研究している。

マウスでは効果を確認しており、「人間でも2~3年で証明できる」と今井教授。「死の直前まで健康に生きる『ぴんぴんころり』が増えるはず」と笑う。

「いずれは生きた臓器同士の交換が始まる」

スタンフォード大学の中内啓光教授はブタの体内で人の膵臓(すいぞう)の作製を目指す。膵臓ができないように遺伝子操作したブタの受精卵に、人のあらゆる細胞に育つiPS細胞を混ぜれば、生まれたブタの体内に人の膵臓ができるとみる。日本政府が2019年にも規制を緩和するのを待ち、日本で研究を申請するつもりだ。

国際電気通信基礎技術研究所(京都府精華町)が開発しているのは脳波で操るロボットアームだ。「動け」と念じると、脳から検知した電気信号を帽子のセンサーでとらえ、「3本目の腕」が動く。西尾修一主幹研究員は「人の脳には3本の腕を同時に動かす能力がある」と進化に期待する。

狩猟採集社会では多くの人がケガで命を落とした。農耕社会に移り、20世紀に抗生物質が見つかり感染症が激減。平均寿命は記録が残る約300年間で40歳弱から80歳超まで延びた。人口学が専門の金子隆一明治大学特任教授は「人間は最期まで健康で潜在能力を最大限発揮しようとする稀有(けう)な生物になりつつある」と話す。

老いの抑制、臓器の交換、そして脳と機械の融合が進めば、2050年には不老不死に近づく。「老後」が死語になれば「支える側」として働き続けることが求められ、社会保障の考え方そのものが変わる。

日本経済新聞が若手研究者約300人に「人間の寿命は何歳まで延びるか」と尋ねたところ「150歳」が最も多かった。家族も4世代、5世代が同じ時代を生きる終わりなき社会。一方で50年に日本人の死因で最多になる死因を尋ねると、自ら生の長さを決める「自殺」がトップだった。

新幸福論Tech20502019/1/3 0:00情報元日本経済新聞 電子版)

 

 人間の永遠の夢「不老長寿」。果たして、それは幸福なのか?人類は、科学の力で次々と、神の領域の分野までその手にしてきた。宇宙への進出、医療技術の進歩・臓器移植、そしてDNA捜査によるクローン製造、臓器複製、父母のいない赤ん坊を誕生させることなど。そして、とうとう、「老化」を防ぎ、不老不死へ、一歩一歩近づいているようだ。だが、果たして、それは福音なのか。

 人は誰しも若さをうらやみ老いを出来るなら避けて生きたいと願う。それは、純粋に長く生きていたいからなのか。150年も生きていられることを、誰しも希求するのだろうか。

 仏教用語で「四苦八苦」という言葉がある。普段もなかなか思う通りにいかず悪戦苦闘

仏教では、人生の苦しみを、大きく4つに分けたものを「四苦(しく)」といいます。
1.「生苦(しょうく)」
2.「老苦(ろうく)」
3.「病苦(びょうく)」
4.「死苦(しく)」の4つです。

さらに4つ加えたものを「八苦(はっく)」といいます。
5.「愛別離苦(あいべつりく)」
6.「怨憎会苦(おんぞうえく)」
7.「求不得苦(ぐふとっく)」
8.「五陰盛苦(ごおんじょうく)」
の8つです。

1.生苦(しょうく)死ぬまで苦しむ……

生苦」とは、生きる苦しみです。

 

生まれる苦しみとわれる場合がありますが、
仏教で私たちが生を受けるのは、出産のときではなく、お母さんのお腹に宿るときですから
「生まれたときの苦しみ」では、本人は自覚がありません。
四苦八苦を説かれたのは、苦しみを知らせるためですから、
この世に生を受けて、生きていくことが苦しみ、ということです。

生きるためには、衣食住をそろえるために、働かなければなりません。
一日のほとんどの時間を働いて、他の人と競争し続けなければなりません。
天下を統一し、成功者といわれる、徳川家康でも、
人の一生は重荷を背負って遠き道を行くがごとし
というように、重荷という苦しみをおろせず、
死ぬまで歩き続けなければなりません。
生きるということは、大変な苦しいことなのです。

2.老苦(ろうく)あなたの容姿が醜くなる

老苦」とは老いの苦しみです。

30代になれば、今までできたことが
どんどんできなくなっていきます。

物覚えは悪くなり、動きはにぶくなって、疲れやすくなります。
肌はシワより、顔も醜くなり、加齢臭を発し、
髪の毛も白くなります。

年が行くほど、趣味もできなくなり、
新しいことは覚えられなくなり、
楽しみが少なくなっていきます。

昔の友達もだんだん死んで行き、
人は寄りつかなくなり、一人ぽっちで寂しい生活になり、
しばらくして自分も死んでいきます。
老いるというのは、苦しいことなのです。

3.病苦(びょうく)─死因の9割は病気─

病苦」とは病の苦しみです。
若い頃も、色々な病気になりましたが、
年をとって、最終的には病気で死ぬ人が9割です。

中でも日本の死因のトップは、ガンです。
50%の人がガンにかかり、30%の人がガンで死にます。

ガンは最初は自覚がなく、痛みもないのですが、
気づかないうちに血液やリンパ液に乗って全身に転移していきます。
そして、神経がやられると、ビリビリジンジンして痛くて夜も眠れなくなります。
骨や筋肉や関節、皮膚にも浸食していき、一種類の薬では痛みは治まりません。
骨転移には、放射線治療を行いますし、薬物治療や手術の痛み、
抗がん剤の副作用による吐き気、便秘もあります。

やがて骨と皮ばかりにやせてくるのは、ガンの特徴で、
やせればやせるほど、身体が弱ってガンの進行は加速します。
体内が腐って悪臭を放つので、家族がよりつかなくなり、
小さい孫は口に出して「くさーい」と言うので、
精神的にも大きなショックを受けます。

ガンは治すことができないので、このように
まっしぐらに死へ向かって進んで行くのです。

4.死苦(しく)人生最悪の苦しみ

死苦」とは死の苦しみです。

死を自覚すると、今まで必死でかき集めてきたお金も、
名誉も地位も何の支えにもなりません。
一切が光を失い、「自分の人生は何だったんだろう」という
生きる意味が分からない苦しみが起きてきます。
これを「スピリチュアル・ペイン」といわれます。
肉体の痛みは、薬である程度とれますが、
スピリチュアルペインは、医学ではなすすべがありません。

愛する家族とも永遠に別れ、自分がこの世に存在しなくなります。
死んだらどうなるかという途方もない恐怖が起きてきます。

遅かれ早かれ、死は誰にでも訪れますから、
死は200%確実な未来なのです。

5.愛別離苦(あいべつりく)会うは別れの始め……

愛別離苦」とは愛する人や物と別れる苦しみです。

会うは別れの始め」「会者定離(えしゃじょうり)」と言われ、
出会ったからには、どんなに愛する人とも、
最後は必ず別れて行かなければなりません。

江戸時代・化政文化を代表する俳人小林一茶は、
晩年になって、ようやく待ち焦がれた子供が生まれました。

さと」と名づけたその長女は、生まれて一年も経つと、
他の子供が持っている風車を欲しがったり、
夜空に浮かぶ満月を、「あれとって」とせがんだり、
たき火を見てきゃらきゃらと笑います。

そのかわいいかわいい一人娘の、あどけないしぐさをいとおしむ情景が、
一茶の代表作「おらが春」に描かれます。

ところがそんな時、突如、さとは当時の難病、天然痘にかかってしまいます。
びっくりした一茶、必死に看病しますが、さとはどんどん衰弱し、
あっという間にこの世を去ってしまいます。
茫然自失、深い悲しみが胸にこみ上げ、一茶はこう詠んでいます。

露の世は つゆの世ながら さりながら小林一茶

露の世は、露のような儚いものと聞いてはいたけれど……。
かわいい娘を失った悲しみは胸をうちふるわせ、
あふれる涙に、もはや言葉が継げません。
一茶の決してあきらめることのできないむせび泣きが聞こえてくるようです。

そして最後は、愛するすべての人と別れて、
自分が死んで行かなければなりません。

6.怨憎会苦(おんぞうえく)憎い奴には会う

怨憎会苦」とは、会いたくない人や物と会わなければならない苦しみです。

学校では厳しい先生や、むかつく友達に会わなければならず、
会社では、偉そうな上司にいじめられ、
嫌みな同僚の嫌がらせにあいますが、
毎日朝から晩まで顔を合わせなければなりません。

結婚すれば、感覚の違う姑と会わねばならず、
息子が結婚すれば、我がままな娘を迎え入れて
顔を見るのも嫌な人同士で同棲しなければなりません。

そして人生の最後は、絶対あいたくない死と
対面しなければならないのです。

7.求不得苦(ぐふとっく)欲しい物は手に入らない

求不得苦」とは、求めるものが得られない苦しみです。

欲しいものがあっても、お金がないので
たいていは我慢しなければなりません。

大学受験では、できれば一番入りたい大学に入りたいですが、
定員が決まっているので、全員が入れるわけではありません。

就職活動でも同じです。
せっかく就職できても、ポストは限られているので、
同期が全員出世できるわけではありません。
出世すればするほど、それ以上の出世は難しくなっていきます。

欲望は限りがないので、手に入るものは手に入る限り欲しいのですが、
お金も能力も限られているので、手に入りません。

そして命にも限りがあるので、すべてのものを手に入れることはできません。
究極的には永遠の命が欲しいのですが、死ぬことは避けられないので、
どうしても手に入れることはできません。

やがて必ず死んでいきます。

8.五陰盛苦(ごおんじょうく)まとめ

五陰盛苦」の「五陰」は肉体(心身)のことで、
五陰盛苦」とは、肉体あるがゆえの苦しみのことです。
これまでの7つを総括されたもので、この肉体によって、
苦しみながら、老いて病気になって死んで行くのです。

この四苦八苦の8つの苦しみの中でも、
特に人生を苦しみに染めているのは、
死の大問題です。

その死の大問題を解決して、変わらない幸福にすることが、
仏教の目的です。
それについてメール講座と小冊子にまとめてあります。

 

 などと解説されていたが、生きることは苦しい事だ、と釈迦も説いている。それは神様でさえどうすることもできないと言われている。「不老不死」はそれに挑戦している。「生きること」=「苦しいこと」だとして、それが単純に150年続く。会いたくない人や物と会わなければならない苦しみも我慢して「生きていける」のは、それが、いつか終わるときがくるからだ。それが150年続く。我慢できない人間は、その苦しみを避けるため殺戮を選ぶかも知れない。重荷という苦しみをおろせず、 死ぬまで歩き続けなければならない、それに耐えなければならない。

 内臓は取り替えられても、身体全部を取り替えられるわけではない。時代が止まってくれるわけでもない。生きていて、自分の都合のいい「いいとき」ばかりが目の前に表れるわけではあるまい。なぜ、人は「不老不死」を願うか。それは死の前にある「苦痛」へ恐怖し、また、自分の意志で、その生を「終わらせる」事ができない恐怖。「永遠に続く「痛」への恐怖が、あるからではないか。愛する人や物と別れる苦しみだが、寿命が延びても、いや伸びれば伸びるほどその死が順番にくるとは限らない。自分だけが永遠に生き延びるかもしれない。それを幸せというのだろうか。、「自分の人生は何だったんだろう」と、幼少の頃より考えることもあるが、寿命が延びてもその答えが出るとは限るまい。また、それが仮に「一般的な幸せ」だとしても、それが公平に万民にあたわるとは、昨今の社会情勢的に考えづらい。人間の幸せとは、生きるとは、死ぬとは、どういう事なのか。少し否定的な事ばかり書いてしまったが、それでも、子供とはいつまでも一緒にいたいし、健康を気にもするのである。できるなら病気にもなりたくない、と思うのである。年末に向け、なんとか走りきり、その反動か酒量が増え、1年ぶりに肝機能が正常値をこえた知らせを「献血センター」のお知らせで見た。・・・2週間くらい断酒しよう。このくらいのささやかな抵抗が「人間らしい」のかもしれない。

 

「初詣」。後ろの若造に「長え~し」と言われ、考えたこと。「父の急病」「初詣の雑言」「終わり方」「息子・娘」

~新しい年を迎えて

 大わらわの年末。仕事を終え、開放感に浸りながらごろごろしていた時。携帯に一通のメールを見た。そこには「父、腰から足に強い痛み、救急車で病院へ」とあった。その時は当然のように酒を飲んでいて、父の住む札幌には、今からでは1時間以上かかる。実家や母に連絡を取るもつながらず。連絡のあった弟にも連絡がつかず、弟の奥さんの携帯で訪ねるも、詳細分からず。その後、弟から2度目のメール。今、病院にいるが、ヘルニアの疑い?とある。偶然に翌日が当番病院なので検査できるので明日検査とだけ。まあ、整形系のようだし、妻は病院へ、と言うが、何しろ冬真っ盛りでつるつる路面。悩んでいるうちに、3度目の弟から電話。夕方5時から3時間ほど待たされ、やっと今、診察終わるとのこと。しめて5時間の同行。実家に帰る2日後でいいんじゃない、と言うのでそうする。・・・結局、ヘルニアでもなく、非常に強いぎっくりみたいなものじゃないかという結論で安心する。2日入院し、3日目の30日に連れて帰る。娘と父に会いに札幌を歩き、なんだか贅沢、という娘を横に父に会いに行き、帰宅後、帰りたいという電話あり、とんぼ返りでまた病院へ。なかなか忙しい1日だった。

 翌日、さざんの紅白や大好きな京都の行く年来る年もみず、早めに「初詣」に娘と行く。神社の前に、同級生が住職をするお寺の鐘突きに行くが、例年と違いまだ、記者らしき人と寺の人が鐘突きの写真を撮っているだけで、誰もいない。気温も例年より温かくやや拍子抜け。神社には0時の20分前に着いた。が、ここで、0時までは参拝できません。並んでくださいと言われる。ええ~。なぜ?昔は、ドンドン好き勝手にお参りできたというのに。0時にお参りしたい人は待てばいいし、早くお参りして帰りたい人は先に行かせればいいのに、と娘とぶつぶつ。20分まち、順にお参りすることに。家族の健康と息子の受験の成功をお願いし、だいたい10秒ぐらい。顔を上げると、後ろの若造が「なげ~んだよ」。・・・後ろ向いてにらみつけてやろうと思ったが、新年早々・・・と思い、知らんふり。10秒も考えない、君達のお参り。それは「何?」、と思いながら、しばらく腹が立った。そのあと、娘とおみくじを引いた。数年ぶりの「大吉」。あの瞬間は、決して大吉ではないが、などと考えていたら、気がついた。「教えてくれたんだ、神様が」と。「無意識に出る」考え事・言葉に気をつけろ、という事。それは往々にして人を不快にさせるから。

 さて、昨年も、さんざん悩みながら、残された時間、自分の出来ることは何か、揺れながら考えてきた。この職業に就いたときの純粋な想いと今を考え。今年はどう生きるか。高校生の娘が、この正月は、父の側で甘えていた。息子は、また少し大人になり、見えないところで、実家の父を夜中に見守る優しさを見せ、浪人生活に終止符をうつべく頑張っている。

 父として、出来ること。それは、そこに「どんと」いること。見守ること。おっちょこちょいの息子に、当日は、駅までつきそうか、など考えつつ、そこにあるだろう未来まで共に歩くのみ、などと考えている。

 「終わった人」を読みながら、この主人公のような「才能」のない自分は、はて、あと10年どうするか。どう生きるか。まあ人間関係は今まで以上に、ドライでいいかな、とも思うが、さりとて、自分の仕事の終末をどう描くか。

 娘の「うちの父は意外と打たれ強い」と、妻の実家で親戚に話したように、「打たれ負け」ず、やはり「誰かの心に残る」生き方をしてみたい、とも思う。

 息子は、将来は、父と同じく「歩きながら」見つけていきそうだし、娘は医者になりたいという夢に、今年はもう一歩近づくべく歩くだろう。女の子の「差別」が騒がれた医学部の昨年だが、それでも、それが本当の夢ならば、戦い、チャレンジして欲しい友思う。・・・学費稼ぎの為にも、それまでは、健康で働かねば。仕事への魅力もすり減っていくこの頃だが、あがいても、はいつくばっても頑張らねば。そんな気持ちも「立派な新年の決意」だろうか。そんな事を考えていた今日。熊本で震度6地震。災害は正月とか平成最後のとか考えてくれない。今を、真剣に走り抜けるしか、ないか。

平成最後の「初詣」で考えたことである。