生きてきた証~2年間のつぶやき3

~子育て・悩み・生き方~2年間の証をまとめてみた。(3)

  子供が生まれ、大きくなり、親の心配を乗り越え、中学・高校と無事終わりを告げようとしている。その2年間の足跡を、色々なところでつぶやいてきた。生きてきた証として、記してみたい。

   〈『凍れるいのち』に出会い、再び立ち上がる決意と迷い〉

 感覚の違いに翻弄された10日あまり。檻のような疲れが抜けない。2006年に刊行された『凍れるいのち』川嶋康男を昨日から一日で読み終わる。主人公、野呂浩二が11人のパーティーを冬山旭岳行で自分以外の10人を遭難・死亡させ自分だけ生き残る、その後の人生を記したものだ。「自分の失敗で死なせてしまった十人の仲間、その黒い十字架を背負っておれは生きてきたんだ。」その言葉に20数年間の自分の教員生活とたぶらせ読んだ。力不足で幸せな想いをさせてあげられなかった幾多の生徒の思いを背負って生きている教師は自分だけではあるまい。この本の巻末にある言葉に、数十年自分が考え・支えてきた想いと重なる言葉があり、手帳にしたためた。
・人生は信頼である。
・仕事は意地である。
・発展は責任である。
・成果は執念である。...
「現場」にこだわりたい「かすかな想い」。それは、共にいた子供達との最終章の時間に見せる彼らの「表情」である。人間管理に向かない自分の性格。しかし、50を迎えようとする世代には、やや「いずい」時間でもある。逃げずに前を向いて見える世界は、何を見せるか。残された決断の時間は少ない。