最高裁判決 : 精勤手当支払い命令 運送会社の嘱託社員へ

最高裁は、やはり生活感がない。企業目線の判決に「怒」。

 定年後の再雇用で賃金を減らされたのは労働契約法が禁じる「不合理な格差」に当たるとして、横浜市の運送会社「長沢運輸」で働く嘱託社員3人が正規社員との賃金差額を支払うよう求めた訴訟の上告審判決が1日、最高裁第2小法廷(山本庸幸裁判長)であった。

最高裁は「労働条件の差が不合理か否かの判断は賃金総額の比較のみではなく、賃金項目を個別に考慮すべきだ」との初判断を示した上で、賃金項目を個別に検討。全営業日に出勤した正社員に支給される月額5000円の「精勤手当」について、嘱託社員に支給されない点を「不合理」と判断し、この部分の2審・東京高裁判決(2016年11月)を破棄。会社に対し、相当額の5万~9万円を3人に支払うよう命じた。

 その他の基本給や大半の手当については、3人が近く年金が支給される事情などを踏まえ、格差は「不合理ではない」として請求を退け、精勤手当に連動する超勤手当の再計算の審理のみを同高裁に差し戻した。裁判官4人全員一致の意見。

 訴えていたのは、63~64歳の男性3人。正社員時代と仕事内容が全く同じなのに、定年後に年収が2~3割減らされたとして14年に提訴。1審・東京地裁判決(16年5月)は「仕事内容が同じなのに賃金格差を設けることは、特段の事情がない限り不合理だ」として会社側に計約415万円の支払いを命じた。これに対して高裁判決は「企業が賃金コスト増大を避けるために定年者の賃金を引き下げること自体は不合理とは言えない」と指摘し、請求棄却を言い渡していた。

 (毎日新聞

 

 誰でも、いつか年をとる。そんな前提でこの判決を聞いて、納得感のもてる人はあまりいないだろう。仕事内容が同じなのに賃金格差を設けるのは、なぜか。企業が、「雇わなくても良いけど雇ってやってる」意識があるからだ。法律で定年延長、1億総活躍社会を謳うのだから、「従うしかない」という意識が見え見え。

 だが・・である。定年延長は、なぜ成立したのか?要は、年金制度がもたないからだ。少子化・不要な無駄遣い、国の赤字国債の補填・・・など、その巨額な金額に、「くらくら」きた役人のせいともいえるだろうか。とにもかくにも、年金制度の破綻を生活実感とさせない為の窮余の策なのだ。

 そこを、最高裁は見ていないし、見ていてもそれを指摘する「勇気」もない。自分たちが左遷されるし。

 だったら、である。というか、普通の感覚だと思うが、何十年も支払ってきた金額を、きちんと「返して欲しい」。それで、「定年格差」があるのは、仕方がない。そうでなくて、積み立てた40パーセントしか帰らなくて、しまいには75歳から受給すれば、50パーセント以上を返金とか、わけわからない。国家が行う壮大な「詐欺」ではないか。この件に関しては、公→個ではなく公=個でなくてはおかしい。それなのに、そろそろ年金がもらえるから、違法ではない、とか、意味が分からない。「今」ではなく「継続されたプロセス」の話なんだ、これは。日本だけなんだな、これが。そんな「詐欺」に怒らない、国民。結局、つけは、その先の先の先。それが、今なのかも知れない。本来なら、一度決めた定年を迎えたら、ご苦労さん。あとは、ゆっくり、でいい。それを、うやむやにするから、結局、若者の労働機会を、高齢者が奪うことになる。生きるために。・・・・でも、どうして、企業は、そうまでして高齢者を雇うのだろう。馬力も体力も可能性だって若者のほうがいいだろうに。・・・そうか、それが国策だから。選挙にいく世代だから、か。

 

 

 

速報 覚せい剤使用容疑で原辰徳氏の息子である嘉宏氏、自宅捜査か

~親(辰則氏)の暴力団とのつながりが、子供の覚醒剤使用のきっかけになったか。

 元読売巨人軍の監督・原辰徳氏の息子である嘉宏氏が、警察から覚せい剤使用の容疑で自宅が捜査を受けたと今週発売のアサヒ芸能が報じている。アサヒ芸能の直撃によると、原辰徳氏もガサ入れを受けたことを認めたという。

(gooニュース 2018/5/29 13:17)

 

 原辰徳氏もしばらくTVでご無沙汰と思っていたが、こんな背景があったのか。原辰徳氏は、知らない人はいない、平成の名監督。だが、その晩年は、不倫騒動や暴力団からの裏金問題で恐喝されるなど、その晩節を汚していた。その息子は、ご多分に漏れず慶応幼稚舎→慶応大学まで進学したが文学部中退。原監督同様、幼少時から野球をやらせていたが芽が出なかった。それが理由ではあるまい。親が名選手で子供が芽が出ないなどごまんといる。皆がチャラ夫ではない。野村氏の息子の野村克典氏は、地道に2軍のコーチなど、好きな野球で必死に生きている。とすれば、子供に見せた親の姿に違いがあるのか。件の原氏の息子嘉宏氏は、月の小遣い800万だそう。それは、真っ当な仕事はしないのは当たり前だ。芸能人やこの原氏など、どうして子供にこんな多額な小遣いを渡すのだろう?自分もそうだったからか。ジャニーズの赤西軍団の一員で、
六本木では知らぬ者はいない遊び人とも言われる。ニートを経て、現在は株式会社MAMIRO取締役。ワインの輸入などを手がける起業もどきをしていたらしい。
このドラ息子は慶応ファンド詐欺事件の首謀者と密接に関わっているという。

〈慶応ファンド詐欺事件とは〉

 慶応大学の元学生が、投資ファンドを設立して投資家から20億円ともいわれる出資金を集めたまま海外に逃亡している“慶大生ファンド詐欺事件。その首謀者は裏社会の人間に無理な利回りを約束させられた挙げ句、追い込みをかけられていたともいわれる。

 親が裏社会とつながりをもち、手を切ろうとしたが、そうは問屋がおろさず、息子に甘い罠を用意したか。

 まあ、子供ももう23歳。立派な大人だから、何でも親のせいではないだろうが、裏社会とのつながりを作ってしまった原辰徳氏に、そのきっかけがあるとすれば、親の責任は重い。その意趣替えしではないが、これで、原氏の野球界復帰の芽が100パーセントなくなった。見るからに、遊び人の息子が、親に引導を渡したとも言える。

 親が「立派な考え」を持ち、たくさん本を出し、お金も潤沢にあっても、うまく子供は育たないようだ。「親がなくても子は育つ」といった太宰治の言いたかったのは、「どうしようもない親」なら「いないほうが子は育つ」という事だったのかも知れない。

「1杯やりてぇなぁ」 父と最後の晩餐、笑って泣いた夜

理想の子育てとは・・?最後まで語り合い・笑いあい。

 ~さよならだけが人生だ!どんなさよならを?

 久しぶりに、20代で亡くなった親友「中山実男」君の夢を見た。心の中で、薄れず、消えずにいる、たった二人のうちの一人の人である。たくさんの思い出を、共に作り、共に紡いでくれた。・・・と、年を重ねるごとに感じ、感謝する男。

 自分より才気あふれる彼の適わなかった人生を、子育てをさせてもらっている。不器用な自分は、いつも寄り道・回り道しながら、適切でない言葉をかけ、勝手な夢を見て、・・・子供は、けなげに進んでいる。そのとき、思うのだ。理想の子育てとは、どうすべきなのか。理想の親子とは・・・?。

 

もうすぐ父が死んでしまうので:5(マンスリーコラム)

 「お父さんも若いころは、やっぱ『飲む・打つ・買う』みたいな感じだったすか?」

 私の大学時代、お金がなくて実家へよく夕飯を食べに来た男友だち(48)が、病床の父に質問した。2人の再会は二十数年ぶり。場を盛り上げるためなら、家族が眉をひそめるような話もあえて切り出すのが、この人のやり方だ。ベッドに半身を起こした父は、調子を合わせるように照れ笑いで答えた。 「いやぁ、それほどでも(笑)。ただ私も独身時代、確かに女性からよく求婚されましてね。3人ぐらいはいたかな。でも(笑)。」

 は?

 思わず父を見た。大学卒業後に就職した東京都内の信用金庫で母(83)と職場結婚した父は、いくつかの店舗で支店長を経験し、定年まで勤め上げた。部下の面倒見が良かったとは聞いたが、女性にモテたなんて話は初めて。「いくらなんでも作り話でしょ」と私が突っ込むと、「なんで今更、娘のお前にうそをつく必要があるんだ?」。父が真顔で反論した。

 それもそうだけど――。腑(ふ)に落ちない娘を置き去りに、男たちの雑談のテーマは競馬、マージャン、プロ野球と際限なく広がった。夜の個室にはワッハッハッと大きな笑い声が何度も響いて、私は遠い昔、皆でナイター中継を見ながらビール片手に囲んだにぎやかな食卓を思い出していた。

緩和ケア病棟の個室

 昨春に末期がんと診断され、介護のキーパーソンとなった私の自宅から徒歩数分の総合病院に移ってきた父は、亡くなるまでの約1カ月間、緩和ケア病棟で過ごした。

 最初は内科病棟の大部屋。次の緩和ケア病棟には「個室の空きが出たタイミング」で移ることになった。個室差額ベッド代は1泊約2万円。私たち家族には大きな負担だったが、他に選択肢はなかった。股関節を手術したばかりの母が1人で暮らす一軒家に、足元のおぼつかない末期がん患者の父を戻せるはずもなかった。

 父は個室に移ることを心から喜んだ。実は大部屋にいたある時期から「俺の調子が悪いのは、寝ている隙に○○の陰謀でベッドに細工をされているせい」と眉間(みけん)にしわを寄せて訴えるようになっていた。長引く入院生活や病気の進行に加え、認知症も影響していたのかもしれない。それが個室に引っ越すと一転し、「いつでもテレビが見られて、本当にうれしいよ」と穏やかになった。

 ただ、医療の中身までガラリと変わったのには驚いた。糖尿病だった父はそれまで毎食前に血糖値を調べられ、インスリン注射を打たれていた。私は「いまのうちに好きなものを」と父が好きなケーキなどをコソコソと差し入れていた。だが緩和ケア病棟に移ると検査はほとんどなくなり、「食事制限なし」と言われた。

 でも、父はもう何も食べたがらなかった。悲しかった。

朝日新聞 高橋美佐子 2018年5月24日10時28分)

 本当の優しさとは、なかなか人間関係のなかでうまく成立できないが、「「お父さんも若いころは、やっぱ『飲む・打つ・買う』みたいな感じだったすか?」。場を盛り上げるためなら、家族が眉をひそめるような話もあえて切り出す、そんなやり方。」

 そんな覚悟ある優しさ。なかなか、実を結ばないし、良い方向に回らない。で、疲れてやめちゃう。そう、あの無頼派作家「太宰治」のように。

 ここで、「はっ?」。と返せる、「はっ?」に、娘さんの「優しさ・愛情」を感じてしまうのは、今、自分が「疲れている」からなのかもしれない。

 げすな話。娘さんと、この「男友達」は、縁が結ばれたのだろうか?男と女の間に「純粋な」友達関係が成立するか、否か。はまあおいといて、こんな優しい男と女の間に「縁」があればと思わずにおれない。

 個室しか選びようがない状況。経済的には、相当苦しいだろう。それをみんなで支えた。そこにも、家族の中で、自分らしく「子育てをした」結果が、表れたのだろうか。幸せな「物語」である。

 自分たちの「生」は、諸行無常の中、いつ、その命を終えるのかも知れない。だからこそ、語りたい、傾けたい、子供への愛情。自分の人生=子育て、で、なんら恥じることはない。そう、思う、この頃である。

 

 

日大アメフト部内田監督「14分の自供テープ」を独占公開

~スポーツだけが清廉潔白という幻想は捨てよう!

 

  5月6日、関西学院大学との定期戦における悪質タックルが大きな批判を受けている日本大学アメフト部。22日の会見で宮川泰介選手(20)は、内田正人監督(62)から反則行為の指示を受けたと明かしたが、内田監督自身が試合直後、「僕、相当プレッシャー掛けてるから」などと反則プレーの指示について“全面自供”していたことが分かった。

週刊文春」取材班が入手した「自供テープ」は14分に及ぶ。そこには関学大との試合後に行なわれた内田監督の囲み取材の模様が収録されていた。

「やっぱ、今の子、待ちの姿勢になっちゃう。だから、それをどっかで変えてやんないと。練習でも試合でもミスをするなとは言わないですよ。ミスしちゃダメよ、反則しちゃダメよと言うのは簡単なんですよ。(中略)内田がやれって言ったって(記事に書いても)、ホントにいいですよ、全然」

 悪質タックルについては「あのぐらいラフプレーにならない」と答えた上で、「宮川はよくやったと思いますよ」と評価していた。 

 さらには関学の鳥内秀晃監督の「あれ(悪質タックル)で試合を壊された」とのコメントを聞かされ、こう言い放っている。

「よく言うよ、何年か前の関学が一番汚いでしょ」

 5月24日(木)発売の「週刊文春」では「14分の自供テープ」の内容に加え、日大の最高権力者、田中英寿理事長を直撃した際の一問一答など、6ページにわたって日大問題を特集している。(2018年5月23日 16時0分文春オンライン

 

 スポーツは清廉潔白と誰が言ったのか?そんな幻想は「大人」が作ったものだ。きっと。「つぶせ」→(上級生の言葉として)選手を壊せということ。そうだったのか。監督の「直接の言葉」ではないのか。もし直接の言葉だとしたら、「つぶせ」ってどんな意味?と普通の関係ない我々のような人間は考える。それを、すぱっと「こんな意味しかない」と決断できるのは、「常日頃」から、それは使われており、「共通のワード」になっているのではないか。アメフトはそういう「スポーツ」なのでは?ということを考えていた。「アメフト」だけでは、ない。大相撲の暴力問題。中高校の部活動でのいじめ。中学校の「いじめ」の多くは、部活動の「人間関係」から生まれるのは、暗黙の了解事項。スポーツが清廉潔白なら、なぜ、そうなる?

 今、管理職になる人間の大多数は「運動部」である。バスケットは、普通に生徒のほっぺたを往復びんた、間違って鼓膜を破り、でも、「出世」が「予定事項」だから、「問題にもならない」。その学校が荒れていて、売りが「部活」で勝てているから。スポーツは、教育現場では「出世」の道具なのだ。

 また、今、ヒーロー扱いの「正直な勇気ある学生」扱いの、あの「学生」。本当に「きれい」なのか。「スポーツ」の中にいて、そんな人はいないのだ。「追い込まれて」断れなかった?「追い込まんだ」方はもちろん悪い。が、「追い込まれて怪我をさせた」、その瞬間、何も考えられなかった、その理由が「追い込まれていたから」。

 かわいそうだ、で済むのだろうか。20歳の大人に。追い込まれたら、「人を殺し」、何も考えられなかった、という人を、本当に許せるか?

 スポーツの光と影の部分を、きちんと見つめるべきである。幻想は他人を不幸にするだけである。勧善懲悪だけでは、大切な何かを見失う。

 もちろん、日大の「前監督」は、大学から去るべきである。ただ、前監督の「よく言うよ、何年か前の関学が一番汚いでしょ」という言葉も、きちんと受け止めるべきである。因果応報。怨念・憎しみの負のループ。きちんと見つめて、歩くべき方向を変えなければ、何も変わらない。この場合、喧嘩両成敗とは、どういう結果をもってそういうのか。

母親が告白 農業アイドルだった大本萌景さん(16)は、なぜ自殺しなければならなかったのか!

 ~地域アイドルという闇、経済の闇、母親の闇、無知の闇。闇が持ち去った生きる希望。

ももクロが大好きで、アイドルに憧れていた 3月21日に萌景(ほのか)が亡くなってから、私たち家族の明るさ、家の光が失われた感じがしています。萌景の姿を最初に発見したのは私です。私は今でも自宅の2階に一人で上がることができません。萌景が亡くなった場所は、階段を上がってぱっと目に入る萌景の部屋だったので、どうしてもその場所に行くことができない。残された子どもたち、社会人の娘は体調を崩してしまい、小学生の息子は一人でトイレに行くこともできないような状況です。

 萌景は、いつも明るくて本当にお調子者。小さい子どもたちが大好きで、お年寄りからも愛されるような子でした。色々な方から「今1番人気よー」とか、「萌景ちゃんすごい人気があるね、すごいね」と声をかけてもらっていました。

 実は中学1年の頃、学校でいじめを受けていて、不登校のような時期がありました。きっかけは、 萌景がクラスメートと些細なことでもめて、担任の先生が「大本の嫌いなところをみんなで本人に言おう」と提案したことだったみたいです。いじめに悩んでいた萌景は、よく私たちに「転校させて」と言っていました。そんなときにゲームセンターのSEGAで「愛の葉Girls」のライブを見て、目をキラキラ輝かせていました。気が付けば、自分でオーディションに申し込んでいて。書類審査に合格したというので、「やってみたい」と相談を受けたんです。

 中学2年の7月、「愛の葉Girls」の研修生になりました。もともと「ももいろクローバーZ」が大好きで、アイドルに憧れていたということもあったと思います。「いじめられていた自分自身や周りの人を見返したい、みんなと打ち解けたい」。そういう理由でオーディションを受けようと思ったと、本人が振り返って話していました。

全国区のアイドルになりたい「愛の葉Girls」では、ライブや地産地消フェアなどのイベントが主な活動でした。あとは月に1回程度の農作業。ブログでもアボカドを育てている様子などを紹介していましたが、本人は農作業をまったく嫌がらず、一生懸命取り組んでいました。週3回のレッスンも、休むことなく真面目に取り組んでいたんですよね。「歌って踊ることが好き」と言っていましたし、家では甘えん坊の萌景が、ステージに立つと人が変わったように生き生きとしていて。 萌景にとって「愛の葉Girls」は自分の居場所になっていて、「もっとグループが売れて、全国区のアイドルになりたい」という夢に向かって、とてもストイックに頑張っていました。

 何より、運営会社である農業生産法人「hプロジェクト」代表のSさんを第2の父親のように信頼して、ひょっとしたら親以上に信頼していたとも思っています。私たちが何を言っても納得しない場合でも、Sさんに言われると素直に話を聞ける。そういう風なところがありました。

アイドル活動と高校生活の両立で悩んでいた 萌景のアイドル活動は順風満帆のスタートを切ったと言えました。しかし今思えば、大きなつまずきは、事務所の方針で学業が大幅に制限されたことにありました。

 2017年4月から、週に2回、火曜日と日曜日に登校日がある通信制高校に通っていたのですが、「愛の葉Girls」の仕事で、特に日曜日はイベントに出かけなければならないことが多かった。登校日と重なると、仕事をお休みする旨をスタッフへ連絡していたのですが、許可がもらえず、学校を休みがちになっていきました。 通信制ですから、毎回授業に出席する必要はありませんでしたが、受講する科目ごとの「必要面接時間数」以上の出席がないと、試験を受けることができないシステムでした。日曜日は全部で8日間、登校日があったのですが、3日間はイベントによって休まなければならなくなり、英語の出席日数が足りなくなって、単位を落としてしまいました。 高校1年の前期だけで4単位を落とし、後期は一度も学校へ登校していません。

事務所スタッフからの高圧的なLINE 事務所との契約に際しては、「愛の葉Girls」の仕事が学業に支障をきたさないことを前提としていました。しかし実際には、萌景が登校日なので「愛の葉Girls」のイベントを休んで学校に行きたいと、懸命に伝えても聞き入れてもらえず、スタッフの高圧的な態度に萌景も悩んでいたようでした。娘の携帯電話には、学校に行きたいという娘の訴えに対して、事務所スタッフからのこんなメッセージが残っています。

「お前の感想はいらん。学校の判断と親御さんの判断の結果をそれぞれ教えろ」

「何故学校がダメと結論したのか、親御さんがダメと判断したのか、その理由だ」

「その理由によって、今後事務所はお前の出演計画を考えにゃならん。そこまで考えて物を言え」

 当時15歳だった萌景に、身近なスタッフからのこういったLINEがどれほど厳しく響いたか。真面目な萌景は「仕事を頑張らなくちゃ」という思いが強く、結局学校を休んでしまうことが多かったんです。

 また、萌景は高校1年のはじめに「1年間の時間割を見せるように」と言われて、事務所に提出しています。本人は「なんでこんなにプライベートまで管理されなきゃいけないのか、理解できない」と話していました。時間割を提出したにもかかわらず、「お休みをください」と言っても「愛の葉Girls」のイベント優先で、学校へ行くための許可をもらえなかったことは、何度もありました。

母親から連絡しても、取り合ってもらえなかった このままだと通信制高校の卒業も危ういと思い、高校1年の6月、萌景としっかり話をしました。萌景から「このままだと学校がダメになってしまうので、『愛の葉Girls』を辞めたいです」とSさんに相談したそうです。ですが、「全日制高校に入りなおすべきだ」と勧められて帰ってきました。全日制だったら土日がお休みだからイベントにも出られるだろう、という理由だったようなのですが、私からすると、週に2日も通学できていないのに、週5日の全日制との両立は難しいのでは、というのが正直な感想でした。萌景は、Sさんから「お金の心配はしなくていいけん」、「全日(制高校)に入学したらレギュラー番組を持たないか? 週1日くらいだったら学校を休んでも大丈夫」と言われたと話していました。 

 ときに、母親の私からマネージャーにLINEで連絡をしても、本人以外では取り合ってもらえませんでした。「家庭の事情でお休みをどうしても頂きたくご連絡させて頂きました」とLINEすると、

「申し訳ありません。この相談は萌景本人からじゃないと聞けないことになっています」

 とシャットアウト。さらに、離婚した実の父親に会いにいかせたいと思って、元旦のお休みをもらえないか私から連絡すると、

「事情は理解できます。ただ、全国区のタレントを目指していく上で元旦のように世間的に特別な日こそ、活動すべきではないかと思います」

 こういうやり取りを続けるうちに、萌景も私も、だんだんと「愛の葉Girls」を何が何でも優先させなければならない、という思考に陥ってしまったように思うんです。

今学校をやめると、私になにも残らなくなります 結局、2017年内に通信制高校を退学して、2018年に入ってから私立の全日制高校を再受験することになりました。あるとき、萌景は事務所スタッフとのLINEで、

「今学校(※通信制高校)をやめると、私になにも残らなくなります」

「正直今、学校の事も契約の事もどうしたらいいかわからないです」

 こういった混乱した胸の内を明かしていたこともありました。アイドル活動と高校生活を両立する方法を、萌景なりに模索していたのだと思います。それでも、スタッフからの返信は、

「そもそもお前はそういう特別な存在になりたかったんだろ?だから愛の葉に応募したんだろ?全国的なアイドルになりたいんだろ?最初の気持ちを忘れるな」

 親身に相談に乗るどころか、萌景をますます追い詰めていくような内容でした。

もう1回、高校1年からやり直そうとしていた 萌景は、土日休みの全日制高校に進学することで、「愛の葉Girls」との“二足のわらじ”をまっとうしようと決意していました。萌景は何でも自分で決める子で、一度目標を決めたら、その目標に向かってまっすぐに進む意思の強さがありました。「もう1回、高校1年からやり直そう」と私たち親子にしてみれば一大決心をして、なんとか生活を立て直そうとしていました。

「家族には迷惑をかけたくないから」という本人の強い意思で、「愛の葉Girls」のギャランティを前借りして、全日制高校の学費に充てることに決めました。全日制への進学に反対していた私も、「萌景がそこまで言うなら」と思って、応援することにしました。奨学金を借りることを提案しましたし、本当に萌景が困ったときはサポートするつもりでした。

 ただ、母親として事務所に伝えるべき心配事は伝えようとも思いました。最近レッスン後も帰りが遅くて困っていること、契約満了の2019年8月まで、あと1年半は「愛の葉Girls」を続けるが、そのあとは辞めたいと本人が話しているということ。そういった内容を、3月中旬頃に経理担当の社員・ Tさんへ電話で伝えたのです。 Tさんもまた萌景が信頼していた人で、時々萌景の生活態度について、母親である私の代わりに注意してくれたこともありました。

とにかく事務所の言うことは「絶対」 萌景が亡くなる前日の3月20日に、萌景と二人で事務所へ伺って入学に必要なお金をお借りすることになっていました。私から、契約満了までの1年半は「愛の葉Girls」の活動を頑張るということを伝え、「全日制高校へ進学したい。お借りしたお金は、働いてお返しします」という萌景の考えをTさんに話したところ、「なぜ今、このタイミングで辞めることも考えるのか」、「今の考えのままなら、お金は貸せません」と告げられました。

 娘は今までに見たこともないほど落ち込んでしまった様子で、帰り道、ひとことも発しませんでした。今から考えると、娘のことを守ろうと思って、契約満了とともに「愛の葉Girls」を辞めようと考えていると事務所に伝えたことが、とてもネガティブに受け取られてしまったのだと思います。事務所としては、「そんなに甘い考えなら、お金は貸せない」ということを態度で示そうとしたのかもしれない。単純に学費の問題ならば、親が用意することもできました。しかし、問題は信頼していた事務所にはしごを外されるような対応をされたということでした。それでも、とにかく事務所の言うことは「絶対」。萌景も私も、そんな風に思いこむようになってしまっていました。

 事務所から帰ってきて、思いつめた表情の娘に「明日、全日制高校は辞退しよう」と私から話すと、「そうだね、そのほうがいいよね。『愛の葉』にいても正直(高校を)続けられるか分からんしね」と萌景は語っていました。「とりあえず『愛の葉』を卒業したら、通信でも定時でもいいから、無理しないでゆっくり高校に行こう。高校卒業認定だけは必要だよね」と諭しました。本人も「そのほうがいいよね。バイトもできるし」と。そのときぼそっと「私って悪い子よね」とつぶやいたんです。

「だってさ、私は全日(制高校)に行くことを友達とか、入学するはずだった高校の校長先生にも『今年入学します』と挨拶したのに、そういった期待を裏切ってしまっている」

「ちゃんと通信に行かせてもらえたら、あと3年で卒業やったのに、私の1年間は一体何やったんやろうね。1年間無駄にした」

 こういう風に話していました。何とか気持ちを切り替えて親子で話していたところ、その日の夜になって、日中に話し合いをしたTさんから連絡があり、高校をあきらめて1年半は「愛の葉Girls」を頑張ると伝えると、驚いた様子で「本当に高校入学を辞退していいんですか? 本人から社長(Sさん)に連絡させてください。本当はお金を用意しているので」と言うのです。いま振り返ると、私たちを振り回す行動だったと思えてなりません。

「1億円を払うように言われた」という娘の言葉 萌景は出先からSさんに電話をしたようです。電話を切ったあと一緒にいたお友達に、

「謝らされた、私は何も悪いことしていないのに謝らされた」

「なんで私が謝らないかんの? 本当に社長(Sさん)に裏切られた」

 と話していたそうです。このときは、何のことを謝らなければならなかったのか、お友達にも話さなかったといいます。

 亡くなった3月21日の朝、萌景が一緒にいたお友達とそのお母さんに、

「私の(「愛の葉Girls」で活動した)2年間は何だったんだろう、夢を返してほしい」

「社長(Sさん)に裏切られた。社長に1億円を払うように言われた」

 と話していたと、あとから聞いて本当にショックでした。契約書には「ペナルティ料」の項目があり、規定違反や義務の不履行、タレント活動への事前連絡なしの不参加、遅刻の場合などにギャランティの50パーセント、または100パーセントをカット、足りなければ事務所から請求する旨が記されています。「1億円」というのは、Sさんが「違約金」をにおわせた発言だったと思えてならない。生前、「『何があっても萌景は辞めさせん』と社長(Sさん)に言われるよ」とも本人から聞いていました。 

足元に置いてあった携帯には 萌景が亡くなったあと、私からSさんに「萌景との最後の電話で、どんな話をしたのですか」と直接確認しましたが、「『本当に高校入学を辞退していいのか?』と話した」という一点張りでした。いまとなっては、どういうやり取りがあったのか、萌景にたずねることもできませんが、「もう『愛の葉Girls』を続けられないです」と信頼していたSさんに弱音を吐いたのかもしれない。親としてもっと支えてあげられたのではないかと、とても後悔しています。

 3月21日にも「愛の葉Girls」のイベントがあり、集合時間の12時20分になっても娘が集合場所に来ないといって、私のところにSさんから電話がありました。淡々と「萌景はリーダーなので、イベントに来ないのは非常に困ります。『愛の葉』の信用問題にも関わりますので、お母さんも連絡を取って家を見に行ってもらってもいいですか」と。

 出先だったのですが、何か嫌な予感がして家に戻ったのが13時40分。自転車があったので、「家におるな」と思いました。急いで中に入ると、リビングにはいない。2階に上がったら、階段を上る途中に、娘の足が見えてきて、「なんでこの子ずっとここに立ってるん」と思って見上げたら、立っているんじゃなくて、首を吊ってぶら下がっていました。足が真っ青になっていました。(「週刊文春」編集部)

 

 彼女が階段をあがり、一番よく見えるところで「首つり」という衝撃的な形で自死を選んだ、そのことに「意味(メッセージ)」があるように思える。

 多くの闇が、彼女の死の前に横たわったいた。まず、彼女自身が「いじめ」を受け、不登校になってしまったこと。そのことが、必要以上に「明るい未来」を切望することになる。夜の蛍光灯に多くの蛾や虫が引き寄せられ、焼かれ死ぬように、「明るさ」には「滅び」の闇が寄り添う。彼女はアイドルという光の世界の闇を見つめる目を持たなかった。アイドル=多くの羨望の的。そこに「いじめられっこ」だった自分を消す唯一のリベンジを求めた事が、結果的に彼女に死を選ばせた。アイドル=商品なのである。経済的には「使い捨て」の部品。それすら、「誰もがなれる」わけではない。容姿・運・いつかは、自分の若さを性的な貢ぎ物として、TV出演を手にしたなんて話もあるくらいだ。

 「地域アイドル」。今、流行だ。小学生や中学生に、市や町をあげて宣伝し勧誘する。保護者は嬉々として参加させながら、入学式で、学級発表の氏名を玄関前に貼られることに、ネットで自分の子がこの学校にいることが知られるのはまずいので、止めて欲しい、など身勝手な要望を出す。子供に「身勝手」を教える親。子供達は、大人の商業主義の闇など、誰からも教えられず、華やかな(?所詮地域アイドル)スポットライトまがいな場所にたち、勘違いをしていく。本来すべき勉強をそうそうに止め、「そこ」に夢を傾ける。結果、「通信制高校」しか行き場がなくなり、期待した「芸能界」への道がつながらない事を知ったとき、彼女らをそそのかした「市や町やアイドル会社」は、自己責任として手を差し伸べることはしない。そして、彼女らは、AVの世界や風俗へ身を落としていく人も少なくない。

 もう一つは、無知の罪。母親は本当に「地域アイドル」が全国区に、そんな夢が我が子に実現すると思っていたのか。その可能性の少なさに、覚悟をしていたのか。母子家庭で、3人もの子を抱え、ゆっくりと彼女の「子供らしさ」「子供らしい甘さ」を解きほぐし、社会性を身につける努力が出来なかったのではないか。やはり、母親自身、娘を死に追いやったと感じているように、最後の日、彼女が会社に行きたくない、とこぼしたとき、抱きしめ、認めてやるべきだった。また、彼女が会社に今後の身の振り方を相談しに行った時、一人で行かせず同席すべきであったろう。まだ、15,6歳の子供が、大の大人数名に囲まれ、自分の意見など言えるはずもないし、「1億円」うんぬんも、親が同席していれば、その後の対処の仕方が違ったろう。仕事忙しさにかまけて、子供の悩みに寄り添えなかったうらみは消えまい。

 そして、、『愛の葉Girls』を運営する会社。このブラックさ。15,6歳の学業を優先させない事業事実。行政はここに手を入れるべきである。ただ、そんな会社はごまんとある。それを、知らなかった、考えなかった、母親の無知もやはり責任がある。

 そして、2階の階上の見渡しの良い場所を「決行場所」に選んだ意味。その会社そのもの以上に、「誰も助けてくれなかった」「味方はいなかった」という悲しみ。それを表現する場所が「そこ」だったのではないか。遺族の母親にはとても酷だが・・・。

 いじめ。・・・学校だけではなく、社会そのものが、いや、この国じたいが「いじめの構図」であるという識者もいる。ある意味、親は我が子に「打たれ強さ」を身につけさえなければならない。子育ての中の叱咤激励・親が生きる姿・子供にかける理解を超えた「愛情」。そんな親子関係も大切な「言葉」なのかもしれない。

 16歳で死を選ばなければならなかった絶望。どこかに、まだまだ生きる道がたくさんあること、アイドルへの挑戦は一つの経験だったのだということを、彼女に教えてあげられなかったのだろうか。子を持つ親として、考えさせられるじけんであった。合掌。 

 

教師、紫煙が目にしみる 福岡市の学校内全面禁煙 「校門の外で」に厳しい声

~管理職や任命予備軍が守らないのだから。

  ・・・でも、まあ、生徒・児童のいないところで吸っているのだから。 

 「近所の中学校の校門前で、教職員と思われる大人がたばこを吸っている。子どもに喫煙の害を教える立場なのに、どういう意識なのでしょう」。福岡市西区に住む30代女性から、特命取材班にそんな声が届いた。他人のたばこの煙を吸い込む「受動喫煙」のリスクが叫ばれており、愛煙家は肩身が狭い。教育現場ではどうなっているのか。

 無料通信アプリLINE(ライン)でメッセージを寄せてくれた女性によると、平日は朝や放課後に2~3人、土日は部活動の合間にスポーツウエア姿の男性が校門の外に出てきてたばこを吸っているという。「授業で受動喫煙の危険性も教えているはず。生徒も通る校門の前で堂々と吸える神経が信じられない」と話す。

 学校での喫煙ルールはどうなっているのだろう。

 福岡市教育委員会は2005年、公共施設に受動喫煙対策を求めた健康増進法の施行を受け、市立の幼稚園や小中高校の敷地内を全面禁煙にした。16年8月には学校敷地内のプレハブ小屋を喫煙所として使い、教職員を誘って喫煙していたとして城南区の男性小学校長を減給処分にしている。

 さらに今年2月から福岡市役所が勤務時間中の喫煙を禁止したのに伴い、学校の敷地内外を問わず、勤務時間中は禁煙を徹底するよう各学校に通知を出した。

 休憩時間の喫煙は禁じていないが、そもそも教師の場合、勤務時間との境界線はあいまい。罰則はないとはいえ、女性が目撃した「教師」たちは、ルールに抵触しているように映る。(西日本新聞 2018年05月18日 06時00分 )

 

 自分は、もう20年も前にたばこを止めたから気楽だが・・・まあ、現場は大変。敷地内もだめ、もちろん、喫煙室なんてもってのほか。さあ、どうするか。これは、職員に範を見せるはずの管理職にとっても苦しい。なぜなら、彼らも多くは喫煙者だから。

 さて、多くの学校では、どうしているか。外に出たら近所の目が「うるさい」。多いのは、立場の弱い「公務補」さんに泣きついて、なんと、火の元である「ボイラー室」(だいたい地下)に小さい机や椅子を置き、喫煙室としている。滑稽なのは、そこは、生徒の通る廊下に面しているから、ある時、「ボイラー室」から大量の「先生」が出てきたり、何人も交代で出入りするのを目にすることになる。生徒は「ははん」と思うのである。その次は、駐車場にある自分のマイカー内。その次は、マイカーを移動して、近くの市民野球場の駐車場へ行き、しばしば喫煙。なんとも笑ってしまう。記事の校長は、たまたまの「事故」。災難としか言いようがないのではないか。

 ルール遵守を教える「教師」が抜け道を作る・探すのだから、言わんやおやである。ただ、なんでも、生徒・子供目線で良いとも思わないが。大人と子供は違うという事を見せ・教えるのも教育だろう。子供は、学校は勉強・修行の場だが、大人の教師にとっては「労働の場」である。だから、生徒と教師は、違って当たり前の行動はある。大人が萎縮してはいけない部分もある。親だってそうだろう。自分の「夜」の生活を子供に赤裸々に話すのか。子供と大人は違うのである。そうそう、記事では、「休憩時間の喫煙は禁じていないが、そもそも教師の場合、勤務時間との境界線はあいまい。罰則はないとはいえ、女性が目撃した「教師」たちは、ルールに抵触しているように映る。」とあるが、そもそも教師の1日に厳密に「休憩」と呼べる時間は保証されていないのだ。そういう意味では、喫煙者にとっても、学校は「牢獄」のようなものなのかもしれない。

男性チームコーチが高校生選手にパワハラ,辞任。「え?この程度で?」

~「ええ~この程度で?」。時代の変化と子供の変容についていけない「やりたがり教師」の末路。

 

指導陣5人辞任、選手22人のうち13人も退部申し出

 平昌冬季五輪代表選手も所属する、女子アイスホッケーチーム「フルタイムシステム御影グレッズ」(北海道清水町)で、男性コーチによる高校生選手へのパワーハラスメント行為があったとして、このコーチや監督ら指導陣5人が辞任し、選手22人のうち13人も退部を申し出たことが19日、チーム関係者への取材で分かった。

毎日新聞

 

 実際、え?この程度で辞任?退部?と家庭で話していた。しかも、「質の高い指導=大きな大会出場」を目指している「クラブチーム」で?と。

 今、中学・高校の部活動のあり方が問題になっているが、一昔(10年以上前)は、桁違いにひどかった。教える方も、部活動のあり方も。例えば・・・。自分も経験した(ほぼ素人だったが)バスケットボール。高校・大学と競技経験があり、その指導が「したくて」教員になった「やりたがり」教師。いわゆる専門家。動きが「ぬるい」と部員20名ほど円陣を組ませ、上から下から目隠しさせ、ほっぺたを「たたく」、イスを投げる、は当たり前。そんな競技だと、思っていた。選手は駒だ。それがバスケットボールという競技。ほっぺたをたたくのは、男性教師とは限らない。女性教師もたくさんいた。同様の行為をしていた。きんきん声を張り上げて。森○と言ったか。その誰もが北海道では、最後は教頭・校長になっていった。部活派閥・札教閥。だから、少なくとも北海道では、体罰もなかなかなくならないし、それを見て育った後輩も、何かに「気づかなければ」同様の事を繰り返す。コピーである。それを、苦笑いで見ながら「体罰撲滅」を唱える管理職になった「彼ら」。なぜだか、それを黙認している道教委。北海道の、特に石狩管内の部活動のあり方は、多分、また、変わらない。骨抜きだ。「彼ら」はやりたいのだ。それが生き甲斐だから。問題は、それを「権力」の下、そうでない教師や若手に押しつけることが、問題なのだ。

 本題からそれたが、今回のコーチが選手に叫んだ「ユニフォーム脱いで帰れ」なんて、優しい方。だって「なぐっていた」んだから。選手の視線で言えば「殴られて」いたんだから。へえ~。こんなんで辞めるんだ、大の大人が、てな感じなのだ。まあ、時代も変わり、子供には、親や子も、過度に「優しく」なったからなあ。それに、ついていけない「やりたがり」教師の末路ということなのだと思う。

 これも、ある意味、みんなが知っていて、知らない振りをしている「教育現場の闇」の大人版と言えるのだと思う。まあ、それに関知しない生徒。つまり、監督・コーチの辞任に反意を示して、退部した選手達。つまり、セクハラを訴えた選手と、それに反意を示し、指導者の退部と共に自分たちも退部した選手たち。同じ選手の中にも、2つのグループがいたということ。ここに、スポーツが、清廉潔白とか純粋とか、部外者が求める「世界」と違った「どろどろ」した世界があるという事を示してもいる。子供も大人も、スポーツに身を置くことで、そういう「現実」を学ぶのだろうか。そういう意味でスポーツ=社会勉強なのか。だから、学校現場で部活動偏重主義が改善されないのだ。