生きてきた証~2年間のつぶやき2

~子育て・悩み・生き方~2年間の証をまとめてみた。(2)

 子供が生まれ、大きくなり、親の心配を乗り越え、中学・高校と無事終わりを告げようとしている。その2年間の足跡を、色々なところでつぶやいてきた。生きてきた証として、記してみたい。

       〈前任校の生徒達への感謝〉 

 前任校のKH市立TB中学校の生徒達の「あたたかさ」を想い、彼らの「子供らしさ」「純真さ」を想っている。教師への無垢の信頼の素晴らしさを。自分はそれに甘えていなかったか。「想い」は「信念」は、「自分の人生への共感」を求めただけではなかったか。卒業した彼・彼女ら、最後の1年間の、あの可愛らしい1年生。その子達の手紙・写真を見ながら、いかに彼らに支えられた日々だったのか、胸が熱くなる。50にして、未だ悩み懊悩している。一葉一葉の笑顔に、次の一歩を誓う。届かないだろう「ありがとう」の想い。届けた「想い」の量・質は、どうやら君たちに負けたのかもしれない。感謝の気持ちを、今、胸にともしている。教師業。何を、どこを求めてこれからある道か。今、その分岐点にいるのかもしれない。人(自分)は、最高の時の「想い」を、あきらめきれず、「もう一度」、そう想い、歩き、さまようものなのか。彼らに約束した「もう一度、同じ想いに出会う日まで、戦いの日々に負けず頑張る」。それだけは、忘れず、頑張ろうと、今、決意し、つかのまの休息。

 

生きてきた証。2年間のつぶやき。

 

~子育て・悩み・生き方~2年間の証をまとめてみた。(1)

 子供が生まれ、大きくなり、親の心配を乗り越え、中学・高校と無事終わりを告げようとしている。その2年間の足跡を、色々なところでつぶやいてきた。生きてきた証として、記してみたい。

〈運命の出会いの人 Kへの感謝〉

「いつも感謝しています」。自分が揺れているとき、なぜか届くその言葉。「感謝しているのは私」。自分よりずっと先を歩いているその人は、「私」が切り開いた道を整えていくのが楽しいと言ってくれた。私は、その人の背中を追いながら、壊れていた大切な物を必死で修復していたのかもしれない。「あの人のように」、あの頃、そう40台のおやじが決意した。今日、2冊の本が届いた。そこに手紙が挟まれていた。「いつも感謝しています。」と。そして、「周りは敵ではない、仲間なのです。人は決して一人ではないのです」と。自分の矛盾や弱さと向き合う仕事の中で、こんな人と出会わせてくれた「神様」に感謝したい。もう少し、頑張ってみよう。そんな気分で帰路についた。

 

 

北海道の教員採用試験、小学校で「初の1倍台」。どうなる学校現場。医大だけではない!「不公平採用」

~ブラのひもの跡掻きながらの女性教師。そんな人を救う「特別受験制度」は公平か?

 

 今日の職員会議のこと。本校には臨時採用で教える教員が2名(うち音楽1、体育(特別支援1))がいる。会議の最後に、校長がこの2名の結果に触れる。1名の音楽教師に対し、「皆さんの多くはご存じだと思いますがT先生は見事、2次試験もクリアされ、来年は晴れて正教員として・・・」。その時、もう一人のS教諭。服の中に手を入れブラの跡でも掻きながら「不満そう」に聞いている。この教師は、この同じ臨時採用の教師や、病気がちな教師の悪口を率先して言っている人だ。まあ、校長には、上手に取り入り、1年生の担任をすることができた。3年目である。3年目の今年も1次試験もクリアできず「残念」と思いきや、北海道に今年から行われる、臨時採用3年以上の先生に限り「特別選考試験」を受けることになった、と報告。彼女、満面の笑みである。なぜなら、その試験、「試験」がないのだ。わけのわからない「指導案もどき」を提出するだけである。彼女。合格を「確信している」らしい。

 北海道の今年の採用倍率、小学校で1倍弱、である。中学校でも2次試験の半分は合格したのである。件の彼女、中学校しか免許がないので、中学校の採用を目指している。1倍から2倍程度の競争で、1次試験も受からない人を、救う事が公平なのか?1次試験を何度やっても通らない人を教師にしていいのか。しかも、その人はろくに@勉強」もせず(出来なかったのではない)、冬は17:00には1日中スキー三昧。夏は、陸上部を持ちながら、そこに着ていた「外部コーチ」と、市内で同棲!うまくいかなくなり、保護者や生徒に「?」となり、「校長に相談」。結果、外部コーチを「辞任」させる。生徒は「どうしていなくなるの?」と多数聞きに来たそうだが、理由は、当然言えず「年限」だからと説明。たいして魅力的な姿態ではないのだが、上手なのだ、「女」を使うのが。また、3年も臨時採用したからといって、1次試験を突破し2次試験不合格の人を差し置いて、そんな選考が、公の試験の選考で許されるのか、まずは素朴に疑問に思う。

 まあ、魅力のない職業になっていることも、そんな「人材」を採用せざる得ない元凶であるが。残業は無制限(若いうちはなおさら)、部活動での休日出勤(毎回)は拒否権無し、PTAが任意団体でありながら、教師は加入が強制、深夜勤務はざら、担任は、いじめ対応など失敗すれば即首、でも担任手当無し。「ずるい人」「学閥」での昇進試験。給料は減り続ける。・・・今、一番子供にさせたくない職業かもしれない。自分が「誇り」をもって突き詰めてきた職業なのに・・・。まあ、いくつになっても「心の平衡」に苦労する職場ではあるが。

 国は、不適格教員を排除することを目的に「免許更新制度」を始めたが、その目論見通りにはいかず、多くの教員が「更新せず」野ざらしになった。(許更新制度ができて教員免許を所持していても、10年過ぎて免許が失効している人が多い。更新費用も数年に1度試験費用2~3万円、勤務地によっては、2日間の宿泊費、交通費、合計10万円くらいすべて自腹なのだ。それで、更新しない人が急増した。試験は難しくなくほとんど合格するのだが・・・。)その結果、中堅層の臨時採用どころか、10年以上現場から遠ざかっている人の臨時採用もたりず、果ては、「特別任用(免許が執行しても1年限定で採用する)」制度や、前述の「特別選考試験」などあの手この手でつぎはぎ政策を打ち出している。その結果、どうなるか。

 「ブラのあとを掻きながら会議に出る若い人」を採用することになる。

 私の尊敬する「「悩める教師を支える会」の会長を務める諸富祥彦さんは言う。「親の年代が上がっているなかで20代の新卒教師が担任をするのがそもそも無理なんです。40代の保護者から見て20代は子供にしか見えず、至らないところがあれば文句を言いたくなる。でも学校は人手不足で若手を担任にするしかない。なり手がないなか、現場に飛び込む若い教師が気の毒です」と。

 ただ、深刻なのは、それだけではない。採用される「若い教師」の「心のレベル」の低下こそ、深刻なのだ。この国は「教育に金をかけない」と、よく言う。そのつけが、「ブラ掻き教師」類の大量採用なのだ。しかも、その基準が公平ではない。医大だけではないのだ!「不公平な採用」。

 憂うべき未来。もう始まっているのだ。教育の「闇」はますます深くなっているのかもしれない。

北海道の紅葉のはじまりを。札幌「滝野すずらん公園」にて。

~身近すぎて気付かない「宝石」。紅葉に出会いに。

 13日(土)紅葉を見にどこかに行きたいという妻と、札幌の「滝野すずらん公園」に出向く。滝野すずらん公園は、子供が小さい頃、遊具を目的に行った以来か。幼少のころから身近な存在すぎて、意外に軽んじていたのだが。紅葉には、若干早いか、と思いつつ、朝8時30分ごろ家を出発。9:30過ぎに、第一の目的の「鱒見の滝」を見に駐車場に車を止め、出発。(駐車料金は420円。このあと、いろいろな駐車場も、FREEPASSである)。

f:id:hunen:20181013150400j:plain

5分ぐらい、木漏れ日の中を歩く。小鳥の声、時たま見える「紅葉のはじまり」に心安らぐ。ふと気づくと、空?から黄色の落ち葉が「ひらひら」落ちてくる。なんとも幻想的。妻がそれを見て「俳句ぐらい作りながら歩いたら」というので、まず短歌を一首。

 「ひらひらと 白く舞い散る 葉一葉 表に光 裏にかなしさ」 

 そんな句を考え考え歩くうち、左手に小川のせせらぎが聞こえてきた。

f:id:hunen:20181013151351j:plain

 静謐な空気に包まれる小道。正面には、最後の緑・黄色。薄赤の紅葉が見えてくる。

f:id:hunen:20181013151538j:plain

 そうして見えた最初の滝のすごさ。近くの渓谷で見慣れているはずが、しばし見とれた。

f:id:hunen:20181013151748j:plainf:id:hunen:20181013151838j:plain

 ここから、滝の30CMそばまで行けちゃうのである。靴が少ししみるぐらいの近さである。

f:id:hunen:20181013152100j:plain

 しぶきがかかるすぐそばの「接写」である。胆振中部地震の影響で、全国滝100選にえらばれている「アシリベツの滝」は、橋脚が浮き、地面も割れているとかで、見れなかったが、十分の見ごたえである。

 その後、車で3分くらい、次の滝の「白帆の滝」を見に、新たな駐車場に。そこから、7~8分ほど歩いたろうか。見事な紅葉に目を見張る。

f:id:hunen:20181013152545j:plain

f:id:hunen:20181013152627j:plainf:id:hunen:20181013152657j:plain

 そうして見えてきた「白帆の滝」は、少し前に見た「鱒見の滝」から一転、「しおらしい静謐」を感じさせる滝である。

f:id:hunen:20181013152930j:plain

 そこから戻るすがら、若夫婦と小さな子供が楽しそうに歩いている。子供は自転車に。ふとつぶやく。「俺だったら、やはり、手をつなぐなあ」。「何言ってるの。子供が嫌がって手を放して走りだすわ」「まあね。子供も親も手をつなげるのは、ほんの短い時間しかないのになあ。」妻は黙って笑っている。そこで見た「紅葉」。

f:id:hunen:20181013153313j:plain

 

f:id:hunen:20181013153339j:plain

 それにしても、と浮かんだ考え。「いつからちょうちょを見なくなったのだろう。子供のころは、アゲハはともかく、モンシロチョウやモンキチョウはわんさかどこにでも飛んでいたのに。トンボは見るが、ちょうはほとんど見ない。・・・絶滅したのか?」

 いちおうここは、「コムラサキ」などのめずらしいちょうも見られるというふれこみなのだが・・・。その後、森の中を2時間ほど散策し、帰宅の途に就く。来週は、紅葉の見ごろだそうである。

 

「農業アイドル大本萌景さん 」の死、背景にパワハラと遺族が所属事務所を提訴へ

~16歳の自死。その原因は、果たして所属事務所だけなのか?

 愛媛県で「農業アイドル」として活動していたグループ「愛の葉Girls」の大本萌景(おおもと・ほのか)さん。16歳だった2018年3月21日、死を選んだ。

景さんは2015年、愛媛県を拠点とし、農業の魅力を訴えるアイドルグループ「愛の葉Girls」のオーディションを受けて合格し、同年7月からグループのメンバーとなった。

グループは土日を中心に物販やライブなどのイベントなどで活動し、集合時間が早い時は午前4時半で、遅い時は解散が午前2時ごろになることもあった。イベントでの拘束時間は平均で12時間を超えていたという。このほか、週に3~4回のレッスンがあった。

萌景さんが県立の通信制高校に進学した2017年4月以降は平日の日中もイベントで拘束されるようになり、日曜日の登校日も仕事で欠席せざるを得なくなった。

学業との両立を求め、過労も覚えるようになった萌景さんは再三にわたり休暇を求めたが、「お前の感想はいらん」などという高圧的な言動を受けて相手にされなかったといい、周囲に「辞めたい」と口にするようになった。

2017年6月、萌景さんは辞意を伝えた。事務所側が「全日制の高校に行った方が休日のイベントにも出られる」「お金の心配はせんでええ」と持ちかけたことで、萌景さんは翻意し、2017年12月に通信制高校を退学。翌年度から全日制の私立高校に入り直すことを決めた。2018年2月、私立高の入学金3万円を事務所に借りて納入した。その後、制服代などとして約7万円を借りた。

萌景さんのことを心配した母親は同年3月17日、事務所側に「契約の満期となる2019年8月末で、御社との契約を終えたい」と伝えた。

そして3月20日、高校に納付しなければならない残りの12万円を借りるため萌景さんと母親が事務所に出向いたところ、貸し付けを拒否された。その夜、社長からLINEで萌景さんに通話があり、「辞めるなら違約金として1億円払え」と言われたという。萌景さんは翌日朝、周囲に「社長に裏切られた」などと話した。その後、自室で死を選んだ。

BuzzFeed Japan  最終更新:10/11(木) 16:21

 

 一言、「えっ今?」である。このブログであったか、その前のブログであったか、この若い女性の自死について記した記憶がある。それぐらい、「昔」の出来事である。と思ったが、実は、今年の3月の出来事だったか。時間は、かくのごとく「無情」である。ところで、この大本萌景さん の写真。とても笑顔がまぶしい、可愛らしい女の子である。どうして、そんな女の子が自死を選ばなければならなかったのか。もう一度、考えてみたい。

〈1〉地下アイドル全盛の時代。「芸能界」が非常に身近に「思える」ようになった。

   果たして、本当か。地下(地域)アイドルは、地域アイドルであることで満足で

   きる、そんな覚悟があるのか。「現実」を受け入れているのか。かの「事務所」

   は言う。「本当に農業への思いがないと続かない。」「アイドルになりたいだけ

   の人はすぐやめる」

    16歳の女の子(中卒の子)が、農業を心から応援する為、「仕事」して「ア

   イドル」を志す人がどれくらいいるか?「アイドルになりたい、きっかけをつか

   みたい」と応募する人がほとんどであることぐらい、予想がつく。それを「志が

   ない」とうそぶく「事務所」が、大人して「子供を見守り、育てる」つもりがな

   いのは明らかだろう。それを、さも、まっとうな「会社」に見えるようにしてし

   まう所に「マスコミ」や役所(役所)の大きな責任がある。

〈2〉母親の、いくつもの「常識外」の見識。社会性のなさ。

    まず、地域といえど、いづれ社会に出る為の「準備期間」である中高生時代の

   大切さ、危うさ、をこの母親から感じない。誰でも「煌びやかな世界」にいける

   わけでもない。そうでなかったとき、どうするか、あるいは、煌びやかな世界に

   行けたとき、その世界は、どんな世界か。それを、伝えたのだろうか、親とし

   て。子供の「感情」だけでなく、考えなければならない「大人としての責任」

   を、この母親から感じない。「子供を守る」という意識の欠如。    

   「事務所側に「契約の満期となる2019年8月末で、御社との契約を終えたい」と

    伝えた。そして3月20日、高校に納付しなければならない残りの12万円を借りるた

   め萌景さんと母親が事務所に出向いたところ、貸し付けを拒否された。」と言う

   が、ある意味、当たり前だろう。「辞める」という人間に、なおかつ「貸付金」が

  ある人間に、お金を貸すほうがどうかしている。それを、「おかしい」と思えない

  母親も「常軌を逸している」。この「常軌を逸した」感覚が、娘を死に至らしめた

  と言えなくもない。もちろん、この事務所の「ブラック」の部分が、一番の原因だ

  ろうが。今の学校もそうだが、無責任な「友達教師」「友達家族」が起こした悲劇

  といえないだろうか。「裏切る・裏切らない」の前に、社会で生きていく事の厳し

  さを「教えられない」大人に、一番の責任があるのではないか。そう思えるのだ

  が、どうか。母親が言う「真実を知りたい」。その「真実」とは何か。自分に都合

  のいい「描写」か。それとも「都合の悪い事実」をも含めた「真実」か。よくある

 「常套句」でもある「真実を知りたい」。その覚悟が無くては、「真実」は何も生ま

  ない。

 

 

 

公立中学校でいじめ 自殺未遂3回繰り返す 埼玉

~そこまでしてなぜ登校を続けるのだろう?

埼玉県川口市の公立中学校に通う3年生の男子生徒(14)が平成28年4月の入学直後から同級生らにいじめを受け、3回にわたって自殺を図っていたことが9日、市教育委員会への取材で分かった。生徒は現在、登校しているが、自殺を図った影響で、車いすでの生活を送っている。

 市教委によると、生徒は1年生であった同年5月ごろからサッカー部の同級生や先輩から悪口を言われたり、仲間はずれにされたりしたという。生徒は同年9~10月の二度にわたり、自宅で首つり自殺を図ったほか、29年4月には自宅近くのマンションから飛び降り、頭蓋骨骨折などの重傷を負った。

 生徒は最初の自殺未遂の前にいじめの内容を記した手紙を担任に渡したが、学校側は「いじめに該当する事案がない」との調査結果を生徒側に伝えていた。生徒は不登校となり、学校側がいじめを認定したのは、飛び降り自殺を図った後だった。

 市教委は29年10月に第三者調査委員会を設置したものの、本人への聞き取りができなかったことから、同年末に一時中断。今年7月、本人に聞き取りに応じる意思があることを確認した上で、8月に同委員会を再開した。現在、調査委員にいじめの経緯などの説明を行っている段階で、まだ本人への聞き取りは実施できていないという。

産経新聞 10/9(火) 16:39配信) 

 

 いじめの有無、その学校の管理能力などは、まずは、おいといて、なぜ、そうなってまで、3度も自死を試みさせてまで、その学校に登校させるのだろう、この子の親は、と思う。裁判にかけるにしろ、警察に相談するにしろ、「3度」の意味は重い。親として、普通。しかも車椅子生活になって、自分の子供が。

 すぐに思い浮かんだのは、「親」としての「復讐」。でも、それは、自分の「子供」を「見せしめ」にした、意趣替えし?にならないか?負けた、勝った以前に、その子供は、どんな気持ちで、その「学校世界」にいて、その後、その「時間」をどう思うのか?いじめの有無や、いじめがあったとしたら、加害者の特定、相応の賠償など、社会的制裁は当然として、また、それとは別の問題に思えてならない。事象や心の問題の解決は別に、出来るだけ冷静に「闘ったほう」がいい、と思うのだが。

財政破綻から10年 。再出発、挑戦あるのみ。 ~北海道夕張市~ 市長「鈴木直道」にみる日本の未来

~一言「感動」。東京の一青年の見た「夢」が夕張に「希望」を生んだ。

 

 たまたまTVを見ていて、少しく縁ある「夕張」の特集だった。もう少しで「再生団体

」の重しがとれ、同時に、負債を自分で返さなければならない岐路に立つ夕張。それでも、この町は(あえて市と呼ぶまい)、そこに住む人達は、一度死んだのだ、と思う。それを、10年前の、あどけない、東京の1青年が、勇気を見せ、立ち上がる心を作り、今、未来への小さな、小さすぎるけれど確かな「道」を作ってくれたんだな、と、素直に感動している。

 市長は言う。「2016年、夕張市財政破綻から10年を迎えたこの年に、大きな決断をしました。これまで市民の努力により116億円ものお金を返すことができた一方、まちから多くの人が去りました。このままでは夕張自体の存続も危ぶまれてしまう…。そこで夕張市は、財政再建一辺倒の政策から、地域再生との両立へと舵を切りました。山積する地域課題に立ち向かい、夕張は立ち上がります。」と。

 すべてが、夕張の責任ではない。時代の変化、国策の無責任さ。いろいろある。けれど、愚痴や恨み言を言っていても、「夕張」は、今、なかったろう。そう思える施策を、東京の一青年が次々と行った。

 日本にとどまらず、世界的に有名な夕張メロン。けれど、秀逸さゆえ、愛情をかけ続けなければ育たず、日本一の高齢化とかけなければならない手間は、夕張を救う「1手」にはなりえなかった。

 炭鉱の町夕張をイメージして、竹炭を混ぜ込み熟成黒麺を完成させたゆうばり屋台村 石炭黒ラーメンや、夕張産メロンの果汁や、幻の夕張メロンブランデーを使用したれで漬け込んだジンギスカン、夕張屋ジンギスカンなども、夕張の人達の心の復興なくして生まれなかっただろう。

 その他に、この10年で、いろいろな施策が生まれている。

■手つかずの市有林を再生「日本一の薬木産出地」プロジェクト

 「かつて炭鉱の坑木として植栽されたカラマツは、ほとんどが伐採可能な年数を超えているため、市営住宅の建材用として伐採し、跡地に薬木を植栽しました。キハダ、ホオノキは、樹皮が成長分野として期待される生薬の原料となり、花や材も活用できます。成長が早く、15~20年ほどで活用することができます。森林資源の潜在力を引き出し、循環利用による雇用を生み出し、薬木産出地日本一を目指します。」とする。

■ごみの山を再生!「宝の山」プロジェクト

 「石炭をとった際の捨石(ズリ)を積み上げたズリ山は、夕張市に60あまり存在し、単なる「ごみの山」と見なされてきました。
このうち、最大級のズリ山が融雪水で一部崩落し、河川を塞き止め、下流側に鉄砲水を発生させました。防災対策として、工事費5億円が必要となりましたが、このズリ山は選炭技術が進んでいなかった時代のもので、約3割もの石炭分を含んでいることがわかりました。ズリから採炭し、海外産のカロリーの高い石炭にブレンドすれば、火力調整用の石炭として出荷することができます。崩落ズリを採取して石炭を生産することで、工事費5億円が不要になるばかりか、10名の雇用創出が生まれており、今後20名の雇用を目指します。」とする。

 これらは、鈴木市長なくしてうまれなかった発想だろう。まあ、夕張市長となんの関係もない自分が、どうして、ここまでほめちぎるのか。それは、たぶんTNVでみた10年前の、東京都庁の職員として執行してきた彼のあどけない顔を、改めて見たからだろう。自分も年をとり、違う世代の若者を見るとき、ともすれば、厳しい視線で彼らを見てしまう、そんな事も数多くある。それは、年をとり、残り時間が短くなる刹那、ある意味必然かもしれない。が、彼の言動、行動を振り返り、全然違う感覚を持った自分に驚くのだ。

「子供達を育て、夕張にいつか戻って欲しい、と思う。当然です。でも、それは、大人のエゴかも知れません。それより、愛情込めて地域で育て、世界に羽ばたく彼らが、今自分があるのは、夕張のおかげ、夕張という地域のおかげ、と思ってもらえるような「故郷夕張」を作りたい」という、」彼の言葉に、感動したのだ。「どうして、そこまで、思い入れ出来るのだろう。」と。

 

 少し調べてみた。なぜ、彼が夕張再生に、「自分の半生をかけたのか」を。

 

 東京都職員を辞し、北海道夕張市長選に立候補を決めたのは29歳のときです。私は2008年1月から2年2カ月間、都から夕張市に出向しました。その後、約半年ぶりに夕張に戻った際、一緒に地域活動をしていた仲間から出馬要請されました。
 とても悩みました。というのも、当時交際を続けていた現在の妻との結婚を控え、出身地の埼玉県三郷市に新居を確保したばかり。07年の財政破綻以降、夕張市長の給与は70%カットされています。月額25万9千円。退職金はゼロです。しかも、選挙運動には数百万円の費用がかかります。法律上、都職員を退職しないと立候補できません。片道切符なんです。当選しても身分が保障されるのは4年間。落選したらすべてを失う。

 一方、都職員としての当時の年収は約500万円。市長に当選しても半分近くに減ってしまいます。悶々と考えていましたが、答えを出せませんでした。これだけ断るべき要素がたくさんあるのに、断れない自分がいた。何でだろうと考えたとき、こうした不安をいったんテーブルからおろして自問してみたのです。そうしたら、挑戦したい自分がいるから断れないんだ、と気づいたんです。

●高校生で母子家庭に

 見ず知らずの人たちにも支援者になってもらうぐらいの熱意がなければ、どんな仕事も成し遂げられません。そう考え、自分の中で答えが出るまで誰にも相談しませんでした。こんな考え方をするのは、高校生のときに母子家庭となり、経済的苦境に陥った経験が大きいと思います。当然視していた大学進学を一旦断念し、食べるのにも苦労することになり、世の中は自分で切り開いて渡らなければいけないものだと痛感したのです。

 国内最大の石炭供給地として日本の近代を支えた夕張の歴史は理不尽そのものです。国のエネルギー政策の転換に伴い、炭鉱から観光へシフトしたのが裏目に出て財政破綻の憂き目に遭いました。約3千人が炭鉱事故で死亡しています。かつて夫を炭鉱事故で亡くした女性が「私はそんなに悪いことを、この人生でしてきたんだろうか」と嘆く姿を見て、申し訳ない、見て見ないふりはできない、絶対この状況を変えてやる、と思いました。夕張市の子どもたちにまで責任を負わせるのはあまりに理不尽ではないですか。

大義ある逆境に挑戦する」が私の持論です。逆境でもそこに大義があれば必ず道は開けます。財政破綻から10年を経た今年、「不可能」とされた財政再生計画見直しを図ることができました。信じて身を投じるのが大事と思っています。

AERA 2017年5月22日号 )

 妻は、脱サラして「ラーメン屋」をするみたいなもん?と言うが、何か、少し違う?
 東京の一青年が、絶望の淵にある、小さな田舎町の「夕張」の老若男女の心に灯火を灯した、このすごさ。感服だな、この若者に。

 次期の北海道知事の候補として取りざたされるが、党や主義主張を超えて、応援しなければ、と思わせる人間のようだ。今後の動向に注目してみたい。