戸塚ヨットスクール校長「体罰は有効」「甘やかすのが女の本性」発言に批判相次ぐ

~あんな言い方しかできなかった事に「挫折した」人間の叫びを見た。

 坂上は、自身の教育論が絶対的かのような態度の戸塚氏に「あなたの善悪が全てじゃない」と言い放つも、戸塚氏は「いや、すべて」と即答し、坂上が「じゃあ、なんでここに来たんだよ!」と言い放つ姿に、どんびき。だって、番組に読んだのは、あんたがたマスコミだろ、と。戸塚校長が伏してお願いして出演したわけでもあるまい。・・・最近疲れて、いらいらしているせいか、逆に坂上の正義然とした言い方が鼻についたものだ。

 女優・本仮屋ユイカが「許すこと、認めること、受け入れること、わかり合おうとする努力」と持論を述べるのも、正直、ばっかじゃないの、と思った。あなた何様?と。

 1クラス40人の個性、1学年計200人の生徒を、ある一定程度同じ目標・価値観・善悪感の中生活させるのが、学校。「許すこと、認めること、受け入れること、わかり合おうとする努力」のお題目が、現実の学校、10代の子供全員、問題のある子供の課題の処方箋となるか?それがテーマの番組ではないのか?貴方は、今まですべて「許すこと、認めること、受け入れること、わかり合おうとする努力」で解決・幸せに出来たのか?自分が出来ない物を、公共の電波の上で、偉そうに言っていいのか?と不快になった。

 戸塚校長が語った「この日の」教育論が正しいとは思わない。が、人が人を教育するという事を純粋に考えれば考えるほど、それは、「我慢させ」、「理不尽」をある程度受け入れさせる事でしかなしえない部分も、あるのだ。教育とは、人生をある意味教えるのだ。人生は多くが「理不尽」なのだから。

 間違ってはならないのは、戸塚校長の理念の善し悪しと、体罰の是非とは全く違ったテーマで、いわゆる「マスゴミ」が、上手に誘導し、それに乗らされた感もある。

 親が育てることを「放棄」した子供である。その子供にどれほどのキャパがあるか。教育とは、そんな状況をさえ「受け入れ」なければならない、そこに、闇が生まれる。

 彼は、訓練生の死亡について、「責任はある」「方法が間違っていた」という。教育は、いつでも、その「方法」を試行錯誤しながら探求し、その解は、明日には、また変わっていく。責任の重さに対し、多くの「大人」の不条理も蔓延し、意欲ある兵隊は、疲弊し、魅力のない職場に成り下がる。それでも、そこに「夢」を追った戸塚校長の「挑戦」への気持ちはくまなければならない。「現場」にすべての責任をなすりつけても、本当の「闇」は見えない。